【吾輩】二本のしっぽと安宿の主人
サブタイトルにある【】は視点の主を示しています。
今回は【吾輩】です。
何が楽しい酒だ。
吾輩は素直に思った。
吾輩の目の前には、くだくだに酔っ払った男。
吾輩は自分を落ち着かせるため自分の毛繕いなどしながら、その言葉を聞いていた。
「……知っているかな、お主。
私は少し前まで、この辺の領主だったんだ。
辺鄙で人口も少ないところだが……まあ、いまは発展しているがな。
いわゆる、地方領主……私も昔は貴族の端くれ、騎士だったんだ……。
その証拠に、この村……いや、すでに町か。
ヴィレの町ってがここの名前。
対して私の名前はオセロット・ヴィレ……少し前までここは、私の領地だったんだ」
うん、それもう百回くらい聞いた。
対して、この後に続くであろう話は五十回くらいかな。
同じ話を何度もし、そして途中で話を最初からやり直しと……呂律と話の脈絡がかなりあやしい。 もう立てないくらいぐでんぐでんだ。
何がいい酒が飲めそう、だ。 ただの愚痴じゃないか。
酔っ払いは続ける。
「事の発端は、この町がまだ村だった頃に……ダンジョンが発見されたことだ。
私は領主として喜んだ。
冒険者達が集い、人が集まり、税収も上がる。
そうすれば……発展しようにもその材料もない、この辺鄙な村にも光が差すと思われた。
それに……何より私も少年だった頃もあるからな。
『冒険』と言うものに憧れがあった。
王都から調査団が派遣されるのを待たず、また己自身の好奇心と……なにより功名心を抑えることができず、私は家令や従僕たちを率いてダンジョンに挑み……そして壊滅した。
そこから先は、坂を転げ落ちるようなものだよ。
小さな村と言っても、家臣のほとんどを失ってまともの統治することもできなくなった。
それに何より……調査団から強い叱責を受けた。
なぜ調査団の到着を待てという指示を守らなかったのかと。
それらはそのまま王都へ報告され……統治能力なしとして、私は騎士の任を解かれた。
領地も没収され、私の邸宅も町の拡張に邪魔だと解体され……わずかに残ったこの建物、使用人の為の宿舎だけが私の財産となった。 今はこの、若い冒険者向けの安宿を経営している。
発見されたダンジョン、そのために私は没落したというのに、奇しくもそのためにやってきた冒険者たちのお陰で、私は糊口を凌いでいるという訳だ。
皮肉なものだな……」
そこまで言ったところで、元騎士オセロットは、手にしていた盃を一気にあおった。
……なるほど、苦労している訳だ。
まあそれを五〇回も聞かされた吾輩も今まさに苦労しているけど。
と……その時。
「まあオセロット卿、そう言うなよ。
それもまた人生だよ」
オセロットを慰めるように……オセロットに言葉をかける者が居た。
驚いて……と言うより、自分の空耳を確認するかのように顔を上げるオセロット。
不審そうな表情で、おぼつかない所作で何度も周囲を見渡すオセロット。
その視線が……やがて目の前にいた吾輩に向けられた。
「……ふむ、酒が過ぎたかな? 私には目の前の獣の仔が人の言葉を話したように見えたのだが……」
とろんと溶けた目で、苦笑するような、あるいは事実のみを淡々と語るような、不明瞭な表情で吾輩を見るオセロット。
その言葉に、吾輩は応じた。
「何言ってんだ、『猫又』が人の言葉を話すのは当然の話じゃないか。 ほら、吾輩のしっぽ、ちゃんと二本に別れているだろ?」
吾輩は急に二本に分かれた尻尾を良く見えるようにピンと立たせながら、オセロットの言葉に応えていた。
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沈黙が数秒。
オセロットはその数秒前と全く変わらない表情で、吾輩を眺めていた。
やがて。
酔っ払いの表情と口調のままで、吾輩の言葉に応じる。
「……ふむ。 しっぽが二本に分かれていれば、人語を理解してもおかしくない、むしろ当然ということなのかな?」
「そういうことだよ」
「そういうことなのか」
「そういうことだ」
「ふむ……そういうことなのであれば、そういうことなのなんだろうな……」
「そうそう、そういうことなんだから、そういうことなんだよ」
qed。 今ここに、酔っ払いの名において、全ての解が示された。
……一応、解説しておこう。
なぜ吾輩のしっぽが不意に二本に分かれたのか。
そしてなぜ、人語を話すようになったのか。
それは吾輩が……吾輩の視界にVR表示されるシステムウィンドウを視線で操作して、スキル『猫又』を使ったからだ。
どうやらこれを使うと尻尾が二本になり、人語を喋れるようになるらしい。
同じような効能の『スキル』に『ケットシー』というスキルも持っているが……吾輩はクロネコではない為、効果が落ちるらしい。
この『スキル』というやつは……この視界にVR表示されるシステムウィンドウも合わせ、例の餌やりお姉さんに貰ったものだ。
よくわからないが、異世界から来たものには、これが付与されることになっているらしい。
【著者注:Qed。テンプレの名において、全ての解が示された。】
ちなみにウィンドウに表示される吾輩のステータス。
種族名は『九十九猫』となっている。
どういう物なのかは知らないがおそらく……『猫又』『ケットシー』などという、複数のスキルが使える、という事に関係があるのは間違いなさそうであった。
