8
気づくと既に朝になっていた。
いつの間に眠り込んだのか、丈瑠はその道場の中で目を覚ました。
起き上がり周囲を見回す。
窓から光が射し込んでいる。
土方歳三の亡霊も姿を消している。
床の上で寝ていたためか、久々にやった素振りのためか、体の節々が痛む。それでもなぜだかスッキリした気分だった。
(夢……だったのか?)
いや、あの感覚がただの夢であるはずがない。
あれは本物の土方歳三だ。自分はそれとまともに向き合ったのだ。
その刀を向けられ、自分はまるで何もすることが出来なかった。
ふと高校の最後の大会のことを思い出していた。
あの時は足のケガのせいで負けたと思っていた。だが、実際は違っていた。ケガはただの言い訳に過ぎない。剣道をやめて他のものを求めたのもそれを自分自身気づいていたからだ。
自分の弱さを認められずに剣道から逃げ出したのだ。
それを今になってやっと気づくことが出来た。
(ざまあないな)
ずっと強さを求めてきたのに、それが一番の自分の心を誤魔化す行為でしかなかったのだ。これでは本当の強さを手に入れられるはずがない。
丈瑠は脇に置かれていた木刀を手に取ると、少し考えてから一礼して壁に戻した。
道場を出ると、既に雨はやんでいた。
朝日がやけに眩しい。
「いかがでした?」
道場脇に着物姿の女性が座っている。それは食堂で会ったレイラという女性だった。「最強の剣士には会えましたか?」
「会えたよ」
信じるかどうかはわからないが、丈瑠は素直に答えた。
「それはよろしかったですわね。それで一太刀でも浴びせることは出来ましたか?」
「まさか。何も出来なかったよ。情けない」
「それにしては表情が明るいですわね。昨日とはずいぶん違ってますわよ」
「自分が呆れるくらいに弱いってわかったからですよ。情けない話です」
レイラはフフフと笑いながらーー
「どうして情けないなんて思うんですの? それこそが正しい選択だったかもしれないじゃありませんか」
「それが正しい選択?」
「打ち込んでいれば、あなたは生きていなかったかもしれませんわよ。自分の弱さを知ることは、それだけあなたはきっと昨日よりも強くなったということなんですわ」
それを聞いて丈瑠は苦笑した。
「今更ですけどね」
自分はいつ殺されるかわからない。それだけは何も変わってはいないのだ。今更、少しくらい強くなったからといって何の意味があるのだろう。
「それはどうでしょう?」
「え?」
「あなたは変わったのです。それはあなた自身が起こした奇跡ですわ。あなたが変われば、世界は変わりますわ」
不思議なことに、レイラの言葉を素直に受け入れられるような気がした。これも自分が変わったことの現れなのだろうか。
自分は生きている。まだ、何か出来るかもしれない。
警察へ行ってみよう。
自分に出来ることがあるとすれば、全てを正直に話して保護してもらうことだけだ。奴らのやっていた証拠ならば、まだ駅のコインロッカーに隠してある。
「ありがとうございました」
そう言って丈瑠は鍵をレイラに手渡した。そして、深々と一礼した。
「羨ましいですわね」
「羨ましい? 俺が?」
「そんなスッキリした顔してるなんて」
「そうですか? 確かにこんな気持になったのは初めてかもしれません」
「いいですわね。私もそういう気持ちになってみたいものですわ」
その時、やっと丈瑠はレイラの手にあの和傘が握られていることに気がついた。
「その傘って……」
「ええ、私のですわよ」
ひょいと片手で持ち上げてみせる。ふと、ある考えが頭をよぎる。自分が聞いたあの噂、あの時、勝手に『最強の剣士』と言っていたと思い込んでいたが、あれは『最強の者』だったのではないだろうか。
そして、最強の者とはーー
(いや、やめよう)
丈瑠はすぐにその考えを打ち消した。
「いえ……きっとあなたも強いんだろうと思ったもので」
「試してみます?」
レイラの目が嬉しそうに輝くのを見て、丈瑠は急いで首を振った。
「やめておきます。まだやらなきゃいけないことがありますから。また機会があったらその時に稽古つけてください」
「お待ちしてますわ」
丈瑠はもう一度レイラに一礼してから歩き出した。
(さあ、行こう)
もし、今回の件を無事に乗り切ることが出来たら、もう一度、剣道の稽古を再開してみよう。そして、今度こそ自分の満足するまで努力してみよう。
自分の強さを手に入れるために。
了