幼馴染は可愛いと何回言えばわかるんだ!
読む側だけでなく書く側も経験してみたいなと思い書いてみました。至らないところばかりであろう作品ですが、読んでいただければ幸いです。
――――♪
スマホのアラームを切って再び目をつむる。
心地よい微睡に身をゆだねて数分、再びアラームが鳴った。
そんなことを繰り返していると、いよいよ二度寝が許されない時間になって、のそのそと洗面所へ向かう。
身支度を整え、母親が作ってくれた朝食を食べて、歯を磨いて家を出た。
なんてことはない、いつも通りの朝。
玄関を出ると家の前には人の気配があった。
早朝から家の前に誰かいるなんて場合によってはホラーだが、俺にとってはいつも通りの一部。
気配の主は、幼馴染の少女だった。
「おはよう、詩織」
「文也君、おはよー」
彼女の名前は東 詩織。
幼稚園の時からの付き合いで、高校生になった今でもその縁が続いている。
挨拶を交わして一緒に並んで学校へ向かう。
しばらく無言で詩織と通学路を歩いて、俺はおもむろに口を開いた。
「いやあそれにしても詩織は本当に可愛いな。
神が遣わした天使なんじゃないかっていうくらい可愛い。
さらさらの髪も華奢な体も大きな瞳も長いまつ毛もすっと通った鼻筋も小ぶりな唇も全部可愛い。
もうね、可愛いなんて言葉じゃ足りないくらい可愛い。
しかも今日はいつもと髪留めを変えてるんだね。
詩織によく似合ってて可愛いよ。
いやでも詩織に似合わないものなんてないんだからこれは当たり前か。
今日も世界一可愛いよ詩織」
道行く人がぎょっとしてこちらを振り返ったような気もするが、俺が気持ち悪いくらい(というか実際に気持ち悪い)詩織のことを褒めるのもまたいつも通りのことだ。
「あはは……文也君はいつも私のこと可愛いって言ってくれるね……。でもそんな無理しなくてもいいんだよ。自分のことは私が一番わかってるから……」
そしてとても悲しいことに、彼女の返答もいつも通りのものだった。
隣を歩く詩織のことを眺めながら、今日も考える。
どうすれば、詩織が自分に自信を持ってくれるかを。
俺の幼馴染は贔屓目を抜きにしても十分に可愛い……と思う。
別にさっき言ってたことは口から出まかせのお世辞ということはなく、多少大げさに言いはしたもののすべて事実だ。
背中のあたりまで伸ばした少し茶色がかった髪に、真っ白な肌。
触れれば折れてしまうのではと思うほど細い体をしていながら、女性的な柔らかさも十分に兼ね備えている。
小さな顔には整ったパーツが完璧に配置されており、大抵の人は彼女のことを可愛いだとか美しいだとか形容するに違いない。
実際、高校に入ってから何回か告白されているらしいし。
「私みたいなのに告白するなんて、物好きな子もいるもんだね」と戸惑ったように報告された時は、当然だと思うと同時に胸が少しざわついた。
では、そんな客観的に見て可愛い彼女がなぜこれほど自分に自信が持てないのか。
それは、過去にある男子から向けられた心無い言葉が尾を引いているからに他ならない。
そして、繊細な彼女の心を傷つけたクソ野郎の名前は"西 文也"――つまりは俺なのだ。
あれは小学校5年生の時だったと思う。
幼稚園の時からずっと一緒にいた俺と詩織は小学校でもなんとなく一緒にいることが多かった。
詩織は小学生の頃は今よりもっと大人しくて俺の他に友達があまりいなかったし、俺は俺で詩織といるのが一番楽で楽しかったからだ。
そして定番といえば定番なのだろうけど、思春期に入り男女の違いというものを明確に意識するようになった同級生たちにとって俺たちは恰好のからかいの対象だった。
二人は付き合ってるのか、詩織のことが好きなのか、そもそもいつも女子と一緒にいるなんて変だ、似たようなことをうんざりするほど言われた。
