イン・ザ・バス
今、私はバスの中にいる。駅前のバス亭からバスに乗って、出発を待っている。座る場所は、いつも決まって一番後ろの右側だ。時間は11時半、昼前である。さすがに、平日のこの時間帯となると、バスを利用する人も少なく、全員が座ってもまだイスが空いている位だ。
バスに乗り込んでくる人もばあさん、じいさん、スーツ姿の30代位の男性、着飾りすぎてもはやお洒落とは言い難い見た目になってしまった少し可哀相なばあさん、着物姿で何処へ行くのか皆目検討もつかないばあさん、そしてばあさん、ばあさん・・・とバスに乗っている八割はばあさんだ。
何で平日午前10時から午後2時位にかけては、ばあさんの出現率が高いのだろうか。バスに限らずこの時間帯は、至る所に出現するばあさん、バスの外の駅前も、今やばあさんで溢れかえっている。逆にじいさんは意外と少ない気がするのは気のせいなのだろうか。
とかまあどうでもいいことを考えていると、そんな私の思惑など関係なしに、バスが走り始めた。ちょうど駅前の信号も青になっていて、スムーズに駅前を抜け出せた。ここで信号に捕まってしまうと、私はいつも何だか歯がゆいような、遣る瀬無いような気持ちになってしまう。100m走の時にあまりに意気込むあまり後ろ足に力入れすぎて、スタートの時に後ろ足がずる滑りしてしまった時によく似ている。
スムーズに駅前を抜け出せたときは、やたら気分がよくなる。まあだからどうと言う訳では無いのだが、やはり気分が良いに越したことはないだろう。そしてサイフを出して、腿の上に置きながら、外の景色を眺め続ける。
私はバスに乗っているときに、サイフを腿に乗せておかないと落ち着かないらしい。何でだろうか。早くバスから降りたいと逸る気持ちがそのようにさせるのか。理由は自分でもよく分からないが、そうしておかないと気が落ち着かないである。そしてその逸る気持ちを抑えるように景色を見る。
外の景色はいつも変わることがない。いつも同じだ。道沿いにある八百屋のばあさんが通りまで出てきて、道行く人を手招きしている。こっからじゃ何を言っているのか確信は持てないが、きっと安いよ安いよ〜寄ってらっしゃい見てらっしゃいなんて、決まり文句的な言葉でも言ってるんじゃあないのかと思う。まあそうまでは言わなくても、意味的には同じような言葉を言ってるのだろう。誰も彼も、当然だが自店の繁盛の為に必死みたいだ。月末も近いしきっと棚卸しでもあるんだろう。
しばらくして駅前に比べると町並みが寂しくなってきたぐらいで初めてバスが信号に捕まった。バスはゆっくりゆっくりと丁寧に止まる。それは日雇い労働者が事務所移動のバイトで台車に乗せたプラズマテレビを止める時みたいに丁寧でゆっくりだ。
そしてバスのエンジンが止まる。最近世論が、エコだ二酸化炭素削減だと騒いでいるから、自社のエコ具合を世間様にアピールでもしているのだろうか。あとガソリンも最近やたら高いし。けどそれに対して私は、厭らしさを感じてしまい釈然としない。何故か私は、いつも物事を否定するところから始まる。僅かな時間でも、エンジンを止めて環境改善に努力しようとする姿勢は素晴らしい。だが何か、その行為が社会に対して媚を売っているように、私の中では捕らえられてしまう。もし、その行為が媚を売る為であろうが、謙っているのだろうが結果として、環境が改善されているのなら、全く問題の無いことだ。そんなことは十分に理解できている筈なのだが、何故か理解することを、いま一つで拒否してしまうところがあり。そしていつも、最終的には、そんなこと考えている自分が、本当は一番厭らしい存在なのではないかと自己嫌悪に陥ってしまうのが関の山だ。まあ多分こればかりは間違いが無い、否定する必要もない。
