② 「お父さんはどんな人だったのですか」
緑豊かな木々が、そよぐ風に揺られる。カサカサと葉が擦れる音が心地よい。
「どうですか、この景色。ここもとっておきの場所なんですよ」
そしてその風になびく水色のワンピースとポニーテールもまたどこか懐かしくて、僕の心をあの頃へと誘う。
「都会では見られない風景で、とても素敵な場所ですね」
「そうなんです。私もおじいちゃんの家に来た時は必ずここに来て、一人でまったりするんですよ」
「そんなとっておきの場所を僕に教えてしまっていいんですか」
「もちろんです。こんな景色、秘密にしておくにはもったいないですから」
こちらを見て微笑む咲夜の表情も、まるであの頃の恵美を見ているようだった。
僕らは今、駅から少し離れたところにある山の上に来ていた。咲夜の薦める店で昼食をとった後、「少し歩くけどいいところがあるんです!」と言われてついて来たのがここだった。
しかし、咲夜には悪いが僕もこの場所はよく知っている。敦だった頃に恵美によく引っ張られて来ていた場所だから。
知らないフリをするのもなかなか大変だ。とはいえ自分が招いた結果でもあるので、甘んじて受け入れるしかない。
「まぁ、この景色を教えてくれたのは母なんですけど」
「北条先生が?」
「はい。母も学生時代はよくここに来ていたみたいで。景色を見ながらなんとなく過ごすのが一番落ち着くそうです」
「落ち着く、ですか。……確かにそうかもしれませんね」
落ち着くとはよく言ったものだ。あの頃は散々僕の勉強の邪魔をしていたのに。
と心の中で言いつつも、ここで茶や珈琲を飲んで顔を緩めていた恵美の姿は確かにリラックスしていたとも思った。
ここが僕らにとっての憩いの場だったことは間違いない。
「僕もこの場所、とっておきになりそうです」
咲夜の生まれるずっと前からそうなのだが。
なんて言えるはずもないので一先ず褒め言葉のつもりでそう言うと、咲夜はキョトンとした顔でこちらを向く。
「ここを、ですか……?」
「ええ。でも、咲夜さん達親子が先なので、僕は」
「いえ! いいと思います! ここを気に入ってもらえて嬉しいです!」
僕が遠慮しようとすると、頬を染めて勢いよく咲夜は言った。
お気に入りの共有とはそんなに喜ぶものか、と思うが、ネガティブな反応をされなかったから良しとしよう。
「それなら良かった。ではもう少し、ここでゆっくりしてもいいでしょうか」
「はい。私もまだここにいたいですから」
そうして僕らは、特に何も話さずただ山頂から見える町を眺める。
僕が死ぬ前より少し建物は増えたようだが、緑の多い静かな町並みはあの頃と然程変わらない。通った学校、住んでいた孤児院、そして凪沙のいた病院。ここからの景色だけを見ると、本当に十九年も経ったのかと疑いたくなるくらいだ。
隣にいるのがもし恵美だったら、僕は本当にあの頃に戻ったと錯覚するだろう。
「あの、聞いてもいいですか」
そんな懐かしさに浸っている僕を、咲夜が現実に引き戻す。
「何でしょう」
「篤志さんはどうしてあの寮にいるんですか。ご実家が遠いのでしょうか?」
急な質問にギクリとした。そういえば、どうせ短期間の調査だからと思い、地球での自分がどんな設定かをきちんと考えていなかった。まさか聞かれてしまうとは。
しかも彼女はソフィアやキースとも面識がある。彼らから聞いたことと矛盾がないようにしなければならない。どう答えればいいのか。
「実家はまぁ遠いのですが、ソフィアなどから何か聞いていますか」
僕は一旦探りを入れる。
「ソフィアさんが寒い国の出身で、お母さんの故郷を見るために日本に来たってことは聞きました。あそこの寮にいるのも、篤志さんがいたからと」
「なるほど……。確かにソフィアはまだ高校生で一人暮らしは心配だったので、僕が寮に来るよう勧めました」
ソフィアが咲夜に説明したことは問題なさそうだ。ソフィアと自分が従兄弟同士という設定を使い、うまく立ち回っているらしい。
今の話に合わせておけば、怪しまれずには済むだろう。
「僕があの寮にいるのは、実家が遠いのもそうですが、楽ができるからですよ」
「楽、ですか?」
「はい。家事全般は当番制で家賃は安い、しかも意外と駅が近い。一人暮らしだと自分で全てやらないといけませんから、それが週二回程度で済むなら勉強に集中できます。駅近であれば移動時間も短いですし。それに家賃に光熱費も込みなので、家計管理も楽です。つまり、生活全般の効率化が図れるわけです」
