3話 出会い
翌日——俺は悩んだ末に学校に登校することにした。
クラスの奴らに逃げたと思われたくないし、このまま不登校になるわけにもいかない。
それにもしかしたら昨日のことが全部嘘だって可能性も——。
そんな期待を心のどこかで抱いていたのかもしれない。
しかし当然のごとく、クラスの中で俺がいるべき場所は、もう存在していなかった。
一部で流れていた噂は、瞬く間に学校全体へと広がり、より一層居心地の悪い視線に晒される機会も増えた。
しかもだ。
どうやらその噂は、少し発展して拡散されているらしい。
昨日までは俺が女子を襲ったという噂だけだったはずが、それに加えて俺がクラスで暴力を振るったなどという、一瞬耳を疑うような噂まで聞こえてきていた。
確かに俺は大勢の前で大声を出し、少しばかり感情を表に出してしまったかもしれない。
だがあれは怒りを言葉でぶつけただけであって、俺は決して三宅のことを殴ったりなどはしていない。
言葉の暴力というものも確かに存在するが、俺は三宅のことを精神的に追い詰めたりはしていないし、もし仮にこの噂の出所が三宅本人だったとしたら、元々俺たちの関係もその程度のものだったということだろう。
それにしても求めていた以上の嫌われっぷりだ。
俺の私物は汚物同然の扱いを受け、クラスに居れば必ずどこからかバカにしたような笑い声が聞こえてくる。
友達だったはずの三宅は平然とした顔で他の奴と絡んでいるし、俺の半径2メートル圏内には人っ子1人寄ってこない。
これが最低最悪な俺の末路だ。
人の好意を拒絶し突き放した結果がこれだ。
不思議と俺自身、今自分が置かれている状況に嫌悪感というものを抱いていなかった。
嫌われて当たり前という気持ちが、俺をそうさせていたのかもしれない。
いずれにしろ俺は、晴れて影の存在から表に立てる存在になったわけだ。
照りつける陽の光に肌を焼くような痛みさえも感じるが、今の俺にとってはそんなものなんてことない。
それ以上に今俺が置かれている現状そのものが、本来俺がいるべき場所で、嫌われ者として存在している今の俺こそが、本来あるべき姿であると思うのだ。
一つの集団が真の意味で団結するために必要なのは、固い絆でも友情でもなく、敵の存在だ。
俺が嫌われることで三宅は本来絡むべき奴らと絡むようになり、美咲さんは本来好きになるべき相手を好きになるだろう。
そして元々誰からも相手にされていなかった俺は、本来あるべき姿に戻る。
それでいいのだ。
俺にとって高校生活はただの時間つぶしであり、その中で弊害が一つや二つ増えたところで何ら変わりはない。
それで自分が傷つけられようとも。誰かに笑われようとも。
他の奴が救われるならそれでいい。
——それでいいのだ。
『キーンコーンカーンコーン』
ホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴った。
帰りの号令を終えた後は、部活に行く者、バイトに向かう者、家に帰る者、と各々の時間を過ごすことになる。
もちろん俺は、寄り道もすることなく家に帰るだけ。
その中で友達と話をするだとか、別の目的は全くない。
ただ、家に帰るだけだ。
「じゃーねー、美咲ー」
「バイバイ沙織ー。今日ラインするねー」
そんな会話がクラス内で飛び交う中、俺は静かに教室を出る。
誰とも話すことなく、ただひたすら自分の足元だけを見て。
——嫌——
学校までの通学手段は、主に徒歩と電車だ。
俺の家は学校から少し離れた何もないド田舎にあるため、最寄りの駅に徒歩で向かっては電車に乗り、さらに駅から学校まで歩くといった形で登校している。
もちろん下校時もそれと同様だ。
校門を出た俺は20分ほどかけて、最寄りの駅までの見慣れた道を辿る。
ホームルームを終えてすぐに帰ったせいか、下校している他の生徒の姿は見られなかった。
元々車の通りも多くない場所なので、聞こえてくるのは流れる川の音と鳥のさえずりくらい。
今思えば俺は今日、教室で一言も言葉を発することはなかった。
嫌われているから当たり前といえばそうなのだが、前までは普通に三宅と会話をしていたので、こうして一言も喋らない自分に少なからず違和感を覚えなくもない。
まあそれでも、帰るとき1人なのは今までと同様だ。
部活をしていない俺に反して、三宅はサッカー部の練習で毎日帰りが遅い。
一緒に帰ったことがあるとするならば、集会で部活がなかった時くらいしか記憶にない。
だからこうして誰とも会話をすることなく1人で帰ることにも、結構慣れているのだ。
「意外とちょろいな。学校も」
最寄りの駅に着いた俺は、誰もいない待合室を抜け、駅のホームへと上がった。