今思えば、こんなの適当にスルーしてしまえばよかったんだ。
そういう年頃なんだって割り切って、はいはいって流せていればきっとこんなことにはならなかった。
だけど、今よりもさらに子供だった俺は。自分のことしか考えてなかった愚かな俺は。
ある日、同級生たちのからかいにカッとなって言ってしまったのだ。
「うっせーな!詩織みたいに暗くて可愛くない女、別に好きでもなんでもねーよ!」
ああ、いつ思い出しても最悪な記憶だ。
好きではないと一言否定するだけならまだよかった。
なのに当時の俺は詩織と一緒にいるからからかわれるんだと的外れな怒りを抱き、あろうことか詩織のことを攻撃するようなことを言ってしまった。
詩織は大人しいだけで暗くなんてないし、とても優しい魅力的な女の子だということを他の誰よりも知っていたはずなのに。
そしてさらに最悪なことに、この言葉を詩織本人に聞かれてしまったのだ。
あの時の詩織の顔は今でも鮮明に思い出せる。
自分が人を深く傷つけたことを、はっきりと自覚したのはこの時が初めてだった。
さて、人を傷つけてしまった時、人がとるべき行動は何か。
真っ先にやるべきは当然謝罪だろう。
悪いことをしたらごめんなさい。
幼稚園児だってわきまえている当たり前の道徳。
だが、そんな当たり前のことすらできなかったのが当時の俺である。
詩織に謝ろうとする度に、詩織の傷ついた表情が脳裏をよぎり、彼女に向き合うことができなかった。
詩織に許さないと言われることが、自分のしたことの重さを受け止めるのが怖いなんていう自分勝手な感情で、俺は詩織に謝れずにいた。
普通だったら俺が詩織に愛想を尽かされて二人の関係性はそこで終わるところなのだろうけど、詩織は普通じゃないほど優しいやつだった。
あれだけのことを言って、しかも謝ることもできないような俺とまだ一緒にいてくれたのだ。
酷いこと言っても傍にいてくれた幼馴染。俺も彼女の優しさに救われて素直に謝罪し二人は仲直りをしてハッピーエンド……だったらよかったのだが、最低でクズな当時の俺は彼女が傍にいてくれたことに甘えきり、謝罪が結局できないままずるずると日々を過ごしていた。
罪悪感は当然覚えていたし、今までよりうんと詩織に優しくするようには心がけていたけれど、そんなものは何の免罪符にもなりはしない。
もしこの時謝ることができていれば、今はもっと違ったものになっていたかもしれないのに。
つくづく、俺はどうしようもないカスだった。
謝罪ができないまま詩織と共に日々を過ごし、小学校を卒業したクソガキ文也君だったが、中学生になると多少の成長がみられた。
何か特別なことがあったわけではない。
学校が変わり、交流が広がって。人の機微だとか良識だとかが小学校の時よりも少しばかり理解できるようになった俺の中では、詩織の優しさに甘えてばかりではいけないという思いが日に日に強くなっていった。
遅すぎるにしてもちゃんと謝罪をし、あの時の言葉を否定しなくてはいけない。
そう思った俺は、ある日の放課後、詩織を空き教室に呼び出した。
「わざわざこんなところに呼び出すなんて……どうしたの文也君?」
夕日のせいだろうか。頬を少し紅く染め、はにかみながらいつも通り優しい調子で問いかけてくる詩織。
ああ、俺はこの笑顔に、優しさにずっと救われてきたんだなと、胸が締め付けられるような思いがした。
「今日はさ、詩織に謝ろうと思ってここに呼んだんだ」
「…………私、何か謝られるようなことをされたっけ?」
「いや俺が謝りたいのは最近のことじゃなくってさ。
もう二年くらい前かな、小学校でさクラスメイトにからかわれた時に俺が詩織のこと暗いだとか可愛くないだとか言ったことあっただろ?
