第九話 デ・バイス
忠陽たちは再びタクシーに乗ると、彼杵の市街地を出て、住宅地へと向かった。
住宅地へと続く道は緩やかな坂となっている。坂の行き着く先は住宅地を囲むように存在する森林だ。
タクシーが止まった場所は閑静な住宅街。その住宅街にぽつんと喫茶店が存在した。
喫茶店は赤い屋根に白の壁面、外から見ても、都市部の雑居ビルにある洒落た喫茶店とは違い、田舎にある老人の憩いの場でありそうな場所であった。
店名は【デ・バイス】と入り口の扉の上に看板があった。扉には春夏冬中と書かれた札が掛けられている。
伏見を先頭に中に入ると、カランカランとベルが鳴る。
その音に気づき、いかにも大人の女性の魅力あふれる声が出迎えてくれた。
「いらっしゃい」
「静流姉さん、えらい待たせてしもうてすんません」
伏見はペコペコと頭を下げて中に入っていく。
それに続いて、忠陽たちも入り、最後に八雲が中に入る。
店の中は板張りの民家の趣きが残っていた。天井にはシーリングファンが二機回っている。
席はカウンター席が六席。丸いテーブル席が四人がけ二つと、窓際の六人がけの席が一つあった。
カウンター席には一人だけ先客が居るようだ。
入り口からはよく見えないが、忠陽は奥にも何かにあるように見えた。
カウンターにはサイフォン式のコーヒーメーカーが並んでおり、その奥に細い線の、綺麗に年を重ねた女性が居た。
眼は細く、伏見と同じ笑みを浮かべており、表情からは感情が分かりにくい。
忠陽は伏見の親戚だということは分かった。
「市街地はどないやった? えろう変わったやろ?」
「僕にはあんまりピンとこうへんわ。ここが更地から変わったぐらいしか」
「そうやんな。ここが更地やったのを覚えてるのは八雲ぐらいやない? 八雲、覚えてる?」
「んまぁな。迷いの森までだだっ広い坂だったことは記憶にあるよ。ゆみ、覚えてるか?」
「ええ、何となく……」
由美子は戸惑っているのか、警戒しているようでもあった。
「そう警戒せいへんでもええやない。ここは棲家やない。それにお客さんとして来ている人に手を出したりすることはない」
由美子はハッとなり、すぐにいつも伏見を睨むように敵意を出した。
伏見は由美子の頭を引っ叩いた。
その手の速さに誰もがびっくりする。叩かれた由美子は叩かれたことを理解できなかった。
「辰巳……」
「悪いな。誰彼構わず噛み付くじゃじゃ馬には調教が必要やと思うて、つい手が出たわ」
「確かにゆみが悪いが、お前な……」
「京介、別にええよ。それは血筋やさかい、簡単に治るものやない。それにしても、大きゅうなって、うちのことは覚えてるんか?」
由美子はササッと八雲を盾にして隠れた。
「返事くらいしいや」
伏見が由美子に珍しく注意する。
「大きくなっても変わらへんな」
静流はふっと笑う。
「未だにお兄ちゃんに甘えたいさかりなんやな」
「違うわよ!」
「ほな、そんなとこに隠れんで話しいな」
「お母様から、貴方と話すと手玉に取られるから気をつけろと言われてるだけよ」
それを聞いた静流は笑っていた。八雲はため息をつく。
「まあ、入り口で立ってるのもなんや、はよ席に座り。他のみんなは聞きたいことがあるやろし」
伏見は忠陽たちを男女に分け、二つテーブル席に座らせて、自分はカウンターへ座る。藤は伏見の隣に座った。
静流はカウンターの奥の出入り口を開けた。出入り口はどうやら居室に繋がっているように見え、そこへ静流は呼びかけた。
「奏! 奏ー! 降りてきて手伝い!」
奥からドタドタとした音がする。
「ねえ、カナって、もしかして……」
朝子が伏見にそう言うと、演習場では見た事もない慌てた月影奏が現れた。
その姿はタンクトップに短パンで、静流はそれを見て、ムッとしていた。
「なんや、あんた。朝からその格好なんか?」
「え、あ……うん……」
奏はしおらしく答えた。
「ほんまに恥ずかしいわ〜。せめて、これでも付け!」
静流から渡されたのはエプロンだった。
「やだよー。別に付けなくていいじゃん……」
「なに言うてんのや。そんな格好で接客させられへんわ」
「別にしたくてしてるわけじゃないし……」
「京介が遊びに来てくれたんや。もてなしいな」
「もう会ってるし、皆知ってるよー」
朝子は奏がここまで子供扱いされていることに驚いた。
「あんた、京介に可愛がってもろうとったんやろ?」
