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黒刀  作者: かとぶ
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第三章 学園 前編

 第三章 学園 前編


 1


 2013年11月27日 深夜二時。


 湯田月(ゆたつき)の町の外れに、真馬流山(しんばるやま)という変わった名前の山がある。なぜ、そんな名前がついているのか私にはわからない。実際にその山を見ても、木々が生い茂っているだけで何の特徴もないからだ。

 楽器のシンバルと何か関係があるのかしら。どんな理由があっても関係ないけど。

 私はある男に会うため、この山に沿ってつくられた道路を車で走行していた。

「もうすぐ合流地点に到着します」

「ようやく到着か。ずいぶんと時間がかかったな、野梨子(のりこ)

 後部座席で横になっていた彼が体を起こす。たばこに火をつけて煙を深く吸い込んだ。

「この山道は夜になると、何も見えません。安全運転です」

「真面目なお前らしいな」

「見えました。あそこです」

 道路脇に白のワゴン車が停車しているのを確認して、そのそばに車を停めた。

「いるの、五島(ごとう)?」

 車から降りて白のワゴン車に向かってそう呼びかけると、後ろのドアが開き、金髪にメガネをかけた男が現れた。手にゲーム機を持っているのは相変わらずみたい。

「待ちくたびれましたよ、野梨子さん」

 五島昇(ごとうのぼる)は頭をかきながら言った。

「野梨子さんだけですか?」

「いいえ、あの方も来ているわ」

「よお、久しぶりだな、五島」

 私の背後から彼の軽快な声が聞こえてきた。五島はかなり驚いた様子で、彼の名を口にした。

「もしかして木出さんですか!?」

「相変わらずゲームばかりしてるみたいだな」

 彼――木出拓馬(きでたくま)はにやにや笑いながら言った。対して五島もゲーム機を持ち上げて笑った。

「最近発売されたばかりの新機種です。木出さんもどうですか?」

「いや、それはまた今度にする。今日はお前に特別な用があって呼んだんだ」

「だと思いましたよ」

 五島は真顔になって、ゲーム機を車の中に投げ込んだ。

黒刀(くろがたな)のことですよね?」

「そうだ、奴の始末をお前にしてもらいたい」

 そう言って木出さんは一枚の写真を五島に渡した。その写真は先日、薮内(やぶうち)が殺されたときに隠しカメラで私が撮影した黒刀(くろがたな)の姿だった。

「でも、いいんですか、木出さん。こいつのこと、結構気に入っていたんじゃないですか?」

「もはや奴は我々にとって脅威以外の何者でもなくなった。お前は以前からそいつのことを気に入っていないって言っていたし、いい機会だろ?」

「否定はしませんが、あとでキャンセルにしないでくださいよ。俺の部下たちに指示を出しますから」

 木出さんは笑っているだけで何も言わなかった。

「では、失礼します」

 五島は写真をポケットに入れて車に乗り込み、そのまま、町のほうへ走り去っていった。

「木出さん、よろしいのですか?」

 五島の車が見えなくなったのを確認して、木出さんに聞いた。

「黒刀を仲間にしたい気持ちは、まだ消えていないのではありませんか?」

「奴の力はまだまだ強くなる。五島に殺られるようじゃあ、黒刀の力もそこまでだったということさ」

「木出さんが全てを奪ったとわかれば、彼の力は一気に増大します」

「まあ、楽しみはあとにとっておくものだ。楽しい楽しい戦いはな」

 木出さんがこの時に何を企んでいるのか、私にはわからなかった。


 2


 2013年12月2日 湯田月市 住宅街


 窓から朝日が見える。最近ずっと雪だったけど、今日は雲一つない青空が広がっていた。

 今日はなんていい日なんだろう。小鳥の鳴き声も聞こえてきて、心が癒されるみたい。

 ふと時計を見ると八時を回っていた。

 よかった、まだもう少しだけ眠れる……え?

 八時!?

