第零章 002 その少女の名前は
「どれ取ってほしいの?」
話しかけられた少女は急な善意に驚くも指を差し本を指定した。
「あっ、えーっと。そこの『統計全編』という本を取って欲しいのだが。」
紅く澄んだ瞳はしっかりとツカサの眼を見据え、少女とは思えないほど堂々としており、明朗な口調でツカサに対して言葉を発した。
こんな小さい少女が統計ね…と。ツカサは不思議に思いながらも指定された書籍を手に取り、渡す。その少女は今取った統計の本の他にも本や新聞の様な紙を抱えていた。
「うぬ、ありがとう!」
ツカサはこの少女を見たときにある知恵が浮かんだ。知恵と言っても“悪”知恵だ。
「忙しそうなところ悪いんだけど俺に少し教えてほしい事があるんだ」
「ん?何かの?」
「俺に文字を教えてほしい」
ツカサは彼女から言葉を習おうとしていたということだ。
彼女の服装や態度を察するに相当上流階級で尚且つ知性がある人間だと読んだみたいだ。
「え?」
少女は眉間にしわを寄せ不可解な面持ちでツカサを見つめる。
「辞書で調べればいいのではないか?」
少女の意見は至極まっとうだ。『文字?どの言葉の意味が知りたいのだ?自分のわかる範囲なら教えてやれないこともないが…』と少女は思っているのだろうが、ツカサの問題はそれを遥かに凌駕しさらに奇妙なものであった。
「いや、事は重大で緊急を要する。そして、この事態は口頭で説明するには少し難解だ。もし暇があるのなら、俺の席に来て文字を教えてほしい。」
ツカサの言っていることは確かに嘘偽りのない事実ではあるのだが全部主観だということだ。誰にとって重要で誰にとって緊急なのかを省いて述べることによってこの少女を欺かせようとしている。
少女は再び怪訝な目をツカサに向ける。文字を読めないことが何故か緊急で、かつそれを年端もいかない容姿の少女に求めているのだから疑心を抱くのは当然だ。
「頼む」
ツカサは頭を下げた。
「う、うぬ。お主の言っている意味は分からないが本を取ってもらった恩もあることだし、少しくらいなら…」
少女もツカサの熱心さからするに相当なことなのだろうと了承してしまった。
ツカサは笑顔でありがとうと、礼をする。だが、少女はツカサの思惑通りに動いただけだった。ツカサはこうなることが分かっていた。いや、こうなるように仕向けていたのだ。ツカサが今までの人生で培ってきた交渉術『与えて得る』を使って。
二人は先程ツカサいた席に座った。ツカサから位置から少女の横顔は、幼さを残しつつも鼻は高く顔立ちはとても整っており、透き通るような白い肌と赤い瞳、細く長い眉が綺麗なコントラストを描いていた。
少女が手に持った本をテーブルに置き準備が整ったことを確認すると、ツカサはさっきの絵本の表紙を少女に見せた。
「何の冗談だ?」
と眉を顰め少女は言う。
「本気なんです」
とツカサも真摯に返す。
「私も暇じゃないんでの」
少女は席を立った。『重大』『緊急』この言葉を使っておきながら開いたのは絵本。少女が怒りを示すのも当然だ。だがツカサは粘った。
「ちょっと待って!」
「なんだ」
「字が読めないんだ」
「他を当たるのだな」
「君しかいない!」
「何故私がお主の戯言に付き合わなきゃならんのだ」
こうなってしまってはイタチごっこだ。ツカサは最終手段に出た。
「お願いします!俺、どうしても絵本が読みたいんです!俺どうしてもこの絵本が読みたいんです!お願いします!!!!!あの…!!!」
どう考えても漫才のネタ帳に書かれているような文面だがツカサは本気で、この図書館に響くくらい大きな声で言った。もう頼みごとでなく心理的脅しにかかってた。
今まで静かだった図書館が少しざわつき、視線が集まる。少女も遮るように慌ててツカサを諭した。
「わ、わかった!わかったから静かにしてくれ!お主図書館では静かにしろと言われなかったのか!?」
「んじゃ、教えてくれるんだね」
はぁ…と深いため息をついた少女は席に着いた。この少女からツカサは変態の烙印を押された。
「すまぬが私にはお主の言っていることが分からない。お主はこの絵本の何が分からないというのだ。“これはアプの実です。とても美味しいです”と書かれているだけだろう」
と一ページ目を捲り言った。
ツカサは少女が言葉を教えてくれるや否や唐突に語り始めた。
