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② 「お願いとは何でしょう」

「少し休憩にしましょう」


 本を閉じて僕は言った。肩を回すとポキポキ音が鳴る。


「確か中に喫茶店がありましたね。そこで軽く食べますか?」

「そうですね」


 広げていたノート類を鞄にしまい、咲夜も立ち上がる。僕達はエスカレーターへと向かった。


「それにしても、篤志さんにお会いするとは思いませんでした。よくここの図書館に来るんですか?」

「はい。読書が好きなもので」

「私も小説とか好きでよく読みます。今日は宿題をしていましたけど。

 良ければ今度おススメ教えてください」


 談笑しながら最上階の喫茶店に入る。昼時だからかそれなりに混雑していた。

 ランチメニューと書かれた冊子をめくりつつ、向かいに座る咲夜を見る。


 彼女と会うのは、奥多摩での出来事以来だ。どうやら早々にこちらに戻ってきたらしい。バイトがあるからだろうか。

 ここで会ったのは偶然だった。逸話集を読み漁っていたところ、声を掛けられた。席も空いていた為か、彼女は隣に座ってノートを広げ出した。

 それからは特に会話をすることもなく、現在に至る。昼食を一緒に、と約束をした訳ではない。ただなんとなく、そう言った方が自然だと思った。

 案の定彼女はついてきた。初めて会った時は不審者呼ばわりされたが、先日の一件で警戒心を解いてくれたようだ。その方が都合がいい。


「私はランチプレートにします。篤志さんは決まりましたか?」

「僕は和定食Aにしようかと。あ、すみません」


 丁度よく通った店員に注文を行う。

 終わるとメニュー表が回収され、手持ち無沙汰になってしまった。


「和食がお好きなんですか?」

「どちらかと言えば、ですね。先日のおばあさんのご飯、とても美味しかったです」

「あ、ありがとうございます。おばあちゃん、日本人って感じのご飯が得意なんです。私も今料理を勉強中で」


 咲夜と一対一になりどうしようと思っていたが、彼女の方から話しかけてくれるので助かる。ソフィア以外の女性とはあまり話さないので、新鮮だ。


「料理が出来るっていいですよね。僕らは今当番制で食事を作っているのですが、僕はあまり得意ではないので毎回メニューに悩みます」

「そうなんですか。皆さんで作って食べるって、楽しそうですね」

「えぇ、とても賑やかですよ。たまにこうして静かに食べたくなるくらいに」


 時折水を飲みながら話をする。彼女とこうして他愛もない話をするのは初めてだが、何故だかとても話しやすい。これも恵美のDNAが及ぼす影響なのだろうか。


「もしかして私、お邪魔でした? せっかくの一人の時間を……」

「あ、誤解があったようですみません。外で少人数で食べるのもいいな、ってことです。咲夜さんと話しているの、楽しいですよ」

「えっ、あ、ありがとうございます」


 咲夜が頬を赤らめる。そんなに恥ずかしがるようなことを言っただろうか。最近の女子はよく分からない。


「あの、私もその、こうしてお話し出来て嬉しいです。最初は失礼な態度をとってしまいましたし……」

「あれは僕が悪いですから。出来ればもう忘れてください」


 出会いの話を掘り返されて苦笑する。あの時のことは記憶から抹消したいのだ。


「衝撃が強くてなかなか忘れられませんよ。でももう言わないようにしますね」

「お願いします」


 何だか優位に立たれた気がする。これはもう、諦めるしかないようだ。

 ……男はこうして女の尻に敷かれていくのか。

 変な汗が出ている気がする。水を飲むと気持ちが少し落ち着いた。


「あの、篤志さん、お願いが」

「お待たせ致しました。ランチプレートでございます」


 咲夜の言葉が、料理を運んできた店員に遮られる。店員には和かに対応したものの、置かれた料理を前に彼女の目は泳いでいた。


「えっと、お願いとは何でしょう」

「あ! あの、その……」

「僕に出来ることなら何でもどうぞ」


 今度は彼女の方が忙しなく水を飲む。手に持つスマートフォンには、ピコのトップページが映っていた。


 なるほど。そういうことか。


「咲夜さん、僕とピコのアドレス交換しませんか」

「え!」

「もちろん、貴女が嫌でなければですが」

「とっとんでもないです! 是非お願いします!」


