① 「近くに変な人がいて……」
「あれからバルタ人達は口を破ったかい?」
キースが紅茶を出しながら尋ねる。その香りを一通り楽しんだ後、ツエルはゆっくりとカップを近付けた。
「相変わらず君の出す紅茶は絶品だな。
なかなか口は堅いが、少しずつ分かってきたこともある。やはりバルタの連中はチキュウを狙っているみたいだ」
「そう。じゃあまた戦わないといけない日が来るかもね」
キースはサンドイッチを口にする。サクサクのトーストに溢れんばかりに入った卵サラダが、いいアクセントを出していた。
「んー美味しい! お昼のたまごサンドはヨータの手作りなんだ。アテラに帰る前につっくんもどう?」
「私達の食事は別だと言っただろう」
「堅いこと言わずにさ。ほら」
まだ手を付けていないサンドイッチを渡す。
ツエルは渋々口にするが、その表情は少しだけ柔らかくなったように見えた。
「ほらね、美味しいでしょう。本当、ここの子達はいい仕事してくれるから助かるよ」
「君ももう少し大人らしい働きをするんだな」
「失礼だなぁ。俺が一番頑張っているよ。見えないところでね」
口元に卵をつけたキースがウインクをする。ツエルはやれやれと言わんばかりに額に手を当てた。
「ところでさ、調査の為に行きたいところがあるんだけど」
打って変わってやけに深刻そうな顔をしてキースが近付いてきた。
「誰かと行けばいいだろう」
「そこはとても危険なところなんだ。可愛い俺の部下を連れてはいけない。つっくんにしか頼めないんだ」
肩に手を置いてそう言う。無駄に熱い眼差しを送ってくるキースに、ツエルはなんだか頭痛を覚えた。
「はぁ。それは何処だ」
「ここなんだけど」
スッとスマートフォンの画面を差し出す。そこには、派手なドレスを身につけた茶髪パーマの化粧の濃い女性達が誘っているようなポーズをしているサイトが映し出されていた。
「断る」
「なんで!」
「むしろ何故私を誘うんだ。一人で行って来い」
「違うんだよ、これは潜入調査なんだよ! ハニートラップにかかるフリをして逆に彼女達から情報を搾取するんだよ! ね、ね、お願いだよー!」
腕を掴んで揺さぶってくる。まるで我儘な子供のようだ。
しかしツエルは無視を決め込む。
「ほら、つっくんもストレス溜まっているでしょう。最近飲んでなかったし、女の子にチヤホヤされながら飲んだらスッキリするって」
「そっちが本音だろう。私はこんなところ行かないからな」
「絶対?」
「ああ」
「これでも?」
そう言ってキースはサイトの上方を指差す。そこには【きゃばくら あてら】と書かれていた。
「な……これは……」
「ね、気になるでしょう。たまたまこんな名前なのかもしれないけど、もしかしたらってこともあるかもしれないし。
だからさ、つっくん」
ツエルは顎に手を添え、目を閉じる。
しばらく考えた後、長い溜息をついて言った。
「女性の相手は任せるからな」
「そうこなくっちゃ! じゃ、また近々地球に来てね。連絡待ってるから」
「アレを通ってまた来いと言うのか。まったく……分かったよ」
キースはニコニコと笑うと、テキパキ皿を片付け始める。ツエルも残りの紅茶を流し込んだ。
「さて、そろそろ我々はアテラに戻るぞ。
引き続き任務は任せる。また今回のような事が起こったら連絡くれ」
そう言ってツエルは居間から出て行く。彼らの地球での調査は今日が最終日だ。本当は朝一で戻る予定だったが、キースが引き止めた為今の時間になっていた。
既に科学班らも挨拶は済ませており、あとはひっそりと戻るだけだ。
流しに皿を置いてキースは自室へと戻る。寮には他にサンがいるが、最近携帯ゲームに夢中になっており部屋から出てくる様子はない。
「パソコンでもチェックしようかな」
そう思ってパソコンの電源を入れようとする。
するとスマートフォンが鳴った。
「はーい。どうしたの?」
「あ、キースさん。今寮? 外見てみて!」
買い物に出掛けたソフィアからの入電だった。
言われるがまま窓を開けてみる。すると、百メートル程先の住宅から煙が上がっているのが見えた。
「なんかすごい煙だけど、火事?」
「そうみたい。今そこの家の前にいるの。火は見えないから直に消えると思うんだけど」
