第九話 演習 二日目 その三
昼食が終わると、五人は講義室に集められた。
予鈴がなると、良子が入ってくる。その姿を見て、五人は背筋を伸ばす。
「午後の初めは作戦、戦術についての座学だ」
五人は息を呑む。この時間帯の座学は眠気を誘う。この女の前で居眠りをしたらどうなるかを考えると恐ろしいが、生理的欲求に勝てるのかという不安も同時に生まれていた。
「まず、作戦を述べる前に重要なのは戦略、作戦、戦術の区別だ。ゆみ、答えろ」
由美子は反射的に立ち上がった。
「えっと……戦略は目的を達成するための長期的、大局的、総合的な計画。作戦は戦略の基にした中短期の行動、戦術は戦う上での手段や運用のことを言います……」
「結構。それで構わない。だが、お前の言葉では周りは付いてきてない。宮袋!」
「は、はいっ!」
大地は立ち上がる。
「さっきのゆみの言葉を自分なりに言え」
大地は困った顔で由美子を見る。由美子は顔を反らした。
「どうした。速く言え!」
「ハイッ! えっと……戦略は長い計画……。作戦は中ぐらい……。戦術は手段……?」
由美子は大地を睨むも、大地は眉を潜め、首を振る。
「氷見、お前たちが戦う根拠となるのはどれだ?」
朝子は徐に立ち上がると、不貞腐れながらも答えた。
「戦略」
「なら、お前たちの戦略とは何だ? 真堂」
鞘夏は綺麗に立ち上がるも、答えなかった。
「どうした? 真堂。とりあえずは答えろ」
「分かりません……」
「なぜ、分からない? 賀茂、答えろ」
忠陽は立ち上がり、伏見を見た。伏見はヘラヘラと笑っていた。
「……分からないです」
良子は伏見を見た。
「分からないのが正解だ。それは、どこかの男がお前たちに意図的に戦略目標を与えていないからだ」
良子は立ち上がった全員に向き直り、座るように指示する。
「戦略とは概ね政治的なものが大きく関わる。例えば、我々軍隊だ。軍は政治によってその目標が変わる。今や国際社会全体が戦争という非効率的な外交を止め、融和はという形でお互いの利害関係の調整を行っている。その中で軍隊の在り方は変わり、主目的は防衛となった。宮袋、もし、貴様の学校に攻め込んできた奴らが居たら、お前はどうする?」
「いや……あんまり興味ないっす……」
良子は眉をひそめる。
「なら、自分の家族、大切な人が貴様の眼の前で襲われたどうする?」
「そりゃ、返り討ちにします……」
大地は恐る恐る返す。
「それが専守防衛だ。だが、事前に襲撃時間、人数、その連中の居場所がわかっていたらどうする?」
大地は一瞬考える。
「……襲撃される前に乗り込む」
良子は頷く。
「それが積極的防衛行動だ。お互い防衛行動であるが、その違いは歴然だ。我が国の防衛戦略の基本の考え方は三つ。一つ、国民、国土の安全環境の創出。二つ、対外的な抑止力、対処力の周知。三つ、我が国への侵攻を排除、阻止だ。この三つを基本構想とし、作戦を実行する」
良子は三つの基本的な考え方を黒板に書く。
良子の話の途中で、大地の頭から煙が出ているように藤は見えた。
「宮袋、ついてきているか?」
大地は返事ができなかった。
「氷見、私が伝えたことをこの男が分かりやすいに咀嚼しろ」
「なんで私が……」
「貴様らはチームだ。一人の行動がチーム全体を危険にする。情報を共有するのは当たり前だ」
朝子は不満そうに大地に話しかける。
「一つ目、あんたの家と家族を守ること。二つ目は、あんたが力があることを周りに知ってもらう。三つ目は、あんたが襲われても返り討ちにすることよ」
大地は明るい顔になる。しかし、すぐに難しい顔になる。
「その三つが、作戦と戦術と何が違うんだよ? それこそ作戦じゃねぇか?」
良子の口角が上がる。
「賀茂、宮袋の疑問は当然だ。確かにさっきの三つは作戦でも構わない。だが、なぜ戦略なんだ?」
忠陽は考える。
「……政治的な問題ですか?」
「それは根本的なものに関わるもので、戦略と作戦の違いには関係ない。真堂」
「戦略はあくまでも大きな計画や考え方だと思います。作戦はあくまでも行動だと思います」
「例えば?」
「戦略は安全な社会を作るとしたら、作戦はもっと具体的に不良がたまる場所を失くすとかでしょうか」
