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小話 家族になるまでに1









それは春の予感溢れる穏やかな日に、突然やって来た。



とある何でもない1日が終わりに向かおうとしている、そんな時間帯。

彼はキッチンで洗い物をしていて、私はリビングのソファに腰掛けて、お茶を啜りながら図書館で借りてきた本をパラパラとめくっていて。

昨日から蒼の騎士団では、春の巡回が始まった。

バレンタインの企みが功を奏したのか、ノルガとアンの2人は、巡回が終わったらすぐにでもララノに日帰り旅行に行くのだそうだ。お互い同じ気持ちだということを、言葉で確認した途端に2人の仲は急に進展したらしい。

・・・ちなみに翌日は2人共休日だったそうで、休日明け、夕方の食堂でお茶をしている2人のところに行ったら、ちくちくとロッカーに潜んでいたことを責められたのだけれど・・・。

つむじからつま先まで幸せが詰まっています、とでも言えそうなくらいの甘い雰囲気で責められては、良心の呵責どころか、罰を受けている気分になった。

ともかく、覗いてしまったことは謝ったけれど・・・私の言葉は、正しく彼らの耳に届いていたんだろうか・・・。

ほぅ、とため息を吐くと、洗い物を終えたらしい彼がやって来た。

「どうした?」

あの日、その後の私達はと言えば、バレンタインの意味を伝えてから、美味しくガトーショコラらしき焼き菓子を食べたのだった。

私は、彼の問いかけに苦笑して首を振る。

「ノルガとアンのこと、思い出してただけ」

「ああ・・・」

何かを思い出したのか、彼も同じように苦笑しながら隣に腰掛ける。

ソファが沈んだ方へと重心をぐらつかせた私の体を、彼の腕が引き寄せた。膝の上にあった本が、床に落ちてしまったのを彼が拾い上げてテーブルの上に乗せる。

「あいつ、浮かれて怪我でもするんじゃないか。

 ・・・いや、それはそれで役得だと浮かれるかも知れないが」

「またそういうこと言って・・・。

 でも、そうだね。ちょっと心配・・・」

軽口を叩く彼の目元は、楽しそうに細められていた。

私はそんな彼を諌めてみながらも、楽しいと思っているならそれでもいいか、などと頭の隅で考えてしまう。

「私達って・・・」

「ん・・・?」

ふと浮かんだ疑問を口にしていると、彼の手が後頭部で動いているのを感じて言葉を切る。

ぱさり、とずいぶん伸びた髪が視界の隅に下りてきた。なんとなく分かってはいたけれど、生返事をしていた彼は纏めてあった私の髪を解くために、後頭部に手を伸ばしていたらしい。

「一緒にいるようになって、浮かれてた・・・?」

彼はいろんなことに無頓着なのだ。きっと答えはもらえないだろうと思いつつも、呟くように声をかけた。

「どうだろうな・・・」

耳元でくぐもった声がする。今度は下ろした髪に鼻先を埋めているらしい。

匂いが消えてしまってからというもの、しばらく続いているこの彼の動作には、もう慣れた。そういえば、一緒に暮らし始めた頃もこんなことをしていた気がする。本人曰く「確認しないと落ち着かない」のだそうだ。

「ああでもアンに、見てると砂食べさせられてるみたいって言われたっけ・・・」

彼が静かにしているのをいいことに、私は1人で喋りながら思わずくすくす笑ってしまった。

大きな手が、笑うたびに揺れる私の肩を抱いて、こめかみの辺りに口付けが降ってくるのが分かる。

見上げれば、深い緑色をした瞳が間近で私を見ていた。

「そういえば、今日はお酒飲まなかったね?」

こんなに近くにいるのだ、囁き程度の会話でも十分彼には聞こえるだろう。私はそっと、彼の膝に手を置いて尋ねた。

「もしかして体調、悪い?」

「いや、そうじゃない・・・」

耳が必死に彼の声を拾おうと神経を張り詰めているのを自覚して、私は相槌代わりに瞬きをする。

「たまには体を休めようと思っただけだ」

そう言った彼は、何故か視線を逸らした。

「私が言ったから・・・?」

笑ってはいけない、と思いつつも頬が緩むのを止められない私は、彼の視線を呼び戻そうと顔を覗きこむ。

彼は黙っているけれど、私はそれを肯定と受け取って微笑んだ。そして、そのまま手を伸ばす。

「えらいえらい」

少し高いところにある彼の頭をぽふぽふ、と撫でるようにすれば、思わぬ展開だったのか彼が肩から力を抜くのが分かった。

呆れたように、ちらりと私に視線を寄越すけれど、そのまままた視線を逸らす。きっと嫌なのだろうに、いつだって彼は、大抵のことは私のしたいようにさせてくれる。

私は大人しくされるがままの彼に苦笑して、言葉を紡いだ。


「膝枕は、好きなんだ・・・?」

きっと首を横に振るだろうと思っていたのに、あっさり彼は私の腿に頭を乗せて横になった。足を伸ばして組んで、どこか上機嫌だ。私を見上げている瞳が、やんわり細められている。

