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地球を征服しますか、それとも救いますか  作者: ずんだ千代子
一章 平穏な日常の終わりは突然に
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⑤ 「アッシュはいつもそう」

「すいません、早めに来てもらって」

「大丈夫。私がお願いしている立場だもん。アッシュの時間に合わせるのは当然でしょ」


 同日昼過ぎ。司書しかいない図書館に、ノートを持ったソフィアがやってきた。

 本当なら夕方から再試験対策をやるはずだった。しかし、十六時に用事が出来てしまったため、早めに行うことにしたのだ。

 それに、一人でいると先程の件を考え込んでしまう。やるべきことがあれば集中出来るというのも、理由の一つだった。


「では始めましょう。既に要点は絞ってあります。これだけやれば、再試験はクリア出来ると思います」

「さすがアッシュ様ぁ! よろしくお願いします!」


 こうして、昨夜用意しておいた資料をもとに再試験対策を進めていく。

 ソフィアは所々顔をしかめてはいたものの、素直な性格が幸いして順調に理解を深めていってくれた。


 穏やかな時間が過ぎてゆく。自分が望むのは、今のような日常だ。面倒事に足を突っ込みたくはない。あの話を断れば、この日常が続いてくれるのだろうか。


「んー、これでひと段落って感じかな」

「お疲れ様です。今日はこれで終わりにしましょう」

「ありがとね。やっぱりあのハゲに教わるよりも分かりやすいよ」

「いえ。午前の補習後なのに集中出来てて、偉かったですよ」

「そうかな。えへへ」


 赤く染まる頬を掻きながらはにかむソフィアを見て、心が和む。やはり、この日常を自ら壊しに行くことはしたくない。

 ……けれど。


「アッシュはこれからどうするの? レオンと筋トレ?」

「僕は考えたいことがあるのでここに残ります。ソフィアは少し休んで」

「んーん。じゃあ私もここにいるよ。そこの瓦版見せて」


 そう言って彼女は瓦版を広げる。それは、昨日食堂で見た瓦版だった。


『アテラのマナは一年経たずに無くなる。マナが無くなればアテラ人は滅亡同然』


 キースの言った言葉が脳内で反響する。

 日常を壊したくはないが、このままいけば早かれ遅かれ日常は崩れていってしまうだろう。自分が調査団に入ることでもしそれを阻止することが出来るのであれば、地球に行く価値はあるのかもしれない。


「チキューのこの青色は何の色なのかな。少しだけある緑は、葉っぱの色でしょう。ねぇアッシュ」

「え?」

「アッシュ? あ、ごめんね、考え事してた?」

「いえ、別に」


 それに、キースのあの視線。彼は地球の何かを知っている。僕の中の勘がそう言っていた。

 自分と同じ、前世を持つアテラ人がいるのなら。ずっと探していたその人と、話をしてみたい。


「アッシュ、あのさ」

「何でしょうか」

「チキュー、実は物凄く行きたいでしょ」

「え、何ですか急に……」


 そんなことを思っていると、ソフィアに核心を突かれる。ジッとこちらを見る翠の瞳に、たじろぐ自分の姿が写っていた。


「話し終わってからのアッシュ、ずっと上の空だよ。私が見てる昨日の瓦版にも反応してたし。やっぱりさ、気になるんじゃないの」


 昔からそうだった。ソフィアは時に鋭い。

 焦りや悩みはあまり表出しないようにしていたが、長年一緒にいる幼馴染には少しの変化も見抜けてしまうらしい。


「敵いませんね。ソフィアは本当、僕のことよく見ていますね」

「え⁉︎ べべ別にジッと見ているわけでは……」

「昨日の話、どうやら上に聞かれていたみたいです」

「……! チキュー人だったことがバレちゃったの⁉︎」


 ソフィアの大きな瞳が更に開かれる。驚くのも当然だ。あの時はわざわざ周囲を気にして、声まで潜めて話していたのだから。


「今の話もおそらく筒抜けでしょう。生徒は皆、監視されているようですし」

「なにそれ! 聞いたことないよ! そんなのズルい! 内緒話なんて出来ないじゃん!」


 彼女が怒るのも尤もだ。自分達の生活を監視されていて不快に感じない人間はいないだろう。

 しかし、監視しなければならない程の秘密が学園側にはあると考えられる。情報漏洩程怖いものはない。調査団のことは世に知れても、学生が入ることは極秘だろうし、隠す方にも事情はある。


