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小話 家族になるまでに7








コンコン、とドアがノックされた。かなり、控えめに。

それでもドアに背を預けたまま座り込んでいたから、ノックがそのまま背中に響いてしまって気持ちが悪い私は、思わず顔を顰めてしまう。

「ミナ・・・?」

控えめな声が聞こえて、それがすぐに彼のものだと分かる。この密室に逃げ込む直前に見た、鬼のような形相は元に戻ったのだろう。ノック同様に、その声は私の機嫌を窺っているかのようだった。

「なあに・・・?」

私もそっと、言葉を返す。

「そろそろ、出て来てくれないか」


頼む、と言われては出て行かないわけにもいかない私は、そっとドアを開けて顔を覗かせた。

・・・実は出て行く機会を見失っていただなんて、絶対に口には出来ないけれど。

次の瞬間、視界に飛び込んできた光景に目を疑った。

「えぇ・・・?!」

目を瞬かせて戸惑う私の肩を抱き寄せたのはドアのすぐ側で待ち構えていたらしいシュウで、大佐がソファの前で腕を組んでそっぽを向いていて・・・。

私は凝視しているのは、大佐の方だ。

「殴ったの?」

問いかけに答えたのは、彼だった。

「1発だけだ」

だったらどうだというのか。1発も2発も、そんなに変わらないだろうに。

「大丈夫なの?」

「・・・さあ」

顔を顰めた私を見て肩を竦めた彼は、ため息混じりに言った。

「・・・あの・・・」

少し離れて立っている大佐に声をかけようとして、けれど何と言ったらいいのかも分からなかった私は言葉を濁して、その少し赤くなった頬を見る。口の端が少し切れているように見えた。

