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短編No.61-

No.73 家族を守りたかった、とある男の話

作者: 藤夜 要

 愛息と過ごす最後の夜だというのに、K氏は薄暗い裏路地のさびれた飲み屋で、バーテンを相手に管を巻いていた。

「俺はただ、家族を守りたかっただけなんだ」

 K氏は絞り出すようにそう呻くと、還暦手前にしても老け過ぎるとしか思えないほど白く、そして薄くなった髪を掻きむしった。

「お客さん、そろそろ店じまいなんですけど。最後に何かもう一杯作ります?」

 バーテンは、幾度となく繰り返されたK氏の愚痴を水よりもさらりと受け流し、遠回しに訴えるのも面倒くさいとばかりの声音でラスト・オーダーを尋ねた。

「俺はなあ、これでもほんの少し前までは」

「はいはい、聞いてましたよ。元ボルテージのナンバー・ツー、Keyさん、ですよね。俺も子供のころファンでしたよ」

 あのときまでは、とバーテンが吐き捨てるように付け加えると、K氏は途端に黙り込んだ。


 K氏は、ただ家族を守りたかったのだ。愛する妻とようやく授かった一人息子に充分な暮らしをさせてやるために。あの業界の老獪どもから、文字通り『死んだ方がマシ』な目に遭わされるなどというおぞましい将来を恐れたK氏は、十五年前に恩人が危機的状況に陥ったとき、仲間たちとは意を異にして“あの人”に忠誠を誓った。

 その結果、K氏が少年のころから仲間たちと共有して来たボルテージは解散、K氏だけがこの業界で生き残った。

 ほかの仲間は“あの人”の怒りを買う格好となり、不本意な仕事を大量にこなす毎日になった。それらの仕事は、“時代の覇者”と称賛されたボルテージのメンバーにとって屈辱以外の何物でもない内容ばかりだった。

 リーダーだったK氏と同い年の彼は芸能界を引退し、一つ下だった二人は舞台へ転向したが、三人ともその後の消息は不明。残りの一人はK氏と同じ事務所に所属している間に重度のうつ病を患い、強制入院させられたそうだ。仲間の中で最も若かった彼は、そこまでの事態になってようやく“あの人”から解放されたのだ。だが、そんな彼も看護師の目を盗んで病院の屋上から飛び降りたらしい。一命は取り留めたと担当マネージャーから聞いたが、K氏が知っているのはそこまでだ。マスコミは“元ボルテージのメンバーが飛び降り自殺未遂”という美味い餌に飛びつかなかった。おそらく“あの人”が箝口令を布いたのだろう。それであれば、K氏がそこに触れることは“あの人”の逆鱗に触れるに等しい。

 K氏は、自分の選択が彼らの人生を狂わせたのだという罪悪感から、自身の精神も病み掛けた。それでも、かなり減収になりながらも今こうして生活している。当時の妻が施してくれた献身のおかげだった。

『あなたの選択は正しかったのよ』

『彼らは弱かったの。だって彼らには、守りたいものが自分自身しかなかったんだもの』

『だけどあなたは、家族という弱点があった。だからこそ、ほかのすべてに於いて強く在れた』

『そんなあなたを、私は誇りに思っているわ』

 良心や罪悪感に蝕まれそうになる精神を辛うじて正常に保てたのは、妻が散りばめてくれたそれらのおかげだった。

 K氏は妻の言葉を金言にし、日々事ある毎にそれらを呪文のように繰り返し、世論が仲間たちへの裏切りとK氏を糾弾したその一件を割り切ることに成功した。精力的に、アグレッシヴに、“あの人”の望む“Key”で在り続けることで、己の家族を守り続けた。

