前祝い
「…ここが、目的地です。」
辺りはすっかり夜の闇に包まれ、中心街とは違ってこの辺りは嫌な程に静まり返っていた。
建物も古く、苔が侵食している場所や、崩れて放置されているものもある。
路地裏には浮浪者が人目を避けるようボロ布で暖を取っている。
その中で、今にも崩れ去りそうな家の前にノックスとヨハンナが訪れた。
ヨハンナは『透明』を解除させ、扉をノックする。
やがて嗄れた声で中からこの建物の主が応対した。
「……誰だ…?」
「……あたしよ。ヨハンナ。少し前にマイナたちと一緒に来た一人よ。」
「………それがなぜまたここに……?」
「あなたに会いたいって人がいたからね。あなたにどうしても礼が言いたい、と。」
「………ほう……礼……か……」
扉がギィィと音を立てて開くと、ボロ布に身を包み、猫背の男が現れた。
ジェラート・ジェファーソンである。
あの時と変わらずボロ布の外套を纏っていたが、痩せこけた体に似つかわしく無いギラリとした眼光が印象的だ。
「……で、俺に礼がしたいってのは……後ろの男か…?」
「ええそうよ。」
「初めまして。」
「……ふむ…………」
ジェラートは舐めるような目つきでノックスの全身を見た後、
「……入りな……」
と、ノックスらを家の中へと招き入れた。
家の中へとやって来たノックスは、部屋の中を一瞥するも、外から見た通り荒れ果て、今にも崩れ落ちそうな気配を漂わせている。
「改めて、初めまして。俺はノックス。貴殿がジェラート殿、だな?」
「……あぁ、そうだ。それで、俺に礼がしたいと言っていたな?」
「この本の礼だ。これほどまでの情報、非常に助かっている。」
ノックスはカバンからジェラートの手記を取り出し、ジェラートへと手渡した。
「……なるほどな……てことは、アンタがそうなのか…!?…いや、まて…ここではなんだ……ちょっと待て…!!」
ジェラートは興奮気味に床のボロ布を捲りあげ、地下へと続く扉を開け、ノックスたちを地下室へ来るように指図した。
「……はぁ……はぁ……ゴホッ……悪かったな……つい…興奮しちまってなぁ……」
「…構わない。」
「…クク……礼が言いたいのはこっちのほうだ……この日が来ることをどれだけ待ち望んだことか…!!」
「ジェラート殿の目的は『教会の破滅』だったな。俺たち魔族を虐げ、虐殺してきた教会には俺達もある意味同じ目的を持つ者同士だ。」
「……その前に……一つだけ……確認させてくれねぇか…?」
「なんだ?」
「…アンタが『魔王』だな?」
「その通りだ。と言っても今すぐそれを証明する方法が無いが…」
「……構わねぇ……俺の推察通りなら、これからベスティロが殺されるだろうなぁ…!……ククク……」
「まずは礼だ。お気に召してくれるとよいが。」
ノックスはカバンの中から小袋を取り出し、ジェラートに手渡した。
ジェラートが中を検めると、中からいくつもの宝石が現れた。
「……こりゃあ……とんでもねぇな……久しぶりに美味い飯が食えそうだ……」
「それともう1つ。」
ノックスはカバンからさらに瓶を取り出した。
「…これは…?」
「ロンメアで作っている新しいビールだ。」
「……ビール……?……その割に凍ってんじゃねぇかってくらい冷てぇな……
…いや、そんなことはいい。お前さんら、本格的に動くのは明日以降か?」
「…?……あぁ、そのつもりだが?」
「…なら今夜はウチで寝るといい…息苦しいとこで悪ぃがな。それより俺は今、アンタと飲みたい。」
「ヨハンナはそれでも構わないか?」
「あ、あたしはノックス様に従います!」
「せっかく持ってきてもらったビールだ…!前祝いといこうじゃねえか…!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
急遽行われた前祝いであったが、ジェラートはこの13年間の憂さを晴らすが如く楽しげであった。
当初は冷たいビールに驚きを隠せなかったが、エールビールとは違ったキリッとした喉越しにすっかり虜となってしまったようである。
「……なるほどなぁ……お前さん…いや、ノックスさんにもそんな仕打ちをしていたとはなぁ……」
「奴は今ベスティロ邸宅の警備に当たっている。当然報いは受けてもらうさ。」
「…ククク……俺としちゃあベスティロを抹殺し、教会を滅ぼしてくれるならどうだっていいさ……
…そういや、衛兵どもの動きが騒がしかったが、あれもあんたらが…?」