すると、大佐が軽く手を振った。

「これで収めてもらえるなら、安いもんだ」

「はぁ・・・そう、ですか・・・?」

理解出来ないままだけれど、とりあえず2人がそれなりに納得しているのなら問題にはならないだろう。私なんかよりも、2人の方がずっと両国の事情に詳しいはずなのだから。

考えて心配しても、あまり意味を成さないと分かった私は、そこで追及をやめることにした。

「じゃあ、あの、院長を連れて帰りますね。

 私達、明日も仕事があるので・・・」


大佐は帰ると言った私に、片眉を跳ね上げて抗議したけれど、やがて頷いて私達を院長のいる応接室へと案内してくれることになった。

部屋を出て、廊下を3人で歩く。

・・・どうして私が真ん中になって歩いているのかが、よく分からないけれど、そこを掘り下げると面倒なことになりそうだったのでやめておいた。

両側に体の大きな男性がいるからなのか、妙な圧迫感においそれと後ろを振り返ることも出来ない私は、ただ心を空っぽにして前を向いて歩き続けているわけだ。

「・・・大使が、失礼な振る舞いをするかも知れないが・・・」

おもむろに大佐が言葉を紡いで、私はそれに小首を傾げる。

そんな私を一瞥した大佐は、目を細めて口角を上げた。

「例えば、渡り人のあんたに対して見下した発言をしたり・・・。

 それから、蒼鬼に対して恩知らずの人殺しと連呼してみたり・・・。

 俺に対しては、負け犬だと罵ってみたり・・・。

 あとは、この国が田舎過ぎるとか、そんなところか・・・」

「毎回のことだが・・・絶対に関わり合いになりたくない種類の人間だな。面倒だ」

「なんか・・・」

両側の2人が、揃って肩を竦めているのを眺めた私は、ため息を吐いて呟く。

「子どもっぽい人なんですね。大使・・・」

「ああ。

 ・・・だが、あれでも王族の端くれでな・・・」

「王族!?」

大佐のぼやきに、思わず立ち止まって声を上げてしまった私は、その口を慌てて塞いで、数歩先へ歩いて振り返っている2人の元へと駆け寄る。

「・・・大使、王族なんですか。

 そんなんじゃ、うっかり他の国と戦争になっちゃいそうですけど・・・」

私に対しての言葉はきっと想像で、彼らに対しての言葉は、すでに一度投げられたものなのではないかと思った。

彼のことをそんな言葉で嘲るなんて、視野が狭すぎる。きっと、前団長との一件を指して放った言葉なのだろうけれど・・・酷い。

そんな王族を抱えていて、北の大国は大丈夫なのか。

「耳が痛いな」

拳を握り締めて素直な感想を述べると、大佐が沈痛な面持ちで額に手を当てた。

「・・・もう少し、慎重になるんだな。それから相手も選べ」

そんな大佐に向かって、ずいぶんと気安い言葉をかけたシュウの腕を軽く抓って、私は言う。

その言葉、私が絡んで怒り心頭した時の彼に言ってやりたいと、前々から思っていたのだ。

「シュウだって、陛下の従兄弟でしょ」

「・・・大佐も王族の一員だ」

「ほんとに・・・?」

矛先を変えられた感が否めないけれど、気になってしまった私は思わず大佐を見上げて尋ねてしまった。言葉がかなり気安くなってしまったことに、内心ひやりとするけれど、もう出てしまった言葉は取り消せない。

万が一、大佐の気に障ったとしてもシュウがいるから大丈夫だろう・・・そう自分を安心させて、大佐の顔をまじまじと見つめた。

すると彼は、そんな私の心配をよそに緑色の瞳を細めて頷く。

「ああ。

 ・・・とは言っても面倒だから、継承権を放棄して軍に入ってみた。

 適当にやっておこうと思っていたんだが、思いのほか適していたようでな。

 気がついたら大佐になっていた」

そこまで聞いて言葉を失った私が、口をぽかんと開けていると、彼が横から静かに言葉を並べて説明してくれた。

「北の大国は、国土が広い上に栄えていて、王族に関しては、一夫多妻が多い。

 王の妻は、有力者の娘や、近隣諸国から迎えた王族か。

 ・・・当然、有力者や妻、子同士の思惑が絡んで血みどろの継承権争いが起こるわけだ」

「・・・だから俺のような、関わり合いになりたくない奴は早めに継承権を放棄する。

 毒殺、事故に見せかけた暗殺・・・いくつか見てきたが、ロクな最後じゃなかった。

 俺はそんなの御免だったというわけだ」

「なるほど・・・」

私は聞いた内容が予想外に重たいことに驚きながらも、それなりに理解したつもりで相槌を打つ。生まれ育った場所がそういった事情とは無縁だったこともあってか、なんだか別の世界の話を聞いているようで、現実味がないのだ。そうなると、どうしても言葉に困ってしまう。

けれど、1つだけ確かに感じたことがあって、私はそっと彼の手を取る。彼の体温は、すぐに私の少し冷たい手に溶けこんでいった。


その後も大佐や、大使の話を聞きながら歩いた。

どうやら大佐は、何番目かの王子様だったのだそうだ。継承権としては、かなり下の方だったらしいけれど、争いごとに巻き込まれて命を落とすなど馬鹿馬鹿しい、と軍に入って継承権を放棄。その後はただただ仕事に邁進して、今に至る。

ちなみに、シュウとはそれほど年が離れているわけではないと言っていた。特にそれに関しては掘り下げようとも思わなかった私は、大使についても質問してみたのだけれど・・・。

大使は、大佐から見ると伯父にあたる人物なのだそうだ。王様の、兄か弟ということになる。腹違いだそうだ。

王様は大使が国にいると手を焼くからといって、この国へ大使として遣わせたのだという。

・・・要は、邪魔なのだ。大使は。

大佐もシュウも、関わりたくないと思っている様子を見せているのだから、それは想像に難くない。

・・・その王様もどうなのかと思うけれど、この国がその大使が面倒な人物だと説明を受けた上で、了解して入国を許可したらしい。

もともと友好国である上に、この小さな国は大国に媚びるような外交もしてこなかった結果、絶大な信頼を勝ち得たのだそうだ。

おかげで大国は、媚を売ってゆくゆくは甘い汁を・・・とは微塵も考えない小国へと、若い王族を留学させることが出来て、小国は大国と仲良くしているというだけで、他国の脅威から守ってもらえる・・・という図式が出来上がった。