「学園側にも都合があるようです。さすがに寮の個室までは監視していないと思いますが。まぁバレてしまったことは悔いても仕方ありません。それよりも、僕に降りかかってきた問題を解決しないと」

「何か言われたの」

「地球に行け、だそうです。調査団のメンバーに勝手に推薦されていました」


 先程と同様に、ソフィアは目を見開いた。口も半開きの状態で固まってしまっている。


「アッシュ……チキューに行っちゃうの……」

「まだ行くとは言っていません。僕も困惑しているんです。僕が死んでからどれだけ経つのか分かりませんし、僕がいた頃と環境が同じとは限りません。調査団なんて荷が重いこと、したくないですよ」

「でも、でも! 迷ってるんでしょ……? チキューに行きたいって気持ちもあるから、迷っているんだよね……」


 眉を下げたソフィアが声を震わせる。机を挟んでいなければ胸を叩かれていそうな雰囲気だ。その寂しそうな顔に、自分の心も痛む。

 そんな顔、してほしくはない。ただ、嘘もつきたくはなかった。


「確かに迷いはあります。普通の生活が出来ているのに実はアテラがピンチだとか、アテラを救えだとか急に言われてもピンときませんしね。

 だから、僕が行っても国の状況は変わらないままかもしれません」

「それならっ!」

「けれど、行かなければ何も変えられないんです。ソフィアとレオンと、このまま一緒に大人になることすら、出来ないかもしれないんですよ」


 伏し目がちになっていくソフィアを見ながら、自分の中で決意が固まっていくのを感じる。

 今言った言葉が全てではないか。キースが気になるからとか、アテラがどうとか、そんなことはもういい。幼馴染と一緒に過ごすための場所をつくる、それが自分の望みではないか。


 急激に心が晴れていく。もう迷う理由がない。あとは自分が望む通りに行動するだけだ。


「ありがとうございます。ソフィア、やはり僕は」

「行く」

「え?」

「私もアッシュと一緒に行く!」


 決意を口にしようとした時、思いがけない言葉が飛んできた。勢いよく立ち上がったソフィアの姿に、今度は自分が面食らう。


「何を言って」

「アテラの危機ってよく分からないけど、このままじゃダメなんでしょ。だったら私も待ってるだけなんてイヤ。足手まといにならないよう頑張るから、お願い、一緒に連れてって」


 いつになく真剣な表情が、その決意の固さを物語っていた。

 ソフィアのことだ。こう言うとは思っていた。とはいえ、それに賛成することは出来ない。


「気持ちは嬉しいですが、出来ません。任務の内容や地球の環境、どこに危険があるか分かりません。そんな中に君を連れていけませんよ」

「自分の身は自分で守るから」

「そういう問題ではなく」

「アッシュはいつもそう。危ないからソフィアはダメって。私が年下だから、女だからダメなの? そんな扱い、してほしくないよ」


 こちらを見る瞳が僅かに揺れていた。

 特別扱いをしているつもりはなかった。しかし、揺らぐ瞳から彼女の寂しさが感じられる。

 どうしたものか。ここまで頑なな彼女を説得させられる気がしない。


「連れてっちまえよ」


 その時窓の方から声が聞こえた。見ると、首にタオルを掛けたレオンが角の窓から身を乗り出していた。走り込みをしていたのか、額や頬には汗が滲んでいる。


「今のソフィアには何言っても無駄だ。こいつそんなに弱くないし、邪魔にはならんだろ」

「勝手なこと言わないでください。これは旅行ではないんですよ。ソフィアの実力はよく分かりますが、そういう強さが必要という訳でもないんです。僕は巻き込みたくないだけで」

