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④ 「君は彼女の知り合いみたいだし」

 菓子の袋や食べカス、缶ジュースが散乱する室内の奥に、それは鎮座していた。大きなモニターの両側に小さなモニターがついているそれの電源を入れると、駆動音が室内に響く。


「篤志、君は部屋の中を物色してみて」

「え、いいんですか。一応人の家では」

「大丈夫。もうここの住人はいないんだから」


 我が物顔で椅子に座るキースに促され、渋々辺りを探る。しかし、狭い室内には最低限の生活用品しか見受けられない。


「パソコン以外は怪しそうなものありませんよ」

「クローゼットとかは」

「ここを開けるんですか……」


 開けるのが躊躇われる。罪悪感というよりは、嫌悪からだった。

 キースの方を向くと、彼は既に起動しているパソコンを操作し始めていた。文字や記号の羅列が画面に表示されているが、自分には全く理解出来ない。

 仕方がないので、覚悟を決めてクローゼットの取っ手を握る。

 ……変な臭いとかしませんように。


 バッと取っ手を引くと、若干の汗の臭いと共にやや広めの空間が現れる。どうやらウォークインクローゼットらしい。


「意外と整理されてますね」


 中を覗くと、スーツや上着などが掛けてある下には衣装ケース、その向かいには棚が置いてあった。ほとんど物は置かれておらず、散らかってもいない。


「やはり変なものは無さそう……ん?」


 物色を止めようとしたその時、隅にちょこんと置かれた箱が目にとまった。よく見ると箱には鍵がかかっている。


「キースさん、これ」

「んー? お、開かないね。これは怪しいなぁ。どれどれ」


 キースが箱を手に取る。全ての面をチェックした後蓋に手をあてがうと、煙と共に金属が溶けるような異臭が立ち込めた。その臭いに思わず鼻を覆う。


「もう少しマシなやり方無いんですか」

「鍵を探すのは手間だからさ。ほら、中身が見えたよ。これは……」


 僕の小言を交わしつつ、キースは箱の中身を取り出す。

 手のひらに乗った黒くて薄いその四角には見覚えがあった。


「なんで今の時代にそれが……」

「これ何なの?」

「フロッピーディスクというものです。現代でいうUSBメモリーみたいなものです。容量が少ないからもう使われていないと思っていたのですが」

「よし、中身を見てみよう」


 揚々とパソコンの前に戻ったキースは、机の下に潜る。しばらくすると、画面に文章が表示された。


「血塗られた聖杯……? 何ですかこれ……」

「見るからに怪しそうだね」


 そこには、赤黒い文字で【血塗られた(bloody)聖杯(chalice)へようこそ】と書いてあり、その下には英字と数字が入り混じった何かが一行に渡って書かれていた。

 なんとも言えない厨二臭さを感じる。


「下の文はおそらくサイトのURLだろう。このままとんでみようか」


 キースがタンとキーボードを叩く。すぐに現れたトップ画面には【血塗られた(bloody)聖杯(chalice)】の文字が大きく表示され、下には規約や会員紹介といったページがあった。


「怪しさの塊って感じだねぇ」

「作った人の感性を疑います」


 そんなことを言いながら、一先ず“目的”と書かれたページをクリックする。

 室内が静寂に包まれる。長い文章を読み込んでいくにつれ、心臓の鼓動が早くなっていくのが分かった。


「キースさん、これって……」

「どうやらこの団体は魔法使いの集団らしいね。これが全部真実だとしたら大変なことだよ」


 見ると、キースもやや険しい表情になっていた。当然だ。ここにはそれ程の事が書いてあるのだから。


「もしかしたら、バルタ人なんかより厄介かも」

「そうですね。これでは地球人同士で大戦争が起き兼ねません」

「それだけじゃないよ。地球でこんな争いが起きたら、アテラの上層部が黙っていない」


 僕は額に手をついて長い息を吐く。まさか、こんな事実を目の当たりにするとは。


「会員紹介ってページも見てみようか」


 そう言ってキースが次を選択する。写真こそ載っていないものの、そこには六人の人物紹介が書かれていた。中には日本人以外の名前もある。


「この中の一人がさっきの彼だとして、あと五人か。みんなあの程度の力なら、俺達でどうにか出来そうだね」

「まさか、全員とコンタクトを取るつもりですか」

「最悪そうなるね。ま、一番上を潰せば簡単に方がつきそうだけど」


 先のことを考えると頭が痛い。バルタ人に続いて“魔法使い”を退けないといけないとは。

 しかし、これもアテラを危機から救うためには必要かもしれない。この謎の団体は、魔法を使用して世界を屈服させようとしているらしい。仮に彼らが地球を支配したら、アテラへのマナの供給が不可能になり得る。それはどうにか避けねば。