身内相手に腹の探り合いばかりしてきた大国の王にとっては、刃を向けてきても怖くない、擦り寄ってさえこない小国はありがたい存在なのかも知れない。

そういう背景があって、大使はこの国へ遣わされることとなった。そして、夏の夜会の折に院長と出会ってしまったというわけだ。

執拗なお誘いを繰り返し、孤児院にまで手紙を送りつけ・・・いつか何かをやらかしたら王族から除名しようと思っていた王様は、ことあるごとに報告を受けて、決断した。

大使館に勤める軍人は、大佐の部下。彼らはちょっとした情報と、企みごとの蕾を提供する。すると案の定、思惑通りの展開になった。

大使は誘拐紛いの招待の末、院長とお食事を楽しんだ。一緒にいた私を放り出して。

そして大使の命令で、私がある程度手荒な扱いを受けていたところへ蒼鬼がやって来た。お付きだと思っていた私は実は蒼鬼の番で、激昂した蒼鬼は大佐に詰め寄る。

・・・ちなみにここで、大佐は一発殴られたということになるわけか。

大佐はそこで、王様から大使の監視を命じられていたことを打ち明けて、言い逃れは出来ないと私の体に残る傷を突きつけて大国へ連れ帰り・・・そして、王様が除名を言い渡す。


「すごい筋書きですねぇ・・・」

ことの顛末を聞いた私が漏らした呟きに、大佐が苦笑する。

・・・この人、笑うと案外可愛いかも知れない・・・などと、頭の隅で考えながら私はため息を吐いた。

「じゃあ、私が傷つけられた理由は、もともとは大使と王様にあるんですね」

「・・・ああ、まあ、そんなところか。

 実際に傷を付けたのは、俺と俺の部下だが・・・」

「ちょっと大きすぎて、受け止めきれそうにありません」

素直な感想を述べると、大佐は黙りこくってしまった。

反対側にいる彼も、何も言わない。

特に感情を込めたわけでもないし、今さら謝罪を繰り返して欲しいわけでもなかった私は、もう一度ため息を吐いて口を開いた。

「・・・そういえば、ジェイドさん・・・補佐官様に言われたことがあるんです」

ほんの少し歩を緩めると、2人は同じように歩く速さを合わせてくれる。

彼が私のことをちゃんと考えてくれていることは、もう十分身に染みて分かっているけれど、大佐もそれなりに私を気遣ってくれているらしいことに、私は気がついていた。

だから、理不尽さに腹が立つのは抑えられないけれど、そのうちそれも収まると思うのだ。収めるべきなのだとも思う。

「王族と関わることで、いつか、誰かの思惑の駒になってしまう日が来るかも知れない。

 金品で誘惑されることもあるだろうし、地位や名誉をちらつかせる連中もいるだろう。

 ・・・暴力で脅されて、加担することを余儀なくされることも」

そう、確かに最初に言われていたのだけれど、忘れてしまっていた。

毎日が平和だったから、自分の立ち位置から物事を見渡すことをしないで過ごしてきた。

自分の感情に素直になって、彼と結婚することを選んだけれど、それが何を伴うのかまで突き詰めて考えることをしなかったのだ。いや、考えたところで浅かったのだろう。王族だなんて、もといた世界では御伽噺に近いものがある。

これはその、ツケなのかも知れない。

思い出しながら言葉を並べた私の手を、彼がぎゅっと握り返してくれる。

「私、自分でも、守られる以外選べない自覚があるんですよね。

 ・・・だから、いいです。消えてしまわなかっただけ、良かったんです。

 理由が大きすぎて戸惑ってますけど、いい勉強になったと思うことにしますね」

「ミナ・・・」

彼の声に伏せていた目を上げた私は、その手を握り返した。

今回のことは、いい勉強になったと思っておくことにしよう。


大佐が足を止め、目の前にあるドアをノックしようとしたところで、私はその向こうから会話が漏れてきていることに気がついた。

どうやら、院長と大使が押し問答をしているようだ。

「・・・泊まっていけ、みたいなことを言っていないか?」

彼が呆れたように囁いて、私は頷く。

あまり品がいいとは言えない声は、大使だろうか。

「なんか・・・ドアを開けるのに勇気が要る・・・」

「悪い」

「いや、大佐が謝ることないです、けど・・・」

「・・・いっそのこと置いて帰るか」

手を繋いだまま彼が囁いて、私は我に返る。

こんな、ドアの前で3人で喋っている余裕はないはずなのだった。

もう月が昇ってずいぶん経つはずで、あっという間に明日がやって来てしまう。

私は慌てて首を振る。

「ダメ、院長も一緒に帰るの。

 ・・・家族、なんだから。ね?」


3人で一緒に帰って、お茶でも飲んで寝よう。

そうしたら、すぐに日常が戻ってくるはずだ。







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