「やばい、寝坊だあああああ!」

 自分のベッドの上であたし――結城沙耶(ゆうきさや)は絶叫をあげながら起き上がった。

「た、大変! 大変!」

 大慌てで学校の制服に着替え、鞄を手にして自分の部屋を出た。階段を駆け降りてリビングに滑り込む。

「おはよう、お母さん!」

「おはよう、沙耶。早く食べないと雄二(ゆうじ)くんが先に行っちゃうわよ」

 テーブルでゆっくりと朝食を取っていたお母さんが言った。

「わ、わかってるよ!」

 あたしはテーブルに置いてあった食パンを口にくわえて、リビングを出ようとした。

「お弁当は?」

「あ、忘れてた!」

「はい、気を付けて行くのよ」

「う、うん。行ってくるね!」

 お母さんが差し出した弁当箱を受け取り、靴を履いて家の外へ飛び出した。

「大変、大変、大変!」

 あたしは食パンを口の中に入れて住宅街の通りを走った。

「四つ目の角を右右!」

 いつものルートを自分に言い聞かせながら、入り組んだ道を進んでいく。

「はあ、はあ……」

 肩で息をしながら、家の近所にある公園にたどり着いた。呼吸が落ち着かせて辺りを見回す。誰も人はいなかった。

「もう行ったのかな……」

「遅いぞ、沙耶」

「いたっ!」

 その時、後ろから誰かに頭を叩かれた。振り向くとあたしと同じ学校の制服を着た男の子が立っていた。

「女の子を叩くなんて最低よ、雄二!」

「お前が遅いから悪いんだよ。ほら遅れてるんだから、さっさと行くぞ」

「あ、待ってよ!」

 あたしは走っていく幼馴染――中西雄二(なかにしゆうじ)のあとを追いかけた。

 幼稚園の頃から腐れ縁のあたしたちは、いつもこの公園で待ち合わせをして、学校に行っている。周りからは恋人同士と誤解されているみたいだけど、実際はただの幼馴染の関係でとどまっていた。

 でも、正直なことを言うと、あたし自身は恋人同士に見られていることが嫌じゃなかった。

 雄二は普段、ぶっきらぼうでどうしようもない奴なんだけど、本当は優しくてとても勇気がある。その性格は刑事の父親から譲り受けているみたいだけど、本人は父親のことをあまり良く思っていないみたい。

本人があまり言いたがらないから、詳しいことは知らない。それでもあたしは雄二のことを一番知っている自信があった。

 だから、あたしはずっと雄二のことが好きだった。子供の頃から、この気持ちは変わらない。だけど時間が経つにつれて、自分の気持ちに素直になれないでいた。

「全くお前はどれだけ寝てたら気がすむんだよ!」

「そんなに寝てないわよ! たった十一時間だけよ!」

「夜の九時に寝て寝坊かよ。お前、小学生か!」

「ち、違うわよ!」

「ほらほら、早く走るぞ!」

「ま、待ってよ!」

 足を速める雄二のあとを必死に追いかけて、町の通りを走る。周りを見ると、あたしたちと同じように必死に走っている生徒が何人もいる。

「ほら沙耶、急げ!」

「う、うん!」

 その後、あたしと雄二は授業の始まる一分前になんとか湯田月高校の校門をくぐり抜けた。

「ふう、なんとか間に合った……」

「はあ、はあ……もう疲れたよお……」

 チャイムが鳴るのと同時に学校の教室にたどり着いた。あたしは窓側の一番後ろの席に座り、雄二がその隣の席に座った。

「全く、なんで俺まで走らされないといけないんだよ」

「ま、間に合ったからいいでしょ!」

「ああ、もう朝から大声でわめくな。お前は犬かよ」

「い、犬だってえ!? ちょっと謝りなさいよ、雄二!」

「おはよう、沙耶」

 雄二に怒っていると、前に座っていた女の子が後ろに振り返った。

「あ、お、おはよう、里菜」

「汗かいてるけど大丈夫?」

「平気平気、走るのは慣れてるから」

 あたしはそう言って里菜を安心させた。

 川崎里菜(かわさきりな)はクラスで特に仲が良い親友だった。黒い髪のショートヘアーに整った顔立ちをした小柄の女の子で、その可愛らしい容姿から人気は高く、入学して数日で何人かの男子から告白を受けたらしい。内気でおとなしい性格だけど、今ではあたしの一番の親友だった。

「雄二くんもおはよう」

「お、おう……」

 雄二は里菜にそう返事をすると、なぜかそれっきり話しかけようとはしなかった。

 不思議に思って本人に聞こうと思ったが、その前に最初の授業の先生が来てしまった。あたしは授業に集中することにした。大抵眠ってしまうのは内緒だけど。


 3


 昼休み。この時間帯になってようやく一息入れられる気がした。

 それにしても、沙耶の寝坊癖のせいで毎朝早起きするのに疲れてきた。

 いつも待っているこっちの身にもなれって言ってるが、何度言ってもあいつの癖が治ることはなかった。

 まあこれも幼稚園の頃からの腐れ縁かもしれないな。

 そんなことを考えながら俺――中西雄二(なかにしゆうじ)はちょうど昼ご飯を食べ終えていた。

「沙耶、ちょっと外に行ってくるね」

「うん、わかった」

 隣の席から声が聞こえてきた。見ると、川崎が席から立ち上がって、廊下のほうに向かって歩いていく。彼女から甘い香りが漂ってくる。香水は嫌いだったが、川崎がつけているのなら別だった。