「へ、へぇー……」
それらしい理由を思いつくままに伝えたが、咲夜の反応は薄かった。駅近とか安い家賃というのは特に若者には食いつきがいいと思ったのだが。逆に怪しまれただろうか。
「なんか篤志さんってもっとこう、お堅い人なのかと思っていました」
「どういう意味です……?」
その言葉、とても褒められているようには思えない。
「掃除とか埃なくとことんやりそうですし、節約も好きそうって思っていました。生活の効率化って仰るあたり、ちょっと変わってますけど」
「僕のこと姑か何かだと思っていましたね」
「決して貶しているわけではないんです! 真面目そうだと思ってて!」
ジト目で咲夜を見ると、慌てたようにつくろってきた。今日は彼女のいろいろな表情が見られてとても面白い。
「と、とにかく! 篤志さんの新しい一面が見られて良かったです」
「ふふ、僕も貴女の慌てるところを見られて良かったですよ」
「もう! からかわないでください!」
怒っているのか、顔を赤くして咲夜は言った。
こうした子供らしいところは恵美によく似ている。性格は違えどやはり親子なのだなと、改めて感じる。
それが僕には、少し寂しくもあるのだが。
「僕もお聞きしたいことがあるのですが」
「なんですか。答えられることならいいですよ」
腕を組んでまだ眉根を寄せている咲夜に、僕はまた表情が大きく変わりそうな質問をぶつける。
「お父さんはどんな人だったのですか」
僕にとっては、興味半分と確認の意味でその質問をした。既に亡くなったという彼女の父親は、僕の知る人物かもしれないのだ。
案の定咲夜は寂しげに笑った。それだけで、父親を大切にしていたということが分かる。
「この流れで、それを聞くんですね」
「すみません。でも聞いてみたくて。無理にとは」
「いえ、構いません。みんな遠慮しているのか、今まであまり父のこと聞かれなくて。うまく話せるか分かりませんがいいですか?」
僅かに首を傾げて確認してくる彼女に、僕は無言で頷いた。ここからはもう、彼女の話したいことをただ聞くだけにしたい。
そよぐ風を受けて一息ついた咲夜は、絵本を読み聞かせるようにゆっくりと話し出す。
「父は、例えるなら礼音さんみたいな人でした。背が高くて短髪でムキムキで。消防士だったんです。家にいる時はいつも一緒に遊んでくれる、優しい父でした」
ムキムキの消防士というワードは死ぬ前に恵美から聞いた覚えがある。確か彼女が想いを寄せていた、バイト先の常連客だ。
そうか、恵美の想いは届いていたのか。きっとあれから彼女なりに努力したのだろう。
「父と母は仲が良くて、よく一緒に運動をしていました。父は私を担いで走り込むんです。怖かったけど、父と母と同じことをしている気持ちにもなれて嬉しかったな」
昔を思い出しているのか、彼女は穏やかに微笑んでいた。幸せな幼少期を過ごしたのだろう。アッシュとして育った今の僕には、彼女の気持ちが理解できる。
「……でも、父は優しすぎました」
しかし、遠い目をした彼女の頭は少しずつ下がり始めた。
「父は私が小学校に入る直前に亡くなりました。火事の現場で取り残された子供を助ける為に、火の海に飛び込んでいったらしいです。その子はなんとか助かりましたが、大火傷を負った父は数日後に……」
彼女のバッグを持つ手が心なしか震えている気がする。父親のことは、彼女にとってそれほど辛い記憶のようだ。
「後で聞いた話では、父が助けた子は当時の私と同じくらいの歳だったそうです。きっと、その子と私を重ねて助けようとしたのでしょう。それが父の仕事だったと言われればその通りだし、それだけ正義感が強かった父を誇らしくも思います。
……けれど、私はもっと父と一緒にいたかった!優しくなくていいから、厳しい父でもよかったから、もっと一緒にいてほしかった!子煩悩じゃなくても、ただいてくれるだけでよかったのにっ……!」
抑えようとしてもし切れない感情が咲夜の中から溢れ出す。揺れる瞳からは、今にも涙が溢れそうだ。
「父が亡くなって十年以上経ちましたが、この寂しさは未だに消えません。両親と楽しそうに歩く家族を見る度に、父を思い出してしまうんです。妬みってことも分かっているけど、こればかりはどうにもできなくて」
