王子に無関心な私が王子から婚約破棄を言い渡されましたが、無意味なことでした
「私は本当に愛する人を見つけた。だから、ナターシャ。君との婚約は今、この時をもって解消する!」
と、王子に宣言されたのが三日前の学園の卒業式の日のこと。
彼の隣には愛想が良くて美しい、けれど少しばかり風評の宜しくない女が居て…。彼女が、彼の「本当に愛する人」らしかった。
それは、まあいい。
続いて彼らは、「ナターシャは婚約者として、次期王妃として相応しくない」と述べた。その理由は、王子の隣に居た彼女。名前すら知らないあの女を、私がいじめたから、らしい。
それも、まあいい。
事実無根だけれど、私がいじめていようがなかろうが。彼らが愛し合っていようが、何もかもどうでもいいこと。
ただただ、何もかもが―――。
「ばかなこと」
その宣言に、愛に、如何程の意味があると言うのかしら?
※
一週間も経たぬ内に、騒動は片付けられた。
王子一人が王城に連れ戻され、あの女とは絶縁を言い渡され、かくして王子の愛とやらは「なかった」ことにされた。
この婚約は国王陛下がお決めになったもの。例え王子が誰を愛そうが、私を嫌おうが、私が誰を好いて嫌おうが、私たちが結婚するという決定は覆らない。
王子は反抗した。全力で反抗したが、やはり無意味なことで、一週間も過ぎれば反抗する気力も弱まって部屋に閉じこもってしまわれた。
その程度ならなおのこと、その愛とやらを貫く覚悟が無かったのでしょう。
これが「ばかなこと」でなく何だと言うのかしら。
王子を慰めるようにと陛下に命じられ、王子の部屋へと通される。やつれた顔と憎しみのこもった目を向けられ、呆れたため息を零した。
「ばかなひと」
思わず、ため息と一緒に零れてしまった言葉に、王子の怒りが増す。それを静かな視線で返す。
「事実でしょう?あの女に真実の愛を見出したとして、私を悪役として、そのようなお粗末な話で陛下が納得するとお思いだったのですか?」
「お前が余計なことを言ったんだろう?!」
「いいえ。何一つ。私はあの卒業式の日から今まで、部屋から一歩も出るなと厳命されておりました。故に食事の用意をする使用人以外は、誰ともお会いしておりません。そもそも、私ごときの言葉を、あの陛下が聞いてくださるとでも?」
『実の息子のあなたの言葉さえ、ろくに聞かないというのに?』そう言外に問えば、王子は押し黙った。そうでしょう。無理があるもの。彼の言い分には。
「私たちの婚約も、結婚も、その先の政治の方向性も、全ては国王陛下がお決めになられること。あなたが私を愛していなくても、私があなたを愛していなくても、それは関係の無いことではありませんか」
「…そんなの、おかしいだろう」
「でしょうね。ですが、この国はそういう国で、あなたはその国の王子なのですから。だから逆らえない。今も、これからも」
「…っ」
ばかなひと。ばかなこと。
血の繋がりを過信していらしたのかしら。陛下といえ父親なのだから、いつものわがままと同じように聞き入れてくれると思ったのかしら。
けれど陛下はお国のためにはどこまでも冷酷になれる方。王子の婚約破棄、婚約の変更などと言う重大なことを、聞き入れてくれるはずもなかったのよ。
「本当にあの女を愛していたのなら、公にするのではなく、ひっそりと囲うしかなかったのに」
見積もりが甘かったせいで、絶縁を言い渡され、これでは二度と会うことすら叶わないでしょう。…最悪、知らぬところで罰せられているかも知れない。
「うるさい、うるさいうるさいうるさい…っ!」
すっかり枯れたと思われていた涙が、また王子の目から溢れ出した。けれど私を悪役とすることはもう出来なかったようで、振り上げた拳は行き場をなくし、目元を覆って泣き崩れてしまった。
「…っ、初めて、愛したんだ…」
「そうですか。良かったですわね」
「お前は、私に興味が無さすぎる…!」
「お互い様ではありませんか。あなたは私を愛していない。私とて、王子の名前がなんだったかすら興味もありません。同じでしょう?」
「お前の方がひどいからな?!」
「まあ。大衆の前で悪役として貶めた上に手酷く振るのはひどくないと?」
「それは…お前が彼女をイジめるから…」
「夢をぶち壊すようで悪いですが、あなたに興味のない私が、あなたの寵愛を受ける彼女をイジめる理由とは?」
「…」
「お気づきのようですので、傷は抉らないで差し上げますわ」
