海を望む墓地にて──敗戦後
ただ無心に手のひらを合わせた。
瞼を上げる直前、塩分の濃い潮の匂いに混じってほのかに伽羅の香りが鼻腔をくすぐった。しゃがみこんだ姿勢の無防備な首筋を、夏の盛りの直射日光が照りつける。
眼前には虚無があるだけだ。命の灯火の消え失せた、闇。きつく合掌したままの両手のすぐその前で、細い線香の煙りがひとすじ、ときおり海から吹き上げてくる風に掻き消されそうになりながら、揺れ燻っているようだった。
「みどり姉さん、あれだけ自分ひとりなら厭がってたくせに、まこと義兄さんに繋がることなら、こうやってあっさり島に帰ってくるのよね」
私をここまで連れてきてくれた喜代美が、半分あきれた声色で吐息まじり、親しげな言葉を背後で口にした。哀しみと悼みの感情をそっと織り交ぜ隠して。それがどこか責めるような調子にも感じられたのは、彼女に対しても、そしてほかならぬ自分自身に対しても、弁解しようのない負い目みたいものを私がずっと胸に懐いていたからなのかもしれない。
「姉さん、義兄さんが無事に帰ってくるまで東京の家を離れないって、父さんや母さんが説得してもまったく云うこと聞かなかったのに……」
返す言葉はない。私はとうに声を失っていた。叫ぶことも、泣きわめくことも満足にできない。自分の命よりも大事な伴侶を永遠に喪った私に、もはや感傷も言葉もどうせ必要ないだろう。誰かと心を通い合わせ意志疎通を図ることなど、どうせ。
熱せられた海面を吹き渡る涼しげな風に、私の不精に伸びた長い髪がなびく。
「何度、頭上に爆弾を落とされても、いつもなんとか助かってたのに。銃後だったし、空襲があっても壕に避難すれば大丈夫だったのよ、それなのに……まこと義兄さん」
途中で喜代美が声をつまらせた。
「家が焼けても、義兄さんがくれた手紙はお守り代わりに肌身離さず缶箱に入れてもってたから……それが奇跡的に焼けずに残ってたからよかったのよね、姉さん」
詫びるような気持ちでこうべを垂れ、黙祷していた私は、振り返りもせず、背中越しに妹がすすり泣くのを感じとった。もうだいぶ以前になるが、島を渡って実家を訪ねるたび見かけた、あの優しい笑顔が想起される。対岸の街に住むご両親にも、ずいぶん心配を掛けてしまった。
それを思えば、いま、この眼前にある『井ノ上家之墓』というべつの土地のうちに、かけがえのない家族が骨になって入るということは、いったいどんな心持ちだったろう。
「義兄さんがこんな姿になっても、自分のもとに帰ってきてくれてさぞかし嬉しかったでしょうね」
喜代美が涙声で語りかけている。私の無言の、忸怩たる思いや自責の念に応えるかのように。
私はうつむけていた顔を上げた。正面から墓石を見上げる形になったとき、逆光で、御影石の頭頂の角に後光が射すのがまるで見えるようだった。