③ 「俺、大魔法使いだからさ」
カーテンが閉められた暗い空間に、デスクトップの明るさが際立つ。その向かいに座る人物は無表情でその画面を見ていた。
キーボードを打ち込む音とパソコンの駆動音のみが、ここ数時間この空間を支配している。その音に終わる気配は感じられない。
ブーブー、というバイブ音が突然響く。彼は目線だけ動かすと、すぐにスマートフォンを手にした。
そこに表示された文字を見た彼は、分厚い頬を上げて笑うと、またパソコンに向かう。画面には次々とウインドが表示された。
一通りそれを確認すると、彼は再びスマートフォンを操作する。その目は爛々としていた。
「これでいいだろう」
スマートフォンを高々と掲げた彼は、送信ボタンを押す。彼の大きな身体は震え、口元からは笑いが漏れていた。
「キース・ロイか。外人風のバカにした名前だな。その鼻へし折ってやる」
そう言って彼は唐突に部屋から出ていく。
パソコンには、寮あてらの航空写真が表示されていた。
「それで、本当にその魔法使いとやらは来るんですか」
「篤志は心配性だね。あの挑戦状に反応しないとは思えないし、そのうち来るよ」
物置の片隅から外を覗き込み、キースは言った。その顔は悪戯を仕掛けた子供のようだ。
「挑戦状って。まさかこの寮を囮にするつもりじゃ」
「そのまさかさ。大丈夫、ヨータがいるし」
「はい。炎なんてボクの敵ではありません」
二人の言葉に僕は一抹の不安を覚える。
自分達にはこの寮しかアテがない。もしあてらがただの炭または氷塊になってしまっては、自分達は路頭に迷うことになる。
二人は楽しそうだが、本当に分かっているのだろうか。
「さ、早く来ないかなー」
「悪い大人にはおしおきしましょー!」
「はぁ……」
頭を抱えていると、サンが何かを感じ取ったかのようにピクリと動く。
「お、どうやら現れたみたいですよ」
そう言ってサンは寮の裏口を指差す。
外の様子は見えないが、どうやら彼には状況が分かるようだ。おそらく、以前見たあの雪だるまを使っているのだろう。
「思った通りだね。じゃ、ヨータはここで待機してて。篤志は俺と一緒に来て」
「らじゃー!」
「仕方ありません」
そっと物置から出ると、すぐ横の葉の生い茂る木へと登る。そこからは、ぴっちりしたスーツ姿の男が不自然に寮の周囲を見回しているのが見えた。
「なんか寮をジロジロ見ている人がいますね」
「あれがターゲットだよ」
「でも、どの辺が魔法使いなんですか。そんな風には見えな……」
言いかけた瞬間、男が右手を上げる。すぐに、開けておいた窓から白煙が登りだした。
「! 何が」
「考えるのは後だよ。現場はヨータに任せて、あっちの確保に向かおう」
キースは木から飛び降りると、男の元へと走り出す。スーツ姿の男もほぼ同時に走り出した。それを追うように自分も走る。
その時一瞬見えた寮からは、何故か水が流れ出ていた。
燃えるでも凍るでもなく、水浸しになるとは……。頭が痛い。
「待てー! 人の家に火をつけておいて、逃がさないぞ!」
「キースさん、ここは僕にお任せを」
キースに追いつき彼にストップをかける。
今は寮のことは諦め、この放火魔らしき人物を捕まえることに専念しよう。
「一線」
そう言うと、スーツ姿の男が派手に転倒する。膝を打ったのか、直ぐには動けなさそうだ。
「何したの?」
「足元に鋼糸を一本引いただけですよ」
「なるほどね。ありがとう篤志。助かったよ」
呻き声をあげるだけの彼の顔を、キースは覗き込んだ。
「やぁ。この前もあったね。挑戦状受け取ってくれてありがとう」
「お前、警察の……!」
「いやいや、俺はケイサツじゃないよ。でもまぁ、色々と話は聞きたいからちょっと移動しようか」
太い手首をがしりと掴み、男を立たせる。素直に立ったと思うと、ニヤリと笑って指を鳴らした。キースの足元から炎が上がる。
「うわ! あちち!