まあ、嘘ですよね。あの子が私にイジめられてるんです!って嘘吐いて頼られて、それが嬉しかったんでしょう?あなたの愛したあの女は、とんだ性悪ということです。
…そこまで口に出すのは止めてあげた。貶められた私が気遣う道理もないはずなんですが…傷心中ですものね。多少の情けは必要でしょう。
「…こんなにも、ままならないものなんだな…」
恐らくは陛下自ら、本気で叱責されたのでしょう。王子はようやく、諦めた様子となった。
一日の食べ物にも困る民からすれば、恵まれているのでしょう。けれど、私たちに自由な未来はない。全ては国のため民のために働いて生きなくてはならない。それは貴き血を受けて生まれた者の宿命。
…ですが、だからこそ、憐憫を禁じ得ない。
恋という抗いようのないものに、心を囚われてしまったことに。そんなもの、辛くて苦しいだけに決まっているのに。
かわいそうな、ばかなひと。
同情はあります。立場は同じですもの。私もあなたも、陛下の命令からは逃れられない。お互いに好きでないまま、結婚しなくてはならない。
そんな中で、もし恋に落ちたら…。それはきっと、とても恐ろしいことだわ。私だって、王子みたいなばかをやらかしかねないもの。恋とはそういうものらしいですから。
だから私、恋は絶対にしたくありませんわね。
…けれど、そうね。
どうせ逃れられないなら、無関心ではかわいそうなのかしら。
「ねぇ、王子」
失意に泣いていた王子の下に、お行儀悪くしゃがみこんで、その顔を覗き込んだ。
「あなたのお名前は何て言うのかしら?」
王子は目を見開き、そして―――。
「嘘だろ…本気で知らないのか?!」
と、たいそう驚いて叫ばれたのでした。
※
学園を卒業し、王子が王位を継ぎ、私たちが結婚し、長い長い時が流れました。
王子だった夫は、あれ以来、恋だの愛だのと言わなくなりました。陛下のお決めになった側妃を何人かお迎えになられた所を見るに、恋愛と結婚は諦められたのでしょう。無難なことです。
「…腹立たしいことに、歳を重ねれば重ねるほど、あの頃の自分がいかに愚かであり、父上の決定が正しかったのか見えてくるのだよ」
「あら、それは成長なさいましたわね。スー…カスカさま?」
「違う。スッカッフィーテットリスだ」
「スッカラテンさま」
「お前の頭のことだろ、それは」
まあひどい。悪いのは覚えづらくて言いづらい名前をしているあなたと、それをお決めになられた陛下…いえ、元陛下のお義父さまだわ。
「お前ほど興味がないくらいの方が良いのも、分かってしまったんだよな。ああ悔しい…」
「でしょうね。恋だの愛だの言ってられるほど、暇な身分ではありませんもの」
「王位についたら、父上の間違いを改めるつもりだったのに、改めるほどの間違いが見当たらないのだからな」
「だからこそ、未だにお義父さまの影響力は絶対なのですわ」
「ままならないものだ。私の人生は、いつだってままならない」
「お世継ぎとしてお生まれになったものの定めです。諦めなさい」
「諦めてるさ、すべてな」
彼はため息を吐き、けれど、どうしてだか悪くないお顔をしておられました。
「諦めて、妥協しているよ」
「妥協ですか」
「愛した人とは居られないけれど、恋愛を抜きにすれば、お前は悪くない相手だ。言いたいことが言える、言いたいことを言われる、気安い関係だ。国王となった僕に、そう言える相手は多くはない」
「多くはないというか、私くらいですわね。スッカラなんたらさまはお義父さまに比べて単純で、油断しているとすぐ大臣たちにいいように扱われますので。スッカスカゆえに」
「うん。そういう所だよ」
褒められたようで何よりですわ。私は満足して紅茶を飲み干しました。
そんな感じで、私たちはお互いに恋することも無く、お互いを愛することも無く。けれどもあの卒業式の日、私は彼への無関心を卒業し、周囲からは仲睦まじいと言われる程度には仲の良い夫婦として、国を治めたのでした。
「それでね、この人ったら本当に頭スカスカのばかでね、私に婚約破棄を突きつけたのよ」
「~~~っ、それは謝っただろうが!いつまで引きずるつもりだ!執念深い!」
「そうねぇ。あんな印象的な出来事、忘れそうにないから、一生かしらね」
「もっと違うことを覚えろ!僕の名前とか」
「覚えたではありませんか。スカスカさま」
「スッカッフィーテットリスだ!」
「お父さまもお母さまも相変わらずよね」
「本当に。幾つになられても、仲の良いことで」
【END】