⑤ 「私、負けないから」
キースの秘密を知ってから数日が経った日の夕方。夕食準備をしようとしていた矢先に突然玄関のチャイムが鳴った。それに反応したソフィアが、パタパタと玄関に駆けていく。
何かと思っていると、女性の声が近付いてきた。
「お招きありがとうございます」
「こっちこそ、買い物ありがとう。さ、先生も一緒にこちらへどうぞ」
「おー、ありがと。お邪魔します」
何処かで聞いた声だ。まさか……。
そう思っている内に、ソフィアが北条親子を連れて居間に入ってくる。僕がその二人をポカンと見ていると、咲夜と目が合った。とりあえず急いで会釈をすると、彼女も頬を染めつつ勢いよく頭を下げた。
「あの、ソフィア。これは」
「ああ。咲夜さんと恵美先生を夕食に招待したんだよ」
「聞いていませんよ。今日の夕食当番僕ですよ。人に出せる程の料理なんて出来ませんって」
小声でソフィアにそう伝える。
自分は最小限のものしか作れない。来客があると知っていれば、もう少し準備していたのに。
「そうだっけ。ごめん、忘れてた!」
「勘弁してくださいよ……」
両手を合わせてそう言うソフィア。悪気はないようなので、それ以上責めることは出来なかった。
「とにかく今からメニューを考えます。冷蔵庫をチェックして……」
「あの!」
その時後ろから咲夜が声を掛けてきた。何故か彼女は張り切った顔をしている。
「宜しければ私に夕食を作らせてください。ご馳走になるだけでは気が済みませんので」
「でも咲夜さん達はお客さんだし、買い物もしてもらったし……」
「いいのよ。この子、最初からその気で食材選んでたし」
恵美も加勢してくる。
そういえば、図書館で会った時に料理を勉強中だと言っていた。自分としては、客人に料理を振舞わなくていいという利点もある。願っても無い申し出だ。
「先生方はこう言っていますし、いいんじゃないですか。僕も咲夜さんの料理、食べてみたいです」
「本当ですか!」
「うぅ……篤志がそう言うなら」
ソフィアも渋々了承する。対照的に咲夜は輝いた瞳をしていた。
自分も夕食当番を免れて内心安堵する。
「じゃあ包丁とかの場所説明するから、咲夜さん台所に」
「はい!」
こうして二人は扉を隔てた向こう側へと姿を消す。楽しそうな声だけがこちらに聞こえた。
「ごめんなさいね、気を遣わせて」
恵美が苦笑しながら言う。
「いえ。前に会った時、料理を勉強していると言っていたので」
「そうそう、家でもよく作ってくれるの。最近は和食が多いんだけど、篤志さん何か言いました?」
「好きなものを聞かれたので、どちらかと言えば和食とは言いましたが」
「それでか。ははーん、やるねぇ」
今度はニヤニヤとしながらこちらを見ていた。一体何だというのだ。
「まぁこれからも仲良くしてあげて。あの子男友達いないのよ」
「はい、もちろんです」
そうして時折意味ありげに笑いながら暫く話をしていると、玄関が開く音がした。
「ただいまでーす! あれ、お客様ですかぁ?」
「見慣れない靴だな」
二人分の声は、居間へと近付く。
「お、篤志が女連れてる」
「こんにちはぁ! でもお邪魔のようなので失礼しまーす」
「待ってください! この方はソフィアの担任の先生ですよ!」
閉まろうとする扉を寸前のところで止め、ニヤついているレオンとサンに説明する。しかし、サンはまだ信じていないようだった。
「篤志さん、年上が好みなんですね」
「違います! 彼女は何というか……実は地球人だった時の知り合いなんですよ」
小声でそう言う。二人には恵美との関係を明かしてはいなかった。しかしこう茶化されては言わないわけにはいかない。
「あ、初恋の人ですか」
「ガン」
「いたたっ! ごめんなさい!」
それでも突っかかるサンに、静電気程度の痺れを浴びせた。これでおとなしくなるだろう。
「あはは、皆さん仲が良いんですね。アタシはソフィアさんの担任の、北条恵美です。今日は夕食に招待されてここに来ました。よろしく」
恵美が立ち上がり、扉付近でやりとりしている僕らに自己紹介をする。彼女はサンに手を差し出していた。
「あ、ボクは陽太です。ソフィアさんの先生でしたか、失礼しました」