ホームを見渡す限り人がいる様子はなく、俺は壁際に設置されている長椅子の一番奥へと腰を下ろした。
「3時半ってことは……あと10分ぐらいか」
時刻表を見ると、次に来る電車は約10分後。
それまでにうちの学校の生徒が誰も来なければ助かる。そんなことも考えていた。
今日は金曜日なので、明日明後日は学校に行く必要がない。
部活やバイトも一切していないので、文字通りの引きこもり生活を2日間もすることができる。
それだけの時間があれば、今週あったことをある程度は忘れることができるだろう。
今俺の中にある悪い記憶も。今まで過ごしてきた当たり前の日常も——。
「誤解、解かなくていいの?」
「……えっ?」
突然声をかけられ、俺は思わず声のした方に視線を向ける。
するとそこには、見覚えのない女性の姿があった。
艶のある長い黒髪に、きめ細かい白い肌。
背はそこそこ高い印象で、顔立ちも整っている。
うちの学校の制服を着ているので、おそらくうちの生徒で間違いないのだろうが——。
「誤解、解かなくていいの?」
言葉を失い目を丸くしている俺に、彼女は再びそう尋ねてくる。
右手で横髪をかきあげながら、真っ直ぐに俺の目を見つめてくるその瞳は、すごく透き通っていた。
制服越しでもわかる身体の凹凸、小さいながらも妙に色っぽい口元。
気づけば俺は、そんな彼女の姿に見入ってしまっていた。
「私の声聞こえてるかしら」
「お、おう……」
「そう、それならいいのだけど」
まだ現状をつかめていない俺に、彼女は淡々と話しかけてくる。
知り合いだっただろうか、などという思考も巡らせてみたが、そもそも俺には女子の知り合いなんていない。
それよりも気になるのは彼女が口にした言葉。
”誤解" と言っていたようだが、彼女は俺の噂のことを知っているのだろうか。
知っているならなぜ、その噂が偽りであることに気づけたのだろう。
「隣、いい?」
「あ、ああ……」
すると彼女は、肩にかけていた荷物を抱えるようにして、俺の隣へと腰を下ろした。
「それで? 誤解、解かなくていいの?」
「何の話だ……」
「誤解じゃないの? あの噂」
「それは……」
やはりこの人は、噂が偽りだということを知っているらしい。
しかも彼女の口調からしてそれを確信しているようだし、どこでその情報を知り得たのだろう。
それにしても、この人は一体……。
「もう9月なのにまだまだ暑いわね」
「いや……そんなことよりだな。あんた一体誰なんだ……」
「私? 私は冬坂白羽。一応あなたとは同じクラスメイトなのだけど」
「はっ!? クラスメイト!?」
「ええ。それに席もあなたとは隣同士よ」
なんてことだ。
全く知らない人に話しかけられたと思っていたら、まさかの同じクラスで席が隣同士だったなんて。
前々から俺はあまり他人に興味関心を持たない人間である自覚はあったが、まさかここまでだったとは……。
「もしかして、私のこと知らなかったの?」
「いやまあ……。あまり他人に興味がないもんで……」
「はぁ……。まあいいわ。それで、あなたは何で誤解を解こうとしないのかしら」
「誤解か……」
確かにあの噂には、真実とはかけ離れた情報も含まれている。
しかしそれは虚偽であって、決して誤解ではない。
もちろん俺は美咲さんを襲っていないし、暴力も振るっていない。
だが俺が最低のクズ野郎であることは、噂通り間違っていないと思う。
だから別に学校の奴らは、俺のことを誤解しているわけじゃない。
俺のことを正しく認識した上で、有る事無い事を噂にしているだけなのだ。
「別に誤解はされてねえよ。ただ面白半分の噂が出回ってるだけだろ」
「じゃああなたは女の子を襲うような人なの? 暴力を振るうような人なの?」
「そうじゃねえよ。それはただの噂であって誤解とは関係ない。俺はみんなが思ってる通り最低の人間だよ」
「じゃあ、やっぱり噂は嘘なのね?」
「ああ、まあな」
「何で撤回しようとしないの?」
「今更撤回したところで信じてもらえるわけがない。それに——」
それに。
今更撤回したところで、前のような関係には二度と戻れない。
三宅とも、もう前のように話すことはできない。
「もういいだろ。あんたも俺と喋ってるところなんて見られたらまずいんじゃねえの?」
「どうして?」
「だってほら、俺嫌われてるし。普通そんな奴と話してたら悪い目で見られるだろ」
「ああ、それなら気にする必要ないわ。私も "嫌われている" から」
「はっ?」
俺は一瞬耳を疑った。
——彼女は今、自分で嫌われているといったのか? だとするなら、何でそんなに涼しい顔をしていられるんだ?
