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② 「うちの子に触るなぁぁ‼︎」

「サン、起きて!」


 次の日、ボクは母さんの緊迫した声に起こされた。

 いつもの医療バッグを背負う母さんの顔には、焦りが伺える。


「どうしたの? そんな怖い顔して……」

「この家はじきにやられる。すぐに母さんと逃げるよ」

「え、どういうこと? 何が」


 言いかけた時、外から悲鳴が聞こえた。

 ボクは外を見る。そこには血を流して倒れる人、燃える家、それに全身真っ黒の見たこともない生物がいた。

 脳内で非常ベルが鳴る。


「これって」

「考えている暇はないよ。地下療養室なら入口は分かりにくいし、ある程度の食料、医療品もある。外は危険だけど、ここにいても同じだ。さ、行くよ」


 そう言って母さんはボクの手を引く。

 地下療養室は、末期の病気の人を家族ぐるみで看病できるように作られた場だ。しかし、感染症の人を隔離したり、大規模な火災が起こったりした際の避難場所としての機能も持ち合わせていた。

 おそらく、今回の件も想定して作られているのだろう。そこなら確かに安全かもしれない。

 母さんについていくべく走り出す。が、ボクはすぐに立ち止まった。


「待って! ボク、これ持っていきたい」


 父さんの絵と共に置いてある汚れた短剣。ボクはこれをどうしても持っていきたかった。


「そうだね。 父さんも一緒に逃げようか」


 母さんは一瞬躊躇ったようだが、すぐに受け入れてくれた。

 こうしてボクと母さんは、生まれた時から住んでいた家を出る。直後にそばまで迫っていた炎が家を包んでいったが、惜しむ暇もなくボク達は戦場を駆け抜けた。


 地下療養室に着くまでに、街の大人達が何人も転がっているのを見た。彼らの目には光がなく、まるで絶望を見たかのような表情をしていた。

 途中にあるライムの家も、モモの家も、どちらも燃えてしまっていた。モモの家のそばには、ボクと同じくらいの体型の、焼け爛れた人間が倒れていた。きっとモモだと思った。けれど、ボクは怖くて顔を確認することも、声を掛けることも出来なかった。

 そんな惨状を目の当たりにしても、泣くことは出来なかった。歯を食いしばり、母さんについていくので精一杯だった。

 そしてようやく地下療養室に着く。しかし、そこにも壮絶な光景が広がっていた。


「ミツキさん、良かった来てくれて! お願い、うちの子を治して!」

「ミツキさん! ママが死んじゃうよ! 助けて!」


 さほど広くない地下室には、身体から流血している人はもちろん、武器が刺さったままの人、腕が潰れている人などたくさんの負傷者がいた。中には既に息絶えている人もいる。


「覚悟はしていたけど、こんなに凄まじいことになっているなんて……。サン、地下室の薬品棚は分かるね。そこからあるだけの薬や包帯を持ってきて!」

「わ、分かった」


 母さんはそう言いながら、火傷や骨折など、補助魔法で治せる人から優先的に診ていった。

 ボクも停止しそうな頭を何とか回して、薬品棚へと向かう。いつもなら真っ直ぐ歩くだけで着くのに、負傷者がこれだけいるとそうもいかなかった。


「よし、これを持っていけば」

「その声、サン……?」

「そうだけど……え、ライム……?」


 言われたものを引き出しごと持つ。すると、近くから幼馴染の声がした。

 その方向に顔を向けると、頭から血を流しながら肩で息をするライムが座っていた。彼はボクに気付くと弱々しく笑った。


「サンは何ともなさそうだな。はは、オレなんてこんな、カッコ悪くなっちゃったよ」

「そんな、大丈夫だよ! 頭殴られたの? でもこのくらいのケガ、母さんに治して貰えば」

「そうだな、このくらいなら……」


 言いながらライムは横に倒れる。ボクは引き出しを置いてライムの身体を起こそうと背中に手を回した。

 その時、ぬるりと何か生暖かいものが手につく。


「え……? ウソ、こんな……」

「はぁはぁ、ど、したんだよ、そんな顔して……」

「ライム待ってて! 今ボクが手当てするから!」


 ボクは震える手を抑えながら、引き出しから処置用水やガーゼ、包帯を出す。

 ライムの背中は何かに引っ掻かれたように肉が抉れていた。あの異星人に襲われたのだろう。

 血が滴るそこを処置用水で洗い、濡らしたガーゼを当てながら身体に包帯を巻いていく。その間ライムは身体を丸め、荒く呼吸をするのみだった。痛みすら訴えない様子に、ボクはますます危機を感じる。