「そうなんだ。でもどうして電話なんて」
「それがね、近くに変な人がいて……」
電話口の声が小さくなる。キースも耳を澄ませた。
「その人、火事の様子を見て、今回も成功だ、とか言って笑っているの。それで少し気になって」
「見た目は?」
「ちょっと大柄な会社員っぽい人。野次馬から少し離れた公園のベンチにいるんだけど」
「分かった。俺も行くから、その人を見失わないでおいて」
それだけ言ってキースは電話を切る。
普段ならそんな気に留めない出来事だ。しかし、最近巷を騒がせている放火魔のことを調べた際に出てきた特徴と、ソフィアが言った人物の特徴が似ていた。その為、自ら会いに行くことにしたのだ。
「ヨータ、ちょっと」
サンの部屋をノックする。すると着ぐるみパジャマを着たサンが、あくびをしながら出てきた。
「なんですかぁ」
「まだパジャマだったの。俺出掛けてくるから、留守番よろしく」
「どーぞ。行ってらっしゃい」
適当に手を振るサンに留守を任せ、キースは寮を出た。
道路に出ると人だかりと赤い車が見えた。距離も近い為、直ぐに現場に辿り着く。
「キースさん。あの人のことなんだけど」
キースに気付いて近寄ってきたソフィアが、ベンチに座ってスマートフォンを操作している中年男性を指差す。はち切れんばかりのスーツを着る彼は、普通に見れば営業中に休憩しているサラリーマンに見える。
しかしその肉付きのいい顔にはニヒルな笑みが浮かんでいた。
「さっきからスマホを見ながら独り言を言っているの。変でしょ」
「何て言ってるか分かる?」
「うん。少し待ってて」
そう言ってソフィアが目を閉じ、全身の神経を研ぎ澄ます。
「えっとね……、俺の事を信じる奴が増えてきたな……次のターゲットは……、かな……」
独り言のようにソフィアが呟く。
彼女は人並み外れた聴力を持っており、半径十メートル程の距離であれば息遣いさえ聴き取れる程だ。しかしそれには相当の集中力を要する。
「そのくらいでいいよ。ありがとうね」
肩をポンと叩き中止を促す。ソフィアは大きく息を吐いた。
「確かに怪しいね。俺ちょっと行ってくるよ」
キースはそれだけ言うと、何食わぬ顔でサラリーマン風の男に近付いていく。
「あの、ちょっといいですか」
「……なんですか」
「私はこういう感じの者ですが。最近この辺りで不審者が目撃されたという話があり、聴き込みをしていまして」
キースは男に黒い手帳のような物を見せる。男には動揺の色が見えた。
「失礼ですが、ここで何を?」
「……営業の間に休憩をとっているだけですが」
「そうですか。名刺や社員証など、証明できるものはお持ちですか?」
「これでいいですか」
男が差し出したのは名刺だった。社名と名前を確認しそのまま返すと、奪い取るようにしてポケットへとしまう。
「ありがとうございました。お仕事中に失礼しました。では」
そのままキースは男の姿が見えないところへ移動する。ソフィアを手招きして呼び寄せると、小声で言った。
「彼の名前は確認したよ。会社も実在するところみたい」
「脅しみたいなことしてたけど、大丈夫なんですか? さっき見せたものって」
「あぁ、これね。地球人はなんかこういうのに弱いらしいんだ。俺完全に私服なのに、勘違いしちゃうなんてね。こういう感じ、としか言ってないから嘘はついていないよ」
先程男に提示した物を見せる。二つ折りのそれには、上に顔写真、下に金色のメダルの様なものがついていた。
こんな身分証の様なものに他人を脅す効果があるとは、とソフィアは不思議に思った。
「さて、火事はもう大丈夫そうだし、寮に帰ろうか。袋一つ持つよ」
ポケットにそれをしまい、手を差し出す。
目の前で起きていた住宅火災はほぼ沈静化していた。これ以上ここにいても出来ることは何もない。まずは今得た情報を詳しく調べる方が先だ。
「いいんですか? じゃあこっちお願いします」
「お、今夜はソーメンだね」
「天ぷらも揚げちゃいますよ」
「いいね。楽しみにしてるよ」
昨日バルタ人とドンパチしたばかりなんだけど。今度は“魔法使い”か。忙しいなぁ。
キースはそんな事を思いつつ、ソフィアとレジ袋を一つずつぶら下げて家路につく。
公園に先程の男の姿はもう無かった。




