008.将来の夢
「私、将来建築デザイナーになりたいの」
耳元で囁かれたその言葉は俺の思考を麻痺させた。
鰹畜弟坐稲。
なにそれ食えるの?
俺の混乱をよそに優里は離れた。
「言っちゃった」
ような内容でもないと思いますが?
「別に恥ずかしがるようなことじゃないだろ?」
高校生にだってなりたい職業があっていいはずだ。
俺は特にないけど。
このままNEETになる自信は120%ぐらいある。
「でも、誰かに言ったら絶対にならなきゃいけなくなるじゃない?」
根がマジメなのか、思い込みが激しいのか。
優里はいたって真剣な表情だった。
俺のほうから見ると逆光になっているからか、非常にまぶしい。
「今まで誰にも言う勇気がなかった」
あれだけ吹いていた風がなくなる。
まるでこの話を俺に聞かせたいと思っているかのようだ。
「でも、保が夢を実現していく姿を見てると、うらやましくて……」
え? 夢?
俺の?
「居ても立っても居られなくなって」
笑顔を俺に向ける。
優里の笑顔はロンギヌスの槍ですかってぐらい正確に俺の心臓を射抜いた。
かわいい、なんてもんじゃない。
これは凶器だ。
「AutoCADって知ってる?」
「知ってるよ。有名なCADソフトだから」
よく建設や製造の現場で使われる設計図作成用のソフトだ。
「普通に買うと90万円ぐらいするんだけど、学生版は1万円なんだ」
ちょwww
なにその値引率。
独占禁止法とか大丈夫?
「勢いで買ったけど、家にあるパソコンじゃ使えなくて、小さい頃からの貯金でパソコンを作ってもらったの」
理由を言い終えた優里は清々しい表情をしていた。
正直に言えば「うらやましい」と思ったのは俺のほうだ。
自分の進む道がはっきりしている優里に迷いは感じられない。
将来のことを聞かれたら「今はいい大学に入って選択肢を多く残すようにするので精一杯です」なんて言い訳を用意する必要もない。
「笑っちゃうでしょ? 保からしたら大した事ない夢だもんね」
自嘲気味に笑う優里。
「笑う分けない!」
俺は思わず叫んでいた。
「笑えるはずないじゃないか。立派だよ。俺なんか足元にも及んでない」
本心だ。
天才プログラマーと認定され、取材を少し受けて有頂天になっていた。
俺に追いついてくる奴なんて同学年、いや同じ学校にいるとは思っていなかった。
現実を思い知らされた気分だ。
みんな言わないだけで、自分の心の中にはちゃんと夢を持って実現に向けて努力してるんだ。
「俺、優里のこと応援するよ。パソコンのことしか教えられないけど、分からないことあったら気を使わずに聞いて」
俺は無意識に優里の手を取っていた。
優里は少し驚いたが嫌がりもせずに握り返してくれた。
「ありがとう。真剣に私の話聞いてくれてすごくうれしい」
その台詞に俺は優里を思わず抱きしめそうになった。
自重しろ、俺。
「そういえば」
そういえば?
「保はコンピュータ同好会の会長だよね?」
自分でも忘れかけていた役職を呼ばれる。
「そうだけど?」
「私も入っていいかな?」
優里はちょっと照れている。
「やめたほうがいいよ」
俺、即答。
「え? なんで?」
いつもエロゲばっかしているから、なんて言えるはずもなく。
どうする、俺?
パラダイスを取るか、優里を取るか。
それが問題だ。
「だめ?」
そんな目でみちゃらめぇぇぇぇええぇえぇえぇぇ!
反則でしょ。
ウルウルとか、意図してできんの?
「う~ん。ダメな理由はないから、そう言われちゃうと断われないな」
あぁ、さらば俺のエロゲーライフ。
だが、レッツポジティブシンキング。
年齢=彼女居ない暦から脱出するチャンスでもある。
「ホント? やった」
優里は無邪気に喜んだ。
「じゃ、戻ろうか」
互いに握り締めていた手を離すと優里は歩き始めた。
俺は自分の手に残る感触を名残惜しみながら、後を追った。
「そう言えば他に部員っているの?」
「真知子と、あと2人居るけど、幽霊だから気にしないで」
「あ、そうすると私が入るとちょうど5人だね」
光陵高校では5人の部員と顧問の先生を付ければ「部費」が貰える「部」に昇格する。
「部にする?」
優里は学級委員長をしているからこの手の申請はお手の物なのだろう。
「いや、しない」
これは俺の確固たる信念だ。
部になんかしたら活動内容を報告しなきゃいけないじゃないか。
俺は活動内容に「エロゲ 読書」なんて書く勇気ないね。
「そう……理由はなんとなくわかるから聞かないけど、部にしたくなったら言ってね」
ちょwww バレテルwwwwww
俺株、大暴落。
ブラックサンデー到来。
ここはインサイダーで捕まるのも恐れず情報操作するしかない。
「部に昇格しなくても、部費困らないから。アフィリエイトと着メロサイトの運営収益でなんとかできてるし」
103万円以上は稼げないけど。
マルサの女とか来ても困るし。
「すごいね」
優里は足を止めた。
横に並んで歩いていたから俺だけ一歩前に出る形になった。
振り向くと両手を胸の前で組んで憧れの表情を向けてきた。
キラキラビームとか出てそ。
「もうお金貰ってるなんてプロだね」
そうだろうか?
高校生になればみんなバイトとかでお金貰ってるだろ?
お金貰う、貰わないがプロとアマを分けてるとは思えないが。
「プロかどうかはわからないけど、部にしなくても十分やっていけそうでしょ?」
優里はウンウンと首を激しく上下に振った。
ちょっと長めの髪がサラサラと揺れた。
「そっかぁ。もうお金貰ってるのか」
優里は非常に満足そうだ。
なんとかエロゲからは意識が離れてくれたようだ。
俺のイメージが地に落ちる前に何とかエロゲを回収して、安全な場所へ保管しなければ。
「ただいま~」
優里は部室に戻ると勢いよく扉を開けた。
特に返事はない。
「真知子。私も会員になったよ」
早速のご報告。
ちなみに会員というと、部員というより危ない感じがするのは俺の気のせいだ。
じゃあ、エロゲをこっそり回収して帰ろうかな。
あれ?
エ、エロゲがない!!