それで詩織のことすげえ傷つけたのが分かってたのに、俺、今の今まで謝らずじまいでさ……。
詩織が変わらず一緒にいてくれたからそのことにずっと甘えて、ちゃんと向き合うことから逃げて……。
でもあの日から今日までずっと、このままじゃいけないって思ってたんだ。
あまりにも遅すぎる謝罪だと思うし、言ってしまえばこれは俺の自己満足だ。
それでもあの時のことをどうか謝らせてほしい。詩織、あの時心にもないことを言って君を傷つけてしまった。
本当にごめん!」
深く頭を下げる。
心情的には土下座でもしたいところなんだけど、きっとそんなことをされても詩織は困ってしまうだろう。
もちろん、万が一にでも彼女がそれを望むのなら頭を地面に擦るくらいいくらでもするし、靴を舐めろというならすぐさま舐めようという心構えではあった。
「…………」
黙り込んでいる詩織。
詩織は俺の謝罪を受けてどんな顔をしているのだろう。
頭を上げていない俺にその表情をうかがい知ることはできないが、俺のことを軽蔑しているのか、困惑しているのか、あるいは表情なんて浮かんでいないのか。
とても長く感じる沈黙の末、詩織が口を開いた。
「…………。はぁ……顔を上げてよ、文也君」
めったに出ない彼女のため息にビクッとしながらも、言われた通り顔を上げると、そこにはいつも通りの微笑みがあった。
まさか微笑まれるとは思っていなかったので困惑してしまう。
これはどういう表情なんだろう。そんな内心が顔に出てしまっていたのか、詩織は一層微笑みを深くしてこう言った。
「いいんだよ文也君。
確かにあの時のことは当時の私にとってはショックだったけど、今考えたらああ言われるのも当然かなって思うの。
だって私実際暗いし、可愛くもないもんね。だから気にしないでいいんだよ。
あれは、当たり前のことを文也君が言って、それに対して身の程を知らない私が勝手に落ち込んでただけだから」
「いや、そんなこと——」
自虐的なことをいう詩織の言葉を慌てて否定しようとしたものの、それを遮って彼女は続ける。
「だからさ、むしろ謝らなくちゃいけないのは私の方なんだよ。こんな暗くて可愛くない女が幼馴染で、いつも一緒にいてごめんね?」
そう言った詩織の申し訳なさそうな顔を見たとき、俺は本当に取り返しのつかないことをしてしまったのだと深く深く後悔した。
とまあ、そういった事情で詩織は自分に対する自信を無くし、俺は自分のしでかしてしまったことの責任を取るべく毎日彼女のことを褒めちぎっている。
だが、結果は芳しくなく、いまだ詩織が自分に自信を持つには至っていない。
自己肯定感というのはありすぎるのも問題かもしれないが、基本的に持っておくべきものだと俺は思う。
自分に自信があるのとないのでは取れる行動というのも大きく変わってくるものだ。
例えば詩織に好きな男ができたとき、詩織が自分を可愛いと自覚できていればそれを武器に積極的にアピールを仕掛け、射止めることができるかもしれない。
そしてその付き合いが一生のものになる可能性だってなくはないだろう。
しかし、今の詩織からは好きな人ができたとしても「どうせ私なんて……」といって身を引いてしまいそうな感じがするのだ。
諸悪の根源が何を言っているのかという話ではあるが、自分に自信がない故に自分の望みを押し殺し、後悔を重ねるような人生を詩織には歩んでほしくない。
そして今、俺たちは様々な出会いやチャンスが転がっている青春の真っただ中にいる。
だからこそ俺としては一刻も早く詩織には自分が可愛いのだと自覚してもらいたいのだが、この調子だとそれはいつのことになるだろうか……。
タイムマシンが発明されたら過去の自分を殺す勢いでぶん殴りに行くんだけどな、なんて詮無いことを考えているといつの間にか学校についていた。
俺と詩織は何気に歴代初の別クラスだったりするので、廊下で別れることになる。
「それじゃあ文也君、また昼休みね」
「おう、場所はいつもの空き教室でいいんだよな」
クラスが分かれた高校でも、基本的に先約などがない限り自由時間は詩織と一緒にいることが多い。
さすがに休み時間ごとに会っているわけではないが昼休みは大抵詩織と一緒に食事をとっている。
いつも通りの確認をしてお互いの教室へ入った。
「おはよう!文也!今日も東さんとラブラブって感じだったな!マジでうらやましい!タヒね!」
教室に入るとクラスメイトで友人の北 詠太が話しかけてくる。
開口一番結構なご挨拶だが、この程度の冗談が交わせる程度には俺と北は仲がいい。
「はい、おはよう。朝から物騒な奴だな。あといつも言ってることだけど詩織とはそんなんじゃない。あいつは優しいから俺なんかと一緒にいてくれてるだけだし、自分に自信が持てないから幼馴染で昔から知ってる俺くらいとしか積極的に話せないんだよ」
「毎度これ本気で言ってるぽいから質悪いよなー。俺から見たら東さんよりお前の方がよっぽど重症だよ」
「俺が質悪いとか重症とかどういうことだコラ」
「ま、東さんファイト!って話だな」
「意味が分からん……」
友人の意味不明な言動にうんざりする俺を、悪友ともいえる彼は面白そうな目で眺めていた。
「詩織、おはよう」
私が自分の席に着くと、隣の席の南 歌穂ちゃんが話しかけてきた。
同年代の中ではかなり大人びて見える彼女は、クラスで一番仲良くしているお友達だ。
「おはよう、歌穂ちゃん」
「今日も西君と一緒に登校してたようだけど、何か進展はあったかしら?」
「う゛っ」
挨拶を笑顔を交わすのも束の間、歌穂ちゃんは私の触れてほしくない部分を容赦なく攻めてきた。
「唸ってないで、どうだったの?」
「…………なんの成果も得られませんでした……」
