③ 「惚れ、た……?」
謎多き女の子ピュアナが去ってから一週間が経った。あの日以来、俺が彼女のことを思い出さない日はなかった。
彼女は何から逃げていたのか。年齢を正確に言えなかった理由は何なのか。掌を伝った電流は何だったのか。そして、今どこで何をしているのか。
知りたいことは山ほどある。しかし居場所が分からない俺に、やれることはない。
「……はぁ。俺、何してんだろ」
野菜をたっぷり入れたスープを作りながら溜息を吐く。その量は、一人暮らしの自分なら一日三食食べても三日は無くならない程だ。
あの日以来、俺はこうしていつでも温かい食事を提供出来るようにしていた。もう一度会える保証なんてない。でももしまた彼女が来てくれたら。その時はまた、屈託のない笑顔で美味しいと言ってほしい。
「ま、余ったらおっくんが食べてくれるか」
土鍋に蓋をし、キッチンを離れる。ここにいては更に何かを作ってしまいそうだ。それに、今日もオーウェンがトレーニングに付き合えと言っていた。遅れるとしばかれるので、早いところ出よう。
その時、玄関の扉が叩かれた。
俺はすぐに反応する。もしかして、彼女がまた来てくれたのだろうか。
心臓が急速に動きを早める中、俺は急いで玄関に行く。
「おい、起きてるなら受信機くらい出ろよ」
しかしそこにいたのは、坊主頭の大柄な男とオールバックの眼鏡の男だった。腐れ縁の二人はズカズカと家に入り込む。坊主の方オーウェンなんて、俺を見るなり眉間に皺を寄せた。
「あれ、おっくんつっくん何でうちに……」
「は? お前今何時だと思ってんだ」
「え、まだ九時前じゃ……あっ」
言われて壁の時計を見ると、針は十一時を指していた。約束の時間はとっくに過ぎている。オーウェンが怒るのも仕方ない。
「受信機にも出ないで何やってんだ。寝てたのか」
「いや、六時には起きてたけど……。音なんて鳴ってたっけ? 俺全然気付かなかった……」
「はぁー。お前大丈夫かよ」
オーウェンは盛大に溜息を吐く。最早呆れているようだ。怒られないで済むなら助かるんだけど。
「それで、早起きしてスープ作りか。こんなに作ってどうするつもり」
「うーん、どうしよう」
「目的も無しにこれだけの量を……。キース、最近どうしたんだ」
「あはは、だよねぇ。変なのは自覚してるんだけどさぁ」
眼鏡を曇らせながら土鍋の前で中身を見ているツエルを前に、俺は力なく笑う。
あの日から自分がおかしいことは分かっていた。彼女のことを考えていると時間があっという間に過ぎているし、少しの物音でも彼女がいるように錯覚する。夜は寝付けないし、朝は早く起きてしまう。考えないようにしても、ふとしたことでまた彼女の顔が浮かんでくる。
こんなに誰かが気になることは今までなかった。そして厄介なのが、日に日に興味が増していることだ。好みでも何でもない女の子に、これだけ感情を揺さぶられるなんて。こんなの、今までの俺じゃない。
「おっくん、一発殴ってよ。頭とか頬とか」
「なんだ、気味が悪いな。断る」
「えーいいじゃん! いつもはヘラヘラしてムカつくとか言って殴ってくるのにー!」
嫌悪感を隠さずこちらを見るオーウェンに、縋るような視線を送る。彼の眉間の皺がますます深まった。
「自分からそんなこと言うような奴じゃないだろ。お前本当、この一週間で何があったんだ」
「名前しか知らない女の子と一晩過ごした」
「最低だな」
「本当、最低だね」
二人の冷めた視線が痛い。二人の想像している状況は何となく分かるし否定したいが、何を言っても無駄な気がする。
彼らがちゃっかりスープを大きな器に取り分けているのも見過ごすしかない。
「しかし、女性と一晩は今に始まったことじゃないだろう。なんでまた、そんな上の空に」
「俺が知りたいくらいだよ。物凄い好みとか、そんな子じゃなかったんだ。ただ、今まで出会ってこなかったタイプだっただけで……」
「ほぅ。どんな女だったんだ」
何の断りもなく椅子に着席してスープを食べ出す二人を前に、俺は壁にもたれて天井を見上げた。
「大きめの丸眼鏡に癖っ毛を三つ編みに結んだ冴えない子。恋なんてしたことありません、みたいな真面目そうな感じだった。あと、汚れを知らなそうだったなぁ。口説かれても気付かなそうだし」
そう言いながらピュアナの姿を思い返す。
路地裏で会った時の怯えるような眼差し。それが別れる時には無垢な笑顔になって、とても嬉しかった。裏のない言葉の数々もまた、俺の心に沁みた。
その全てが甦るたびに、胸の奥がふわっと温かくなる。