 やっぱり可愛いなあ、川崎。

 入学式の時、あいつを見て俺は一目惚れしてしまった。今まで恋愛とは無縁だった俺が初めて人を好きになった。でも、まだ告白しようと思っていない。

 川崎はすでに何人もの男子から告白を受け、全てを断ってきていると聞いたからだ。

 なんでみんなの告白を断っているんだろうなあ? 他に好きなやつでもいるのか。

「ねえ、雄二」

 俺のことどう思ってるのかなあ……。

「雄二!」

 ぼうっと考えていると、急に頭を叩かれて我に返った。

「いて、何すんだよ!」

「呼んでも反応しないからでしょ!」

 いつの間にか、沙耶が頬を膨らませて俺を見下ろしていた。

「なんだよ、どうかしたのか?」

「今日の放課後、なんかある?」

「別に何もねえけど……」

「じゃあ、授業終わったら体育館裏に来て」

「は? なんでだよ?」

 予想もしていなかったことを言われて、思わず聞き返した。

「あ、やばい、里菜が帰ってきた。とにかくよろしくね」

 教室に入ってくる川崎を見て、沙耶は慌てて席に戻った。

 何なんだいったい……。

 不満に思いながらも、俺は頬杖をついて次の授業を待った。


 4


「雄二、早く!」

「おい、引っ張るなよ!」

 放課後。沙耶にがっしりと腕を掴まれ、体育館裏に無理矢理連れて行かれた。

「話ってなんだよ、いったい?」

「もう待ってるから早く行くわよ!」

「待ってる?」

 そう聞き返したが、沙耶は何も答えずに体育館の裏に回った。そこには予想もしていなかったやつが待っていた。

「か、川崎!」

「雄二くん?」

 体育館の裏に待っていたのは川崎だった。

 な、なんで川崎がこんなところに!?

 体育館の裏なんて告白以外に何もないかと思ったが、それなら沙耶がわざわざついてくる必要がない。

 状況が全くわからないでいると、川崎と沙耶が二人で話し始めた。

「沙耶、なんで雄二くんを呼んだの?」

「男子の意見も必要かなあと思ってね」

 沙耶がいたずらっぽく笑って俺のほうを見た。

「おい、どういうことだよ?」

「実は里菜にはね、好きな人がいるのよ」

「え?」

「あ、ちょっと沙耶! いきなりそんな――」

「言わなきゃ始まらないでしょ」

 聞き間違いかと思ったが、川崎が顔を赤くして沙耶を止めようとしているから本当のようだった。

 川崎に好きな人か。いるとは思っていたが……。

「それでその好きな人は誰なの?」

「さ、沙耶も雄二くんも絶対他の人に言わないでね。お願いだから」

「もちろんよ。ねえ、雄二?」

「ん? あ、ああ」

「わ、わかった……」

 川崎は顔を真っ赤にして、小さな声で呟いた。

「実は……斎藤先生なの」

「ああ、斎藤先生ね」

「なるほどな……」

「え、どうして?」

 俺と沙耶の反応を見て川崎はかなり驚いていた。

「そりゃあそうよ、あんなかっこいい先生そうは会えないわ」

 沙耶が少し落胆したように言った。

「クラスの女子の何人かも騒いでいたからなあ……」

 でも、川崎もか……。

 衝撃は大きかったが、心のどこかで納得している自分がいた。

 斎藤悠輔(さいとうゆうすけ)先生は、半年ぐらい前に学校に来た臨時教師だった。

 日本史を担当していた先生が事故で入院してしまい、その代わりに授業を担当しているが、かなり評判が良く、人気が高かった。他の授業をさぼるやつがいても、斎藤先生の授業を欠席するやつなんて誰もいないぐらいだった。個人的にも雑談を混じえながら、歴史を教える先生の授業は確かに面白かった。

 おまけに性格も良く、見た目もかっこいいので、クラスの女子にはかなりの人気があると聞いている。

「そんなに人気があるなんて知らなかった……」

 川崎は少しため息をついた。俺はそれよりも川崎が斎藤先生の人気を知らなかったことに衝撃を受けていた。

「それで斎藤先生にどうやって想いを伝えたらいいかわからないから、相談したってわけね?」

「うん、だめかな、わたし、先生を好きになったら……」

「そんなことないわよ。恋に立場なんて関係ないわよ。人を好きになるのに理由なんて必要ない。里菜が初めて恋をした相手が斎藤先生でも、それはとてもすばらしいことじゃない」