彼も愛想良く握手をする。
「随分しっかりした子ね。君も寮生なの? 小さいのに大変だね」
「ボクは十四歳です!」
「そうなの? 可愛いからつい。ごめんね」
「ぐぅ……」
機嫌をとるかのようにサンの頭を撫でる恵美。サンは頬を膨らましているが、どことなく嬉しそうだ。
「まだ母ちゃんが恋しい年頃だもんな」
「ち、違うもん!」
「無理すんなって。あ、俺は礼音です。飯と筋トレが命の、こいつの幼馴染っす」
レオンは僕を指差し、陽気に笑いながら言う。そして恵美に見せるかのように二の腕を捲って力瘤を作ってみせた。
「すごい! 身体もがっちりしていていい筋肉! ステキだなぁ」
「お、先生とは気が合いそうだな」
恵美もペタペタとレオンの身体を触る。
そういえば彼女はマッチョ体型が好きだった。今もそれは変わらないのか。
簡単にそれぞれの紹介を済ませた頃、台所から出汁の香りが漂ってきた。
「わぁ、いい匂い。お腹空きますね」
「そういや今日はお前が当番じゃなかったか」
「あぁ、今日は咲夜さんが作ってくれていますから」
「何で咲夜さん?」
レオンとサンが同じ事を言う。そういえば、客が二人と言うことをまだ伝えていなかった。
「咲夜はアタシの娘なの。この前は実家で皆さんの世話になったみたいで、ありがとうございました。その時夕食に誘われたことも聞いたよ。それなら手料理を振る舞ったらって、アタシが言ったの」
「そうなんですか! 確かに咲夜さんと顔似てる……。でも咲夜さんはもっとおしとやかで」
「言うねー! ヨータ君くらいの生意気さ、好きだぞー!」
「わっ! もー……」
また頭を撫で回され、サンの頭は乱れていた。しかし、怒ることなくされるがままになっている。恵美も楽しそうだった。
その微笑ましい光景を見ながら僕達男二人は椅子に座る。
「もうすぐキースさんも来るでしょうし、僕らはのんびりしていますか」
「そうだな。
……ところで篤志。確か咲夜さんって、父親は亡くなったって言ってたよな。ってことはセンセーも」
「独り身だと思いますが」
レオンが腕を組んで真剣な表情で言う。
次の言葉に、あまりいい予感はしない。
「俺、イケるかな」
「何言ってるんですか」
「センセー美人だしおっぱい大きいし。それで筋肉好きとかサイコーじゃね?」
「三八歳ですよ」
「問題ないな」
「そうですか……」
僕は額を押さえる。自分の彼女への感情が、というよりも、その単純な思考に呆れたという方が正しかった。
「……勝手にしてください」
「おう。サンキュー!」
レオンは小さくガッツポーズをとる。自分はこれ以上は言い返す気にもなれなかった。
そんなやりとりをしていると、台所からソフィアが顔を出した。
「そこの男達、お皿準備して」
「はーい!」
真っ先にサンが台所へと入る。自分も席を立った。
「礼音は先生とお話していてください。客人を一人で残すのも悪いですから」
「っしゃ! 任しとけ!」
そして、レオンを残して台所に行く。既に料理は終わっており、咲夜が電気釜を開けていた。
僕は置いてあるメニューを確認する。
コンロには出汁の香り漂う味噌汁に肉じゃが。その横にはお浸しやぬか漬け。そして釜には炊き込みご飯があった。まさに和食の中の和食といったところだ。
サンが用意した皿にソフィアが盛り、それを僕が運ぶ。この流れを繰り返し、食卓にはいつも以上の皿が並んだ。
その間にキースが帰宅し、居間には北条親子を含めた七人が揃う。
「じゃあみんなで、せーの」
「いただきます!」
その日の食卓はとても賑やかだった。
キースの口説き文句、レオンと恵美の大笑い、ソフィアと咲夜の女子トーク。温かな食事を囲んでの場には、笑い声が絶えなかった。
咲夜の手料理も、あっさりしている中に上品な旨味があり、とても美味しかった。それを彼女に伝えると喜んで、また勉強したら食べてほしいと言われた。努力を惜しまない姿にはとても好感が持てる。
デザートのわらび餅も、黒蜜との相性が良く絶妙な甘さだった。
こうして夜は瞬く間に更けていき、既に二一時を過ぎていた。
サンのあくびの回数が増えてきた頃、キースが誰かとの電話を終える。
「じゃあ俺、この後出掛けてくるから」
