小話 家族になるまでに3
美味しそうな匂いのするリビングに入ると、そこには朝の光が差し込む庭を背景にして、優雅にお茶を飲んでいる院長の姿があった。
・・・さすが、元皇女様だけあって、佇まいが只者ではない。1枚の絵のようだ。
「あら、おはようミーナ」
見とれていた私に気づいた院長が、小鳥が囀るように言葉を紡いだ。
「おはようございます」
孤児院で朝のやり取りをしているような気分になる私に、彼女が微笑む。
「気にしないで、ゆっくり寝ていて良かったのよ?
・・・あら、そこにいたのね蒼鬼殿」
しかしその台詞が前半と後半で、温度差があるのは一体何故だ。
頭を抱えたくなるほどの険悪さに思わず天を仰いだ私の目に映ったのは、深い緑色の瞳だった。しっかり刻まれた眉間のしわを数えてみたくなる。現実逃避だ。
昨夜院長を客間に案内する前に感じた険悪な雰囲気は、やはり気のせいではなかったらしい。
何の話を、どういうふうに話したらこんなに険悪になれるのか・・・。
朝の挨拶に緩んでいた頬が引きつるのを感じながら、私はとりあえず、とキッチンに向かう。自分と彼の分のお茶を淹れて、院長のおかわりの分をポットに用意して・・・。
朝食は彼が用意してくれたようで、スープとパンも一緒にトレーに載せて運ぶ。雰囲気のおかしい2人のことは視界に入れないようにしながら、もう一度キッチンへ戻って果物を食卓へ出した。
空腹だから機嫌が悪くなるのだ、きっと。温かい食事でも摂りながら話せば、少しは雰囲気も良くなるかも知れない。
小さな希望を抱きつつ3人で食卓を囲んで、私は口を開いた。
「えっと・・・院長は、仕事で王都に来たんですか?」
「いいえ、来たかったから来てみたの」
私の向かいに座った院長が、微笑んで小首を傾げる。
「だって、しばらくしたらミーナが人妻になっちゃうんだもの。
嫁入り前の娘と、ゆっくりお買い物でもしたいと思って」
「・・・はぁ、なるほど・・・」
「だから、2人きりで街に出るのはやめろと言ってるでしょう。
本当に頑固な人だ・・・」
院長の台詞を右から左へと聞き流した私は、隣で憮然としている彼を見上げる。
機嫌が悪くても、彼の食事のマナーは乱れない。院長譲りだと思うのは私だけだろうか。
「2人で街に出たら、ダメなの?明るいうちでも?」
顔を顰めて院長と睨み合っていた彼が、私の言葉に振り向いた。眉間のしわが、こちらを向いた瞬間に消える。
・・・やはり親子だ。ちらりと院長に視線を走らせたら、彼女は微笑んで私を見ていた。
「昨日も話しただろ、本当に面倒なんだ」
「失礼ねぇ・・・。
私が一体何をしたと言うの」
大げさにため息をつきながらパンを千切る院長を見て、彼が額を押さえて呻く。
「記憶にある限りのことを、彼女に話しましょうか、今、ここで。
きっと俺達は仕事に行けなくなって、そのまま朝を迎えるでしょうね」
言葉の内容よりも、彼が一気に言葉を並べたことに驚いて目を見開く。
気づけば、食卓を言葉が飛び交っていた。
「それはダメ」
「ほら、心あたりがあるなら大人しく護衛を連れて歩いて下さい」
「いやよ、自由に出歩きたいんだもの。
護衛なんか連れて歩いたら、目立って仕方ないわ。全然楽しくない」
「ミナを面倒ごとに巻き込まないで下さい」
「どうして最初から決め付けるの?」
「これまでのことを考えたら当然です」
「そんなに心配なら、あなたが一緒に来ればいいじゃない」
「だから、それが出来たらしていると言ったでしょう。
今は春の巡回が始まったばかりだから無理です」
「じゃあやっぱり、ミーナと2人で出かけるわね」
「人の話を聞いていましたか」
・・・院長の年の功だろうか、彼が負けそうだ。
いつもは私が彼に負かされることが多いからか、なんだか新鮮に目に映る。
すると、唐突に声をかけられた。
「ね、ミーナ?」
「え、あ、はいっ」
我に返った私が慌てて返事をしたら、隣の彼が額を押さえてため息を吐いていた。対照的に、向かいでは院長が微笑みを浮かべながらカップを傾ける。
「え、あの・・・?」
その時院長は微笑んでいたのではなくて、ただ、嬉しさに頬が緩むのを抑え切れなかったということに、後になって気がついた。
鼻唄混じり、足取りの軽い院長が隣を歩く。
だいぶ日が延びてきた街は、子守の仕事が終わった後でも日が沈むまではしばらくある。
私はレイラさんの部屋で制服を着替えて、白の本部へ挨拶がてら顔を出してから、どういうわけかジェイドさんの執務室で寛いでいた院長を迎えに行った。