そしてそのエコ運動と節約の為に、私の全身を音と振動で、睡眠に誘っていたエンジンが止まり、脳が微睡みから多少覚醒した。
そして、バスがOFFの状態になって初めて私はONになった。私には分かる。明らかにバス車内に漂っている空気の質が先程とは違う。さっきまでは超生温い水の中みたいな、言葉で言えば、ヌラヌラとモアモアを掛け合わせた具合の空気だった。だが、バスがOFFになってしまってからは、何か緊迫した針の筵のような空気になってしまった。
どうやら、バスが沈黙してしまったせいで、現実を連れてきてしまったようである。
バスがON状態の時、私は超生温い水みたいな空気の中、思い思いの時を満喫しているとまではいかないが、それなりに過ごしていた。この時、自分以外の人は人では無くなる。ただの物になり風景の一つとなる。人は自分一人だけとなる。バスがOFFになってからは、改めて自分が車内に居るということを再認識させられる。多分この感覚を味わっているのは私一人だけでは無い筈だ。他の人たちも皆気づいている筈だ。なんなんだこの空気は。いきなり皆ONにされたもんだから、ただの物だったのが、いきなり着飾った化粧の濃いばあさんに変わってしまったもんだから、もう気にせずにはいられない。
その時、私は自分の反対側、バスの一番後ろの左側にばあさんが座っているのを、今更ながらに気付かされた。いやバスが発車した直前には、もしかしたら、そのばあさんのことを認知していたかもしれないが、どうやらバスが走っている内にばあさんの存在を忘れ去ってしまっていたようだ。先程までは、その存在すら気が付かないなかったのに、バスがOFFになってからの、この変わり具合は異様だ。もうばあさんの存在が気になって仕方が無い。いや、そのばあさんだけじゃない。バスの中に居る全員をもう意識しまくっている。こうなったらもう駄目だ。
バス全体にまで広がっていた、私のテリトリーとでも言おうか、それが物を人だと意識してしまった場所から、一箇所づつ消滅していった。消滅していくスピードは相当なもので、意識してから、もう5秒後くらいには、自分の座っている所意外のテリトリーは消滅してしまった。
こうなると私は胸が異様にムカムカしてくる。テリトリーが消滅していくに連れて、何故か自分の心も小さくなっていくような、自身が抱いている、幾つかの感情を覆っていた物が、いきなり小さくなって、感情が濃縮されてしまったような感覚になる。この状態は全く好ましいものでは無い。出来ることなら、一秒でも早くバスがONになってもらいたい。なんて考えているうちに大体バスはONになる。目の前の信号が、青になる幾分か前に、エンジンを掛けなきゃならんので、信号の待ち時間なんて高が知れているものだ。つかの間の苦痛から私は解放された。だけども、この時に開放される安堵と共に、次は一体いつバスは止まるのかという不安が過ぎる。私が何時も乗るバスのルートに、信号があまり無いのがせめてもの救いだ。
バスはやがて完全に郊外にきた。もうここまでくると、建物も疎らでバス亭の間隔もかなりの距離になる。ここまでで信号に捕まったのが、一回なのはかなりの幸運だ。さらに、まだ誰も降りていないし、乗り込んでも来ないからから、バス亭には一回も止まっていない。今日はどうやら当たりの日らしい。帰りにパチンコ屋にでも寄ってみようか。
そんなことを考えていると、初めて誰かが下車のボタンを押した。そして、次のバス亭でじいさんと、30代くらいのスーツ姿の男性が降りていった。