良子は鞘夏の答えに頷き、宮袋を見る。
「宮袋、分かったか?」
「少しだけ……」
「まあいい。戦略と作戦は混同することはよくあることだ。話を進めると、さっき話した中で作戦として計画しやすい戦略は我が国を対する侵攻の阻止だ。これは、宮袋、貴様の家族が狙われた時に、敵に乗り込んで返り討ちにすることだ」
大地はハッとなって頷く。
「戦略目標は真堂が言うように安全な社会を作るとしよう。これを実現する中で、貴様たちの安全な暮らしに害を及ぼす男が現れた。それを伏見とする」
「ちょっと!」
藤は立ち上がっていた。それを無視しながら良子は話していた。
「さて、戦略をもとに作戦を立案する。どのような作戦があるかな、藤教諭?」
「えっ!? 急にそんなこと言われても……」
藤は伏見を見るも、伏見は平気な顔をして、どうぞと手を差し出す。
「作戦としては伏見先生と話し合いで解決するのはどうですか?」
良子は鼻で笑った。
「それでは今話している内容が、すべて無意味になる」
「ほんまやで、藤くん」
ゲラゲラと笑う伏見に、藤は拳を震わせた。
「作戦は、この場合、大まかに伏見を倒すとしよう。これに基づいて戦術を決めていく。作戦や戦術を決める上で、最も重要なのは敵の情報と自分の情報だ。伏見について、どんな情報がある? 氷見」
「嫌な奴」
「それでは駄目だ。ここで重要なのは相手を定量化する事が望ましい」
「定量化? どういう意味?」
「数値として表すことだ。例えば貴様の戦力を基準にして、戦力を数値化してもかまわない。大事なのは数値で表し、それに対してどのぐらいの大まかな戦力を出すことだ」
「それなら、私を基準にするなら最低でも十人は欲しい」
「とりあえずはいいだろう。次に相手の能力、どんな戦い方をするのか、武器は何を持ってるのか、得意な術は何か、生活のリズム、定性的なものを列挙しろ。賀茂、答えろ」
「先生は、言霊や暗示による間接的な攻撃が多いように感じます。その他にも多彩な術を使用でき、呪術師としては万能のように見えます」
「いいだろう。ゆみ、付け加えることはあるか?」
「その男の家系は嘘つきで、口からでまかせ言う一族です。ですが、それは呪術師としては警戒すべき才であり、呪術の中に嘘を仕込み、相手を絡め取る事が得意です。大人数で押しかければその誰かを術中に羽目、同士討ちを引き起こす可能性があります」
「よろしい。今のが、伏見という男の情報だ。次は貴様達の情報だ。貴様たちは何ができる? 真堂、氷見は何ができる?」
「近接から中距離の戦闘です」
「氷見、賀茂は何ができる?」
「呪術での援護」
「賀茂、ゆみは何ができる?」
「どの距離でも戦えて、呪術も使えます」
「ゆみ、宮袋は何ができる?」
「炎の呪術による戦い方。打たれ強い」
「最後の宮袋、真堂は何ができる?」
「……近距離での戦い?」
「こう聞くと貴様らはお互いのことを理解していないようだ。それでは、戦術がうまく立てられない。戦術は伏見を倒すための具体的な方法だ。例えば、日時、人数、どのような攻撃を行うか、相手への対策などで、これは事前に決めるのが望ましい」
「それって決めなきゃいけないんすか? その場で対応してもいいんじゃ――」
大地は良子に見られて言葉を止めた。
「宮袋、確かにお前の言うとおりでもある。五人であれば話し合うこともない。だが、百人の部隊だったらどうする? 五人でも現地集合の場合は?」
大地は返す言葉が見つからない。
「作戦も、戦術も貴様たちが勝つための流れに過ぎん。実際の戦場は不確定要素が多すぎて、その場の状況で戦術を組み直す必要が出てくる。だが、予めある程度の意思統一を行えば、目的に対して個々が最適な行動を起こせるようになる」
「そんなの、今の私達に必要ないじゃない」
朝子は呟く。
「氷見、なぜ必要ない?」
良子の耳の鋭さに、朝子は顔を歪ませた。
「私達は……仲間でもないし、データのためにやっているだけだし……」
「戦えない貴様らでデータ収集できるのは精々保護機能だけだ。我軍としては貴様ら未成熟な学生が、この呪具を使って、軍人と戦いでどのぐらい成長できるか、データを収集する。それをもとに今後の防衛のためのカリキュラムに反映される。貴様らがまともな戦いが出来なければ、軍と呪術研究都市が共同で行っている意味がない」
