⑧ 「わたしは、負けない!」
不気味な笑い声が脳髄にまで響く。煩い。煩い。いくら振り払っても体の至る所からその声が入ってくる。おかげで思考が途絶されそうだ。
「くそっ、本体は何処にいるんだ」
ツヴァイ独特の冷たいオーラを辿れば、すぐに本体を攻撃できると思っていた。しかし、この笑い声に集中力を乱され未だに手を出せていない。
どこを見ても闇しかない無重力のような空間に飛び込んで、既に数分は経っただろう。早くしないと声に脳を支配されてしまいそうだ。だが無闇に攻撃しても力を浪費するだけ。状況の許す限り、慎重に行動せねば。
「まぁだ見つけてくれないのですか」
ツヴァイの声が暗闇の中に響く。あらゆる方向からこだまし、やはり場所の特定がしづらい。
「あいにく、かくれんぼの鬼は苦手でね」
「ふふ、そうですか。しかしこの闇の中でもまだのんきなことが言えるとは、やはり雑魚ではないようですねぇ。早いとこ片付けてしまいましょう」
彼がそう言うと、四方から黒い羽が飛んできた。纏った炎で羽は焼け落ちるものの、視界は更に悪くなる。
「さぁ、いつまでも防戦では私は倒せませんよ」
「はっ、言ってくれるなぁ」
言う通りなのは分かっている。炎を纏ったこの姿でいられるのも一時的だ。相手が攻撃してきた以上、自分も攻めに転じなくては。
「俺は炎しか使えない。色んな力が使えるイリスからみたら、とんだポンコツだ。
……でも、だからこそ、炎の力を極めた。炎だけなら誰にも負けないように。炎だけでも、ピュアナを守れるように」
指を弾いて大蛇を三体出す。自分を囲むように三角線上に並んだ彼らは、全てこちらを見ていた。
「はは、またその蛇ですか。ネグロは消せても私は消せませんよ」
「そうだろうね。もっともっと力を出さないと、アンタは倒せない。逆に言えば、死ぬ気を出せば勝てるかもしれない」
右手をかざし大蛇を全て頭上に集める。そして、握った拳をまた心臓の前にもってくると、俺は巨大な塊となった青い炎へと飛び込んだ。
「いいか、これが俺の極めた炎の全てだ。アンタの闇なんて喰らい尽くしてやる! 秘奥義、青炎の龍‼︎」
思い切り叫び、纏っていたエネルギーを解放する。炎の塊は次第に細くなり、先程の大蛇よりも長く、猛々しいものへと姿を変えた。
青色に輝くその龍の中心にいる俺は、黒羽の飛び交う果てなき暗闇を真っ直ぐと捉える。目線と平行に指を差すと、龍が牙を剥き出して闇へと突っ込んだ。
「ぐっ! この闇を捕らえただと…⁉︎」
「そのままぶち破れぇぇえっ‼︎」
開いたヒビの中心に力を集中させる。ツヴァイの呻き声と共にヒビが広がり、まるでガラスが割れるかのような大きな音が響いた。
「そこか!」
アテラ特有の星空の下にようやく現れた片翼の悪魔をめがけて、勢いそのままに直進する。
青い猛火に飲み込まれた彼はなんとか逃れようと翼を振っていた。しかし、龍の体に雁字搦めにされた者は何者であってもそれを解くことなどできない。
「ぐぅぅっ……!」
「龍に喰われても耐えるなんてさすがだねぇ。戦闘でこんなに手こずったのは久しぶりだよ。
でも、もう終わりにしよう」
正直、既に自分の限界を超えていた。余裕ぶっていないと足元から崩れてしまいそうだ。
だからこの一発に賭ける。俺か彼、先に燃え尽きた方の負けだ。
「はぁぁっ!」
左手に力を込めると、赤黒く煮え立った粘性の炎が掌に溢れる。そしてそれはボコボコ音を立てながら龍の体内を伝った。
「合義、業火剣嵐‼︎」
言うのと同時に鋭い剣となった赤黒い炎達が、青い龍に縛られたツヴァイを一斉に貫く。巨大な黒翼は折れ、吐血もみられた。