ジェイドさんの話では、あまり自由に出歩かれても困るから・・・ということだったけれど、もともとこの王宮に住んでいた院長に出歩くな、というのはどうなのか。
そんな疑問を丸飲みした私は、院長と連れ立って街へ下りて来たきたわけだ。
「さ、お買い物しましょ♪」
院長はとにかく上機嫌で、今にもスキップしそうなくらいだ。
あんなに彼に反対されていたのに、こうして2人で出歩いているわけだけれど・・・どうやら、私が咄嗟に頷いてしまったのがいけなかったらしい。いや、院長が巧みに私を頷かせたのだろうけれど・・・。
ともかく、思い通りにことを運んだ彼女は上機嫌で私の隣を歩いている。
「お買い物って、何か欲しいものがあるんですか?」
彼女の言葉は漠然としているけれど、買い物にもいろいろあると思うのだ。
小首を傾げて尋ねた私に、彼女はにっこり微笑んで言った。
「ミーナに買ってあげたいものがあるのよ」
「私に?」
思わず訊き返した私に目を細めた院長は、何も答えなかった。私は内心で首を捻りながらも彼女について歩いて、そして辿り着いたのは、いつかも来た場所だった。
「あ」
口から声が漏れてしまう。
それを聞き逃さなかった彼女は、ふふ、と笑ってドアを開けて中へ入るよう促す。
「来たこと、あるでしょう?
その時は、あの子と来たのかしら」
あの子、というのはきっとシュウのことだろう。
こくん、と頷いた私を見て、彼女が目じりにしわを寄せる。なんだか、少し見ない間に笑うと出来るしわの数が増えたような気がした。
湧き上がったものを飲み込んで、私は彼女に促されるまま店内に足を踏み入れた。渋めの赤い絨毯が足音を消して、なんだか厳かな雰囲気に緊張が走る。一度来たことがあるとはいえ、彼が隣にいないだけで落ち着かない気分になってしまうのは何故だろうか。
暖かい色の照明が降ってくる。ショーケースの中に入っている宝石が、光を受けてキラキラと輝いているのが目に入って、思わず見とれてしまった。普段あまり興味が湧かないものだけれど、綺麗だと素直に思える。
「お久しぶりでございます」
店の奥からやって来た、院長と同年代くらいの見た目をした男性が恭しく頭を垂れた。
それを受けた彼女は一度だけ頷いて、私に視線を移す。
「王都に住んでいた頃は、この店の装飾品のお世話になっていたの」
「そうなんですか・・・」
相槌を打った私は、静かで厳かな雰囲気を纏う2人を目の前に、自分の場違い加減が身に沁みてしまって居た堪れない気分になる。
「先日は、ご子息がいらっしゃいまして、こちらでご結婚指輪をご注文頂きました」
大げさでもなく、仰々しくもない物言いで男性が院長に話す。
「その節はお世話になりました」
思わず頭を下げると、くすくすと笑う声が降ってきた。院長だ。
「じゃあ今日は、私があなたにプレゼントするわね」
「いや、あの・・・」
・・・ここでか。こんな、いかにも一流の宝飾店でか。
院長の顔を立てて、ここは「ありがとうございます」とでも返すべきなのか。
頭が真っ白になりかけた私をよそに、2人は店の奥へと歩き出す。私が絶句していると、ふいに院長が振り返って笑った。
「ほら、行くわよ?」
有無を言わさず連れて行かれた先は、個室だった。
宝飾店の個室だなんて、一体何を扱う気なのか・・・。
プレゼントすると張り切っているらしい彼女に「結構です」とも言えずに、居心地の悪いものを感じながらそっと息を吐く。
そこへ、おもむろに年長の男性が箱を持ってやって来た。
「こちらが、ご注文頂いていた品です」
「ご注文、頂いていた・・・?!」
王都にやって来る前に、すでに注文を済ませていたというのか。
驚きに満ちた表情を浮かべて見つめていると、隣に座る彼女が忍び笑いを漏らしたのが聞こえてきた。
「びっくりさせたかったの。
良かったわ、まずは企んだ通りね」
「びっくりというか、もはや驚愕の域です・・・どうして・・・」
箱に入っていて、尚且つ個室でお披露目されるのだ。明らかに、軽い気持ちのプレゼントではないことが分かる。
・・・余計に断れない。
私の心配をよそに、彼女は続けた。
「可愛い娘の嫁入りに、何か残るものをあげたくてね」
「娘って、嫁入りって。
大体私、あなたの息子さんと結婚するんですよね・・・?」
何かが入れ替わっていることの違和感に思わず言葉を紡いでしまった私に、彼女が眉を八の字にして言った。
「この際、そういうことはどうでもいいの。