その言葉の圧に朝子は負けてしまいそうになる。
「そ、それは、大人の事情であって……今彼女達に話すことでは――」
藤の抗議を伏見は止めた。
「二佐、そんなくだらないことより、戦術の話をして貰えませんか? 僕も、彼らが僕をどうやって倒すか、興味があるんで」
良子は伏見をにらみ、舌打ちをする。
「さっきも言ったが戦術は敵を倒すための具体的な方法だ。簡単なもので言えば攻勢、敵に対して攻撃をすること。防勢、敵の攻撃から防御をすること。部隊編成、部隊の人数、どんな戦闘能力を持っているかを決める。機動、部隊の移動だ。貴様らが今まで行ってきたもので多かったのは攻勢だ。相手にヤラレにいくように攻撃を仕掛けていた。これでは戦闘には勝てない」
「だ、だけどよ、攻撃は最大の防御っていうじゃねえか」
「その通りだ。だが、貴様の攻勢が相手の攻勢より弱いとき、それは防御では無くなる」
大地は言葉にならない音を出す。
「その中でも違う戦術を行ったものは居る。それがゆみと賀茂だ。ゆみが地形、高所、または岩場を使い、防衛陣地の形成を行っている。賀茂は昨日の午後の演習で地形を利用し陣地作成、相手を罠までの誘致を行っている。これは貴様らとは違う方法だが、相手にとっては攻勢よりも脅威と判断されている。ちょうどいい。なぜ、これまでの演習の中で賀茂は狙われやすく、先に倒されるか、なぜゆみは最後まで生き残ってられるかを答えろ。宮袋」
「ボンは簡単に倒せるから? お嬢は遠く離れていたから?」
「二戦目以降ゆみは前衛で戦っている」
大地は顔をしかめる。
「氷見」
良子は次に朝子に問いただした。
「私もそこのツッパリと同じ意見だけど、そうじゃないんでしょう? そこへタレは分からないけど、そこのお嬢様が長く生き残っているのは地形をうまく利用していたからじゃないの?」
「それだけではないが、まあいいだろう。真堂、賀茂はなぜ狙われやすい? なぜ先に倒される?」
鞘夏は口を閉じたままだった。
「主人の不利になるから話さないのか? 安心しろ。それでも貴様の主人は勝てていない」
由美子が鞘夏の手に自分の手を重ねる。鞘夏は由美子を見た。由美子をはまっすぐ良子を見ており、何も言わない。
「……忠陽様が狙われるのは、この五人の中でも誰よりも何をするか分からないからです」
「何だそれ? よく分かんねえなあ……」
大地は不機嫌そうに鞘夏を横目で見る。
「そうか、分からないか。……賀茂の特筆すべき点は、その隠形の技術だ。貴様ら二人は見たことはないのか?」
大地と朝子は、中山のときの一件を思い出す。確かにあのとき、自分たちの命が助かったのは忠陽が中山の不意を突いたからだ。
「あの隠形を前情報なしで索敵できるのは平助とアリスぐらいだろう。事前情報があったとしても部隊は見えない敵を想定して動かなければいけない。これはかなり負担であり、乱戦時の奇襲などの遠因を生む。ゆえに何をするか分からないという脅威を感じる。ただ、それだけでは賀茂が狙われやすい理由にならない。部隊の連中は貴様らと相対したときに初動の段階で、真堂、宮袋、氷見、貴様ら三人は後で倒して問題ないと判断している。なぜか分かるか? 賀茂」
「自分たちよりも弱いと判断したからですか?」
「それは最終的な判断だ。……一番は、全員が単独行動を行っていたからだ。連携が無い以上、一番脅威である貴様に全員で集中攻撃を行える。最初の演習、貴様が最初に狙撃を受けたのも戦力の集中を行えたからだ。その後で同等の脅威を持つゆみの位置は確認できたが、地形による防御陣地を構築していた。八雲はそれを見て、距離が離れているゆみを相手にするよりも誘い込んだほうが楽だと考え、優先順位を貴様に置いた」
「で、でも、実際はボンよりも、俺のほうが先にあの格闘姉ちゃんと戦ってるぜ?」
「それは奏が脅威である二人を呪術で追尾していて、動けなかったからだ」
「でも、こいつが倒れた後、私はすぐにその奏っていう人と戦ったわ」
「その時には八雲は賀茂と接敵していた。奏は追跡をする賀茂とゆみを追跡する必要がなくなった。その行動はゆみはおびき出すためでもある」