 時々、沙耶はいいことを言う。だが、川崎にそう言って欲しくはなかった。

「う、うん、ありがとう。沙耶」

「それで雄二、何か考えはないの?」

「え?」

「何のためにあんたを呼んだと思ってるのよ」

 沙耶が呆れたように両手を腰にあてた。

「こういう相談は男子からの意見も聞いたほうがいいに決まっているでしょ」

 こいつ、そのために俺を呼んだのか。

「わかんねえよ。湯田月祭(ゆたつきさい)にでも誘ってみたらいいんじゃないのか?」

「あ、それいいアイディアね!」

「え?」

 俺が半分投げやりに言ったことに沙耶が食いついてきた。

「里菜、そうしなさいよ。無理にデートとかに誘うよりも、うまくいきそうじゃない」

「そ、そうかな?」

「うんうん。あたしと雄二も手伝うからさ」

「お、おい、勝手に……」

「本当に? ありがとう、雄二くん」

 否定しようとする前に川崎が嬉しそうな顔をしたので、何も言えなかった。

「……お、おう」

 結局、俺はそう答えてしまった。

「じゃあ、なんとか里菜が斎藤先生と出会う状況を考えないとね。今日はとりあえず帰ろっか」

「うん、そうだね」

 俺は呆然と川崎のことを見ていた。

 川崎の好きな人が斎藤先生とは……。

 俺なんか絶対にかなわないような気がする。でも、簡単にはあきらめたくなかった。


 5


「じゃあ、沙耶。わたしはここで。これから寄るところがあるから」

「病院に行くの?」

「ううん、病院は明日なの。今日はお母さんに買い物頼まれてるから」

「そっか、じゃあまた明日ね」

「うん、じゃあね、沙耶、雄二くん」

 そう言うと、里菜は手を振りながら町の商店街のほうへ走っていった。

 それから、あたしは雄二と一緒に自分たちの家に向かって歩いた。

「でも、驚いたなあ。里菜が斎藤先生のことが好きだったなんて。クラスの男子の何人にも告白されているのにね」

 交差点で赤信号を待っている時にそう言ったが、雄二は呆然と立ったままだった。

「ねえ、聞いてるの、雄二?」

「ああ……」

「本当に?」

「聞いてるよ」

 青信号に変わると、雄二は横断歩道を歩き始めた。あたしもそのあとについていく。

 そういえば、さっきから何もしゃべっていない。

 不思議に思ったあたしは雄二に聞いた。

「どうしたの、雄二? なんかさっきから元気ないみたいだけど……」

「なんでもねえよ」

「嘘でしょ。絶対元気ないよ」

「何でもないって!」

「何よ。言いたいことがあるなら言いなさいよ!」

 大声で怒鳴り返すと、雄二は急に黙って表情を暗くした。

「悪い……」

「本当にどうしたの?」

「いや、川崎に好きなやつがいたことがショックでな。俺なんか眼中にはないと思ってたけど」

「え?」

「俺、川崎が好きなんだよ」

 それを聞いたあたしは無意識のうちに立ち止まった。

 嘘、雄二が里菜のことを……?