「聡明な幼女よ。確かにこの絵本を読むことも俺にとって重要なことなのだけれども、今まであったことを誰かに聞いてほしかったというのが本来の目的なんだ。そして俺の手助けをしてほしいという事を言いたかった。君はみたところとても高価な服を着ているし、振る舞いも強かで美しい。今から訳の分からないことを言うかもしれないが良く聞いて欲しいんだ」
「もう十分わけが分からないのだがこれ以上私を混乱させようというのか…。それに誰が幼女だ!!!私は…!」
「実は…」
「無視か!?」
食い気味に話に割り込んだツカサに対してまぁ良いと呆れる少女。そして少女は続きを促した。
ツカサは少女に話した。自分が別の世界からきているのではないかと推測していること、自分の眼がおかしい事を。
「つまりお主は異世界からここにやってきてその変な眼を得たというわけか。」
「そういうことだ。」
「興味深い与太話だが私にそれを信じろというのか?」
ツカサはここで少女のパンツの色でも透かして言い当ててやれば信じるのではないかと考えたが、それをしなかった。それをしてしまったら交渉が上手く進まないのではないだろうかと思ったからだ。
仕方なく、ツカサは胸当ての色を言うことにした。ふむふむと魔王の胸付近を見つめて言った。
「少女よ、君は子供なのに随分と大人っぽい下着をつけているんだね。黒レースなんて胸当てよりもっと子供っぽいほうがいいと思う。そのくらいの年齢だったら白とか…。てか、そもそも胸なんて…エブシ」
立ち上がった少女はツカサに平手打ちをお見舞いした。顔を真っ赤にして悔しそうに睨んでくる少女はもう一発おまけにひっぱたいた。もういっぱつ。もういっぱつ。図書館にパシンという音が響き渡る
「ずみまぜん」
図書館の人に止められるまで一方的な攻撃をし続けた少女。その後、ツカサは地面に正座をし少女見上げ謝罪した。そして少女は見下ろす、いや見下してツカサの眼をみていた。ツカサは超変態の烙印が押された。
ツカサの力量があればあの程度のビンタなど防げただろうが、あえてそれをしなかった。理由は言わなくてもわかることだろう。幼女にぶたれる、つまりはそういうことだ。
「わかった。お主がストーカーであって、私の下着の色を言い当てたということも視野に入れながら少し信じてみようではないか。」
「ホッ…よかった…。」
「よくはないがな!!」
何が良かったのかは定かではない。
少女はもう一発ビンタし席に座った。ツカサも立ち上がり腫れた頬を摩りながら席に座った。
「と言うわけで、俺はこの眼を使っていろいろなことができるというわけだ。先程の透視だけでなく遠くを見ることができる遠視や、人や物の体温までもが視える力を持っている。」
「で、異世界から来たお主は行くあても、これからどうしたらいいのかも分からないから私に助けを求めたという事か?」
「そういうことだ」
少女は少し考えて言った。
「いや、待つのだ。何故私に頼んだ?辺りを見ればもっと役に立ちそうな大人たちが沢山いるではないか。」
「最初はただ文字を教えてもらうだけにしようとしていた。幼女は懐柔しやすいだろからな。」
「随分と正直だな」
あと、幼女ではない。と付け加える少女。
「しかし俺は君の持っていたその本、そして今ポシェットに入っている紙に興味を示すと同時に、君がそんじゃそこらの幼女じゃないという事がわかったんだ。」
先程透視をしようとした際にまだ力が制御できないツカサは誤って少女のポシェットの中身を見た。その時に一枚の紙に眼が行ったのだ。
少女は机に置かれた本に視線を移し、ポシェットから一枚の紙を取り出した。
「『行方不明者はどうなった!?』『行方不明者場所別統計』『行方不明者名簿録』という本とその紙きれに羅列されている何かの名前。君はその紙に書かれている名前の人間を探しているんじゃないか?」
「…」
「言いたくないのならいいのだけれど、もし君が誰かを探しているというのなら俺は力になりたいと思っている。それは己の正義感や自己啓発のためじゃない。この右も左もわからない世界で生きていくためにはまず仕事が必要だと考えたからだ。君がもし人探しをしていて、そしてもし人手が足りないというのならば俺のこの能力を使ってくれてもかまわない。」
「つまり、私がお主を雇うということか?」
ツカサは頷き肯定した。しかし少女の答えは一瞬も迷いもなかった。
「嫌だ!!!」
「なんで!!!今の流れは頷いて『これからよろしく頼むキリッ』って所なはず!」
「だってお主変態ではないか!!誰が変態を雇うか!!!」