剣は次第に火柱へと変わり、俺の燃料切れと共に全て消滅した。ようやく解放された彼は、まるで糸の切れた操り人形のようにその場に崩れる。
「はぁっ、はぁ……! やった、か……?」
俯いているため生存の確認が難しい。とはいえ、ピュアナが警戒するほどの男だ。これで死んだとは思えない。一先ず戦闘不能くらいには出来たと思うが。
「っ、げほっ、はぁ……っ」
自分の容量をはるかに超えた力を使ったためか、急激に疲労感と眠気が襲ってくる。雪が蒸発した固い地面に座り込んだ俺は、思い瞼と格闘しながらツヴァイを見つめた。
「キース君!」
遠くで愛しい人の声が聞こえる。見ると、淡い緑色の光を放つ彼女が目を潤ませながら走っていた。
あぁ、ピュアナ。俺、やっと君を守ることができたよ。君に何も危害がなくて良かった。
遠のきそうになる意識の中で、そんなことを呟く。
「すごいよキース君! 眼鏡君を倒しちゃうなんて!
どこか怪我はない? マナを使いすぎて疲れたでしょう。こんなにボロボロになるまで一人で頑張って……本当にすごい」
ポロポロと溢れる涙を顔に受けつつ、だるい身体を抱かれるままに彼女へ預けた。柔らかな感触にいよいよ意識が飛びそうになる。
「もう大丈夫。全部私が治してあげる。それからあとは、私が決着をつけるから」
「う、ん……」
優しくて温かな光に包まれ、とても心地がいい。
本当は全てを目に収めたかったが、今の自分には出来なそうだ。俺が次に目を覚ました時には全て事が終わっているだろう。それまではピュアナに甘えてゆっくり休ませてもらおうか。
少しずつ身体が軽くなるのを感じつつ、瞼を閉じかける。しかしその時、何かがピュアナの背後から飛んでくるのが見えた。
「えっ……?」
どこに力が残っていたのかと思うくらい、とっさにピュアナを突き飛ばす。彼女の驚く顔がスローモーションのように見えたその時、腹部に鋭い痛みが走った。
「がっ……はぁ……っ!」
口の中に物凄い勢いで血液が逆流してくる。反射的に吐き出すと、自慢の銀髪が紅く染まった。
「は、はは……なんだよ、まだこんな力が……」
ツヴァイの方に目をやると、俯いたまま腕だけこちらに向けている姿が見えた。腕に無数の目はなく、背中にも翼がない。
……それもその筈だ。闇の力を集約した翼は、槍となって俺を貫いているのだから。
「ピュアナ、ごめ……ん、俺の負け、みたいだ」
蒼い顔でこちらを見るピュアナにそう伝える。なんとか笑ってみせるが、弱々しく見えているだろう。
「や……いやだよキース君……! 今私がなんとかするからっ」
羽となって消えた槍のおかげでようやく身体が地面に落ちる。駆け寄ってきたピュアナは、俺の血が付くのも気にせず腹部にマナを注いだ。
「さっきの、で、俺の腹は抉れたん、だ……出血も多いし、俺のこと、気にしなくていい、から」
「いやよ! 世界と同等の力を持つ私なら、こんな傷くらい治せる! 私のっ、私のせいでこんな……っ」
涙や鼻水で顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら、必死にピュアナは治療してくれた。しかし出血量は増えていくばかり。一度覚醒した意識も少しずつ遠のいていく。
ああ、これが死ぬってことなんだな。
「ピュアナ、あの男にトドメを、ささないと……また来る、よ」
「キース君の方が先! だってこれじゃキース君が死んじゃうっ……私そんなの」
「ピュアナ」