「一応、力になるけど俺はあきらめたくないんだ」

「……」

「どうした?」

「え? あ、ううん、何でもない」

 あたしは揺らぐ気持ちをなんとか抑えて雄二に言った。

「ごめんね、雄二の気持ちも知らずに……」

「過ぎたことだろ。気にするなよ」

 雄二は笑みを浮かべてあたしに言った。

 こいつの笑顔を見ると、いつも元気がわいてきたが、今はなぜか心の奥深くに、何かが突き刺さったような気がした。

 全然気づかなった。里菜は確かに男子から人気がある。でも、まさか雄二まで……。

 ショックが大きくて、その日の夜はなかなか眠ることができなかった。

 雄二は里菜のことを好き。

 どうして、どうしてそうなるのよ。

 だってあたし達、約束したじゃない。子供の時にあの公園でずっと一緒にいるって。

 雄二は覚えていないのかもしれないが、あたしは忘れたことなんて一度もなかった。

 幼い頃、他の子たちにいじめられていたあたしを助けてくれたのは、いつも雄二だった。ずっとあたしの味方でいてくれて、とても優しい幼馴染だった。

 だからあたしはずっと雄二のことだけを想っていた。そりゃあ喧嘩することもあるけど、それぐらいでこの気持ちが変わることはなかった。

 雄二も同じ気持ちだと思っていた。

 でも、そうじゃなかった。雄二は里菜のことを……。

 あたしは自然と手で拳をつくっていた。

 何だか腹が立ってきた。今までの想いが全て無駄だったような気さえもした。

 あたしが苦労を重ねて頑張ってきた思いを踏みにじったのは、あたしの親友――川崎里菜だったからだ。

 どうしてあたしじゃなくて里菜なのよ、雄二……。

 ベッドの上で布団に顔をうずめたまま、時間だけがすぎていった。


 6


 2013年12月3日


 住宅街に米山医院と呼ばれる民間の病院がある。病気や怪我がよく治るということで付近の住民にはとても人気があった。

 わたし――川崎里菜(かわさきりな)もこの病院に通っている。わたしの場合は少し特別な理由なんだけど。

 子供の頃から、わたしは急に熱が上がる病気にかかっていた。風邪をひいたわけでも、インフルエンザになったわけでもない。突然、体温が熱くなり、しばらくしてまた平熱に戻る症状だった。

 その病気を治療するためにいくつかの病院に診てもらったが、どこの病院でもこの病気が治ることはなかった。

 そんなある時、家の近所でこの病院が新しく開かれた。まだ、わたしが小学生の頃のことだった。

 他に行くあてもなかったので、わたしは両親と共にその病院で診てもらうことにした。

 すると、それまで治ることがなかった病気が、次第に回復へ向かっていった。しかし、途中で薬を飲むことをやめてはいけないと言われたので、こうして定期的に米山成二(よねやませいじ)さんの病院に通っている。

「最近の調子はどんな感じになってる?」

「はい、いつもと変わりません。風邪はたまにひきますけど」

 診療室で米山さんにそう答えると、彼はかけていた眼鏡を押し上げて、用紙にわたしの容態をメモし始めた。米山先生は医者という言葉を聞いて、真っ先に思い浮かぶイメージにほぼぴったりあてはまる。

少し白髪が混じった髪、眼鏡越しに見える目の下には寝不足なのか、隈ができている。米山先生の白衣以外の姿を見たことがなかった。

「今はこのまま薬を飲み続けていれば大丈夫だろう」

「米山先生、ずっと気になっていたことがあるんですけど、聞いてもいいですか?」

「どうした?」

「あの写真のことなんですけど……」

 そういってわたしは部屋の端にある棚の上に置かれた写真を指差した。

 そこには四人の人が写っている。父親と母親、そしてその子供たちの四人だ。子供たちは男の子と女の子に見える。男の子のほうが背が高いから、おそらく兄妹だろう。

 しかし、写真全体がひどく汚れており、その表情をはっきりと見ることはできなかった。

「あの写真、わたしがここに来たときから置いてありますよね?」

 そう聞きながら米山先生を見ると、彼は無表情な顔でその写真を見つめていた。目が少し悲しそうにうつる。

「米山先生?」

「あ、すまない。少しぼうっとしていた」

 米山先生はすぐに我に返った。

「あれは古い写真だ。もう十年以上前になるかな。家族四人で撮った唯一の写真だ。だけど、妻が亡くなって、子供二人もすぐに家を出て行ったよ」

「時々会ったりしていないんですか?」

「手紙はたまに来るから無事だ。今はどこで何をしているのか、知らないけどな」

 そう話す米山先生の目はどこか虚ろだった。

「あ、そろそろ病院をあける時間か。すまない、今日は予約の患者を待たせているんだ。また今度にしてくれないか」

「あ、すいません。では、また来週に来ます」

わたしは頭を下げて部屋を出た。

 でも、あの写真何だったんだろう。

 写真に目がいくようになったのはどうしてなのか、よく覚えていない。ただ、わたしの身近にあの写真と似た人がいたような気がした。

「誰だったかな……」

 病院を出て携帯の時計を見ると、時間は朝の八時前になっていた。米山先生は病院を開く前にいつもわたしのことを診てくれる。理由はわからないけど、わたしのかかっている病気と何か関係があるかもしれない。今度、聞いてみようかな。

「あれ、川崎じゃないか」

 その時、ふと背後から誰かに呼び止められた。とても聞き覚えのある声だった。

 もしかして、この声は!