奏は困った顔をしている。
「なんや、その顔は」
「違うってば……。母さんがみんなの前で怒るから……」
八雲と伏見はそんな縮こまった奏を見て、笑っていた。
「あの……お二人は親子なんですか? それに伏見先生はともかく、神宮さんとは……」
藤が恐る恐る聞いていた。
「そうやんな。挨拶が遅れまして申し訳ないです。うちは月影静流と申します。ご存知の通り、奏は私の娘で、京介は甥です。そこのお姫様や八雲とは、なんと言いますか、家族ぐるみで仲悪うさせて貰ってます」
藤は仲が悪いと公言されて、固まった。
「冗談や。でも、残念なことに、切っても切り離せない縁のは確かでやけど」
「こっちが切り離したいぐらいよ!」
由美子は大声を上げた。
「ゆみ!」
八雲が叱りつけるも、由美子はうーと喉を鳴らしていた。
忠陽は六道絢と話したときに出てきた名前を思い出す。
静流姉さん……。
伏見や絢と同じ京訛り。人を食ったような話し方はそっくりだった。だけど、絢とは違い呪術師らしさというのがない。澄み切った清流のような呪力だった。絢のように言葉にも虚言が見受けられなかった。
忠陽の視線気づき、静流はにこりと忠陽に笑みを浮かべる。
忠陽はすぐに視線を外してしまった。なにか心を読まれたように感じてしまう。
「奏、注文とりい」
奏は渋々、エプロンをつけて、まずは女性陣のテーブルに赴く。
「京介と八雲はいつものやつでええか?」
二人は頷いていた。
忠陽を大地とともにメニュー表を見ると、数多くのコーヒーの銘柄とサンドウィッチやケーキやスコーンなどの軽食があった。
「八雲さん、俺コーヒーの銘柄なんてわかんないっすよ。どれが良いんですか?」
「わりぃ。俺はコーヒー飲まないから分かんねえ。でも、当たり障りのないものだったら、ブレンド。常連は青山ブルーマウンテン、フルーティな味ならフルッタとかじゃなかったかな?」
「青山ブルーマウンテンって……ギャグですか?」
「ちげーよ。昔、静流さんがこの店を開く前に知り合いに教えてもらった特殊なブレンドだよ。それだけは濃いブラックでミルクや砂糖を入れると怒られるだよ。書いてあんだろ? ミルクと砂糖、薄めは断りって」
忠陽と大地はメニューを見ると、本当に書いてあった。それとともに豆だけの提供ありともあった。
「豆って……」
忠陽は八雲を見る。
「いや、常連の中にマジで頼む人はいるんだよ……」
大地も呆れていた。
「ご注文は?」
エプロン姿は奏が忠陽たちのテーブルにやって来た。
大地はその姿を上から下へと視線を下げて見ていた。
「何よ?」
「いや、なんか裸エプロンみたいで、エロいっすね!」
奏は大地を見た。そして、ゆっくりと笑みを浮かべた。
忠陽は背中がゾクゾクとし、恐怖を感じた。
次の瞬間、大地はボロ雑巾のようにされ、店の奥に追いやられた。
「賀茂、何するの?」
「えっと……」
「オススメはコーヒーセット。ケーキを一個選べるわ。コーヒーはうち独自のブレンドになるけど」
「なら、それをお願いします。ケーキは……」
ケーキを見るとショートケーキ、チーズケーキ、モンブランが残っていた。
「モンブランで」
「了解。……おい、そこの変態。あんたも同じでいいわね? ケーキはショートケーキにしとくわ」
大地は辛うじて返事をした。
「奏、お会計頼むわ」
静流が声で奏はレジを見ると常連客が立っていた。
奏は焦らず、レジに向かう。
「はは。今日は良いものを見れた。静流さんと奏ちゃんが並んで立ってるのもいいね。これにゆんちゃんが居ればいいな」
よれたスーツを着た小太りの中年男性は奏が会計途中に言う。
「そう? でも、おじさんの目当ては母さんでしょ? 父さんに言いつけるわよ?」
「止めてくれ、アイツに言ったら家まで押しかけてきて、その後はカミさんと喧嘩になっちまう」
奏は無邪気に笑う。
「なら、止めとくわ。はい、おつり」
「ありがとう。静流さん、じゃあ、また来るよ。今度はいい話ができればいいね」
「いつもありがとう。なんか、急に騒がしくなってすんまへんなぁ」
「いや、構わないよ。うちの娘なんかより大人しくて可愛もんだ」
「話、また聞かせてえな」
中年男性は手を上げて、店を出ていった。
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