私の問いかけを鼻で笑った彼は、おもむろに口を開いた。

「・・・くせに、なってるんだろうな・・・」

「ん・・・?」

何か大事な話をしている気がして、私は先を促す。

彼の瞳が、ゆらりと揺れた。

「・・・騎士団に入って、初めて人を斬った時からか・・・」

「うん」

そっと、彼の目に入りそうになっている髪を指先で端に寄せる。

「飲まないと、眠れなくなった」

「うん・・・」

「今はもう、鮮明に思い出すこともなくなったが・・・当時はな・・・」

「ん・・・」

規則正しく上下している彼の胸に手を置けば、鼓動の音が伝わってくる。

彼の、誰かの命を絶つことを余儀なくされた手が、それほどまでの壮絶な命のやり取りを知らない、私の手を握る。

今の私には、かける言葉が見つからなくて、せめて、と握った手に力を込めた。無意識に、きっとこれからいろんな彼を知っていくだろうけれど、私の優先順位は揺るがないと、伝えたかったのかも知れない。

「それが、くせになっているんだろうな。

 ・・・悪酔いしないのが、せめてもの救いだが・・・」

「そっか」

「少し、飲む量を減らそうと思う」

「うん・・・無理して、苛々しない程度にね」

「ああ」

「量を減らすなら、ちょっと奮発してもいいかも」

「そうだな、そうするか」

始終穏やかな口調だった彼が、大きく息を吐いた。まるで、緊張が解けた時のように。

「・・・シュウが剣を持たなくていい日が来ればいいのにな」

気づいたいろいろには蓋をして言えば、彼が苦笑した。

「次の団長が、アッシュとジェイドに認められるまでは蒼鬼のままだろうな。

 まあ、騎士団に在籍してはいるが、もう飾りのようなものだから」

「うん」

相槌を打つと、彼の言葉が返ってくる。

「これまでに比べたら、ずいぶんと気楽なものだ」

ふ、と頬を緩めた彼が目を閉じて、私はその額を指先で撫でる。最近ほとんどしわの寄らない眉間を指でぐりぐりすれば、彼が鼻を鳴らした。

つられた私も、こっそり笑い声を漏らして囁く。

「・・・やっぱりちょっと、浮かれてるかも」


その時突然、ベルが鳴り響いた。

新居に移って初めて知ったのだけれど、この世界の一般的な住居には、向こうの世界の家と同じようにインターホン代わりのベルが取り付けられている。それ自体は便利だから助かるのだけれど、いかんせん音がけたたましいのだ。あちらで言うところの非常ベルのような音で、1人の時にはあまり聞きたくない音だ。

穏やかだった時間が唐突に終わってしまい、彼が膝の上で顔を顰めている。全く動く気配がないから、もしかしたら無視するつもりなのかも知れない。

「私が行こうか?

 もしかしたら、近所で困ったことでもあったのかも知れないよ?」

私達の家の周辺にも、家はある。住宅街ほどではないけれど、それなりに財産や地位、王宮での役職を持つ人達が大きな家を構えているのだ。家も庭も、門から玄関までのスペースですら広いから、お隣さんと言っても少し離れた場所になる。

隣人たちが私達の家を訪ねてくることは滅多にないのだけれど・・・。

「・・・いや、俺が出る。

 お前はじっとしていろ。戻るまで顔を出すな」

私を玄関に出すのは気が引けたのだろう。いわゆる高級住宅街にあたるこの辺りでも、強盗の類が出ないとも限らない。だから大抵は、ベルが鳴らされると彼が応対するのだ。

今回も例に漏れず、ものすごく面倒くさそうだけれど彼が出てくれるらしい。

ため息混じりに私に言うと同時に起き上がって、不機嫌オーラを全開にしてリビングを出て行く。

ふいに目に入ってきた天体盤が、もう他人の家を訪ねるには遅い時間だと告げていたのに気がついて、何だか嫌な予感がする。彼は丸腰で出て行ったけれど、大丈夫だろうか。

・・・それにしても不機嫌だったな。もしかして、ワインを飲んでいないからか。

彼の眉間のしわを思い出して小首を傾げた私は、もう冷めてしまったお茶で喉を潤す。

そしてテーブルの上に置かれた本を手にしたところで、玄関から会話らしきものが聞こえてきたことに気がついた。


「お願いですから今夜はホテルに・・・」

「いーやっ」

この声は、まさか。

湧き上がった感情に、思わず玄関へと駆け出していた。


「あら、ミーナ。元気にしていたかしら?」

大きな彼の背中の向こう、ひょこ、と顔を出したその人は、しらゆり孤児院の院長だった。

「院長・・・!」

私の声に、彼が振り返る。見事に眉間にしわが寄っていた。

「出てくるなと・・・」

その口からお小言が出かかったところで、院長が玄関に滑り込んだ。その手には、院長の体にしては若干大きめの鞄。

「今日から数日、泊めて下さる?」

可愛く小首を傾げるのは、院長の常套手段だ。

彼がその向こうで、何か言いたげに顔を顰めているのが目に入ってくる。きっと、私の口から断って欲しいのだろう。

私だって分かっているのだ、これが演技がかっていることくらい。分かって、いるのだけれど・・・どうしようもなく可愛らしくて、いつも私は頷いてしまう。

「はい、もちろん」




そんな私の言葉を聞いた彼の頬が、引きつった。







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