「ライム、ボクの声聞こえる?」

「なんだよ、当たり前だろ……。それよりいいのかよ、それ、持っていかないと、なんだろ……?」

「でも今のライムを一人には出来ないし」

「オレ、そんなにヤバい……? オレ、死ぬのかな……」

「そんなことない!」


 死ぬ、というワードにボクは敏感になってしまった。

 ライムにはいつもの調子で、こんなのへっちゃらだ! と言ってほしかった。けれどもうそんな事も言えないくらい、自分の状態を察しているのかもしれない。

 ライムのような怪我人ばかりのこの状況では、施せる処置には限界がある。こうなった時、ボクはどうすべきかを、母さんから学んでいる。


「なら、早く行けよ……。街のみんな、が、ミツキさんの助けを、待ってる……んだから」

「ライム……」


 黒の人間、つまり助かる見込みのない人は、一番後回しだ。


「ごめんね、また戻ってくるから! だから絶対寝るなよ!」


 非情な決断だった。幼馴染に何も出来ない自分を恨んだ。

 もしもボクが母さんのような補助型だったら、せめて傷をふさぐ事は出来たかもしれないのに。

 ボクがホロウじゃなかったら、異星人が来た時に街のために何か出来たかもしれないのに。


「母さんお待たせ。いろいろ持ってきたよ」

「ありがとね。あとはアタシが……って、サン、どうしたの?」

「え? な、何でもないよ」


 母さんのところに戻ると、目が合ったところですぐに心配そうな表情をされた。

 ライムのことで暗い顔をしていただろうか。


「……そう。なら、これを持って軽傷の人を見てきてくれる? ガーゼに薬液が染みてるから、これで傷を覆ってあげて」

「わ、分かった」


 トレイには液体に浸るガーゼが十数枚あった。簡単な擦過傷や火傷ならすぐに治る、母さん特製の薬液だ。

 もしかしたら、これであの傷を少しでも治せるのでは。

 ボクは期待を込めて真っ先にライムの元へ戻っていく。


「ライム! 母さんの薬持ってきたよ!」


 しかしライムからは何の反応もなかった。忙しなく動いていた肩も動いておらず、ボクが処置して壁に寄りかからせたままの状態で目を閉じていた。


「ねぇライム、起きてよ。……ねぇ、寝るなって言ったじゃん! ライム‼︎」


 いくら呼び掛けても返答はない。

 当然だ。だってライムは、もう生きていないのだから。


「クソォッ! ボクは、ボクはっ……!」


 熱い中で死んだモモ。必死に逃げてきたのにその甲斐なく尽きたライム。

 その他にも、大勢の人が傷つき、死んでいった。

 今までずっと平和だったのに、どうして急にやってきた異星人に全てを壊されなければならないのか。


 ……そんなの、子供のボクに分かるわけない。


 ボクはライムの亡骸を前に立ち尽くしていた。

 手元には、薬液に浸かったガーゼ。そして視界に入るのは、たくさんの苦しんでいる街の人。

 その人達を助けなければ。そう思っていても、足が動いてくれない。


「ごめんね、モモ、ライム。ボクがホロウじゃなかったら……」


 視界が歪んでいく。

 悔しい、悔しい。

 その思いばかりがボクの頭を埋めていく。


 その時。出入り口の辺りから大きな音がした。同時にあちこちから悲鳴が沸き起こる。


「な、に……?」


 ボクは顔を上げる。すると、出入り口の階段を黒い異星人が下りてきているのが見えた。

 そいつは二俣の槍のような鋭利なものを持ち、動けない人を次々と刺していった。血飛沫があがる様子に、ボクは恐怖を感じる。


「あ、やだ……なんだよこれ……」


 それは、惨劇なんて言葉では表せないくらい壮絶な光景だった。

 無残に殺されいく、母さんが治療してきた人々。なんとか避難してきた妊婦、老人、子供達。その異星人は、皆殺しと言わんばかりに手当たり次第刺していった。


 逃げなければ自分も殺される。そう思うが、足がすくんで一歩を踏み出せない。


「くそっ、動け、動けよボクの足っ!」

「ギ、ギェェェエェ‼︎」


 動けないでいると、咆哮のようなものが聞こえた。

 見ると、異星人の身体中に何かが刺さり、赤黒い液体を流していた。少し離れたところには、怖い顔をした母さんが立っている。


「何の罪もない街の人たちをこんなに無惨に殺して……っ、お前達は何をしに来た!」

「ア、ヴァァ……、ロス、コノマチノ……スヲ、コ、ロス!」

「っ! それだけでこんなに大勢の人を巻き添えに……」


 所々聞き取れないが、黒の異星人は街の誰かが標的のようだ。それを聞いた母さんには、強い怒りが見てとれた。


「これ以上街の人は殺させない。お前はアタシが排除する‼︎」


 言いながら母さんは腕を横に振るう。すぐに異星人から血が吹き出た。

 何が起きているのかよく分からなかった。ただ、よく見ると母さんが持っているものが見えた。