下着を言い当てた件であろう。否定はできない。
「そんな!俺が君の下着の色を言い当てたから変態だっていうのか!?だってそうでもしないと信じてくれそうになかったじゃないか!!!」
「よ、良いかお主!!!私はお主が私をつけまわす変態ストーカーだという線を捨て切れていないのだぞ!!未だにその眼の能力すら信じきっていない!し、下着の色や紙きれの内容が分かったことだってお主が私の生活を知らない間に盗み見ていただけかもしれないのだからの!!!」
「んじゃ、俺はどうすればいいんだ!!!!」
「知るか!変態ストーカーなんてお断りだ!!!ほかを当たれ!!」
「ぐぬぬ」
ツカサ達の声は図書館中に響いており、先程から図書館の人が話しかけていることにも全く気づいていないほど白熱していた。
しびれを切らした図書館の人は声を大にして呼んだ。
「あの!!!!!」
「「なに!!!」」
二人は怒り気味で振り向くとそこには先ほど入口にいた銀髪の若いお姉さん司書がニコニコと笑っていた。二人はその笑顔の意味が直ぐに分かった。
「図書館では静かに」
「「はい」」
ツカツカと司書のお姉さんが帰っていく背中を見送った後、少女は声を抑えて続けた。
「わかった。お主を少し試そうと思う。」
「どうやって。まさかまた…」
少女が睨んでいるためツカサは言葉を噤んだ。
「ゴホン、えーっと。うん、あそこのいくつも装飾が施されている本棚があるであろう。そこの本棚の上から3段目の左から4冊目の本のタイトルを言うのだ」
少女が指を差したのは今ツカサ達が座っている丸テーブルの反対側、そしてその二階の正面にあるひときわ目立つ大きな本棚だった。もちろんここから常人が肉眼で見ることは不可能な距離だ。世界一視力がいいと言われているアフリカのマサイ族なら可能なのかもしれないが・・・。
「俺は字が読めないんだけど」
少女はツカサの前に先程の紙きれとペンを一枚出し、これにその本の背表紙に書いてあるコトを書けと促した。
「文字は読めなくとも模写くらいはできるだろう。書いてある文字を模写するのだ」
ツカサは渡されたペンを手に取り、今言われた本棚を凝視し能力を使った。
上から3段目、左から4冊目の本を見つけ模写を始める。ツカサが途中まで書いたところでその少女はツカサを止めた。
「もう良い。わかった。お主はどうやら本当に特異な眼をもっておるようだな。」
少女は俺からペンを取り上げ、それをかばんにしまった。
「ほんとにもういいのか?本のタイトルがあっているのか分からないんじゃないか?」
「私とて適当に本を選んだわけじゃない。あそこの上から3番目左から4冊目にある本は私も知っておる。『The little Princess』と言う本だ。お主は見事正解した」
異世界の書籍のはずなのにツカサはそのタイトルに聞きおぼえがあった。だが、たいして気にしなかった。
「でも君が適当に選んだ本じゃなかったら意味がないんじゃないか?もしかしたら俺はストーカーで君の嗜好を知っていたのかもしれない。」
「お主は私に雇われたくないのか雇われたいのかどっちなのだ!!確かにあの本は有名だが、さっきたまたまあそこの本棚で目に入っただけだ。お主にはわかるまい。」
「そうかい。」
少女の声は明らかに沈んでいた。あの本を巡って何かあったのだろうか。少女は先程出した紙きれをポシェットにしまい立ち上がった。
「お主名前はなんていうのだ。」
「ツカサ。俺の名前はダイワ・ツカサだ。ダイワがファミリーネーム」
俺に家族はいないがな、とツカサは自嘲する。
「異世界からきたってだけあって変わった名であるな」
少女は小気味よく笑って言った。
「ソウデスネ」
ツカサはつんと、鼻をならした。腕を組みその少女の名前を聞く。
「で、君の名前は?」
「私か。うーん…。」
「迷うことじゃないでしょ」
「魔王とでも呼んでくれ!」
「なんじゃそりゃ」
「まあ、雇うと言った以上適当では済まされん。後で家に帰ったら正式な契約を致そうではないか。トントン拍子で決まってしまったがお主の能力は私の役に立つと踏んだからこそだ!よろしくなツカサ!」
ここはこの国で一番大きく名誉ある図書館。様々な時代、様々な種類の本の薫りが包むこの場から二人の少年少女、いや青年幼女の異世界物語は始まった。だが彼らは未だ知らない。この物語に潜む闇はひしひしと彼らの足元で蠢き、貪り、蔓延っていることを。彼らがそれを知るのはもう少し後のことだった。