けれど、もう少し。もう少しだけ生かしてほしい。この状況で彼女の背中を押せるのは俺しかいないのだから。
歯を食いしばり、鋭い痛みをどうにか堪えて笑顔を作る。
「君に何もなくて良かった。俺、ちゃんと君を守れて嬉しかったよ。
君はこんなところで負けちゃダメだ。さぁ行くんだピュアナ、アテラの未来のために‼︎」
俺の血で染まった手を握って、力一杯そう伝えた。震える彼女はこちらを見つめて強く唇を噛み締める。大粒の涙は地面を濡らした。
「……ズルイよ。こんな時でもカッコつけて、本当キース君はズルい。そんな風に言われたら行かないといけないじゃない」
俯く彼女はぎゅうと手を握りながら言った。
良かった、これで彼女は立ち上がってくれる。俺の命も無駄ではなかった。
朦朧とする意識の中で変な達成感を味わう。
「でもやっぱり私、キース君のいない未来なんていらない。皺くちゃの顔で未来を見届けるって言ったの、キース君でしょ。こんなところで死ぬなんて許さないから」
しかし、彼女の反応は俺の予想を超えていた。
顔を上げたピュアナは強い決意を滲ませていた。霞む視界の中で見えたのは、唇から赤黒い何かを流して近寄ってくる彼女の姿。その距離がゼロになった時、喉を生暖かい何かが伝った。
「変なことしてごめん。少し苦しいと思うけど我慢して。そしたらもう、大丈夫だから」
「何を……っう⁉︎ ぐっ……ぴゅ、あなっ……!」
「じゃあ、行ってくるね。おやすみキース君」
目が醒める程の灼熱感が身体の奥から湧き上がる。炎体質の自分が、これほどの熱さを感じたことはない。どうなっているのか。先程彼女に飲まされたのはまさか。
ピュアナ、君は俺に何をしたのか。そしてそんなに激しいオーラを纏っているのは何故なのか。まさか、無茶なんてしないよな。だってそうしたら、君は。
うずくまって咳き込む最中、ピュアナが雷を伴ってツヴァイの方へ飛んでいくのが見えた。
すぐに遠くで爆発音がする。彼に抵抗などされていなければいいが。見たいけど、身体はもう、言うことを聞いてくれなそう、だ……。
どんな状況か確認することなく、俺の意識はそこで途切れた。目の前が真っ暗になる中、二度目の爆発音が俺の耳を震わせた。
「……ん、……」
目が覚めると、目の前にはいつものアテラの星空が広がっていた。背中には地面の硬い感触。手には固まった血液。どうやら気を失う前と同じ場所にいるらしい。
しかし、腹部の激痛と灼熱感は無くなっている。触ってみると、内臓ではなく自分の皮膚がきちんと触れた。あの時確かに抉れたはずなのに。確実に自分は死ぬのだと思ったのに。
「なんで……。そうだ、ピュアナはっ」
それよりもまず、彼女の安否を確認せねば。物凄い勢いで飛んでいったあの姿は、いつものピュアナではなかった。
周囲を見回す。最後に聞いた爆発音はどこからも聞こえない。しかし遠くに緑色の大きな光柱が見えた。
あれはツヴァイがいた方面だ。すると、あれはピュアナのものか。
なんだか嫌な予感がする。
「行かないと……! っう、がはっ」
起き上がろうとした瞬間、勢いよく胃液が逆流した。傷は治っても、使いすぎたマナによる疲労は取れていないようだ。
「全く情けないなぁっ。仕方ない」
俺はポケットに手を突っ込むと小瓶を取り出す。最終手段として取っておいた青色の液体を口に含み、みなぎる体力をフルに使って走った。
近付くと少しずつ状況が見えてくる。
緑色の光柱の中にはピュアナの姿があり、その前には黒翼を広げたツヴァイが立っていた。光と闇の力をぶつけ合っているのか、近付くにつれて身体に強い風圧を感じる。