ここでバスが止まってしまった訳だが、降乗車の時は私は、ONにはなるものの、そこまで圧迫感をうけることがない。何故なら、バスから降りる二人が皆の意識、視線を一身に受けてくれるから。まあ言うなれば、格好の生贄と言ったところか。私の中に少し優越感にも似た感情が芽生える。安全なところから、皆の注目を一心に浴びる二人を見ていると、何だか自分は、その二人に勝ったような感覚を覚えてしまう。だが、その二人を見ていると、優越感と共に一つの問題点が浮き彫りにされる。一番最後に降りない限りに、誰でも一度はその生贄にならなければいけないのだ。そう考えると、今得た優越感は一瞬にして消え去り、思わずため息でも出てしまいそうな、夜に、一人で死について考えている時の様な憂鬱な気分になってしまう。
私は最終的には、そんな気分になりながら二人の下車を見守った。そこのバス停は、辺りは田んぼばっかで、遠めに集落がぽつぽつと見える程度である。全く需要がなさそうなバス停だ。一体こんなところで降りてあの二人はどんな用事があるんだろうか。本当にどうでもいいことなのだが、時々やたらとそんなことが気になる。
私は、今の憂鬱な気分の上に、更にもどかしさまで上乗せしたくはないので、自身の中で完結させておく。じいさんは何となくで、スーツ男は自分探しでいっか。そんなどうでもいいことを考えているうちにまたバスは走り出す。
それにしても、このバス亭の回りは本当に田んぼばっかだ。反対車線側も、田んぼで埋め尽くされている。ここで私は、反対車線の歩道と田んぼの間に、一定の間隔づつに地蔵が置かれてある事に気が付いた。いつも通るコースなのに、今更気付くなんて私もなかなか視野が狭いな。そして、バスが田んぼを抜ける辺りあった最後の地蔵は、何故か水簿らしい布切れを纏っていた。そして、そんなに距離も離れていないので地蔵の置いているすぐ横、木の看板みたいなものに「おでいさん」と書かれていることも確認できた。気になる。また自分の中で完結させておこう。
きっと昔このあたりは、今私がバスに乗って走ってる道路を境にして、村と村が対立したんだろう。そして、反対車線側の村は、村長が代替わりする度に、先代の村長への尊敬の念を忘れないために、地蔵を作り奉りたてる風習があったのだ。そんな中、一番最後に置かれていた地蔵の、一つ前にあった地蔵が置かれる前の村長の時に、とうとう村同士の対立は激しいものとなり、ついには村人同士で、小競り合いが頻発するようになってしまったのだ。
そんな中で、反対車線側に住んでいる中年の男がいて、男は平和主義だったので、どうにか村同士の争いを止めたかった。男は昔上京して、花火技師としての技を磨いていた。だが、親が死んでしまったので田畑を放置するわけにもいかず、志半ばにして村に戻り、百姓となっていたのだ。男は遣り切れない気持ちでいっぱいで、自分の身の回りの世話も行き届かないほどで、いつも襤褸を纏っていたのだ。そんないつも襤褸を纏っていたので、男は村人から「お泥さん」と言う全く誇らしくも無いあだ名を頂戴していた。そのお泥さんは、この村同士の緊迫した状況を、自分がどうにか良い方向に持っていくことは出来ないものかと彼是考え、考え抜いた末に、自分が持つ田畑を肩代わりとして村長から幾らかの銀を借りて、「夏には戻ってくる」そういい残して春の初めに旅に出たのだ。
お泥さんが村を出てからも、村同士の対立は悪化する一方で、とうとう八月の盆が終わる頃、村人達はこの道を挟んで互いに鍬や斧を持ち睨み合った。そんな一触即発の中お泥さんは帰ってきた。一人ではなく、何人か体格の良い男達を引き連れて帰ってきた。そして、帰ってくるなりこれはもう躊躇している暇もないなと村長に頼んで、向かい側の村民も集めてくれ名案があるんだこれで争いは無くなると言った。そのお泥さんの、血気迫る必死の説得に村長は了解し、何とか向かいの村とも話をつけて、両方の村人は一つの広場に集まった。