私があなたを娘だと思っていて、結婚することが嬉しいからあげるのよ。
・・・何か、間違っていて?」
表情とは裏腹に我侭な台詞を吐いた彼女は、後半を私でなく男性に向ける。
それを受けた彼は、慣れっこです、とでも言うかのように頷いた。
「何一つ間違っておられませんよ。
贈り物とは、そういうものでございます」
「・・・よね」
まるで用意されていた台詞であるかのようだ。
彼の言葉に頷いた彼女が、私を見つめる。
「いいから開けて頂戴。
・・・早く見せたくて仕方ないのを我慢してるの。珍しく」
いつもより言葉を紡ぐのが速いことに、自分の耳を疑ってしまった。院長は、いつも穏やかで草原で草を食む草食動物のようだと、ずっと思っていたから。いや、隠し事や悪戯や、人を驚かすのが大好きな人なのだということも知ったけれど。
「はい」
急かされて箱を開けると、木の香りが鼻をくすぐる。私はその香りを吸い込みながら、箱の中で柔らかそうな布に包まれたものをそっと取り出した。
仰々しい見た目に反したその軽さに、何か華奢なもののような気がして、恐々と布を取る。
目に入ったのは、真珠のような白くて丸いものが連なって出来た、カチューシャのような形のものだった。
「・・・院長」
何と言えばいいのか分からない私は、ただひと言、彼女を呼んだ。
「髪を飾るものよ。結婚式で着けてくれたら嬉しいんだけど・・・。
これから王宮関係の催しがあったら、あなたも出席することがあるでしょうから」
「はい・・・」
そういえば、シュウも同じようなことを言っていたな。
いつかの会話を思い出しながら、私は半ばうわの空で相槌を打つ。
「あなたの黒い髪だったら、絶対白だと思っていたの」
「・・・それ、彼も同じこと言ってました」
ウェディングドレスを選んだ時のことを思い出した私は、くすくす笑いがこみ上げてきたのを抑えられなかった。
「やっぱり、親子なんですねぇ」
思わず苦笑混じりに呟いた私に、院長が口を尖らせた。
「だから、あなたも親子になるんでしょうに・・・」
「あ、そっか・・・」
改めて言われるのは照れくさい。咄嗟に頬を押さえていると、今度は彼女が苦笑を漏らす。
「とにかく、着けてみて。
・・・私の方が見立てが良いってこと、あの子に思い知らせてやらなくちゃ」
そう言った彼女は、ぴ、と人差し指を立てて、至極真面目な表情をした。
「あ、そろそろ戻らないと」
髪飾りを試着してサイズの調整をしてもらった私は、店の外が薄暗くなってしまっていたことに気づいて慌てた。
・・・暗くなったら、1人で街に出ないこと。彼と約束していることだ。
もし破った場合は、いろいろと罰が下されるのだ。
約束自体に異論はない。治安が良いとはいえ、やはり夜の1人歩きというのはあまりお勧め出来ないものだと理解しているからだ。特に私は、この世界の暗黙の了解というものに疎いから、知らないうちに危険なことをしていることもあるだろう。
彼が心配しているのは、そういう私なのだという自覚もある。
「そうね、そうしましょうか」
「はい。
・・・夕飯、何が食べたいですか?」
何でもない会話をしながら、歩道を歩く。
「そういえば彼、お酒の量を減らすことにしたみたいなんです」
「それはいいことね」
これから親子になるのだと、院長は言っていた。
親子らしい会話とは、一体どんなものだったか。もう何年もそういうことをしていない私には、よく分からない。
それでも、こうして一緒に出歩いた時間はとても楽しくて、彼と一緒に過ごすのとはまた違った充実感で、私は満たされていた。
不思議な、希望のようなものすら胸の奥の方に灯っているような気もする。
「やっぱり、会いに来て良かったわ」
ふんわり微笑んだ彼女と目が合って、思わず頬が緩んだ、その時だ。
あまり見かけない、ジェイドさんが乗っているのよりも大きな車が、私達の少し前の辺りに停まったのが目に入ってきた。
「・・・あんな大きな車、珍しいですね」
なんとなく、ただ思ったことを口にした私の腕を、ものすごい力を込めた手が掴む。
驚いてその腕を辿ると、そこには、顔を強張らせた彼女がいた。
「院長?」
咄嗟に声をかけた私は、後ろに人の気配を感じて勢いよく振り返る。
目の前に、黒い服を着た男が立ちはだかっていた。
「何ですか・・・?!」
取り乱してはいけない、と自分を叱咤して言葉を放つ。
男は無表情で、目が合うとその瞳の静けさが、どこか知っている誰かを彷彿とさせた。
そして気づけば、私達の周りを男達が数人で囲んでいた。