「げほっ……、そろそろ理性を保てなくなってきているのでは」
「はぁっ、眼鏡君こそ、身体は限界でしょ」
肩で息をしながらも譲らない戦いを繰り広げる両者の周りには、ツンドラどころか石ころ一つすら落ちていない。それだけ激しくぶつかっているのだ。防御の出来ない俺はこれ以上近付くことすら出来ない。
「君はどうしてそこまで私に立て付くのだ。他のイリスのように従っていれば、いずれ訪れる楽園の頂点に立てるというのに」
「武力で支配する世界を楽園なんて言えない。眼鏡君がやろうとしているのは恐慌政治よ。それがどれだけの悲しみを生むのか私はよく知っているわ。だからこそ、あなたの好きにはさせない!」
言うのと同時に光柱から電撃が放たれる。ツヴァイの呻きと共に地面は割れ、割れ目から溢れた光が彼を囲んだ。
「グロウ・アップ!」
光は天高くのぼると、徐々に枝分かれしながら範囲を広げていく。それはまるで輝く大樹だ。
「ぐぅ、はぁっ……、それ以上やったら君は本当に」
「覚悟の上よ」
光柱から出てきたピュアナが大樹の真上に飛んでいく。緑色の電撃を纏った彼女は、その光の木に踵から垂直に落ちていった。
「奥義、天誅‼︎」
真っ二つに裂ける大樹は、花粉のように光を飛散させた。そしてピュアナが木の中心に辿り着いた時、これまでにない規模の大爆発が巻き起こる。
「くっ」
俺の足元にまで地割れが及び、物凄い爆風が駆け抜けた。なんとか踏ん張りとどまるが、目の前は煙ばかりで状況が読めない。
ツヴァイは倒せたのか。ピュアナは無事なのか。倒せたとしても、二人が言っていた言葉が引っかかる。
覚悟って何のことだよ。俺を助けて自分は、なんてことはしてほしくない。
割れた地面に気を付けながらも、風の止んだ今のうちにと極力急いで彼女のもとへ向かった。
しばらくすると、煙が晴れてきたところで人影が見えた。ふらつきつつも立っている小さな影は間違いなく彼女のものだ。
「ピュアナ!」
煙を分けて駆け寄る。疲労の色を濃くした顔に、僅かな笑顔が戻った。
「キース君。良かった……やっぱり生きてた」
「それは俺のセリフさ。良かった、無事でいてくれて」
倒れそうな身体に手を伸ばして支える。呼吸は荒いが、どこも怪我はしていなさそうだ。
「かなり消耗しているね。無茶しすぎだよ。とは言えここで休むわけにもいかない。これ飲める?」
俺はポケットから小瓶を取り出す。
「俺も飲んだから半分しかないけど、このままよりはマシだと思うんだ」
「ごめん……それは使えない」
蓋を開けて渡そうとした時、ピュアナが言った。
確かに美味しくはないが、今はそんなことを言っている場合ではない。そう伝えようとしたが、先に彼女の口が開く。
「もう遅いの。それ使ったら、大変なことになっちゃう。それよりもこれ。これを私に使って」
「これは……?」
「制御装置よ。眼鏡君から盗ってきたの」
「この指輪が制御装置……? どういうこと」
彼女の持つものと言葉の意味がどうにも結びつかない。
人間、しかも世界と同等の力を制御する装置。それがごく普通の指輪だなんて。そんなこと信じ難い。
「説明してあげたいけど、もう時間がないの。そろそろ……ふっ、う……」
「ピュアナ?」
「はぁっ、早く! 自我が保てなく、な……」
ピュアナはそこまで言ってガクンと首を落とした。イリスとはいえ、あれだけの技を使えば体力が限界にきていても不思議ではない。
俺が意識を飛ばしている間にどれだけ激しい戦いをしていたのか。周りの瓦礫の山を見て想像するしかないが、並みの人間には出来ない戦いであったことは間違いないようだ。
