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小話 私達の秘密4






シャカシャカシャカシャカ。

シャカシャカシャカシャカ。

シャカシャカシャカシャカ。


「つーかーれーたぁぁぁ・・・」

力ない声を片耳で聞いて、思わず噴出しそうになるのを必死に堪える。今噴出してしまったら、衛生的によくない気がするのだ。

「・・・大丈夫?」

店員さんが心配そうに声をかけてくれたのを、アンが飛んでいってしまうんじゃないかと思うくらいの勢いで首を横に振った。

・・・そんな、大げさな・・・。

私は苦笑しながら、手を動かし続ける。卵白を泡立てるのは大変だけれど、そこまで疲れるような作業ではないと思う。

「貸して・・・ちょっと代わってあげる」

店員さんの優しい言葉に、アンは嬉しそうに頷いてボウルと泡だて器を渡した。そのまま手近にあった椅子に腰掛けて大きく息を吐く。

「もう、いつもあんなに凄い勢いでお皿洗ってるのに・・・」

「皿洗いとは違う筋肉使ってるの!

 ・・・ほんと、慣れないことすると疲れる・・・」

苦笑する私に、彼女は愚痴っぽく呟いた。

すると、店員の彼女がそんなアンに苦笑しながら言う。

「でも、そういう大変な思いをして作るから、手作りの価値があるんじゃないかな。

 ・・・アンちゃん、渡したい人がいるんでしょ?」

そのひと言に些か憮然と、照れを隠すようにして頷いたアンは、何も言わずに店員の彼女の手からボウルと泡だて器を受け取った。

私と店員の彼女・・・ミエルさんは、顔を見合わせて思わず微笑んだ。

「それで、アンちゃんの好きな人って、どんな人なの?」

今度はミエルさんが椅子に腰掛けて、必死に泡だて器を動かすアンに向かった尋ねる。

「・・・好きな人っていうか・・・」

「じゃあ彼氏?」

言いよどんだアンに、ミエルさんが追い討ちをかけた。

私は静かに、泡立てに集中している振りをして聞き耳を立てる。アンはきっと、顔を真っ赤にして息を止めているに違いない、と想像しながら。

「いや、まあ・・・そういうことになる・・・のかなぁ・・・」

「・・・微妙な関係なのね」

ずばりと言い放つ声に、アンがたじろぐ気配がした。

「そんな感じ、かなぁ・・・」

生返事とも言えるような言葉が出たところで、ドアベルの音が聞こえてきた。


ミエルさんがキッチンから出て行って、アンが大きなため息を吐く。

「・・・どうしたの?」

ボウルの中身がだいぶ綺麗なメレンゲに近づいたのを確認した私は、彼女にそっと尋ねた。

「うん、私達って微妙だなぁ・・・と」

彼女の視線はボウルの中身に注がれていて、その表情までははっきり見ることが出来ない。

お客さんの相手をしているミエルさんには聞こえないだろうと思いながらも、私は声を潜めた。

「でももう長いこと、お互いの家を行き来してるんじゃないの?