 わたしは素早く後ろに振り向いた。

 紺色の短い髪を見ただけですぐにわかる。学校の臨時教師をしている斎藤悠輔(さいとうゆうすけ)先生だった。

「さ、斎藤先生!」

「偶然だな、こんなところで会うなんて」

 先生はわたしだとわかると、笑顔になった。

「こんな朝早くにどうしたんだ? 学校に行くにしてはちょっと早いだろ?」

「あ、ちょっと病院に寄ってたんです」

 そう言ってわたしは米山医院のほうを指差した。

「ああ、そうだったのか……」

 先生はなぜか表情を一瞬暗くさせたが、すぐに笑顔になった。

「川崎、せっかくだし、一緒に学校に行くか。今からゆっくり歩いても余裕だし」

「え、いいんですか!」

「当たり前だろ。ここでわざわざ別れて行く必要もないからな」

「は、はい!」

 こうしてわたしは斎藤先生と一緒に湯田月高校へ向かった。


 7


 斎藤先生が学校に来たのは今から半年前、日本史を担当していた神楽(かぐら)先生が事故で長期間の入院生活を送ることになったため、先生が臨時でこの学校にやってきたのだ。

 先生の授業はいつも面白い。ただ単に授業を進めるだけでなく、時折雑談を混じえる彼の授業は評判が良く、とても人気があった。

 女子にも慕われていることは知らなかったけど、あの整った顔立ちならそれにも納得してしまう。

 でも、わたしは最初、斎藤先生のことを意識していなかった。

 きっかけは学校が始まった時からわたしが悩んでいたことだった。

 わたしは一学期の頃から全く話したことがない男子から告白された。それも一人ではなく、何人にも告白を受けてしまった。

 夏休みが過ぎれば、もう終わると思っていたけど、二学期が始まってからもクラスの男子にまで告白されるようになった。

 そんな時に沙耶から「斎藤先生に相談してみたら?」と言われたのである。彼女から聞いた話だと、斎藤先生は単に授業が面白いだけでなく、クラスメートの悩みの相談相手もしているらしい。そして、先生に相談にのってもらった人はみんな無事に問題を解決したと言っているみたい。

 わたしは沙耶の提案にしたがって、斎藤先生に相談してみた。

「俺の個人的な意見になるけど、相手のことがわからない状態で付き合うのは良くないことだと思うから、一度断って距離をあければいいと思うぞ。それでも相手が川崎のことを想っていてくれるなら向こうからまたアプローチをかけてくれるはずだ」