「指輪をピュアナに使うって、はめればいいのか? ……でもこれ、制御装置だろ。使ったら君は……」
彼女に押し付けられた指輪は今俺の手中にある。使い方はいいとして、これを使った後彼女は一体どうなるのか。あの男が開発したものだ。意識の支配とか、そんな感じのことをして彼女を操ると考えるのが妥当だろう。
愛する人を支配だなんて、俺には出来ない。
「俺は……、っぐ!」
悩んでいる最中、全身に電撃が走った。見ると、俯くピュアナの体に電気が帯びている。
「わたし、は」
ユラユラと揺れながら起き上がる彼女にいつもの柔らかな雰囲気はなく、その目は虚ながらも殺気に満ち溢れている。
まずい。
瞬時にそう感じた俺は炎に身を包む。すぐに彼女から電撃が放たれ、俺の周囲は落ちた雷による穴だらけになった。
「ピュアナ、どうしたんだ! もう敵はいなくなったのに!」
「苦しい。体がモヤモヤして苦しいの。何も分からない。私の邪魔、しないで!」
再度放たれた電撃が地面に無数の穴を開けていく。それでも尚、苦しいと訴えながら彼女は力を使い続けた。
「まさか、力が暴走している……?」
わざわざツヴァイから制御装置を奪い、それを早く自分に使えと言ったピュアナ。彼女は、彼との戦いの末にこうなることを予測していたのか。そして力が暴走するのを分かった上でツヴァイを倒すのは自分だと、そう心に決めていたのだろう。それでたとえ自分が制御されることになっても。
「……だからって、俺には……」
唸りながらバチバチと放電するピュアナを見ながら、俺は迷っていた。
ピュアナの覚悟は尊重したい。けれど制御なんて残酷すぎる。どうにかもっといい方法はないものだろうか。
悩んでいると、耳元で男の声がする。
「彼女の最期を見られないのは残念ですが、私が死んでは目的が果たせませんので今回は諦めることにします。
炎帝、君とはいずれまた対峙することになるでしょう。決着はその時に」
「なっ、待て!」
すぐに振り向くが、そこに彼はもういなかった。
ピュアナのあの攻撃でもまだ生きていたとは。彼が事を起こす前に早めに手を打っておかねば。
それよりも、彼女の最期とは。
覚醒、即ち彼女の死。
ツヴァイの言った言葉が脳裏をよぎる。
「チッ! どっちかなんて、選べるわけないだろ!」
俺は全身に青い炎を纏うと、放電し続けるピュアナに向かって一直線に走り出す。彼女の電撃も光線も真空刃も全て受け傷を負ってもお構い無しに。
「来るな、誰も私のところには来るな!」
「いや、それは出来ないね。君は俺の大切な人だ。君が苦しんでいるのにただ見ているなんて出来ないよ」
「なんなの、やめてよ……一人にし、っ!」
そして彼女の真正面に来ると、荒く呼吸する彼女を炎を解いた身で強く抱き締めた。
「ピュアナ、君の本心はなんだ。このまま力を使い果たすことが本心ではないだろう。目を覚ますんだ。俺は君の本当の望みを叶えたい」
「ううう、離し、て」
「俺だってこのまま君と別れたくない。一緒にいてほしい。俺のハゲを拝むならあと何十年も一緒にいてもらわないとだよ」
「!」
ピュアナはなんとか離れようともがいていたが、最後の言葉に手が止まる。
「わたし……あ、くぅっ……やめてっ……!」
震え出した彼女は、頭を抱えて何かと言い争いを始めた。
ピュアナの自我はまだ残っている。自我が勝てばもしかしたら。
「俺はずっとピュアナと一緒にいたい! 教えてくれ、ピュアナの本心を!」
「う、わた、し……は」
バチバチバチ!
