⑧ 「この世界は腐っていると思いませんか」
あてらの店内に戻ると、夏夜がカウンターでグラスを片付けていた。
「キースさん、おかえりなさい。あら、ソフィアちゃんはまだ戻らないの」
「なんか色々あったみたいでね。でも俺は俺の仕事をしないと」
「……そう。店で変なことが起こらなければいいけど。うちの子達を危ない目にあわせたくはないもの」
「俺もそうならないようにしたいけどね」
夏夜は憂いた目でグラスを見つめる。協力しているとはいえ、一般の従業員を巻き込みかねない状況に不安を抱いているのだろう。キースも今日は実態調査のみの予定の為、このまま大人しくしておくつもりだった。
「あれ、そういえば沙霧さんは?」
「キースさんが留守にした後裏に戻ったわよ。ちょうど休憩時間ですから」
「そっか。もう少し話したかったなぁ」
つい先程まで話していた沙霧がいないことにキースは肩を落とす。どこかミステリアスな雰囲気の彼女に聞きたいこともあったのだが。
「休憩から上がればまた来るわよ。そんなに気に入ったの?」
「この歳になると若すぎる子よりは艶やかなお姉様の方がいいと思えてきてね」
「そんなことばかり言ってるからお子さんが逃げるのよ」
「ソフィアは俺の子じゃないってば」
冗談めかしく言っていると、例の団体の一人がトイレに向かって席を立ったのが見えた。ひ弱そうな細い体つきの癖っ毛の男は、シュリと思われる奴だ。スマートフォンを見ながら何かボソボソと呟いているようだが、何か動きがあったのだろうか。
「ソフィアが追いかけてる奴に何かあったのかな。それとも」
追いかけてトイレに行くべきか迷う。今日の本命はクリスだが、怪しい動きをするメンバーも気になる。ソフィアの件もあるので尚更だ。
そんなことを考えていると、団体のいる席から賑やかな声が聞こえてきた。
「すごい。クリスさんって本当に催眠術が使えるんですね」
「はは、まあね。僕の術は老若男女、生物の種類を問わず眠らせることが出来るんだ。君達を眠らせていたずらすることだって簡単さ」
「やだーもう飲みすぎですよ〜」
「戦前最後の遊楽だから存分に楽しまないとね。ハッハッハ」
上機嫌な男のスケベ発言に妙な親近感を抱きながら、キースは彼の言葉を頭の中で反芻する。
ネットで見たクリスの能力は催眠のみ。今の話ぶりからも、眠らせることに関しては特殊型のアテラ人と同等の能力と言える。ただ、特殊型はその他に毒や麻痺なども操る。クリスはそこまで出来る地球人なのだろうか。
それに、戦前最後の遊楽というところも気になる。彼らは地球制圧の計画をもうじき実行しようとしているのか。
そうなると自分達も早めに対策を立てておかねばならないが、情報が足らなすぎる。どこを狙うのか、どんな攻撃を仕掛けるのか、何をもって地球制圧とするつもりなのか。重要な情報を、自分達はまだ掴めていない。
「あの炎使いのオッサンのデータ、もう一度漁ってみるしかないかなぁ……」
「キースさんはどんなことが知りたいの?」
キースが頭を悩ませていると、ワインを注ぎながら夏夜が言った。
「いつ、どこに、どんな方法で、どんな規模の攻撃を仕掛けるかってことだね。その内容によっては、俺らが出なくていいかもしれないし」
「……そう。分かったわ」
四つのグラスを盆に乗せる夏夜は、キースに微笑みかける。
「行ってくるわね」
「え、待ってよ。俺は夏夜さん達を利用するつもりは」
「いいのよ、これが仕事だから。従業員を守ろうとした結果、この星が守れなかったら意味ないもの」
すれ違いざまにキースの肩に手を置くと、夏夜は団体が騒ぐ席へと行ってしまった。
そうまでしてくれるならば、自分はここで客のフリを続けるしかない。キースは聞き耳を立てながら水を喉に流し込んだ。
「キング御一行様、白ワインはお好きですか。こちらは当店お勧めのヴィンテージワインで、辛口ですが爽やかな風味が特徴のものです。クリス様のイメージに合うと思ってお持ちしました」
「おお、それは大変興味深いですね。いただきましょう」
そう言って早速グラスを取るクリスの横で、夏夜は他のメンバーにもグラスを渡していく。
「いい香りだ。それでいて……後味がとても爽やかだ。ここには良いワインがあるんですね。気に入りましたよ」
「ありがとうございます。ワインの味が分かる方とはもう少しお話がしたいですね。お隣よろしいかしら」
「ええ、是非とも」
一口で更に上機嫌となったクリスは、空いてる右側の席へ夏夜を招く。二人はしばらくワインの話で盛り上がり、他のメンバーも従業員との交流に花を咲かせていた。
そんな男達の欲丸出しの会話を聞いていると、キースの横をシュリが手を拭きながら通過する。長い間トイレにいたが、一体彼は何をしていたのだろうか。
「先生遅えじゃねぇか。なんかあったか」
「はい、まぁ、色々と。後で話しますよ」
大柄なキングに肩を組まれて潰されそうになりながらもシュリはボソボソと答える。彼の言う“色々”が気になるが、すぐに言わないことから急ぎの用でもないのだろう。襲われているソフィアのことでなければいいが。
「ねぇクリスさん。ネットでの自身の噂って聞いたことあります?」