 それが先生の答えだった。それを聞いて、わたしは何だかとてもすっきりした。彼のいうとおりにすると、不思議と告白してきた男子からのアプローチが減っていった。

 告白される回数もここ一ヶ月で次第に減って、わたしの悩みが消えた。

 わたしは先生にとても感謝している。面白くて、悩みの相談を真剣に考えてくれて、とても優しい彼のことをいつの間にか好きになっていた。


 8


「どうした、川崎? ぼうっとして」

 ふと気がつくと、斎藤先生が下からわたしの顔を覗き込んでいた。

「え? いや、何でもないです!」

 わたしはびっくりして後ろに下がった。

「そ、それより先生、今日はどんな授業をするんですか?」

「ん? 今日の授業か……あまり考えてないな」

「えー、それで大丈夫なんですか?」

「はは、大丈夫だよ。みんなと楽しくできたら何でもいいんだよ」

 先生は笑いながら空を見上げた。

「もうすぐみんなともお別れになるしな」

「そうですね……」

 先生の言っている意味はよくわかる。

 二週間ほど前、入院していた神楽先生が、退院することが決まった。

 つまり、斎藤先生がこの学校にいる意味がなくなる。既に今年度を持って転勤することも決まったらしい。

 もうすぐ先生はいなくなってしまう。だから、その前にわたしの想いを先生に伝えたい。だから、沙耶に相談を持ちかけたんだ。

 湯田月祭(ゆたつきさい)。学校の一大イベントでわたしは先生に告白する。

 それから少しの間、雑談しながら学校に向かい、正面玄関のところで先生と別れた。時間を見ると、朝礼までまだ時間はある。

 教室に入ると、誰もいなかった。

 来るのが早い人でもあと十分。それ以外の大半のクラスメートは朝礼直前にばたばたとやってくるのが、このクラスの日常だった。

 今日も沙耶は雄二くんと一緒にぎりぎりで来るのかな……。

 いつもの光景を思い浮かべながら、わたしは二人を待つことにした。

 しかし、朝礼の始まる五分ほど前に雄二くんだけが学校に来て、一時限目の授業が始まっても、沙耶は来なかった。

 朝礼に遅れるならよくあるけど、一時限目の授業を欠席するなんて、とても珍しかった。

「雄二くん、沙耶は来ていないの?」

 授業の合間にある休み時間に、雄二くんにそう聞いた。

「ああ、いつもの公園で待ってたんだけど、全然来なくてさ。今日はもう休むと思って、先に来たんだ」

「昨日はあんなに元気だったのにね」

「元気だけが取り柄のやつだけど、風邪ぐらいひくんじゃないのか」

 どうやら雄二くんも詳しいことを知らないようだ。

 今日はもう学校に来ないかと思っていると、三時限目の終わりに沙耶が教室に来た。

「おはよう、沙耶」

「う、うん、おはよう……」

 わたしがそう言うと沙耶は笑顔で挨拶を返してくれたが、その表情には疲れが見えた。

「大丈夫か?」

「ごめん、ちょっと疲れてて……」

 雄二くんに対しても、小さな声でそう返事して、沙耶は自分の席に座った。そのまま、机に突っ伏した。

 なんか話しかけづらいな……。

 気まずい雰囲気が漂う中、四時限目の授業のチャイムが鳴った。

 結局、授業が終わったあと、沙耶はすぐに教室を出ていった。声をかけようとしたけど、沙耶の疲れた顔を見ていると、何も言うことが出来なかった。

 わたしは一人学校の廊下の窓で頬杖をついていた。

 空を覆っていた雲の合間から太陽の光が射してきている。今から晴れ晴れとした青空が見えてくるであろう空とは違い、わたしの心は暗い雲に覆われ始めていた。

 どうしたのかな……沙耶。

 なんか、私が悪いことしたのかな?

 もしかして嫌われたのかな?

 ううん、そんなはずはない。だって沙耶は大切な友達だもん……。

 あの日から……。

 わたしは昔のことを思い出した。


 9


 高校に入って一ヶ月ぐらいが過ぎた頃、人見知りのわたしは他のクラスメートに話しかけることが苦手だった。いつも一人で授業を受けて、休み時間を過ごして、家に帰っていた。

 日が経つと周りのクラスメートたちは友達を作っていく。私も一人になるのは嫌だった。

 でも、話しかけたくてもその勇気がなかった。わたしは段々クラスの中で孤独な気分を味わうようになっていた。

 そんなある日の昼休み。私がご飯を食べようとしていた時のことだった。

「あー、しまったあ、弁当忘れちゃったあ!」

 隣の席から大きな声が聞こえてきた。見ると、ポニーテールの女の子が頭を抱えて困っている。どうやら今日のお弁当を忘れてきたようだった。

 わたしは自分のお弁当を見つめた。まだ、弁当の蓋を開けただけで手はつけていない。

「あ、あの……」

 わたしは勇気を出して彼女に話しかけた。

「え?」

「わたしので良ければあげるけど……」

 何言ってるんだろ、わたし……。

 あまりに小さい自分の声に、自己嫌悪に陥った。こんな声じゃ、聞こえるはずが……。

「ええ、本当に!? 本当にくれるの!?」

 だけど、彼女は目をきらきらと輝かせながらわたしを見つめた。

「え、あ、うん……」

「ありがとう! じゃあ、職員室で割りばし借りてくる!」

 彼女はものすごい速さで教室を出ていった。

 その後、わたしたちは机を合わせてひとつの弁当にそれぞれお箸を伸ばして食べた。

「これ、すごくおいしい! えーと……」

「里菜、川崎里菜(かわさきりな)