周りが吹き飛ぶほどの電撃が放たれ、足元の地面以外は何もなくなる。やがて顔を上げた彼女の頬には、涙が伝った。
「私は生きたい! 自分の肉体が消えたとしても、キース君の近くにいたいの!」
心からの渾身の叫び。今まで“覚悟”という名前で封印してきた彼女の本心がようやく表に出てきた。
俺はニッと口角を上げる。
「やっと聞けたね、君の本当の望み」
「まだ二六だもの。もっといろんな景色を見て、もっと二人の時間を過ごしたいに決まってるでしょ」
「はは、そうこなくっちゃ。じゃあやっぱり制御装置なんて要らないね」
そう言って手に持っていた指輪を深く続く闇の中に葬ろうとする。しかし寸前のところでピュアナに指輪を取られてしまった。
「眼鏡君には少しだけ感謝。これがないと私は本当に消滅するから。……でも彼の考えは甘かった。だってこんなの、私が反対に制御しちゃうもの」
得意げに言って笑う彼女は、俺の左手をとってその指輪を薬指にはめる。そして風魔法でフワリと浮かぶと、全身に淡い緑色の光を纏った。
「これからはキース君の左手に住むね。話は出来ないけどいつでも一緒にいられるし、必要な時はいつでもサポート出来るから」
「……その身体のままではいられないんだね」
「眼鏡君を倒す為に身体を超えた力を使っちゃったから。マナに支配された身体は消えてなくなるのが、アテラの自然の摂理みたいなの」
指先まで優しく光るその姿が、初めて出会った時に見た回復魔法を使う幻想的な姿と重なる。
無垢な言葉を紡ぐ君に惚れてから約十年。君を大事にしたいという思いは今も変わらない。
君もほとんど変わらないまま俺のそばにいてくれた。けれど、無垢な言葉も笑顔も、これからはもう見られなくなるんだね。
「ごめんね。私、自分勝手だね」
「ホント、勝手すぎるよ。俺の事は生かしておいて、自分は形がなくなるって言うんだからさ」
眉尻を下げて笑う彼女の姿が胸に刺さる。
望まない力を持って生まれた彼女に、何も非はない。それを憂うことなく正しく使おうとした結果がこれだなんて。これが運命だというならクソ食らえって話だ。
「でも、俺があの悪魔を倒せていれば、君が犠牲になることはなかったんだ。君にばかり負担を強いて、情けないな」
「キース君が眼鏡君を追い詰めてくれたおかげで私はギリギリまで暴走しないで戦えた。その後暴走した私の目を覚ましてくれたのもキース君でしょ。キース君がいなかったら、私はその指輪に支配されて眼鏡君の良いように使われていたかもしれない。永遠のお別れをしなくて済んだのもキース君のおかげ。だから感謝してるよ。ありがとう」
俺の手を握ってそう言う彼女は優しく笑っていた。しかし、彼女の足先は既に消え始めている。
辛いのは彼女の筈なのに。その彼女に俺の方が励まされてどうするんだ。
自分よりもずっと小さい彼女の手。まだ感触のあるその手を俺は握り返す。
「そっか。君がそう言ってくれるなら十分だ。
俺も礼を言うよ。こんな俺と十年もいてくれてありがとう。これからはもっと強くなって、君を命懸けで守っていくよ。君の力は借りることになると思うけど、よろしくね」
「うん。お互いに支え合うのが夫婦だものね。これからはもっとお世話になるからよろしく、キース君」
手を引いて、足から少しずつ消えゆく彼女の身体を引き寄せる。触れたところから淡い光が舞うが、華奢な彼女の感触はまだ分かった。
この感触を忘れないようにしたい。俺はその温かな身体を自分の全身で確認する。
「キース君に触れるの、これが最後なんだね。なんだか寂しいな。本当はね、キース君のハゲは見たくないの。だって私、この綺麗な銀髪好きだもの。毎日お手入れ出来なくなるの、寂しいな」
伸ばした手で俺の髪に触れる彼女の声に無念さを感じる。
俺だって寂しい。行くなよ、ピュアナ。