俺にはわからなかった。
彼女が今何を考えているのかも。どうして俺にそんなことを伝えたのかも。
「だから安心して話してくれていいのよ? 私が失うものなんてもう何もないから」
「そ、そうか……」
彼女の目はとても透き通っていた。
とても透き通っていて、そこには何も映っていなかった。
自分を照らす希望も。未来に対する期待も。
彼女の瞳からは何も感じることができなかった。
「電車、来たみたい」
彼女の言葉に続くように、電車の音が近づいてくる。
右手側から来ている電車なので、この電車は上り方面。
俺が乗る電車はそれと反対の下り方面なので、彼女とは帰る方向が逆らしい。
「あなたもこの電車?」
「いや、俺は反対」
「そう。それじゃここでお別れね」
そう言うと彼女は、膝に乗せていた荷物を肩に抱え、その場を立ち上がった。
その後ろ姿を見ても、特に嫌われているような感じは見受けられず、普通に綺麗な女子高生にしか見えない。
何ならこれだけ美人なのだから、彼氏の1人や2人いてもおかしくはないと思うのだが——。
「そうそう。明日は暇?」
「ん? 俺?」
「あなた以外に誰がいるって言うのよ」
振り返った彼女は、拗ねたように頬を膨らませる。
俺は彼女の言葉に驚きつつも、すぐに平常心を取り戻し返事を返す。
「まあ暇だけど」
「なら良かった。それじゃ明日、私とデートしましょ?」
「はっ? デート?」
「そう。デート」
思ってもいなかった発言に、俺は再び心を乱す。
まだ顔を合わせて間もない俺にデートの誘いをするなんて、この人は何を考えているんだ。
——そもそもデートって付き合っている男女がするものじゃないのか?
俺は今までそういう経験をしたことがないからなんとも言えないが、彼女がおかしなことを言っていることだけはわかった。
「デートって……それ本気で言ってるのか?」
「もちろん。それともあなたは私とデートするのが嫌なのかしら」
「いや別に嫌ってわけじゃねえけど……」
「それなら問題ないわね」
当たり前のように会話を進める彼女がとても不思議だった。
俺なんかと出かけることに抵抗はないのだろうか。嫌じゃないのだろうか。
そんなことさえも考えてしまう。
「マジかよおい……」
思わず吐いてしまった小声も、彼女には届いていないようだった。
気づけば電車は駅のホームへと入り、開いたドアからは乗客がちらほらと降りて来ている。
平日の昼間ということもあって、そのほとんどがおじいさんやおばあさんだ。
「それじゃ明日1時に福駅前ね」
「ちょ、ちょっと——」
「またね。六月くん」
そう言うと彼女は、電車に乗り込んで行った。
立ち尽くす俺はどうすることもできない。今から彼女の誘いを断ることも、もちろんできない。
ドアが閉まり走り出す電車を俺は静かに見送った。
「なんだったんだ一体……」
彼女が何を思って俺をデートに誘ったのかはわからない。
すごく一瞬でたった一言だけの約束だった。
でもなぜか俺は、そのデートに行かなければいけない気がするのだ。
出会って間もない彼女に、なぜこんなにも心を動かされているのか。
今の俺には到底理解し得ないことだった。