⑧ 「君は一体何者なんだい」
それは、温かくて少し固い、自分よりも大きな背中。ゆらゆら揺れながら私を運ぶ、大好きな背中。
こんなに安心したのはいつぶりだろう。懐かしい。この背中には二度と触れられないと思っていたのに。
ねぇ、戻ってきてくれたの? また会いたいよ。ずっと一緒にいてほしいよ。私の大好きな、大好きな──……
「パパ……」
その背中をぎゅうと抱きしめる。ゆらゆら揺れるそれはとても心地良い。
でも何か違う気がする。記憶にある背中はもっと大きかったはず。
「あれ……パパ……?」
「目が覚めましたか」
目を開けると紺色の頭髪が見える。それは遠い記憶にある人物のものではなかった。
「あ、篤志さん……?」
「はい。おはようございます」
「え、なんで私……。あ! お、下ろしてください!」
自分がおぶられていることに気付いた咲夜は、思わず背中を押す。急な動きにアッシュはよろめいた。
「暴れると落ちますよ」
「ごめんなさ……じゃなくて、下ろしてください!」
完全に目が覚めれば運ぶ必要もない。このまま転倒しても危険なので、アッシュは咲夜を下ろす。彼女は一歩後退した。
「よく眠れたみたいで良かったです」
「えっと、運んでくれたのは感謝します。それでさっきの……」
「あぁ、パパでなくてすみませんでした」
「そ、それは忘れてください!」
咲夜は顔を赤らめる。余程先程の寝言が恥ずかしかったのだろう。
「寝言は誰でも言います。どうぞお気になさらず」
「う……はい……」
アッシュが微笑むと、彼女は更に赤くなる。胸がなんだかドキドキするが、一連のことで緊張しているからだと思うことにした。
その後ろから、ニヤついているキースが話しかけてくる。
「ところで咲ちゃんの家はどの辺だい?」
「キースさん! 他の人もいたんですね……。あ、おじいちゃん」
「爺さんはまだ寝てるし、そのまま運ぶからいいぞ」
レオンが言う。その背中からイビキが聞こえ、咲夜は苦笑した。
「私達寝ちゃったんですね。なんでかな。ご迷惑をおかけしてすみません」
「いいのいいの。それは篤志のせいだし」
「え?」
「あ、なんでも。それより家は」
「そこの角を曲がって左です。案内しますね」
咲夜が先頭になって進む。後ろの方にいるメンバーも一緒に、ぞろぞろと住宅街を歩いていった。
「うめー! なんだよこれ、肉じゃないのに飯が進むなぁ!」
「ほほ、それだけ豪快に食べてくれると作った甲斐があるねぇ」
丼いっぱいの茶漬けが吸い込まれていく様子をみて、お婆さんはニコニコと笑っていた。レオンは机に置かれた他のおかずにも次々と手を出していく。
「人の家なんだからもう少し遠慮したらどうなんです」
「ばーちゃんは喜んでるからいいんだよ。ちび太も食え」
「そうそう。人の厚意は受け取っておかないとね」
キースも煮物を頬張りながら言う。大人達の姿にサンは溜息をついた。
「そうだよぉ。うちのじいさんと孫が世話になったみたいだからねぇ。あぁ、ハンバーグとかコロッケの方が良かったかねぇ」
「あ、いえ! おばあさんのご飯、とても美味しいです」
「そうかそうか。たくさんお食べ」
サンは隣にきたお婆さんに愛想笑いを浮かべると、鮭の塩焼きに箸を入れる。お婆さんは嬉しそうにそれを見ていた。
「すみません、篤志さん。お客さんなのにお手伝いしてもらって」
「いえ、昼食をご馳走になっているのは僕達の方ですから。皆さん、味噌汁ですよ」
お盆を持った咲夜とアッシュは、それぞれに味噌汁を配る。レオンは早速飲み始めた。
「ほら、咲夜さんも一緒に食べようよ」
「いいんですか? ではお言葉に甘えて」
そう言うと咲夜はソフィアの隣に座る。彼女の前にはレオンが座っているが、食べ物の減るスピードにただただ目を丸くしていた。
「あ、礼音のことは気にしなくていいから」
「え、はい。えっと、いただきます」
咲夜も挨拶をして食べ始める。
とても賑やかな食卓だった。こんなにたくさんの人と食べるのはいつぶりだろう。
「ソフィアさん達はいつも一緒にご飯食べているんですか?」
「うーん、大体一緒かな」
「そっか。私は普段一人で食べることもあるから、少し羨ましいです」
咲夜が眉を下げて笑う。ソフィアにはそれがどこか寂しそうに見えた。
「恵美先生も忙しそうだもんね。お父さんは」
「父は小さい頃に亡くなっていて」
「そうだったんだ。ごめんなさい」