その時、夏夜が遂に動き出す。
「ああ、僕が世界征服を企んでいるとかってやつ?」
「ええ。世界中の人に催眠をかけて操るとかなんとかって。でも実際こうしてお話すると、そんな悪い人には思えなくて。やっぱり誰かが妬んで流した噂ですよね」
ふふっと笑いながら夏夜が言うと、最後のワインを飲み干したクリスが鼻高々に言った。
「ここだけの話、あれは僕自身が流したものですよ」
「えっ、そうなんですか!」
予想外の言葉に驚く夏夜。キースもまさかの言葉に耳を疑った。
「世界征服って大それたことを言っておけば、人間をふるいにかけることが出来るだろう。僕の力なら本当に出来ると信じて僕に熱狂する人、馬鹿馬鹿しいと蔑む人、危機を感じて僕を調べようとする人。そんな感じに。
そして今日ここにいる彼らは、僕の野望に協力してくれる仲間達です」
クリスは仲間を見渡すと、足を組み替えながら話を続ける。
「夏夜さん、この世界は腐っていると思いませんか。
汚れた政治家が、未来ある若者の為ではなく死を待つばかりの老いぼれに手厚い支援を送り、自らはその心地よい椅子に居座り若者に席を譲らない。
若者は夢や大金を持つことを許されず、何か行動を起こせば若造がと老いぼれに罵られる。
働いた金は老いぼれが延命する為に使われ、子孫を産み育てる金は自らの僅かな収入から捻出せねばならない。
貧しい国では病気が蔓延し、豊かな国では更なる豊かさを求めて武器を持つ。そして自分に従わない者を力でねじ伏せる。
僕はね、そんな腐敗した人間によって汚された世界を変えるために、入念に計画を立ててきたんです。この力ならそれが出来ると信じて」
長く話しているクリスのその瞳の奥には、冷たさも熱さも入り混じったような心情が渦巻いているようだった。ここまで語っているところを見ると、彼の言う世界征服が夢物語ではないと思えてくる。
「若者が統治する世界が必要、ということかしら」
「そうとも言えます。ただ僕は甘くはない。僕の考えを悪いと思う輩は誰であろうと世界から排除するつもりです」
言いながらクリスは親指を立てて首を横に切るような仕草をしてみせた。さすがの夏夜も、次の言葉が見つからなくなってしまう。
「はは、僕のことが怖いですか。でもそう思わせることが大切です。恐怖による支配は手っ取り早くて効果的ですから」
クリスはスッと立ち上がると、夏夜の顔を見て微笑む。しかしその目は穏やかなものではなかった。
「ところで、夏夜さんは先に僕が話したところの三つめの人間ですよね。貴女が出してくれたワインは僕好みのものでした。お礼に良いことを教えてあげます。
三日後の十九時、是非テレビをチェックしてください。そこが新時代の幕開けになりますから」
そしてクリスはパンと手を叩いて他のメンバーに視線を送る。メンバーもそれぞれ華やかな従業員らに挨拶をし、クリスのもとへと集まった。
「あてらの皆さん。今日は楽しいひと時をありがとうございました。次に来た際にはまたワインで乾杯しましょう。きっと今よりも美味しく飲めるでしょうから」
丁寧にお辞儀をして言うクリス。しかし夏夜にはもう、全てが役者の演技にしか見えなかった。
「本日はありがとうございました。では、いいワインをご用意してお待ちしています」
「是非。では、ご馳走さまでした」
こうして、最後まで澄ました顔をしながらクリスは悠々と去っていった。大きくない背中からも、必ず成し遂げるという自信が溢れているようだった。
夏夜は彼らのいたソファに座り込み、大きな溜息を吐く。まるで一週間分の働きを一気にしたような疲労感が彼女に押し寄せていた。
「夏夜さん、お疲れ様。ありがとね」
「キースさん。本当に疲れたわよ、精神的にね。途中から言葉が見つからなくなっちゃった」
夏夜のもとにひょっこり現れたキースは、水を入れたワイングラスを夏夜に手渡す。弱く笑う夏夜の様子を見つつ、キースは団体の席周囲をぐるっと一回りした。
「俺もビックリ仰天だったよ。でも情報が得られて良かった。少しでも情報があれば対策も立てやすいからね」
キースは言いながらソファの間に手を突っ込む。そしてチップ状のものを取り出すと、わざとらしく夏夜に見せつけてケースにしまった。
「それは」
「ふふん、俺の相棒みたいなものさ」
ケースをポケットにしまいつつ、キースは夏夜の前にポンと封筒をおく。
「夏夜さん、これ今日のお代。遠慮なく受け取ってね」
「……疲労困憊の私をあっさり置いて行っちゃうのね」
「本当なら存分に介抱してあげたいんだけど、時間がないからさ。色々力になってもらったのにごめんね。あとありがとね〜」
いつものように飄々とした雰囲気で言うキースに、夏夜も苦笑するしかなかった。状況が良くない中で重い空気を作っても悪循環なだけだ。彼の態度もそれの表れなのかもしれない。
手を振って店を出るキースを見ながら、夏夜は受け取った水を口にする。
「頼んだわよ、キースさん達」
彼女は人類の希望を乗せるかのように言うと、そっとグラスをテーブルに置いてまだ賑わうカウンター側へ向かって着物を揺らすのだった。




