第九話 個人鍛錬 其の三
朝子は四つん這いになりながら、背中を大きく動かし呼吸をしていた。自らの身体に酸素を取り込もうとるすも、上手くいかない。頬には大量の汗が滴り落ち、目線の先へと地面が滲むのが分かる。
朝子は顔を上げ、八雲と総将を見ると何食わない顔で話している。
「お、もういけるか?」
八雲の言葉に、朝子は苦痛の表情を浮かべながらも睨みつける。
「いける、みたいだな……」
八雲の言葉を気にせず、総将は模擬刀を抜いた。
朝子はゆっくりと立ち上がり、鉄鞭を力いっぱい握り、構えた。
「おい、総将。ちょっと、待てよ」
総将はその言葉を聞かず、走り出した。朝子との間合いを瞬時に詰め、模擬刀を上段から振るう。
朝子は重たい一撃を鉄鞭で受けた。その重さで足が震え、力をなくす。踏ん張りきれなくなった足では総将の一撃を完全に受けきれないと判断し、鉄鞭を斜めにして、受け流した。
「その受け流しは足に力が入らなくなってか? だが、敵はそんなの気にしてはくれない!」
総将は受け流された刀を綺麗にその方向に流し、刀を引くと、肩が朝子を向いた。その肩を朝子に近づけ、肘を突き出す。
朝子はその肘が腹部に入り、痛みでその場に倒れ込んだ。
「総将……」
「甘やかすな!」
八雲は頭を掻く。
「もう終わりにするか? 情けないな。そんなであれば八雲の妹にも、ましてや金髪の男にも勝てやしない。五人の中で一番弱いのはお前だ」
朝子は咳き込みながら、耳障りな言葉に腹を立てていた。
「どうした。戦えないのならそこで寝ていろ。そうやって地べたに這いつくばるのがお似合いだ」
朝子は奥歯を噛みしめる。今まで受けた痛みで体が熱い。とにかく、眼の前の男が憎くて仕方がない。
朝子は暴力を振るう男が何よりも嫌いだった。感情が沸々と湧いてくる殺意の気持ち。あの女に対しては違う純粋な殺意。その気持ちが朝子を動かす。
朝子にねっとりとした赤黒い呪力が纏わりつくのが八雲には見えた。
「良子さんの予測は間違いじゃなかったってことか……」
朝子は鉄鞭を握りしめると、その形状を長い鞭に変えた。雄叫びにも似た声を上げ、総将に向けて振るう。
しかし、その攻撃は総将の瞬速の二度の剣撃によって、鞭の胴体と穂先と切り払われる。その衝撃が直に朝子の柄まで伝わり、手から鉄鞭を引き剥がされてしまった。
朝子は手に痺れが伝わっていたが、そのことを気にせず、総将が動きを止めたと思い、格闘戦に持ち込む。
総将はそれを待ち構えていた様子だったが、それも気にせず、総将に飛びかかる。
総将は猛獣のようになった朝子を体捌きで避け、無防備なった朝子を刀で地面へと叩き落とした。
「得物を持った俺に、弱いお前が素手で挑む馬鹿があるか!」
朝子は全身を打ち付けられてもなお、体を動かそうとする。
それを遠くで見ていた藤は駆け寄ろうとするも咲耶に止められた。
「先生、ダメですよ。邪魔をしちゃ」
「何言ってるんですか! 氷見さんをあんなに痛めつけて!」
「しょうがないわ。あの子が強くなるためにはどうやら痛めつける必要があるみたいだから」
「強くなるために生徒が傷ついてもいいっていう理屈はありません」
「強くなるのは生徒たちが自分の命を守るためです! そのためには傷つくのは仕方ないと私は思います」
「それにしたって、あの人はやりすぎです! 手加減って知らないんですか!?」
「それは……」
咲耶は藤から視線を逸らす。
「総将は……手加減が下手なのよ。あれでも死なないように手加減しているみたいだけど……」
藤は伏見の言った怪我をさせるという理由が分かった。
「と、とにかく、今は手を出さないでくれない。あの子、痛みで呪力が増してるのよ。それに総将に対して明確な殺意が増すごとに呪力が変質していく。呪縛誓約者特有の色が見えるの。そのトリガーを知るためにも今はあの方法を取らざるをえない。我慢してください」
「その我慢はいつになったら、終わるんですか?」
「この訓練が終わるまで?」
咲耶は困り顔で答えていた。
「おーおー、やっとるなー」
「伏見先生!」
ヘラヘラと伏見がやってきた。
「伏見先生、止めてください。氷見さんをこれ以上傷つけるのは許せません」
「そりゃ無理や」
簡単に返事をした伏見に藤は怒りを覚える。
「京介! 子どもたちはあなたの実験体じゃないのよ!」
「実験? 何言うてんねん。勘違いせいへんでくれ。軍の人間は彼女らが自分の命を守るために手伝ってくれてんねん。彼女らが強い敵に会うたとき、僕が察知してたどり着くまでには時間が掛かる。その時間、生き延びるためには自分の力を伸ばすしかない」
伏見は藤の目を見る。
「藤くん、そうなったときに君はいち早くその場にたどり着き、彼らを守り切れるんか?」
藤は思わず伏見の頬をぶった。
「ちょっと……」
咲耶が藤の肩を掴み静止すると、藤の肩が震えているのが分かった。
「できへんのなら、この話はおしまいや。黙って見守っとき」
伏見の頬は赤くなっていたが、藤から目を離さなかった。
藤が俯くと、咲耶がそっと抱き寄せる。
「薔薇姫、もう一人の方はどうなんや?」
「そっちは全然。あの子みたいに感情での起因じゃないみたい。八雲も手を拱いているわ」
伏見は鞘夏の方を見た。八雲に簡単にいなされているが、それでも一生懸命攻撃を続けている。
「離したのが不正解やったかな……」
「なによ、それ?」
「こっちのことや。気にせいへんでええ」
「そういえば、あなたの方は良いの? あの優しそうな子。奏も結構手加減しないでしょう?」
「大丈夫や。お互いええ勉強になってる。忠陽くんも楽しそうにしてるわ」
「これだから呪術師って人間は」
伏見はいつもの調子でヘラヘラと笑っていた。
「八雲に言うとき。引き出せないなら早々に戦闘の経験に変えてもええって」
「わかったわ。そう伝えておく」
「ほな、僕は宮袋くんとこ行くわ」
咲耶は伏見の背中を見送ると、藤に話しかける。
「男って最低よね。私達の気持ちなんかなーんにも考えてないんだから……」
藤は黙っていた。
「あんな言い方で黙らせるなんて最悪よ。私だってビンタする。…………本当、辛いわね」
藤の足元には雫が落ちていた。
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