しかし、俺が言葉を掛ける間もなくすぐに彼女は気さくに言った。
「……さ、そろそろ時間みたい。キース君、指輪を私に向けて」
名残惜しそうに俺の髪を撫でながらも、彼女は再びフワリと浮く。俺も腕の中に虚無を感じるが、覚悟を決めて左手を彼女の前にかざした。
「最後の大仕事、行くよ」
彼女が言うのと同時に薬指にはめた指輪から黒い手のようなものが伸び、ピュアナの身体を鷲掴みにする。淡い緑色が少しずつ闇に染まり、俺の前には黒い塊が出来上がった。
もぞもぞと動くそれを、俺は固唾を飲んで見守る。
大丈夫、ピュアナがこんなものに飲み込まれるはずがない。
「う、うぅ」
苦しそうな声だ。しかし彼女は必死に戦っている。俺が信じてやらないと。
「きー、す、く……う、っ」
黒い塊は徐々に小さくなりながら指輪に戻ろうとする。もう手のひら程の大きさしかない。
さすがに不安になった時、一筋の緑色の光が塊から漏れた。
「わたしは、負けない!」
パキンという音と共に黒い塊が弾け飛び、中から無数の淡い光が現れる。しかし、そこにほんの少し前まで見えていた彼女の身体はなかった。
「やり遂げた、んだね」
「うん。身体は消滅しちゃったけどね。でもこれで、“私”のままキース君と一緒にいられるよ」
「そうだね。お疲れ様、ピュアナ」
フワフワと漂いながら俺の周りを回るその光は、本当に意思があるようだった。もう表情は見られないが、ピュアナが子供っぽく笑っているように思えた。
「もう時間もないし、じきに話せなくなるから、今のうちに伝えておくね」
「なに?」
より一層柔らかく光った彼女は、まるでキスをするかのように唇に触れた。
「あのね、こんな私を愛してくれてありがとう。大好きだよ、キース君」
「!」
「ふふ、最後に驚いた顔が見られて良かった。じゃあ、行くね」
そしてまたグルグルと俺の周りを飛ぶと、勢いよく指輪に入る。指輪に埋め込まれた石が、キラリと緑色に輝いた。
残ったのは、自分の周りを囲む深い闇と唇の温かさ。
「大好きって言われたのは初めてだね」
下から吹く風に髪をなびかせ、しみじみと先程の言葉を噛みしめる。風は冷たいが胸の中はほんのりと暖かかった。
「……っはー。やっと一区切り、か……」
ようやく訪れた静寂に、俺の盛大な溜息が響く。
時間にすれば半日もしないくらいの長さ。しかしその間に色々なことがありすぎて、とても長く感じた。
どっと疲労が押し寄せてくる。
「家どころかミト全体がめちゃくちゃだなぁ……。というか、俺もまずどうやってここから脱出するか考えないと」
自我を失いかけたピュアナが電撃しまくったおかげで、足元以外はほぼ地面がない。青炎の龍で突破は出来るが体力がもたないだろう。どうしたものか。
その時、左手から淡い緑色の光が溢れてきた。
「ピュアナ? ……そうだね、早速だけど君の力を借りようかな」
光が俺の身体を包むと、足が地面から浮いた。
ピュアナの風魔法を使えば一定の距離は飛べる。ここから家までならギリギリいけるだろう。
「じゃあ帰ろう。俺達の家に」
頷くように動いた光と共に、戦いの末に荒地となったミトを見つつ俺は自宅へと向かった。
今日の戦いではツヴァイを再起不能にまで出来なかった。彼は“また”と言っていたし、いずれはこの世界を巡ってぶつかる日が来るのだろう。そのことを知るのは実質俺一人。いつ来るか分からない強敵を相手に、俺は一人でどこまでの事が出来るのだろうか。
……なんて、今考えても対策など立てられない。彼のあの傷ではすぐに何かを起こすことも出来ないだろうし、しばらくは俺もゆっくり身体を休めよう。先のことはそれから考えればいい。
俺は考えるのを止めて、頬に当たる風の温度をひたすらに感じる。
頭上に広がる澄んだ星空だけが、俺達の船出を見送ってくれた。