そこでお泥さんはみんなにこう言ったんだろう。
「今から皆にすんごい綺麗なもんを見せちゃる。ほんと綺麗だから。こんな綺麗なもん見たら喧嘩しようだなんてこれぽっちも思わなくなるに違いねえ。ほんとーに綺麗なもんなんだから」そう言うとお泥さんは、連れてきた男達と共に、集落の裏にある山へ消えていった。
お泥さんがいなくなってから広場は、村人同士が睨み合い、そこには、只ならないで空気が漂っていた。
そんな殺気めいた空気の中、しばらくすると、お泥さんが消えていった山のほうから、何かが弾けた様な大きな音がした。
村人達は皆驚いて山の方を見やった。そして、次の爆発音が聞こえたとき、素晴しく鮮やかなキラキラが空一面に広がった。キラキラは、次々と打ち上げられ、盆の夜空を色付かせる。村人達は、花火という物を、今まで誰一人として、一度も見たことがなかった。
皆が皆言葉を失った。手に棒切れを握り締めていた物は、棒切れを握っていたことさえ忘れ、だらしなく腕を脱力し棒切れを落とした。歯をこれでもかと食いしばって、相手を睨み付けていた物は、その鮮やかさに心奪われ開いた口が塞がらなくなっていた。
耳に響いてくるのは花火の弾ける音だけで、妙にそれは静寂を帯びていた。その場にいた誰もが、夜空に映し出される色彩に釘付けになった。そして、村人同士の憎しみ合う醜い心は、いつしかキラキラで浄化されいった。皆が自分達のやってきた事に対して愚かに思い、悔やんだ。そして、皆早くお泥さんに会って一言言いたかった。ありがとうと。
そうして村人達が、山の方へ駆け寄ろうとした瞬間、山の方からとんでもない爆発が起きた。その爆発は、今までの静寂で村人達を包み込んでいたそれとは違い、攻撃的な音と共に、村人達に戦慄を与えた。お泥さんは、爆発と共にこの世から跡形もなく消え去った。
この日を境に村同士の争いは無くなり、やがては境界線も無くなり村は一つとなった。村人達は、お泥さんのことを忘れないために、反対車線側の地蔵の横に、お泥さんの像を作ったと言う事だ。以来、村が新しくなり地蔵が増えることもなかったと言うことだな。だから、一番最後の地蔵は、襤褸を纏っているのだ。
何て、一人妄想に励んでいると、もうすっかり辺りに、田んぼは無くなっていた。もうそろそろ私が降りるバス亭だ。左手側には、少しの段差の先に、澄んだ浅広い川が流れていて、川辺では小学生くらいの子供が、何人かで遊んでいる。きっと水切りでもやっているのだろう。右手側には、いきなり山があり、斜面にそって、怏々と木々が、緑で覆いつくしている。その手前側には、何かのお店の広告看板が、ポツポツと定期的に立てられている。中にはUターンの矢印で、あと30キロと書かれているのもあったりして、一体何の為にここに立てたのか、もの凄く疑問だ。
ゆったりと時を刻む川、山肌の緑、そして謎の看板、それらを見ていていつも思う。もう降りなくちゃならないのか・・・思わずため息でも出てしまいそうになる。別にバスが名残り惜しい訳では無い。ただ今からバスを降りて、向かう先が、バスの中より劣悪な環境なだけだ。そして、私は降車のボタンを押す。今度は自分が生贄の番。バスに乗っているのは、もう自分を除いたらばあさんだけ。ばあさん達が何処に行こうとしているのかなんて、全く興味はない。きっとこの先に老人ホームでもあるんじゃないのか。
やがてバスは止まった。ゆっくりとこれもまた丁寧に。皆の注目を浴びる生贄になることは耐え難いこと。だがバスを降りた後、私を待ち受けているものは更に耐え難いこと。私は、大体諦めため息を飲み込み、サイフを手に持ち替えて席を立つ。これらは、生きるために与えられた試練なのだと、自分に言い聞かせる。
私はもはや競歩に近い速度でバスを駆け抜けた。