「あ、ついでに俺も参加ってことにしといてくれ」

「ですから」


 まるで話を聞いていないどころか、ゲーム感覚で参加表明をしてくるレオンに額を揉む。調査団というものがどれほど重要で危険なものか、どうすれば分かってくれるのだろう。


「アッシュ、何でも一人で抱え込もうとしないでよ。私達、ずっと三人で色んなことやってきたじゃん」


 いつのまにか隣に来ていたソフィアに袖を掴まれる。


「三人だから出来ることもたくさんあるでしょう。偉い人には自分で交渉するから。だからお願い。置いていかないで」

「ソフィアの言う通りだ。それにお前は一人で突っ走るところがあるからな。それを止められるのは俺達二人だけだろ。さっさと覚悟決めろよな、相棒」

「二人とも……」


 レオンも硬い胸をドンと叩いて笑った。二人の決意は揺らがないようだ。

 ふと昔を思い出す。いつもそうだった。この二人はいつも、僕の手を引き、僕の背中を押し、そして僕についてきてくれた。ずっとそうやって、三人で並んで歩いてきたのだ。

 今回ばかりは一人で抱え込むつもりだったが、どうやらこの二人はそれを許してはくれないらしい。

 ……全く、困った幼馴染だ。


「僕、まだ一言も行くとは言っていないんですけどね」

「そうだっけ?」

「実は上から、あと二人候補者を探しておいてと言われています。僕から君達を推薦してみましょう」

「! それじゃあ」


 眼鏡をクイとあげ、大きく一息つく。


「言ったからにはとことん付き合ってもらいますからね」

「もちろん!」

「おう、任しとけ」


 二人は嬉しそうにしていた。これからたくさんの面倒事や困難が立ち塞がるだろうが、三人でなら乗り越えられるだろう。

 キースの言っていた残り二人とは、この二人のことだったのではないか。あり得る。前世の話を知っているのはこの幼馴染二人だけなのだから。

 嵌められた。そんな気しかしない。じゃなかったら、図書館の扉の向こうにキースの気配を感じるなんてことはないだろう。


「ブラボー! さすが、俺の見込んだ生徒だけのことはあるね!」


 そう言いながら思い切り扉を開けるキース。急に入ってきた銀髪長身の男に、ソフィアは飛び上がって驚いていた。


「な、な、何⁉︎ 誰⁉︎」

「あーごめんね、怖がらせちゃって。俺、キース・ロイ。情報管理室の責任者で、今朝アッシュを調査団に誘った張本人さ」


 適当に謝りつつキースは自己紹介を始める。パチンとウインクを飛ばしながら陽気に話す姿に、初めましての二人は唖然としていた。


「ありがとねーアッシュ。俺の頼み聞いてくれて。ちょうど女の子とか入ってほしいな〜と思っていたんだよ」

「よく言いますよ……」

「で、で? 決めてくれたんだよね。改めて聞かせてよ、答え」

「オーウェン教官を通さなくていいんですか」

「いいのいいの! 責任者俺だし、あのコワモテに会うのもイヤでしょ」


 バシバシと僕の肩を叩いてくるキースにうんざりしながら、幼馴染二人の様子を見る。レオンは苦笑していたが、ソフィアは未だに警戒しているようだった。


「はぁ。確かに行かなくて済むのは有り難いですが」

「でしょー! んじゃ、答えをどうぞ」

「まず少し離れてください」


 そう言ってキースの手を払い、二人の元へと歩み寄る。キースは腕を組みながら楽しそうにこちらを眺めていた。


「えっと、あの人が調査団の青い惑星班の責任者、キースさんです。調査団に参加するとなると、あの人に従うことになります。ちょっとテンション高めの胡散臭い人ですが、いいですか?」