「それにしても、彼らはどうやってマナの存在を知ったのでしょう」

「そこまでは書いてなさそうだね。彼らに吐かせるしかないみたい。とりあえず今日はここまでだ。帰ったら俺のパソコンでこのサイトの更新元を特定してみるよ」

「分かりました」


 キースはいつのまにか入れていたUSBを抜き、ズボンのポケットに入れる。そのまま席を立つと、徐に冷蔵庫を漁りだした。


「お、コーヒーがあるね。これを頂こうかな」

「帰らないんですか」

「もう少ししたら帰るよ。その前に、君に話しておきたいことがあるから」


 放られた缶珈琲をキャッチすると、キースに座るよう促される。立ち位置は先程と逆転していた。


「何でしょうか」

「うん、さっきのことでさ」


 缶を開けたキースが壁に寄りかかる。哀愁漂うその様子に、僕はほんの一時間前の出来事を思い出す。

 そういえばあの時も、どこか寂しそうな表情をしていた。


「俺ってさ、本当は自然型なんだよね」

「それは先程のことで分かりました」

「炎しか使えないんだ」

「え、風や大地が使えるってことも」

「ないよ。炎だけ。そのかわりかなり強力なんだ。負けたことがないくらいにね」


 珈琲の香りが室内に漂う。よく見ると彼の持つ缶から湯気が出ていた。なんて便利な力だ。


「昔はよくやんちゃしたよ。俺リマナセの卒業生だけど、演習とか負けたことなかったし。おっくんの筋肉には苦しめられたけど」


 はは、とキースは笑った。昔のことを思い出して懐かしんでいるように見える。


「でもね、俺の人生で一人だけどうしても敵わない人がいたんだ。その人は途方もない力を持っていた。俺なんか簡単に消し炭に出来るくらいの力を」


 両手に珈琲を持ち、キースは目を閉じた。優しそうに微笑む姿は、以前にも見たような気がする。


「篤志、君は俺にイリスの知り合いがいないか聞いたよね。いるよ。俺が敵わなかった唯一の相手、その人こそイリスなんだ」


 彼は珈琲を一口飲み、顔だけこちらに向ける。僕の反応を見ているようだ。


「その人は何処にいるんですか。僕はキースさんと初めて会って握手をしたあの時に、僅かな共鳴を感じました。イリスの方は一体何処に」

「ここにいるよ」


 そう言ってキースは左手を上げる。薬指から、淡い緑色の光が溢れた。


「指輪……?」

「そう。彼女は今、ここにいるんだ」


 優しいその光は、キースの身体を柔らかく包み込む。まるで誰かの意思がそこにあるかのようだった。


「俺が使っていた補助能力は全部彼女のもの。この指輪には彼女の意識が宿っているんだ。その力を借りることで、俺は真実を隠していたってわけ」

「それを知っている人は」

「俺が炎使いってことは同級生なら知ってるけど、全部を知ってるのは本当に俺に近しい人だけ。おっくん、つっくん、それと学園長くらいかな」

「そうだったんですか……」


 キースと出会ってからのことを思い出す。考えてみれば、彼が直接魔法を使うところは確かに見ていなかった。

 僕が彼に毒を浴びせた時、彼はうずくまって解毒をしていた。

 バルタ戦の時は、背中から力をもらった。

 自然な流れの中で行われたため気付かなかった。普通に使えている力を疑うなんて、考えてもみなかった。

 彼はそこまで見越して今まで振る舞ってきたのか。なんて男だ。


「最初は君に言うつもりはなかったんだ。でも君がイリスってことが確認出来たから、俺の事も話していいかと思って。それに君は彼女の知り合いみたいだし」

「え? 僕の?」

「言っていたでしょ、その眼鏡をくれた人のこと」


 その言葉に、あの時の光景が蘇る。抑制しきれない力をねじ伏せ、眼鏡を掛けてくれた女性。イリスのことを教えてくれた、あの優しい三つ編みのお姉さん。その人が。


「もしかして」

「そうさ。三つ編みとアンバランスな眼鏡が特徴のお姉さん。彼女はピュアナ・ロイ。俺の奥さんだよ」


 衝撃だった。自分の恩人がまさかこんなに近くにいたとは。その上この女好きの上司の奥さんだったなんて。


「今日は驚いてばかりで心臓が追いつきません……」

「あはは。君も冗談が言えるんだね。

 まぁそんなわけで、俺は今までイリスの奥さんの助けを借りて学園での地位を築いてきたんだよ」


 今までの情報が頭の中で入り混じる。少し落ち着いて整理しないと、間違って記憶されてしまいそうだ。