「いいんです。仕方のないことですから」
空元気のような様子に、ソフィアは罪悪感を覚える。
「それなら今度寮においでよ」
話を聞いていたらしいキースが割り込んできた。咲夜の動きが止まる。
「食事が一人分増えるのは問題ないし。一人で寂しいなら夕食とか食べに来なよ」
「それいい! みんなと話しながら食べたら楽しいよ!」
「でもそんな、迷惑じゃ」
「迷惑をかけるのはきっと私達の方。あ、もちろん強制はしないから」
盛り上がる二人とは対照に、咲夜は戸惑っていた。
出逢って間もない人達にそこまで世話になっていいものかが分からなかった。母は何と言うだろうか。
「お気持ちは嬉しいです。……少し考えてみます」
その言葉に、ソフィアらはそれ以上何も言わなかった。決めるのは彼女だ。どちらになってもそれに意見することはない。
「さて、俺は戻るね」
そう言ってキースは茶碗を置いたままの席に戻る。
しかし、直ぐに箸のみ持ち出し、端の方で気配を潜めて食べているアッシュの隣に座った。
「食べているかい?」
「お腹は空いていますからね」
「この煮物美味しいよね。じっくり味わって、味付けを分析したら寮でも作ってみるよ」
「そうですか」
キースの方を見るわけでもなく、黙々とおかずを口に運ぶアッシュ。なるべく顔を合わせたくない、そんな雰囲気が醸し出されていた。
「ところで聞きたいことがあるんだけど」
「なんでしょう」
「イリスって知ってる?」
それでもキースはお構い無しに頬杖をついてアッシュを見る。小さく溜息を吐くのだって見逃さない。
「知っていますよ。僕のことでしょう」
「誰からその名前を聞いたの?」
「この眼鏡を譲ってくれた三つ編みのお姉さんからです。君は私と一緒だね、と言って、様々な事を教えてくれました」
キースはピクリと反応するが、アッシュは気にせず味噌汁をすする。眼鏡が少し曇った。
「見ましたよね、鋼糸。あれが僕のもう一つの力。大きすぎてコントロールが難しい、忌々しい力ですよ。力を抑える魔法のようなものがかかっているというこの眼鏡が無ければ、僕は平穏な日常なんて送れていなかったと思います」
眼鏡を外し、キースの方を向く。しかしそこに、バルタ人と対峙していた時のような鋭い眼光は見られなかった。
「イリスの人は三つの型が使えるとも聞くけど」
「はは、キースさんの方こそどこまで知っているんですか。
そうですよ。僕は補助型、武器型の他に、雷と光の自然型も使えます。雷は便利ですよ。ガンに小細工出来るんですから」
人差し指を立てると、バチっと青い電気が走る。
「力を抑えているだけなので、眼鏡を掛けた状態でも三つの型は使えます。しかしイリスだという事がバレれば面倒な事になりそうなので、黙っていました。ま、世間的にイリスは架空の存在と思われているようですけど」
「君は一体何者なんだい」
キースが問うと、アッシュはフワリと笑って眼鏡を掛けた。
「ごく普通の学生ですよ」
「……そっか」
そして湯飲みの茶を飲み干すと、周りがまだ賑わっているのを他所に皿を片付け始める。
「そうだ。僕もキースさんにお聞きしたい事があるのですが」
「ん?」
立ち上がろうとしているキースを引き止めるようにアッシュは言った。
「イリス同士は、触れると共鳴といってお互いがイリスだという事が分かります。三つ編みのお姉さんと握手した時、電気が走るような感覚がありました。実は最近共鳴と似たようなことが起こったのですが、知り合いにイリスの人いませんか?」
淡々とした口調だが、その目は細められ、ジッとキースの姿を捉えていた。
探るような瞳に、キースは不敵な笑みで返す。
「さて、どうだったかな」
そう言って彼は自分の最初の席へと戻っていった。その足取りはとても軽そうだった。
「……本当、疲れる人ですね」
アッシュは盛大な溜息をつく。
彼が何かを知っているのは間違いないようだが、教えてくれる気はないらしい。彼自身がイリスだという線も捨てきれない。
彼の事だから、時が来れば話してくれるだろうが。
「さあさあ、お饅頭お食べ」
「え、はい、ありがとうございます」
お婆さんが手渡してきた饅頭を眺める。
とりあえず一つ事は片付いたし、少しくらい頭を休めてもいいだろう。
饅頭を割ると、たっぷりのこし餡が顔を出す。
口の中で甘みが広がるのを感じ、アッシュは束の間の休息を堪能した。