 そんなK氏の人生が暗転した発端は、“あの人”の死だった。


 この業界に君臨していた“あの人”が死んだ。いわゆる大往生というヤツだ。

 その後ふとしたときに、K氏は苦虫を噛み潰す想いで古い映画作品を思い出す。

「悪い奴ほどよく眠る、か……よく言ったものだ」

 どうやらバーテンは映画マニアらしい。K氏の呟きにぴくりと反応し、グラスを磨いていた手を止めて話し掛けて来た。

「黒澤映画ですね。百年以上も前の作品ですが、自分もそれ、若いころは好きでした」

「よく知っているね。しかも、こんなご時世なのに」

 嫌悪の混じらない声で誰かから話し掛けられるのは、久し振りだ。K氏はバーテンの反応が嬉しくて、つい話を引き摺ってしまった。

「こんなご時世になってしまったので、今は複雑な心境です。観たいとは思いませんね」

 バーテンの声音は、あっという間に嫌悪感に満ちた声に戻ってしまった。

「だって、今まさに“悪い奴ほどよく眠る”ご時世になっちまったんですから、あんたのせいで」

 K氏の手に収まっているグラスの中で、溶け始めたロックアイスが、からんと虚しい音を立てた。

 K氏は歳月の流れも顧みず、行きつけのバーテンでしかない行きずりの人間を相手に、釈明の弁をまくし立てた。

「まだ俺のせいだと言うのか! 現役のころから俺は訴え続けて来たじゃないか。記者会見や囲み取材の報道を聞いていないのか? 俺だって知らなかったんだ」

「はいはい、そうですね。あなたも犠牲者、でしたっけ。全部北澤プロダクションの前社長のせい、でしたっけ。でもあなた、今もそのプロダクションで固い椅子を温めているそうじゃないですか」

「そ、それは」

「それに息子さん、ええと、Kyen、でしたっけ。そちらさんのトップアイドルらしいじゃないですか。この間もCMで見ましたよ。日本自衛軍の志願者募集、ってヤツ」

「それは……」

「マスコミが芸能ゴシップの追っ掛けで躍起になるときは、大抵水面下で国が世論を大きく騒がせる大事の根回しをしている、って定説、あの時代にはなかったんでしたっけ」

「そんな定説、知らなかったんだ。それに、俺は“あの人”を恐れていた。“あの人”を威圧する存在なんかいるわけがないと思っていた。だから、あの人の指示通りに動いていただけで……そもそも、二代目が下手を打ったから、“あの人”が意図的にボルテージを解散へ誘導していた証拠もマスコミに流れちまって」

 釈明するK氏の声が尻すぼみになる。バーテンはそんな彼をあざ笑うかのように、

「あの名作を見たことがあるのに、察しもしなかった、と。本当に悪い奴は姿すら見せないものだ、ってこと」

 とだけ返し、またグラスを磨き始めた。


 業界を牛耳っていた老獪が死ぬと、K氏の所属している北澤プロダクションは同業他社から一斉に攻撃を受けた。ぼんくらな二代目の経営手腕は目も当てられないほどで、先代やその夫が残した遺産を所属タレントのゴシップネタの揉み消しにばかり使った。その結果、資産を使い果たし、今は経営を危ぶまれている。

 こんな展開になると思わなかったK氏は、息子の夢を支援するつもりで北澤プロダクションと契約をさせていた。

 北澤プロ潰しの一つとしてゴシップ誌で長い間報じられたネタが、とある政治家と“あの人”の癒着問題だ。それに付随する形で、ボルテージ解散劇も、あることないこと報じられた。

 K氏はそのゴシップ報道で、他のメンバーが皆自殺や病死で他界していたことを知った。その報道では、K氏が“あの人”とグルになって、国の大きな動きを報じ兼ねないマスコミの関心を逸らさせるためにボルテージ解散劇を起こしたことになっていた。

 国が先進各国の合意を受けて、集団的自衛権の拡大解釈により、自衛隊を日本自衛軍と位置付ける憲法改正案の可決に至る動きをしていたのだ。法案が可決され、成人を迎えた全国民に徴兵義務が課せられたのは、その騒動が鎮静してから数年後のことだった。

「バーテンくん、君は、いくつだい?」

 バーテンは素っ気ない口振りで「三十二です」とだけ答えた。改正憲法が適用される年齢だ。

「派遣先は、どこへ?」

「最悪でしたよ。イラクの激戦区でした。たった一ヶ月訓練を受けただけで、名ばかりの支援物資隊に配属されて。まあ、応急キッドが自衛隊時代よりは揃っているし、掠っただけだから、この程度の銃創なら死にはしないと先輩に言われたのでね。気力だけでどうにか生き延びました」

 バーテンは最後のグラスを磨き終えると、ゆっくりとK氏の前から遠ざかった。

 バーテンはカウンターを出て、ぎこちない足取りへホールへ向かって行く。よく磨かれたスギ材の床が、コツ、と重く一歩、カツ、と軽く一歩。またコツ、次はカツ、と、不格好な靴音を立てていく。

 彼がホールに並ぶテーブル席の椅子を次々とテーブルに上げていく。K氏はそんな彼の姿を申し訳なさそうな目で見つめた。

「ずっと気になっていたんだ。客に愛想があって人気だと言われている君が、俺にだけは素っ気ない対応だったこと。その足は、戦地で受けた怪我が原因なのか?」

「怪我? 怪我ですって!?」

 バーテンは鬼の形相で目を剥いてK氏にがなった。

「その辺でスッ転んだのかみたいな言い方で済む話ですか! ないんです! 失くなったんですよ! まともな医療すら受けられないあんなところで、二年! 二年も駐留させられてたんですから!」