「え、この時間にですか」
「この時間にしか行けないところ、あるでしょ」
「……自力で帰ってきてくださいよ」
上機嫌にそう言ったキースは、財布とスマートフォンのみ持って席を立つ。
「あ、もう遅いし、なんなら咲ちゃん親子は泊まっていっていいからね。部屋と布団はあるし」
「いえ、アタシ達はそこまで」
「でもソフィアとヨータは乗り気みたいだよ。じゃ、後のことは篤志頼んだよー」
「そんな無責任な……」
ヒラヒラと手を振り、キースは夜の闇へと消えていった。
全てを任された僕は途方に暮れる。
「咲夜さん、是非泊まっていって! 私まだ話し足りないもの!」
「ではボクは部屋の準備してきます」
「俺は風呂掃除しとくぞ」
「え、あの!」
そんな僕と北条親子を差し置いて、話はどんどん進んでいく。
親子は急な誘いに戸惑っているようだったが、しばらくして恵美がニッと笑って言った。
「ま、夏休みだしね。篤志さん、今夜はお世話になりますね」
咲夜も驚いていたが、母の言葉に続いて頭を下げた。
どうにかまとまり、内心ホッとする。
「さて、何もしないのも悪いし、アタシは洗い物するよ。咲夜は篤志さんと喋ってて」
「えっ、私もやるよ」
「いいから! ほら!」
そう言って咲夜の肩を叩き、彼女は台所に行ってしまう。
居間には、自分と咲夜の二人だけが残った。
「えっと、ソフィア達が強引に誘ってしまいすみません」
「いえ! 人の家に泊まるのなんて小学生以来なので、少し楽しみでもあるんです」
少しだけ距離を取りつつも、咲夜は嬉しそうにしていた。
「それにしてもキースさんは何処に行ったのでしょうか」
「ああ、大人の遊び場だと思いますよ」
「大人の……」
何を想像したのかは分からないが、咲夜はポッと頬を染める。反応が初々しい。
「篤志さんも大学生ですし、合コンとか行くんですか?」
「僕はそういう場は苦手なので」
「では彼女さんって」
「いませんよ」
そう返すと、咲夜の顔には期待の色が伺える。しかし、すぐに何か思ったようで、質問を続けた。
「では、好きな人は」
「それは……」
「えっ、いるんですか」
「いや、あの」
思わず言葉に詰まる。今の自分にはそう思える人物はいないが、前世では色々あったのだ。その娘からの質問とだけあって、身体が緊張してしまったのだろう。
しどろもどろになっていると、廊下側の扉が開いた。そこには、どこか怒った様子のソフィアが立っている。
「咲夜さん、部屋の準備出来たよ。服も私のを貸すからちょっと来て」
「あっ、はい」
そんなソフィアに少し怯みつつも、咲夜は廊下に出て行く。名残惜しそうに僕を見ていた気がしたが、僕はこれ以上の追求を免れ内心安堵していた。
一人になった僕は、台所から聞こえる食器洗いの音をなんとなく聞いていた。その時、フと恵美の鞄についたキーホルダーが目に入る。それには見覚えがあった。
「何でこんなものを……」
所々塗装の剥がれているそれを手に取る。
あの日自分の手で渡すことが出来なかった、恵美の誕生日プレゼント。まさか本人の手に渡っていたとは。
ぐっと胸が締め付けられる。
「恵美、僕は君のことが」
こんなにボロボロになっても捨てずにいてくれたことが、嬉しくて、悲しくて、切なくて。
様々な感情が、過去の自分を責め立てる。
それを全て手のひらに込めるように、僕はボロボロのキーホルダーを握った。
扉が開いていることも忘れるほどに、強く、強く。
その頃廊下では、階段を上るソフィアの後を咲夜が続いていた。ソフィアのピリついた様子から、咲夜も何かを察する。
階段を登りきったところで、徐にソフィアが振り向いた。
「咲夜さん、あのね」
大きく深呼吸をして気持ちを鎮める。そして清々しい笑顔で宣言した。
「私、負けないから」
咲夜は驚きつつも、どこかでやはりかと思う。ソフィアの彼を見る目は、いつだって愛しい人に対するものだったのだから。
けれど、それは咲夜も同じだった。
彼女もまた一息置き、爽やかに返す。
「私だって負けませんよ」
二人の間で静かに火花が散る。
こうして互いをライバルだと認め合った二人の戦いが、密かに幕を開けたのだった。