 あれは医療用のメスだ。いつか母さんが言っていた。人体を切るのにメスほど切れ味のいいものはないと。


「オマエ、イ……ヲシッテイル、カ」

「お前ら、差し詰めあいつの手下ってところか。……次はうるさいその口だ」


 そう言って母さんは顔と思われる部位にメスを投げつける。頭や頬の位置にそれが刺さるが、異星人はそれでも槍を振り回していた。


「コノマチ、コワス!」

「っ、これだけやってもまだ立っているのか」


 止まらない異星人に苦戦する母さん。

 体の至る所にメスが刺さってはいるものの、致命傷になっていなかった。しかし、異星人相手に急所など分かるはずもない。

 どうすれば異星人を倒せるのか。

 必死に頭を動かしていると、母さんと少しだけ目が合った。

 逃げろ。そう言っているような目だった。


「いやだ……ボクも母さんと戦いたい……!」


 ボクが小さく言うと、それが聞こえたのか異星人がギロリとこちらを向いた。漆黒の闇のようなその瞳がボクの恐怖を煽る。


「ギ、ギギギギ! オマエ、コロス!」


 大きく口角を上げ、異星人はひと蹴りでボクの目の前にやってきた。そして二俣の槍を大きく振り上げる。

 それでもボクは悲鳴すらあげられない。


 ああ。ボクはこのまま死ぬんだ。痛いかな。怖いな。でも、死んだら父さんに会えるかな。


「うちの子に触るなぁぁ‼︎」


 死を覚悟したボクの目の前に、必死の形相の母さんが立ち塞がった。

 母さんは胸を貫かれ、膝をつく。ボクの顔に、べっとりと母さんの血が付着した。

 それでも母さんは立ち上がった。胸の槍を引っこ抜いて、相手の顔を目掛けてその槍を振りかざす。目をやられたそいつは倒れた。そして同時に、母さんも崩れ落ちる。


「母さん! 大丈夫⁉︎」

「ぐぅっ……、サン、この街はもうダメ。だから逃げなさい。逃げて、生きるの。サンなら大丈夫。だってあなたはアタシの自慢の子だもの」

「待ってよ! 傷に補助魔法をかければ治るでしょ! あぁそうだ、ガーゼで傷を覆えば」

「サンも知っているでしょう。補助魔法は開いた傷を閉じたり、骨などの位置を元に戻すことしかできない。ましてやガーゼじゃ……。それにこの出血量、傷を塞いでも遅いよ」

「それならボクがなんとかするから! だから母さん、ボクを一人にしないで」


 胸が真っ赤に染まる母さんを見て、涙が溢れた。医療師の母さんに付き添ってこれまでたくさんの人を見てきたボクには分かっていた。赤い血がたくさん流れると、人は死んでしまうことを。

 このままでは母さんが助からない。こんなことで母さんと別れるなんて嫌だ。どうにかしなくては。


「サン‼︎」


 その時、母さんの大きな声が地下室に響いた。思わず怯むと、すぐに母さんは微笑む。


「アタシはサンに生きていてほしいの。今は一人になるかもしれないけど、いつか必ずあなたを支えてくれる仲間に出会える。あなたはアタシが育てた子だもの。どんな困難でも必ず乗り越えられるよ」


 汚れていない方の手でボクの頬を撫で、母さんは力強くそう言った。


「嫌だ、嫌だよ母さん」

「ゲホゲホッ!……いい、サン。これだけは覚えておいて。あなたの名前は、全てを照らし恵みを与える温かな光。いつかその意味が分かる人に出会ったら、その人のこと、大切にするんだよ」

「なに、それ……。分からない、母さんに教えてもらわないと分からないよ……」


 涙で視界は歪んでいた。それでも、母さんの優しい眼差し、そしてその瞳が徐々に閉じていく様子ははっきりと見えた。


「愛してる、アタシの愛しい息子。た……ぅの、子」


 頬を撫でていた手がパタリと落ちる。その青白く綺麗だった手も、床に広がる紅で染まっていった。


「母さん? 嘘、だよね……? そうやってボクの反応を見ているだけだよね……」


 どんなに声を掛けても、揺すっても、それ以上母さんは動かない。

 ポタポタと、母さんの胸の上に大粒の雫が落ちた。


「母さん、目を開けてよ! ねぇ母さん……かあさっ……う、うわぁぁあぁぁ‼︎」


 母さんが死んだ。逃げられなかったボクをかばって。

 全部全部、ボクのせいだ。

 そうだ。ボクがホロウじゃなかったら、こんなことにならなかったんだ。


 その思いがボクの心を冷たく蝕んでゆく。けれど、死体ばかりの室内には、ボクを慰める者などいるはずもなかった。

 まだ温かな母さんの腕をぎゅうと抱き締めると、行き場のない感情が溢れ出す。

 父さんの短剣がポケットから落ちるのにも気付く余裕などない。


 こうして地上の音も届かない地下室に、ボクの泣き声だけが響き渡った。

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