 しかしその状態でも、疑問は浮かんでくるらしい。解決しておいた方が後のためだ。聞いておこう。


「でもどうして隠す必要があるんですか。それだけの力があればもっと表で活躍も出来るのでは」

「俺はね、ずっと探しているんだよ。ピュアナを酷い目に合わせた連中を」


 キースの目つきが変わる。その瞳はこれまでの彼からは想像もつかない程、憎悪を含んでいた。


「イリスって幻みたいな存在だろう。だから、ピュアナは幼い時から研究という名で様々な実験をされていたみたいなんだ。

 ……それに抗った彼女は、志半ばで消えてしまったよ」


 キースは天を仰ぐ。彼の悔しさが、震える拳から滲み出ていた。

 余程、大切な存在だったのだろう。気持ちは分からなくもない。


「俺は絶対に連中を許さない。探し出して復讐する。

 俺が情報管理室にいるのは、その連中の情報を集めるためなんだよ」

「キースさんの事情はよく分かりました。しかし、それと今回の任務とは関係ないのでは」


 冷静に返すと、キースは硬い表情を少しだけ崩す。


「ピュアナはね、元地球人だったんだ」


 今日何度目の衝撃だろうか。ずっと探していた“自分と同じ境遇の人物”と、とっくに出会っていたなんて。

 でも確かに、三つ編みのお姉さんと出会った時、どこか懐かしい感覚があった。その感覚は、こういうことだったのだろう。


「驚いたでしょう。俺も同じさ、まさか学生の中に元地球人がいたなんて思ってなかったから。

 だからこの任務に志願して君を誘ったんだ。アッシュ・ハイディアがどういう人物なのか、ピュアナの故郷がどんなところなのかを知るためにね」


 自分の周りを緑色の淡い光がふわふわと漂う。成長した僕の姿を観察するかのようだった。

 それを見ているキースは、更に顔を綻ばせる。


「地球に来て思ったよ。なんて穏やかで素敵な環境だろうって。もしもピュアナと地球で暮らせたなら、もっと長く、のんびりと一緒にいられたのにな……ってさ」


 キースは珈琲を一気に流し込み、缶をゴミ箱に投げ捨てる。薬指の指輪が寂しげに光った。


「僕、貴方のこと胡散臭い大人だと思っていました。けれど訂正します。貴方は誰よりも明確な目的を持ってここにいる、立派な人です」

「さりげなく傷付くこと言うね。まぁいいよ。やっと君からの信頼を得られたし」

「全部話してくださりありがとうございます。正直情報が多すぎてまだ混乱気味ですが」

「あはは、無理もないよ」


 左手をかざすと、淡い光がキースの元へ戻ってくる。撫でるように両手で包むと、光はふわりと消えていった。


「本当に奥さんのこと大切にしていたんですね」

「俺が唯一本気で愛した人だからね」

「形はどうあれ、奥さんはちゃんと薬指(そこ)に存在しているじゃないですか。のんびりは出来ませんが、一緒に地球で過ごす時間は大切にしてくださいね」


 互いを思いやる二人の姿が素直に素敵だと思った。だからか、自然とその言葉が出た。

 それにキースは驚いたようだったが、直ぐに嬉しそうに笑う。


「そうだね。ピュアナの故郷に里帰りしたんだ。二人でいろんな景色を見て回るよ。

 さ、今日は疲れちゃったし帰ろう。そろそろ夕飯の時間だ」

「はい」


 もたれていた壁を蹴り、キースは玄関へと向かう。長い銀髪が艶やかに揺れた。

 僕はその後ろをついていく。同じくらいの背の高さであるが、その背中は少しだけ大きく見えた。


 この任務に推薦された時の、キースへの興味。地球という単語が彼の口から自然と出て来たのが気になっていた。何か裏がありそうな彼に興味を持ってここまでついて来たが、今の話で納得した。

 全ては大切な人の為。彼の気持ちは、僕も痛い程よく分かる。


「最後までお伴しますよ」

「何か言った?」

「いえ、独り言です」


 任務に就いてから面倒なことばかりだが、この人の下でならもう少し面倒に巻き込まれてもいいかもしれない。

 こう思えるのは、どこか昔の僕に重なるところがあるからだろうか。


 初めてキースと会った時には想像もしなかった展開に、僕は静かに笑う。

 湧き上がる可笑しな感情を胸に、雨上がりの夜道を進んでいった。

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