そんな悲痛な思いとは裏腹に、風が木々の間を緩やかに流れる。涼しいそれは、まるで彼女を慰めようとしているかのようにも感じた。
「先日篤志さんの背中にお世話になった時も、父の夢を見ていました。遊び疲れて寝た私をおんぶする父の背中みたいで、多分、心地良かったんです。正直なところ、全然似てないんですけど」
そう言って咲夜は少しだけ笑い、大きく溜息をつく。思いを吐き出したことで心が軽くなったのであれば、僕の問いも悪いものではなかったと思える。
最後の一言はやや不服なのだが。
「なんだか当初の質問から外れてしまいましたが、こんなところで許してはもらえないでしょうか」
「お父さんが咲夜さんにとって大切な人だということが分かったので、十分です。辛いことを思い出させてしまいすみません」
「いえ。私こそ、恥ずかしいところをお見せしてごめんなさい」
眉を下げて言う咲夜だったが、どこか晴れやかにも見えた。その姿はいつかの僕にも似ている。
あの時の恵美と同じことを、僕は彼女に出来たのだろうか。いや、僕は何もしていない。彼女は自分で昇華したのだ。彼女は僕なんかよりもずっと、自律した人間だ。
「でも、篤志さんに言ってみて良かった。なかなか黙って聞いてくれる人っていませんし」
「聞いたのはこちらですから。けれど、そうですね。自分の感情を抑え込みすぎると苦しいので、そうやってたまには出してあげてください。僕はそれを恥ずかしいことだとは思いませんから」
「篤志さん……」
自分の経験から、僕は彼女にそれだけ伝える。彼女の中に今の言葉が響かなくともいい。これは自己満足なのだから。
「ありがとうございます。そう言ってもらえると、楽になった気がします」
けれど咲夜は和かに笑ってみせた。何もしていないと思っていた僕も、それだけで救われる気がした。
女は強い。先程の看護師も言っていたが、本当にその通りだ。ソフィアも、恵美も咲夜も、どこかで生きている凪沙も、僕に希望や救いをくれるのはいつだって女性だったから。
「それなら良かった。僕こそありがとうございます」
「っ!」
自然に腕が伸びる。ポニーテールを崩さないように静かに手を置くと、その下で咲夜は顔を真っ赤にした。
「そ、そういうことは普通の女の子にはしないんですよ!」
「え、あ、すみません。ソフィアは喜ぶのでつい……」
「えっ、そ、そうなんですか」
咲夜が急に怒り出したので手を離して言い訳をする。
褒める時は頭を撫でるのが昔からの癖だったが、子供扱いするなと嫌がる女性がいることも知っていた。ついやってしまったことを詫びなければ。
「あの、本当にすみま」
「や、やっぱりもう少しだけお願いします」
「え」
「今の! お願い、します……」
目を逸らしてもじもじとしている咲夜を見て、僕は思わず可笑しくなる。自律していると思いきや子供っぽいところもある彼女に、ソフィアと似たものを感じた。
女心というものは、何年経ってもやはり理解が出来ない。
「ふふ。いいですよ」
こうして僕は、未だに目を合わせてくれない咲夜の頭にもう一度手を置いた。動かずにされるがままになる姿は、壇上に立って緊張のあまり固まる子供のようだった。
影の位置が変わり、山の上から見えていた景色が少しだけ変わる。話しているうちにほどよく時間が経ったらしい。穏やかな時間は過ぎるのが早いと思いつつ、改めて僕は町を見下ろす。
僕が死んだ後も変わらない景色。死んだ後に変わっていた人々。この一日でどちらも実感した僕は、今地球にいるということすら夢のように感じる。最初は地球に来ることすら躊躇っていたのに。
けれど、来て良かったとも思う。ずっと気になっていた人々の現在を知れたのだから。特に咲夜は、来ないままだったらアッシュとして死ぬまで知らないでいた存在の筈だった。初恋相手の娘とこうして隣で話す日が来るなんて、想像すらしなかった。
「やはり、平和が一番ですね」
「え?」
「いえ、こちらの話です」
自分がその平和を脅かす存在だということ忘れそうになる。異星人という足枷がなければ、全てを話せれば、もっと親しくなれただろうに。
「さて、帰りましょうか」
「はい」
少し涼しくなった風が僕の頬を撫でる。
もう、ここに来ることもないだろう。
僕は上機嫌でワンピースを揺らす咲夜に歩幅を合わせながら、通りすぎる故郷の風景を目に焼き付けた。