「ああ、そうそう里菜だったよね。ごめん、あたし忘れっぽいからさあ。まだクラスのみんなの名前覚えていないのよ」

 彼女は明るい笑顔を向けた。

「あたしは結城沙耶(ゆうきさや)よ」

「よ、よろしくね、沙耶ちゃん」

「ちゃん付けは嫌。沙耶でいいよ」

「え、でも……」

「いいの、いいの」

「うん、わかった……沙耶」

 これが彼女――結城沙耶との初めての会話だった。

 沙耶は元気のある活発な女の子だった。わたしが勇気を出して話しかけた子が、こんな明るい性格の子とは思わなかった。

 それから私は沙耶と毎日、学校の時間を一緒に過ごした。休み時間に沙耶と色々なことを話した。出身地や中学校のこと、部活のことや勉強のことなど。

 いっぱい話して私は彼女のことを知って自分のことをたくさん話した。

 学校に入ったばかりの頃は、こんなに楽しい友達が出来るなんて考えもしなかった。

「ねえねえ、里菜知ってる?」

「なに?」

「里菜って男子に結構人気なんだよ」

「え?」

 わたしは驚きを隠せなかった。確かに男子生徒に何人も告白を受けていたけど、直接そう言われたのは初めてだった。

「あれ、その反応から見ると本当に知らないみたいだね」

 沙耶がいたずらっぽく笑った。

「里菜、かわいいからなあ」

「え、わたしが?」

「うんうん、自覚してないところがまたかわいいなあ、こいつめ!」

 言い終わるのと同時に沙耶が後ろから飛びついてきた。

「ちょ、ちょっと、沙耶!」

「いいではないか、いいではないか、あたしたち友達なんだから」

 彼女は明るい笑顔をわたしに見せてそう言った。


 10


 あの時からわたしたちはずっと友達だった。沙耶はわたしにとって一番仲の良い女の子だし、唯一の親友といっても良かった。

 何が原因なのかは知らないけど、沙耶と話す時間がないと、ここまで寂しくなるとは思ってもいなかった。

「あいつなら心配ねえよ、川崎」

 背後からそう言われて振り向くと、雄二くんが立っていた。

「あいつは悩み事があっても一日あればすぐに立ち直る。そういう奴だ」

「うん……そうだね」

「馬鹿だけど、元気だけは良いからな」

 雄二くんは そういってわたしの隣の窓にもたれかかった。

「雄二くん、沙耶のことは何でも知ってるのね」

「ま、腐れ縁だけどな……あれ?」

「どうかしたの?」

 窓の外を見ていた雄二くんが正門あたりのほうを指差した。

「あの車、また停まってる」

「車?」

 見ると、正門近くの道路脇に白いワゴン車が停まっているのが見えた。

「いや、あの車、先週からあそこに停まってるんだよ」

「え?」

「この辺りって全面駐車禁止になってるだろ? 普通ならあの車、駐車違反でなくなってると思うんだよ」

「そうなんだ。不思議だね」

「ま、どうでもいいけど」

 そう言って雄二くんは教室のほうへ戻っていった。

 わたしはそれからしばらくその白いワゴン車をぼうっと見ていた。


 11


 車内でゲーム機の音が鳴り響く。普段はイヤホンをつけてプレイしているが、たまにはこうやってしたほうが臨場感が出て、良い気分になる。

五島(ごとう)さん、ちょっと静かにしてくださいよ。今、電話中なんですから」

 その心地よい気分を井毛内(いけうち)に邪魔されて、俺――五島昇(ごとうのぼる)はイラッときてしまった。

「井毛内、お前にはわからないのか? あの一流企業『RIPA(りぱ)』社が開発したこの最新ゲーム機の性能が実現させた、このグラフィック、この音楽、そしてこのシステムを!」

「わかりませんよ、そんなことよりも音量下げてください。下関(しもぜき)と連絡が取れないじゃないですか」

 それでも俺は苛立ったが、どうやら、井毛内はすでに潜り込ませていた下関と話しているらしい。それは邪魔をしてはいけないと思い、ゲーム機の音量を下げた。

「いいか、下関、そのまま監視を続けていろ。絶対に一人でやろうとするなよ。前橋(まえばし)にも連絡を取れ。予定通り、奴の始末は例の日にやる」

 言い終わると、井毛内はため息をついて携帯電話を切った。

「五島さん、本当にやつはあの学校にいるんですか? 下関から連絡がきているとはいえ、未だに信じられないんですけど」

「それはどういう意味だ、井毛内? 警察に追われているはずのあいつが、なぜ教師という目立つ仕事をしているのか、という意味か?」

「ええ、そういう意味で言いました」

「ふっ、少しは自分で考える練習もしたほうがいいと思うぞ」

 俺は鼻で笑って、ゲーム機の電源を切って車のシートにもたれかかった。

 上着のポケットから一枚の写真を取り出す。木出(きで)さんから渡されたあの男――黒刀(くろがたな)の写真だ。

「なぜ、奴が教師をしているのか、はっきりとした理由は俺にもわからない。だが、奴はあの学校で何か気になる存在がいるのは確かだ」

「気になる存在?」

「奴がどうしてもあの学校にいなければならない理由を持つ存在、奴がどうしても失いたくない存在、奴にとって重要な意味を持つ存在。それが人であれ、物であれ、奴の希望となっている存在だ」

「言っている意味がよくわからないんですけど」

「確かに難しい話かもしれないな。しかし、奴があの学校から簡単に離れられないのは確かだ。今まで俺たち『アゲハ』のことを追っていた男が、追われる立場になったからといって、そう簡単にこの戦いから逃げ出すとは考えられない。危険を冒してまで、わざわざ臨時教師としてあの学校に赴任してきているからな」

「それで奴の始末は例の日に決行する形でいいんですか?」

「ああ、ちょうどいいじゃないか。あの学校が年に一度開催されているイベント『湯田月祭』。毎年大勢の人間が来るらしいから、それにまぎれて奴を殺すことができる」

「ですが、それは奴にとっても同じことですよね?」

 井毛内の問いに俺はまたふっと笑った。そういうところには目に付くんだな。

 車の窓から学校のほうを見た。その学校と黒刀の写真を重ねる。

「せっかくの祭りだ。ゲームでは味わえないスリルを楽しもう、黒刀」

 

 後編へ続く



後編に続く


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