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キース編① 「……ご飯、ある?」

 彼女と出会ったのは、リマナセを卒業する少し前だった。

 その頃の俺は既に有名企業への就職が決まっており、社会人になるまでの最後の期間を遊んで過ごしていた。


 その日も遅くまで友人と飲んだ俺は、借家に帰ろうとしていた。

 普段は素通りする、繁華街の路地裏。泥酔した人や裏社会の人々が居座っている筈のそこに、彼女は一人で膝を抱えて座っていた。


「レディがこんなところで一人ぼっちで何してるの?」


 なんとなく気になり声を掛けると、その子はビクリと反応する。怯えた目でこちらを見る彼女の姿は、酷い有り様だった。

 淡いピンク色の長い髪や服は乱れ、丸眼鏡の奥には虚ろな目。体に傷がないことから、自分で回復したのか、性的暴力を受けたのか、どちらかだと容易に想像できた。


「俺はキース。リマナセの学生だよ。君は?」

「……アテラ人」

「あ、うん、俺もアテラ人だよ。名前は……まぁいっか。レディが一人でここにいるのは良くない。変な人に絡まれかねないから、せめて場所を変えよう」


 なるべく愛想の良さそうな表情をつくる。彼女からしたら、自分も十分変な人だ。しかし、その身なりを見てしまった以上、彼女をここに放っておく訳にもいかない。


「どこに行くの」

「えっと、嫌じゃなければ俺の家はどうかな。一人暮らしだから誰もいないよ」

「……ご飯、ある?」

「ああ。家にあるもので良ければ食べていいよ」


 自分でも分かるくらい胡散臭い笑顔をしている俺に、彼女は探るような瞳を向けてくる。

 かなり慎重になっているみたいだ。誰かに追われているのだろうか。

 その間、彼女の身体は震えていた。よく見るとボロボロの服はかなり薄手のようだ。恐怖もあるだろうけど、この寒空でその格好では、震えるのも当然だろう。


「その格好じゃ寒いでしょ。俺が着ていたやつで申し訳ないけど、これどうぞ」


 そう言って俺は着ていたロングコートを差し出す。しかし彼女は受け取ろうとしなかった。


「やっぱり怖いよね。じゃあこれ、ここに置いておくから。それと、家の地図書いておくから、良かったら来て」


 手帳のページを破り、簡単に地図を書いてコートと一緒に彼女の前に置く。怯える彼女にこれ以上接していては逆効果だと感じたからだった。

 俺は寒さを感じつつ歩き出す。コートの下は普通のシャツだったため、風が吹くと外の冷たさが身に沁みた。酒のせいか、トイレも近い。早く帰って用を足そう。

 そう思った俺の足は急ぎ気味になっていた。


「あの、待って」


 しかし、後ろから聞こえたか細い声に足が止まる。振り向くと、自分のコートを着た先程の彼女が立っていた。


「お兄さん、危ない人じゃなさそう。私、何日もご飯食べてないの。本当にご飯くれる……?」


 深くフードを被る彼女は上目遣いでそう訊いた。手の届かない距離を保つ様子に、警戒心を解けきれない事情を感じる。


「ああ、もちろんさ。温かい食事とお風呂を用意するよ」


 そんな彼女に俺は出来るだけ優しい笑顔をつくった。警戒するのは仕方ない。でも少しでも安心してほしい。

 すると、フードから少しだけ彼女の笑顔がのぞく。普通の女の子の、普通の笑顔だった。


「よし、じゃあ行こうか、お姫様」


 歩き出すと、彼女も一歩後ろからついてきた。その小動物のような姿を確認しつつ、俺は寒さと戦いながら借家への道を進んだ。

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