机に突っ伏しながら私は今朝の一幕がどうだったかを軽く話す。
「はぁ……つまり、いつも通りってことね」
「はいぃ……」
情けなさに返答がつい小さくなってしまう。
しかしそんな私にも彼女はやはり容赦しない。
「そうやっていつまでもぐずぐずしてると関係は変えづらくなる一方よ?いやもうあなたたちの場合手遅れな感じするけれど。さっさと告白するなりした方がいいと私は思うけどね」
彼女の言うことは正論だ。それはわかってる、わかってるんだけど……
「う~、だって今告白しても文也君のことだから、私が自分に自信持てなくて文也君しか選択肢がないから文也君に告白したんだーとか、そういう後ろ向きな解釈するに決まってるしい……」
ずっと一緒にいる幼馴染のことだ。とるであろうリアクションは大体想像することができる。
「私としては女の子の告白に対してそんなことを考える鈍感クソ野郎のどこがいいのかわからないけどね」
「もー、私の好きな幼馴染を悪く言わないでくださーい。鈍感っていうか負い目がまだあるのか私に対してだけ考え方ちょっとバグってるんだよ文也君」
バッサリ切って捨てる歌穂ちゃんに少しだけムッとしながら私は言い返す。
文也君は優しいしかっこいい私の大好きな自慢の幼馴染だ。
私に対してだけ思考が斜め下にぶっ飛んでいきがちではあるけれど、そんな彼のことも私は好きだ。
「それならさっさとあんたが自分は可愛いですって認めて彼の負い目を解消したうえで、それでもあなたが好きですって言えばいいじゃない。あんただって客観的にみて自分が可愛いってこと本当にわかってないわけじゃないでしょうに」
「それはまぁさすがにねー。文也君が言ってくれるほどの美少女である自信はないけど、客観的に見て自分の容姿が捨てたもんじゃないんだろうなってことくらいは理解してるつもりだよ」
私と文也君の今の関係性の核心ともいえる部分。
自信を喪失した私を、負い目から文也君が励ましているという構図は実は正確ではなくて、自信を喪失したふりをしてる私を文也君が励まそうとしているというのが正しかったりする。
小学生の時なんかは本気で自分なんて……と考えていた私だったけど、成長しておしゃれも覚えてくるとかけられる言葉や周囲の態度はどんどん変わっていった。
そうなると、自分がどう見られているかくらいはある程度把握できる。
というか、文也君に謝られた時には既にそこそこ自分のこと可愛いかなって思ってた。
じゃあなんで彼が謝ってきたときにそれを言わなかったって話になるのだけど、これにも一応理由はあるのだ。
……正当性があるかはともかくとして。
文也君に謝罪をされたあの日、私は非常にドキドキしていた。
なんていっても思春期まっさ中の中学生だ。
放課後空き教室に呼び出しというシチュエーションに、告白されるのではないかという想像をしてしまったことはおかしいことじゃないだろう。
しかもその相手は長年ずっと一緒にいて、好意を向けている男の子ときた。
このままでもいつか付き合うことになりそうだし今の関係も心地よいからまだ現状維持でいいかなー、いやでも彼の方から関係性を変えたいって言ってくるらならそれはもちろん吝かではないよね、なんて調子こいたことを考えていた私はそれはもう期待しながら空き教室に行ったわけだ。
しかし、教室で待っていた文也君はどうやらそんな様子じゃない。
呼び出した理由を聞いてみても、告白前の緊張や甘酸っぱさとは無縁そうな、悲壮感や罪悪感が前面に押し出された顔をしていた。
これは雲行きが怪しくなってきたぞと思っていると、彼は謝罪をするために今日ここへ呼んだことを告げた。
告白の線がなくなったことに少し、いやかなり落胆しながらも私は謝罪される心当たりなどなかったので困惑していた。
彼とはここ最近、というか昔から仲良くやってきていたと思う。
いったい何を謝りたいのかと思っていると、彼は小学生時代、同級生にからかわれた際に私に対してひどいことを言ったことを謝罪してきた。
その声や態度から彼が本当にあの時のことを反省しているのが伝わってきて、いたたまれない。
確かに、あの一件で私は傷ついた。
当時から一番仲が良く、信頼していた文也君からの暴言がかなり私の心に刺さったのは間違いない。
でもこの件がきっかけで私は可愛くなろうと努力し始めたし、彼が本心でそんなことを言うような人間じゃないこともわかっていた。
だからその時凹みはしたものの、少し時間が経てば私はいつも通り彼のそばにいた。
彼もそれを受けいれてくれていたようなのでこの件はそれで終わったものだとばかり私は思っていたのだが、どうやら文也君の中では違ったらしい。
謝罪がなかったことすら私は気にしていなかったが、そういえばあの件以来彼はいっそう優しくなったような気がする。
あれは負い目があったからなのかと納得すると同時に、数年間ずっとそれを引きずってたのかなと思うと申し訳ない気持ちになった。
それにしてもこの謝罪はどうしたものか。
私としてはこの件に関してはとっくに許しているものの、告白だと思って期待していたらそんなことはなく、大して面白くもない過去を引っ張り出されている現状には思うところがあった。
文也君のこういう律儀なところは好きだし、勘違いも私が勝手にしたことなので彼に非は全くない。
だが、それはそれとして収まらない気持ちがあったのだ。
だから私はその気持ちに任せるまま、これくらいならいいだろうとあてこすりのような、軽い意趣返しも兼ねた返答をしてしまった。
冗談めかして言ったつもりだったが、その返答を聞いた彼の表情は深い絶望と後悔をたたえていて、私の背を冷や汗が伝う。
……あれ、これやらかしたのでは?