「あぁ。ムエルテ島を襲撃した後、今は火龍に暴れさせている。」
「……火龍に……暴れさせているだと……?……まさか、火龍を手懐けたのか…!?」
「手懐けたわけではない。俺たちと行動を共にしている。」
「……な……なるほど……ククク………こりゃあ予想以上だなぁ………
……てことは、陽動ってわけか?」
「そうだ。教会の連中の注意さえ引き付けてくれればいい。俺がこの教国に乗り込むまでの間だけだが。」
「……それで衛兵どもが慌ただしかったわけか……
…それで、明日にさっそくベスティロ邸宅にいくのか…?」
「そのつもりだ。あまり悠長にしてられない。」
「…そう焦るな……」
ベスティロはゆっくりと腰を持ち上げ、棚から1枚の羊皮紙を取り出した。
「…これを見な…」
何重にも折り畳まれていた羊皮紙を広げると、そこに描かれていたのは、ある建物の設計図であった。
「……これは……まさか…」
「……ククク……その通り……これはベスティロ邸の設計図さ……少々分かりにくいかもしれねぇが、この家には古い地下通路がある。」
ジェラートはそう言いながら図面を指差す。
確認すると、確かにそれらしい通路が見て取れる。
「……表口も裏口もガチガチに警備されている……だが、この地下通路を使えば、気づかれることなく邸宅内に入り込むことができるだろう。」
「……え……そんな物があったんなら、あたしらが潜入する時に……」
「…なんだ?…お前らもあそこに潜入したのか?」
「……まあ、あなたに言ってなかったけどね……それに、前と今とでは警備の数も目的も違うし。」
「この地下通路はどこに繋がっているんだ?」
「…ベスティロ邸宅より南西に5ブロックほど進んだ場所にある空き家に繋がってるはずだ。」
「……これは良い……」
「……喜んでもらえたようで何よりだ……コイツを手に入れるにはかなり苦労したからなぁ……」
「…ほう……ならまた礼をしなければな。」
「……礼は、ベスティロの首で構わねぇさ。」
「…いいだろう。当初からそのつもりだが、確実に奴を葬ってやる。」
「……ただ、気がかりな事がある。」
「……なんだ?」
「…教会の連中が慌ただしいのはムエルテ島での火龍についてだけじゃない。衛兵らの中に司祭や司教といった奴らまでもが慌ただしく駆け回っているのを確認している。」
「……司祭や司教までも…!?」
「……その面々を見ると、ベスティロの部下ばかりだった。…恐らく、何かしら画策しているだろう。」
「…気をつけておく。さっそく明日、この地下通路を使わせてもらおう。ヨハンナも構わないか?」
「大丈夫です。ノックス様の行く所ならどこでも喜んで。」
「それともう1つ、良いことを教えてやる…」
「…ほう?」
「教会の連中がなぜそこまで躍起に魔族を討ち滅ぼそうとしているのか…」
「確か、予言があると言っていたな。」
「…その通り。『魔王が再び現れ、教会を滅ぼすであろう』っていう予言だ。
実はこの予言、色々と手が加えられてやがるのさ…」
「……え……?ほ…本当に…?」
「この前お前さんらに聞いた時は思わず笑っちまったよ……部下にまでこの嘘の予言を信じ込ませてやがるんだってなぁ……ククク……」
「じ、じゃあ、本当の予言の内容は…!?」
「『この世界に新たなる魔王が再び現れる。いずれ、その者が解放者となるであろう。』ってな内容だ。」
「……解放者……?」
「それについては俺にもさっぱりだ……だが、教会は予言に手を加え、『魔族を滅ぼさなければならない』と信じ込ませた。」
「…なぜ……予言が嘘だと…!?」
「…この本来の予言は今のアズラエルが教皇になる前から流れていた物だ。俺が親父から直接聞かされていた内容でな……
現在流布されている嘘の予言は、強硬派にとって都合のいい予言ってわけだ。」
「嘘の予言で、俺たち魔族を滅ぼすために扇動した、というわけか。」
「あぁ……魔族が滅びれば、必然的に魔王も生まれない。そもそも強硬派の連中にとっては、『魔王』が『解放者』になることも面白く無かったんだろうよ。」
「…そ…そんな嘘が……とことんあたしらを馬鹿にして……!」
「…つまらん連中だな…予言の内容はともあれ、奴らが先に仕掛けた以上、そのツケは支払ってもらうさ。」
「…俺から教えられるのはこんなところだ…
…ククク……明日が楽しみだな。
…とりあえず今日はこんな所で悪いが、ゆっくり寛いでくれ。」