 彼女の目が輝く。素早く差し出されたスマートフォンには、既に読み取り式のコードが表示されていた。それを読み取りスマートフォンを操作していくと、ピコンと音が鳴る。


「これでいいですか」

「はい、来ました。ふふ、アイコンが眼鏡ってどんなギャグですか」

「それはキースさんにやられたんですよ」

「キースさんってお茶目なところありますよね。

 篤志さん。ありがとうございました」


 両手にスマートフォンを持ったまま、咲夜は明るく笑った。

 感情を隠さない彼女の笑顔が、昔の恵美の笑顔と重なる。胸が温かくなると同時に、ギュッと締め付けられた。

 ……ここまで似ているなんて、反則だろう。


「さて、料理が冷めないうちにどうぞ」

「あ、すいません。ではお先にいただきますね」


 自分の気持ちを悟られる前に、彼女に食事を促す。開いたままの画面には、咲夜のピコのページが表示されていた。

 そこにある、恵美と二人で写った小さなアイコン。

 見ないように意識すればするほど、より鮮明に視覚に捉えられる。


「はぁ。なんだかな……」

「どうかしました?」

「いえ、こちらのことです。あ、僕のも来ました」


 唯一の救いは、咲夜の性格が恵美とは違うことだ。

 おとなしめの咲夜は、こちらのパーソナルスペースを侵しては来ない。いい距離感が保てる分、そこまで意識せずに済んでいる。今のところは、だが。


 もしもの事態が起きたら。いや、それは考えないようにしよう。


「では僕もいただきます。食事が終わったらまた先程の場所に戻りましょうか」

「すみません。私この後バイトがあって」

「そうでしたか。忙しいですね」

「好きでやっていることですから。あそこは昔母も働いていた喫茶店なんですよ」


 知っている。その昔によく連れて行かれたところだから。

 まさか、その娘も同じところで働いているとは思わなかったけれど。


「親子二代で同じバイト先、いいですね」

「はい。マスターがいい人で働きやすい職場です」


 ニコニコしながら話す様子が微笑ましい。楽しく働いていることが伝わってくる。

 そんなところに誰かさんが情報網を敷いているなんて、口が裂けても言えない。


「もし時間が無いようなら、僕の事は気にせず行っていいですから。会計も気にしないでください」

「それはダメですよ! 自分の分は自分で、です!」

「え、はい、すみません」


 バターロールを持ちながらビシッと咲夜が言う。言った自分の方がつい縮こまってしまった。


「なんて、可愛い女の子なら甘えさせてもらうんでしょうけどね。でもごめんなさい、私はちゃんと払いたいのでお金は置いていきます」

「分かりました。ではお願いします」


 何を言っても覆らなそうなので、おとなしく伝票を咲夜に渡す。金額を確認した彼女は、鞄を探り出した。


「そのかわり、別なところで甘えてもいいでしょうか」


 小銭を出しつつ、上目遣いでこちらを見る。その頬は僅かに赤らんでいる。


「今度、その、篤志さん達の賑やかな食卓にお邪魔させてください。母には、迷惑をかけなければいいと言われました。だからその」

「それはソフィアが喜びますね。是非来てください」

「本当ですか! 良かった……!」


 アドレス交換時と同様の輝きがそこにあった。余程嬉しいのか、合わせた両手は震えていた。

 先日のキースの提案から、彼女なりにずっと考えていたのだろう。恵美にはない真面目さだ。


「では後日その件は連絡しますね。篤志さん、今日はありがとうございました。楽しかったです」

「こちらこそ。ご連絡、お待ちしています。お気をつけて」


 水を飲み干し、最後にそれだけ言うと、咲夜は軽快に去っていった。長い黒髪が揺れる後ろ姿が徐々に見えなくなる。


 一人になったテーブルに向き直り、食事を再開する。自分の望んでいた静けさはあるが、物足りなさも感じた。

 早いところ片付けて、本の続きを読もう。

 そう思って味噌汁に手を伸ばすと、スマートフォンが鳴った。


「はい、何でしょうか」


 出るとすぐに電話の主から用件が伝えられる。それを聞き終え、味噌汁を一気に胃袋へと流し込んだ。

 眼鏡のレンズが、照明の光を反射して怪しく光る。


「分かりました。そちらに向かいます」


 伝票を無造作に取り、レジへと向かう。

 窓から見えた空には、黒い雲が広がっていた。

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