以降、私と彼のなかなかに珍妙なやりとりが始まることになる。
「いやその話ね、確かに西君にも悪いところはあると思うわ。でも彼が負い目を抱えていることを理解していながら放置してるあなたもなかなかの悪女よ?」
「うっ、それはわかってるよわかってるけどさあ……思っちゃったんだよね、私」
「思うって何をよ」
歌穂ちゃんの言ってることはもっともだし、彼には悪いことをしているとも思う。
だから、一応はやらかしたと思った次の日の朝に、この前のことは冗談で昔のことは気にしてないし卑屈になってるわけでもないと文也君には改めて伝えたのだ。
しかし、私の言葉は文也君に気を遣った空元気だと判断されてしまったようで、彼はなかなか信じてくれない。
あの真面目な場で冗談めかしたことをなぜ言ってしまったのか。私が内心で苦い思いをしていると、唐突にそれは起こった。
文也君が、それはもう盛大に私のことを可愛い可愛いと褒めちぎってきたのだ。
その意図は嫌でも分かった。彼にそんなことをさせている罪悪感もあった。
だが、彼から熱烈な言葉を浴びせられた瞬間、それとは別に湧き上がるもう一つの感情があった。
「好きな人に褒められるのって、すごくいいなって、気持ちいいなって思っちゃったんだよねえ……」
「えぇ……」
しみじみという私に歌穂ちゃんは引いているようだった。いやでも考えてみてほしい。
「だってさ?自分の好きな人がたくさん褒めてくれるんだよ?
毎日毎日いろんな言葉でいかに私が可愛いかを表現してくれるの。
文也君、優しいのは昔からだったけどどっちかというと照れ屋さんだから可愛いなんて昔は滅多に言ってくれなかったのに……!
しかも褒めるためなのか私のことよく見てくれるからちょっとした変化にも気づいてくれるし!
しかもしかも、文也君、私のこと褒めるときちょっと恥ずかしそうにしてるんだよ!?
言葉は流暢なんだけど表情がね、ちょっと照れてるの!!
その顔も可愛いし、恥じらいを押し殺してでも私のことを褒めようとしてくれるって思うときゅんとしちゃうよね?
毎日好きな人のそんなところが見れるってさあ、控え目にいっても最高じゃないかな!?
多分この関係が続いてるうちは文也君私のことしか見ないだろうし……だからこの現状をまずいと思いつつも、ずるずると抜け出せないのはしょうがない部分もあると思わない!?」
まくしたてるように言うと、歌穂ちゃんは引き気味からドン引きの表情に変わっていた。
「詩織あんた、いかにも初心で純な女の子ですみたいなツラしてるくせに割と中身はアレよね……」
「アレってなによー」
ブーブーと文句を言っていると、歌穂ちゃんはドン引きの表情を呆れの表情に切り替えて諭すように言ってくる。
「アレはアレよ。まあ、好きな相手に褒められるのがうれしいって気持ちはわからないでもないけど、それを優先しすぎるあまり自分が本当に欲しいものを見失わないようにしなさいよね?以前も言ったけど、西君をいいなって言ってる女子は詩織以外にもいるらしいわよ?あなたがいるから表立ったアピールはないでしょうけどこの先どうなるかなんてわからないんだから」
「わかってるよっ!だから次、次こそはこの関係から脱却してもっと甘い関係になってみせるんだから」
もう何回目かもわからない宣言をする私を、親友はジトっとした目で眺めていた。
読んでくださった方、ありがとうございました。
読みづらい部分や誤った表現などあまりに目につくようでしたら、ご指摘いただけると幸いです。