 K氏は慄いた。バーテンに対してではない。ある日突然足が失くなる、という、自分の人生で経験のない事実を背負わされている、その苦痛に対してだ。掠り傷程度でも足を失う破目になるような、戦地という場所の凄惨さに対してだ。

 バーテンはK氏の蒼白になって震え出した様子を見て我に返った。

「……すみません。一応、あなたもお客でしたね。招かれざる客でしたけど」

 さりげなく過去形で言われたことにK氏はきょとんとする。

「ずっと、やり場のない憤りをあなたにぶつけて来ました。でも、これからは少しだけ手加減します」

 バーテンはすべてのテーブル席の椅子を上げ終えると、掃除用具入れからモップとバケツを取り出してカウンターへ戻って来た。その奥にある大きな洗面台にバケツを置き、水を貯める。

「世間のみんなだって、頭では解ってるんですよ。あなただけのせいじゃない、って」

 あなた“だけ”のせいではない、という言い方が、実にバーテンらしい。

「踊らされて盲目になっていた、国民全員に非がある。だから、大事なことを全国民が見落とした」

 ジャージャーと賑やかに音を立てる水音に、バーテンの言葉が吸い込まれていった。

 キュ、とカランの閉じる音がする。バーテンはたっぷりの水を飲んだバケツを大儀そうに持ち、再びカウンターから出て来た。K氏はふらつきながらも立ち上がり、そのバケツを少し強引に受け取った。

「水を入れ過ぎだ。営業時間が過ぎているのに、いつまでも悪かった」

 K氏はそう言いながらホールの真ん中にバケツを置き、テーブルに立て掛けてあったモップを手に取った。

「何してるんですか。返してください」

「せめてもの、償いだ」

 K氏はそんな言い訳を口にして、あとは黙々とモップを掛け続けた。バーテンはカウンター席のスツールに腰を落ち着け、そんなK氏を無表情で見守った。

「Kさん、もういいですよ。本当は、自分が今ここにいちゃいけない、って解ってるんでしょう?」

 やがてバーテンは、今までの中で一番砕けた口調でK氏に自宅へ帰るよう促した。

「俺は充分あなたに報復しましたから。息子さん、明日出立だそうですね。今朝のワイドショーで小さく取り上げられてました」

 バーテンは知っていた。K氏を恨んでいたからこそ、K氏に関わるどんな小さな情報もつぶさにチェックし続けていたのだろう。

 世論があんなに猛反発した、自衛権行使範囲の改正法案。可決された途端、国民はあっさりと諦め、次の面白そうなネタを探しては、相変わらずテレビやネットを賑わせている。ただ漠然と燻り続けるK氏への嫌悪だけを維持しながら、その息子であるKyenを悲劇のアイドルと持ち上げ、あくまでも他人の身に降り掛かった不幸な出来事として、彼の召集報道を面白おかしく、語る。

 K氏は疲れた溜息をつくと、前かがみに丸めた体を起こした。

「息子にも、これまでのあんたと同じ目を向けられているんだよ、俺は」

『父さんのせいで、俺まであの事務所で飼い殺しだ』

 そう言われたあの日から、随分久しい。K氏は薄く微笑むと、バーテンに深々と頭を下げた。

「聡明だな、君は。人気のバーテンというのも頷ける。酒よりも、君の“あなただけのせいじゃない”という一言で温まったよ」

 K氏は“どこが”温まったのかまでは言わなかった。バーテンにモップを託すと、重いバケツをカウンター裏の洗面台に運ぶ。

「……どうも」

 とぶっきら棒に答える声に、K氏はまた温められた。

「なあ、バーテンくん。君は、悪い奴を表に引きずり出すことが可能だと思うかい?」

 カウンターから出て来たK氏は、スツールに置いてあったコートを羽織りながら軽く尋ねてみた。

「不可能ではないでしょうけど、意味はないと思いますね」

 どうせまた次の悪い奴が、姿も見せずに駒を動かすのだから。

「……そうか。俺はこれからも、ろくに償えないまま、兵役にすらつかずにぬくぬくと死を迎えるのか」

 もう二度と来ないよ、と話を締め括り、K氏はバーを後にした。心優しきバーテンの慰めを受ける資格などないと思ったから。

 一見何も変わらぬ深夜の繁華街。遅過ぎる時刻で閑散とした通りが、よりさびれた街のように見える。

 そのうら寂しい通りを歩くK氏の目は死んだ魚のように何も映さず、また繰り返される冷たい翌日だけを見つめていた。

フィクションです。実在する諸々から考えた虚構の話ではありますが、一つの可能性として、とある出来事について不安が嵩じて吐き出したかっただけの乱文。

繰り返しますが、フィクションです。実在する諸々とは一切関係はなく、作中には事実を一切含んでおりません。

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