「何より、彼女が言ってくれる言葉が俺の中に響くんだよ。嬉しいとか美味しいとか、下心がないのが分かるから、俺も素直に喜べたっていうかさ。その子ともっと一緒にいたいと思えたんだ」
「それでその女性と別れた後から抜け殻になったわけか。大方その女性に惚れてしまった、ってところだな」
「惚れ、た……? 俺が……⁉︎」
思わず目を見開く。
惚れた。それはつまり、誰か一人に特別な感情を抱いたということだ。
遊び人の自分に、愛だの恋だのは必要ないし、面倒くさい。そんな自分が、まさかあの冴えない子に惚れてしまったというのか。
「ははっ! こりゃ傑作だな! キースが一人の女に惚れちまったとか! アテラに陽が差すくらいありえねーと思ってたんだが、くくっ」
「お、俺がそんな、恋愛なんてっ! ないない! だってたくさんのレディと遊ぶ方が楽しいし、ましてやあの子が相手なんて……」
そこまで言った時、ピュアナの言葉がこだました。
『本当に毎日キースさんのご飯を食べられたら、きっと幸せですね』
『ピュアナ・マキア。多分十六歳の、普通に憧れるアテラ人ですよ』
『さようなら、キースさん』
ぎゅうっ。心臓を握られたような痛みを胸に感じる。
なんでこんなに苦しいんだろう。なんでこんなに、苦しんだり温かな気持ちになったりしているんだろう。
「俺は……」
「認めた方が楽になるぞ、キース」
「くっふふ……そうだな、これを機に女遊びはやめるんだな」
胸を押さえていると、ツエルが生暖かい目でこちらを見ていた。オーウェンなんて腹を抱えて笑いを堪えている。
この腐れ縁共ときたら……。絶対楽しんでる。俺は全然楽しくなんかないのに。他人事だと思って……。
でも、確かにこれはもう認めざるを得ないと思う。ピュアナのことが気になってしょうがないのも、もう一度会いたいのも全部、彼女に惚れてしまったからだということを。
「つっくんはさ、やっぱり博識だよね。リマナセに就職なんてもったいないよ」
「なんだ急に。学園がそれなりの条件で提示してきたんだ。断る理由はなかろう」
「首席様のお考えは理解できないや」
「……キース。吹っ切れたな」
眼鏡を光らせフッと笑うツエル。話を逸らしたつもりが、やはり彼にはお見通しのようだ。
「やっぱり分かる?」
「嫌という程同じ時間を過ごしてきたからな」
「あはは、敵わないなぁ。まぁでも、おかげでスッキリしたよ。あんがとね」
ツエルの肩をポンと叩き、俺は徐に自分の髪を束ねる。
髪を結う時は気合いを入れる時だ。この感情を認めた今は、もう心にブレーキをかける理由がない。探そう。そして、彼女が何処にいるのか、何者なのかを、自分から知っていこう。
「おっくん。悪いけど、今日は用事ができたからトレーニングに付き合えないや。つっくんにでも付き合ってもらって」
「おぉそうだな。たまにはツエルと手を合わせるのもいいな」
「何……っ⁉︎ 私はただキースのところに行くから来いと言われて来ただけで、オーウェンのトレーニングには」
「ほれ、行くぞ」
「待て! おい、ちょっ」
がしりと首根っこを掴まれたツエルがオーウェンに引き摺られる様を、俺は半笑いしながら見ていた。ツエルの黒いオーラにも気付かないふりをする。
「じゃキース、せいぜい頑張るんだな。弱音吐いたらすぐぶん殴りに来るぞ」
「はは、殴られないよう気をつけるよ。じゃ、つっくんをよろしくね〜」
「任せとけ」
「おのれキース恩を仇で返すとはこういうことだぞ」
こうして何をしに来たか分からない二人は、スープを食い荒らし(主にオーウェンだが)コントのように去っていった。ゴリマッチョのオーウェンにひょろっとしたツエルが吹き飛ばされるのかと思うと、少しだけ申し訳ない気にもなった。
「……さて、俺も行こうかな」
置かれたままのスープ皿を片付け、俺は鞄を取る。
行くとは言ったが、何処にも当てはなかった。何せ、彼女のことは名前と年齢しか知らない。そんな中で彼女を探すなんて途方もない。
でも、ジッとしていられない。やってみないと何も得られないんだ。街ですれ違う可能性もあるし、まずは行動しないと。
「うわ、寒っ」
外に出ると、あの日と同じく星が空に輝いていた。地面には雪も積もっている。あの日と違うのは、遠くの方でまだツエルが引き摺られていることくらい。
あそこのツエルのように、誰かに捕まっていなければいいが。こっそり渡した御守りが、彼女を守ってくれるはずだけど。
「どうか、元気でいてね」
最後に見たピュアナの顔を思い出して、胸が締め付けられる。
あの寂しげで儚いその笑顔を、幸せたっぷりの笑顔に変えるんだ。
俺はそう心に決めて、どこまでも続く星空の下、彼女ともう一度会うための一歩を踏み出した。