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吾輩は、言葉を続ける。
「繰り返すけど……オセロット卿、そう言うなよ。
それもまた人生だよ。 栄枯盛衰は人間の常。 幸運と不運はいつ、誰に訪れるかはわからないんだ。
こんなところでクダ巻いてるんだったら……今の環境が辛いんだったら逃げたっていいんだ。
そんなに今の環境が辛いのなら。
誰も知らない土地に行って、一からやり直すのもいい。
もちろん逃げた先で今より環境が良くなるとは限らない。
その時は、さらに逃げてもいい……いつか落ち着いた土地にたどり着くその時まで、さ。」
ぼんやりとした表情で、オセロットはぼんやりと吾輩の言葉を聞く。
夢でも見ているような心境なのかもしれない。
やがてオセロットは……ゆっくりと顔を伏せた。
「しかし私は……この土地を離れたくない。
小さな村とは言え……今は村でさえなくなりつつあるとはいえ、ここは私の祖先伝来の土地。
この土地に生を受け、そしてこの土地に根を張った者だ。
だとすれば……果てるのもこの土地がいい。
たとえ新たな入植者やもともとこの村に住んでいた者に指をさされて侮辱されようとな。
それに……私はすでに『敗者』が染みついている。
もう二度と……『勝者』になることなど、出来ないだろうな……」
オセロットはそう言いながら……ため息より重い呼気を吐きながら、もう一度顔を伏せていた。
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吾輩はオセロットのそんな姿に、一度ため息をついてから言葉を続けた。
「例えば……まあ騎士殿になぞらえて言うとだな。
名将、て言葉がある。
それが例えば、一〇〇戦したとする。
そのうちの何勝したら、名将、て事になるんだろうね?」
吾輩のその言葉に、オセロットは、つい、と顔を上げた。
「……ふむ。 それはやはり、一〇〇勝ではないかな?
『名将』、と言う前提なのだろう?」
名将と言う言葉に、若干興味をひかれたのだろう。
顔は昏いままだが、吾輩の言葉に応じる気になったようだ。
だが吾輩は、オセロットの言葉をバッサリ切った。
「吾輩はそうは思わない。
なぜならそれは、自分より強い相手と一度も戦っていない、と言うことに他ならないから。
それを名将と言うのは疑問が残る」
「なるほど……一理ある」
考え込むようにして、オセロットは応じた。
吾輩は、続ける。
「相手が同格と言う前提であれば……理論上五〇敗前後というところか。 その前後どちらかはまさしく時の運と言うやつだね。
それを制して五〇勝か五一勝ならその時点で名将と呼ばれる資格は十分あると言うことだろうね。
つまり……一回や二回、先の話なら四九回までは負けたって良いわけだよ」
「なるほど……なるほど、なるほど」
「だが……こういう言い方もできる。
一〇〇戦して一〇〇敗でも、生きてさえいれば名将と呼んでいいだろう。
それを違う角度から見れば、自分より格上の相手と一〇〇回戦ってなお生きていると言うことになる。
生きて……一〇一回目に繋ぐことができるのなら。
それができるなら……次の挑戦に繋ぐことができるなら、吾輩はそれを名将と言わざるを得ない。
否定するための言葉を待たない。
特に、オセロット卿。 卿はまだ……生きているだろ?」
吾輩の言葉に、オセロットの身体がぴくんと動いた。
少し意外そうな顔で吾輩を見る。
数秒ポカンをしてから、やがて言葉を続ける。
「ネコマタ殿、卿はもしや……私を慰めようとしてくれているのかな?」
「正確には、ケツをぶっ叩いているところなんだがな。
やれやれ……卿は吾輩より大分若い筈なんだから。
若いうちはもう少し冒険してみるもんだよ」
吾輩の言葉に、オセロットは大きく目を見開いていた。
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そこまで言ったところで、吾輩は、ぺっ、とテーブルを降りて『猫又』を解除した。
視界のウィンドウ上、『猫又』の文字がグレー反転し、横に『CoolTime 09:59』と表示されている。 一〇分経たないと再使用はできない、と言う意味だと思われる。
なのになぜ急に『猫又』を解除したかと言うと……先ほどから視界の右下のアイコンが、やたらとチカチカ明滅し、警告を発していたからだった。
視線を向けると……小さなウィンドウが『使い魔フェリシー:HP低』の文字列を表示させた。
……どうも、非常事態が発生しているらしい。
吾輩は、別の『スキル』を使う事にした。
「ま、待ってくれ!! け、卿は一体……」
幾分正気を取り返したのか、オセロットが不意に安楽椅子から立ち上がる。
しかしすでに『猫又』を解除している吾輩、言葉を返すことができなかった。
代わりに……。
「!!!!」
吾輩の顔を正視するオセロット、その顔が驚愕に変わっていた。
それは……人間ほど表情筋が発達した生物はいないと言うのに、人間以外の生き物は表情を顔に表すことなどできないというのに……吾輩の顔が『笑顔』を作っていたからだった。
スキル『チェシャ猫』。 それは……『瞬間移動』する時に、なぜかニヤニヤ笑いをしないといけないという、難儀なスキルだった。
吾輩はそれを行使し……その場から完全に消え去っていた。
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