1.4
明日で、有能なベーシストを探してくるという約束の期限から、1週間。
あれから、一向にノブから連絡が来なくて、もう駄目なんじゃないかって諦めてた。
だから、仕事の休憩中に携帯の画面を見た時に、『ベーシスト見つけたぜ』とピースマークの絵文字付きのメッセージが届いてて、驚いて思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
休憩時間が終わっても、頭の中はDespairのことでいっぱいだった。ヤスはまだ認めてくれないみたいだけど、新しいDespairが始まる気がして……。
誰からでもクールだと言われるのに、ついにこやかな笑みが零れてしまう。
そんなこんなで、いつもより捗る作業。てきぱきと仕事を終わらせると、時刻はすっかり夕方。
私は工場を出ると、真っ先にノブの職場へと車を走らせた。
車で向かうこと約10分。内科で処方箋を取り扱う薬剤師のノブは、きっと遅くまで難しい仕事がどっさりと残っているはずだ。
駐車場に車を駐車し、中をちらっと覗きに自動ドアの前まで立ち寄れば、カウンターの向こうに、白衣姿にマスクを装着した、完全仕事モードなノブの姿があった。
ノブが働いてる所なんて全然見ないけど、案外様になっているし、いつもの馬鹿さからは想像のできない真剣さだ。
へぇ、結構かっこいいじゃん。
「お姉さん、ちょっとどいてくれんかのう」
「え?あぁ、すみません」
後ろからおばあさんが来てることに気づかなくて、私はすっと横へ寄った。その一連の流れを見ていたのか、ノブがカウンターからこっちへ近づいてきた。
「びっくりした、ミチルじゃん。来たんだ」
「悪いね、仕事中なのに」
「いや、もう今日は早めに上がらせてもらえるみたいだから、全然いいぜ。あ、俺の車のエンジンかけててくれよ。はい鍵」
「ったく、しょうがないなぁ。助手席で待ってるから」
再び戻っていくノブとは反対に、私はノブの車へ向かった。ロックを解いて、預かった鍵でエンジンをかける。
暫く助手席に座っていると、白衣を脱いでカジュアルなスーツ姿のノブがやって来た。
「お待たせ」
「お疲れ。……で、例のベーシスト!どこから見つけてきたの?」
「俺の通ってた高校に、そういやベースの上手いやつがいたなぁと思って、色んな手段を使って今そいつが通ってる学校をつきとめたんだよ」
「へぇ……。そいつの腕前は、見て見ないと分からないわね。金曜日に来てくれるの?」
「あぁ、来てくれるみたいだぜ。つっても、どこに集まるんだよ。まさか居酒屋か?あそこで音出しちゃまずいだろ」
困った表情を浮かべるノブだが、室内で弾けないのなら、外で弾けばいい。迷いようのない簡単な話だ。
「そんなの、路上で弾けばいいじゃない」
「まじかよ。まぁベースなら大丈夫か……」
車内という狭い空間で話していると、相手が身じろぐ音すら聞こえてしまう。そんな中で、ノブは突然大きな声を出した。
「あぁあ……!」
「な、何よ」
「…………駄目だ、なんか緊張する」
「はぁ?」
ノブが一体何に緊張してるのかさっぱり分からない。手で顔を覆うノブの、指と指の間からこちらを見る顔はほのかに赤く染まり、何か言いたげなのに言わないところにイラッとしてしまう。
「いきなりどうしたのよ」
「……こんな狭い空間じゃん。何も思わねぇ?」
「何を思うことがあるの?」
「うう、何でもないです……」
変なやつ……。
急にうじうじし始めた気持ちの悪いノブを放っておいて、「もう行くね」と左手で助手席のドアを開け、出ていこうとすると、右手を強く掴まれる。
「何よ」
「……明日、仕事?」
「そうだけど」
「じゃあ、明後日は?」
「休み」
「……あのさ、明日の夜、泊まっていかねぇ?」
「なんか気持ち悪いからパスするわね」
握られた手の力が段々と弱くなっていくのを感じながら、私は手を引いて車から降りた。
「じゃあまた明日」
ひらりと手を振って、車から降りる。
お腹がすいたから早く帰ろうと、自分の車へ乗り込み、エンジンをかける。
その頃、車内でガクッと落胆するノブの姿は、誰にも見られていなかった。