二人は口惜しそうにしていた。
「戦況は刻一刻と変る。その変化に対応できないものはすぐにヤラれるぞ。注意しておけ。話を戻すと賀茂が一番狙われやすい理由は貴様らが単独行動を行っていたことと、脅威レベルが他よりも高いからだ。賀茂、貴様はそれを踏まえでどうする?」
忠陽は伏見が索敵を行うようにと助言を与えた理由が見えてきた。そして伏見を見るといつもと同じくヘラヘラと笑っていた。
「僕が下がればいい。それと索敵を行って、相手の位置を確認しながら逃げる」
「今のところは良いだろう。今日の演習はそういう動きをしていたが、あれは意図的ではないだろう?」
「はい。索敵と隠密の両方を行うことが難しかったから必然的に後方にいくようになりました」
「それが前衛と後衛との違いだ。前衛は最前線だ。とっさの判断や瞬発力が求められる。だが、後衛になれば敵に狙われにくくなる。思考もできるようになり、味方の支援もしやすくなる。この違いも発生する」
「なら、俺たちも後衛に移れば、相手から攻撃を受けにくくなるんじゃねえか?」
由美子と朝子は大きなため息を吐く。
「あんたね、そうすると敵をどうして倒すのよ?」
朝子の問に大地は頭を悩ましていた。
「いや、考え方としては悪くはない。実際に相手の攻勢が強いのなら防勢一方を選ぶのは当然だ。戦場の中で味方陣地よりも後退を行い、それによって相手の攻勢限界点まで引き込み、防勢から転じて攻勢に移ることも戦史上ないわけではない。だが、ここは少なくとも一キロ圏内の話だ。攻勢限界点を起こすには少し難しい」
一同は考える中、由美子が口を開く。
「戦略と作戦……。少なくとも作戦があれば、もっと戦えていたはず」
良子は時計を見る。
「さて、時間も残り少ない。ゆみが言うように作戦があれば少しはまともな戦いができたはずだ。では、そこの伏見を倒すためにはどんな作戦が必要だ?」
伏見は五人からの熱い視線に気づき、笑う。
「僕は君らに負けへんで」
「さあ、どうする? 相手の情報はさっき行った通りだ。一筋縄ではいかない」
「寝込みを襲う」
朝子は伏見を睨みつける。
「それじゃあ、駄目ね。寝ている場所を爆破するぐらいじゃないと」
由美子は吐き捨てる。
「おいおい、爆破って、卑怯じゃねえか?」
大地は怪訝な顔をする。
「宮袋、一つだけ言っておく。戦場で正々堂々という言葉はない」
良子の言葉に大地は納得が行かない様子だった。
「先生なら、爆破する前にそのことも気づいているじゃないかな?」
忠陽の言葉に一同は納得した。
「なら、そいつの親を人質にして……」
「親を人質にしても意味はないわ。親を殺してもなんとも思わないもの」
「あんた、さっきから煩いわね。口出さないでよ」
「貴方の作戦がぬるいのよ。相手はアイツよ。どんな卑劣なことをしてくるかわからないわ。例えば藤先生を籠絡して、私達を殺すなんてことも考えなさい」
「はあ? あんたおかしいじゃないの? 藤ちゃんは生徒にはそんなことしないわよ。アイツの味方になるっていうことは分かるけど……」
「それあるな……。俺たちが戦うってときに、皆、止めなさいって言って、俺たちの前に立ちはだかるんだ」
大地が乗ってきた。
「あなたたち、何馬鹿なこと言っているのよ! そんな事あるわけ無いでしょ! 大体、この標的自体がおかしいのよ。伏見先生があなた達にそんなことするわけ無いでしょう」
三人は藤を見て、「ほら」と言い放つ。
藤はその言葉を聞いて、顔を赤くして、大声を上げた。
「馬鹿なこと言ってないで、遠矢さんの隊とか、ビリーさんの隊と戦うときの作戦を考えなさい! ねえ、伏見先生?」
「いや、僕は面白いで。ガキンチョたちが僕をどうやって倒すつもりかを知りたいし」
「伏見先生、煽らないでください!」
予鈴が鳴り響く。
「ほなら、二佐、次回まで作戦を考えるちゅうことでええか?」
「それで構わん。その後に戦術をもう一度考え直す。貴様たちも良いな?」
五人は席を立ち、返事をした。
「イエッサー」
それを見た藤は心配になってきた。
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