……なんて、言うと思った? 俺に炎は効かないよ」
「なっ……!」
「さぁ、おとなしくついてくるんだ」
余裕の表情を浮かべるキースを、男は物凄い形相で睨んでいた。
今の炎は一体? 疑問はあるが一先ず後ろをついていくことにする。
少し歩くと、地球に来たばかりの頃に訪れた河川敷に到着した。空には黒い雲が広がり、遠くの方からは雷鳴が聞こえる。
「この天気だし、他には誰も来ないだろう。さて、全部吐いてもらうよ」
「何の事だか」
「この期に及んでしらばっくれるんだ。大した度胸だね、魔法使いさん」
ピクリと男の眉が上がる。それを確認したキースは続けて話をする。
「君、その炎で放火して回っているんでしょう。凄いよねぇ、だって手をかざすだけで炎が出せちゃうんだもん。そりゃ魔法使いって噂も立つわけだ」
「何が言いたい」
「地球においては、確かに君のその力は魔法使いそのものだねってこと」
「いや、言い方が悪かった。お前は何者だ」
キースは、待っていたと言わんばかりに目を細め怪しく笑う。
「君と同じさ」
両手を広げると、二人の周りに炎が上がる。青々としたそれが、キースの怪しさを引き立てた。
「くそっ、これは」
「俺の炎だよ。綺麗だろう、この色」
「ふざけたことを」
「ふざけているのは君の方でしょ。
その力、何処で手に入れたの? 誰かに教えてもらった? それとも偶然の産物かい?」
紫色の瞳が光る。スーツ姿の男は黙り込んでいた。
「それには答えられないってこと。じゃあ次の質問。君が人の思い出ばかりを狙うのはどうしてだい」
「!」
「なんでそこまで、って顔だね。まぁこれは俺と部下が集めた情報から推測したものだけど。君がターゲットにしているのは、家族や友人と楽しそうにしている姿をネットで投稿している人だろう」
男は分厚い唇を噛み、キースをきつく睨む。額には脂汗が滲んでいた。
「それでその人の家を特定して、思い出が眠っていそうな場所を狙って火を放った。思い出が燃えて悲しむ人の姿を見るのが、君の楽しみだったんだろう」
「全部お見通し、って訳か」
「まあね。俺、大魔法使いだからさ」
男とは真逆の余裕の表情で、キースは指をくるりと回してみせる。男からは舌打ちが聞こえた。
「君のようにマナが使える地球人は貴重だから、仲間にしたいところだけど」
深呼吸をするかのように目を閉じる。
次に目を開けた時、キースの雰囲気がガラリと変わる。内に秘めた怒りがそこにはあった。
「俺ね、人の思いを踏み躙るヤツ、許せないんだよね。だから残念だけど、君をこのまま解放はできない。きちんとこの国の裁きを受けてもらうよ」
「そうはいかない。俺はこの力を使って国を支配しなければならないんだ。放火ごときでしょっぴかれてる暇はない!」
そう言うと男は、キースの顔を目がけて燃え上がる拳を振るう。避けられても、何度も向かっていった。
「支配? 君一人のそのちっぽけな力で支配なんて、夢のまた夢だよ」
「何れ俺は町ごと焼け野原に出来る力を手にするんだ。そうすれば、口だけで何もしない政治家をねじ伏せられる。俺らがこの世界を、力が全ての世界に変えるんだ!」
唾を飛ばしながら言う男を、冷めた目で見つめるキース。巨体がよろめいた拍子に背後に回ると、後頸部に手刀を打った。
「俺ら、ね。君の背後に何かがいるのは分かった。決まりだ。君に選択肢を与えるよ」
キースが指を鳴らす。すると、青く燃え盛る大蛇が男に巻きつくように現れた。大蛇の目は、膝をつく男を射抜いている。