 声を潜めて二人に問う。

 知り合いが皆無の環境で、頼りにしなければならない上司となる人だ。あんな感じの人だからこそ、二人には確認をとっておきたかった。


「確かに心配だが、責任者やれるくらいの人望もあるってことだろ。おっかねぇ人よりは気楽に出来そうだぜ」

「わ、私も大丈夫。オーウェン教官とかよりはニコニコしてる人の方がいい」


 二人もキースの責任者らしからぬ雰囲気が気になるようだが、受け入れてはくれそうだ。

 これでもう、完全に断る理由がなくなった。


「では改めてお伝え致します」


 ニヤついているキースに、視線を合わせる。


「キース室長からの派遣要請、謹んで受け賜ります。そして僕の幼馴染、レオン・ハルベルト、ソフィア・シュルツの二名を、調査団に推薦します。どうぞ三人まとめて引き受けてください」


 言い終えてから深く頭を下げる。後ろの二人も同じように頭を下げた。

 目の前から、ふふっと声がした。それと同時に、左手が差し伸べられる。


「もちろん大歓迎だよ。これから大変だと思うけど宜しくね、三人とも」

「はい。ありがとうございます」

「ありがとうございます!」


 今度はその手をしっかりと握り返した。どことなく懐かしいような不思議な感覚がしたが、キースの表情は特に変わらなかった。


「じゃあ俺は部屋に戻るから。打ち合わせの日程とか決まったらまた連絡するね」

「えっ、もう終わりなの」

「もっと深い話聞きたい?」

「いえ! 遠慮しておきます!」

「では連絡お待ちしていますので」

「ハイハイ。じゃあねー」


 それだけ言うと、キースは手を振り颯爽と退室していった。ミントの様な澄んだ香りだけがその場に残る。


「はぁ〜……。なんか勉強より疲れたかも」

「学園にあんなおちゃらけた幹部いたんだな」

「情報管理室は表に出てこないですからね」


 窓にもたれかかるソフィアに苦笑しつつ、閉められた図書館の扉を眺める。

 結局こうなるのか。静かに過ごすはずだった中間休暇が手を振って遠のいていく。しかも期間は休暇の三倍。その間にどれだけの本が読めるだろうか。


「で、この後俺らはどうすりゃいいんだ?」

「いつも通り過ごしていればいいかと。連絡が来たらまた知らせますよ」


 唯一救いなのは、幼馴染が一緒に来てくれることだ。もしものことがあれば対応を考えればいい。僕達の任務はマナの調査と地球の生命体の調査だけだ。上手くやれば何事もなくアテラに帰って来られるだろう。

 とにかく今日は朝から振り回されて疲れた。出来ればこのまま連絡を待ちつつ、部屋で横になっていたい。


「んじゃ、アッシュ、ソフィア」

「なんですか」


 しかしこの男はいつだって目に見えぬ僕の不調など気にしてはくれないのだ。


「走るか」

「今の僕の状態を見て君は何とも思わないんですか」

「私も今日はもうイヤだよ。朝から補習で疲れてるの」

「そんな時だからこそ走るんだろ。汗かけばスッキリするぜ。俺いつものコース走ってるから、スポドリでも飲んでから来いよな!」

「ですから、あ、レオン!」


 グッと親指を立てて不細工なウインクをしたレオンはそのまま行ってしまう。

 下手に心配されるよりもいいのだが。気の遣い方が雑すぎやしないか。


「あの筋肉バカ……」

「少しだけ顔を出せば満足するでしょう。片付けて行きましょうか」

「はぁ。そうだね」


 こうしてソフィアと二人で図書館を出る。寮棟へと続く廊下は人が少ないためかいつもよりも暗く、物寂しい。

 空を見上げる。太陽から遠く離れたアテラの空に広がるのは、一日中この星空のみ。

 この環境ともしばらくお別れだ。よく見ておこう。


「チキューでもこの空が見られるかな」

「見られますよ。星空だけでなく、青や赤に染まる空も」


 そういうとソフィアの目が輝く。感情の豊かな彼女が、地球の環境にどんな反応をするのか。ほんの少しだけ旅行気分があっても悪くはないだろう。


 さようなら、僕の平穏である筈だった中間休暇。

 そしてようこそ、先行きの見えない地球出戻り生活。


 微笑むソフィアが飛び跳ねるように廊下を進んでいく。僕も彼女に続いて部屋へと向かった。

 遠い空の彼方で、見えないはずの地球が煌めいたような気がした。

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