「全てを白状して更生する道と、跡形もなくこの世から消える道。さぁ、君はどっちを選ぶ?」
「そんなもの選ぶわけないだろう!」
男は肉付きのいい顎を震わせて叫ぶと、大蛇の頭部に火炎弾を放つ。頭部は一瞬消えるが、長い身体から直ぐに再生され、鋭い目で男を見下し続けた。
それでも怯まず攻撃し続ける男に、キースは盛大な溜息を吐く。
「圧倒的な力の差を前にしても、君は抗うんだね。その意志の強さは認めるよ。けれど、時にそれは身を滅ぼすってこと、教えてあげる」
無表情のキースの右手がスッと上がる。大蛇は大きく開口し、男の頭上からその大きな身体を飲み込んでいった。
「があああぁぁあ!」
「いい選択をしてくれなくて残念だよ。次は真っ当に生きてね」
「身体が、ああっ、俺の……」
火柱が上がる中で足掻く影が徐々に見えなくなる。男の声も聞こえなくなっていた。
それを確認したキースは、一連の出来事を何も言わずに見ていた僕の元へと歩み寄る。そこにはいつもの飄々とした雰囲気が戻っていた。
「キースさん、さすがに地球人を殺すのはやり過ぎでは」
僕の表情は硬かった。
罪を犯していたとは言え、自分達が地球人に手を加えるというのは些かやり過ぎな気がした。
「そんな野蛮なこと、してないよ」
「え? しかし彼は……」
キースはフフンと鼻を鳴らすと、両手を叩いて火柱を鎮める。
地面の上には男が倒れていた。しかしその身体は痩せており、レオンのような短髪になっていた。
「この人は……?」
「俺が整形してあげた“彼”さ。たくさん蓄えていた脂肪とそれに付随する皮膚を焼いて、髪も短くしてあげたんだ」
よく見ると、確かに身なりはそのままで、完全に脂肪のみが燃焼されていた。皮膚のたるみもなく、身体に一切傷はついていないように見える。
「精神的にもかなりのショックを受けただろうから、記憶も無くなっていると思うよ。つまり、マナを使うことも出来なくなったというわけ。
これで、魔法使いと噂された男は跡形もなくこの世から消える、というストーリーの完成さ」
「大層なことをあっさりと……」
いつもの調子で説明するキースに大きく息を吐いた。
むやみに殺していないことには安堵したが、この男の扱いはこれからどうするのか。それに、彼の言っていた言葉も気になる。
「この後警察にでも行くんですか」
「そうだね。ここに置いていくわけにもいかないし」
「自分達は」
「雑巾掛けしに一度寮に戻るよ。で、それからここに行こうか」
倒れる男を起こしつつ、キースは彼のポケットを漁る。そこから取り出したのはキーケースだった。彼の家で情報を集めるつもりなのだろう。
しかし。その前に、自分には確かめておきたいことがあった。
「あの。行く前に質問いいですか」
「ああ、彼が言っていたことかい? それなら大丈夫。彼の家を探れば色々出てくると思うし」
「それもですが、そうではなくて」
背中を向けて出発しようとしている上司を引き止める。
今この場で聞かなければ、もう二度と答えてはくれないのではないか。そんな焦りが僕を急かしていた。
キースは少しだけ振り向いて言う。
「俺はイリスじゃないよ。俺は、ね」
どこか優しくて、どこか切なそうな、複雑な表情だった。今はそれ以上聞いてはいけないと、瞬時に感じ取れた。
一瞬の光と共に、雷鳴が轟く。急に降り出した雨が、僅かに残った青い炎を消してゆく。
「降ってきたね。早いところ行こうか」
「……はい」
別人になった男を担ぎながらキースは微笑む。
頬から滴る雨水が、彼の切なさを強調しているように思えた。