 ・・・祈りの夜も、一緒に過ごしたんでしょ?」

「うん」

「この前も不審者情報を受けて、心配して探してくれてたんでしょ?」

「・・・うん」

「そこまでしてて、一体どこが微妙なの・・・」

思わず漏らした呟きに、アンが視線を彷徨わせた。

「・・・だって、好きって言ってくれないんだもん・・・」

蚊の鳴くようなか細い声を、真っ赤な顔で絞り出した彼女が俯く。

・・・か、可愛過ぎる・・・。

恋をしている女の子は、こんなに可愛いものなのか。私自身の場合は、全くもって可愛くなかったという自信があるのだけれど。

駆け寄って抱きしめたい衝動を抑えながら深呼吸した私は、そっと口を開いた。

「そっか」

キッチンの向こうから、ミエルさんとお客さんらしき女性の会話が聞こえてくる。時折笑い声も混じっているから、もうしばらく彼女はここへ戻っては来ないだろう。

私はアンの真っ赤になった顔を眺めながら、ついこの間ノルガがうちで呟いた言葉を思い出していた。

気が合って一緒に過ごすことが多いのだから、往々にして、胸に秘めていることや心配の種などが一緒だったりすることは多いと思う。

外側からそれを眺めている私は、この状況に俄然やる気が湧いてきた。


ミエルさんが作ってくれたレシピに沿って、出来上がったメレンゲと溶かしたチョコレートを混ぜ合わせる。チョコレートには、すでに卵黄やほんの少しの牛乳が混ぜてあるから滑らかだ。

私は、彼がワインを飲んでいても食べてくれるように、苦味の強いチョコレートを選んだけれど、アンは普通のほろ苦いものを使ったようだった。

それぞれ手順通りに材料を混ぜ合わせて、カップに流し入れる。オーブンは余熱をしてあるから、火傷に気をつけてトレーごとセットしたらスイッチを押す。

ここまでしたら、後は焼き上がりを待つだけだ。


ミエルさんに焼き菓子の先生をお願いして数日、私達は焼き菓子店のキッチンを借りて、こうして彼女の手ほどきの元バレンタインの手作りお菓子を作っているわけだけれど・・・。

「それで、」

アンが洗い物を手早く済ませながら口を開いた。

彼女から手渡されるボウルや泡だて器を布巾で拭きながら、私は返事をする。

「うん?」

「ミーナは、いつ蒼鬼に渡すの?」

「私は今夜でもいいかな、と思ってるけど」

雪がほとんど融けて春の巡回が始まろうとしているこの時期、蒼の騎士団は年に何度かある繁忙期のひとつを迎えていた。

団長とは名ばかりにしたい彼は、今年は巡回には行かないらしい。その代わりに、副団長や団長候補さん達の事務仕事を請け負っている。当然、多忙だ。

しかしそれもこの数日でだいぶ落ち着いたようで、ノルガを連れてうちに帰って来るくらいの余裕はあるようだから、きっと今日もそれなりの時間に帰宅するだろうと思う。

「あれ、そういえばノルガは巡回に出るの?」

「まだ聞いてない。

 ・・・っていうか、最近ちゃんと話、してない・・・」

「気まずくて?」

横目で手を動かしている彼女を見ながら尋ねれば、こくん、とその小さな頭が縦に振られる。

私は内心ため息を吐いて、片付いてきたボウルや泡だて器を作業代に置いていく。

彼女は私が何も言わなかったことが気になったのだろう、言葉を零した。

「だって、おかしいでしょ!

 普通告白とかして、手を繋いだりとかさ!」

・・・何故そこで突然怒るのかな・・・。

彼女の感情の起伏には慣れているので、あまり驚きはしないけれど、それでもどうしてそこで怒るのかが理解できなかった。

「・・・ええと、どういう意味?」

とりあえず見えないその先を訊き出そうと、私は彼女の顔を見ないようにして尋ねる。顔が真っ赤になっている所を見られたら、彼女はまともに喋ってくれないような気がするのだ。

「ああもうやだ・・・!!」

気を遣って顔を見ないようにしたというのに、か細い声に振り返れば、彼女が洗い場の前にしゃがみこんでいた。

しかも、顔を覆っている。

「・・・ど、どうした・・・?」

恐る恐る声をかければ、彼女が真っ赤な顔を上げた。






「やっぱり、やめない?」

心細そうな彼女の言葉に曖昧に頷いた私は、無視も否定も肯定もせずにそのドアを開ける。

小さな悲鳴が漏れたのを聞きながら苦笑していると、書類から視線を離したらしい事務官のおじさんと目が合った。


オーブンが甘い香りを漂わせ始めたところで、お客さんが帰ったらしくミエルさんがキッチンに戻ってきた。

そして、粗熱が取れるまでお茶を一緒に飲んでお喋りをして、そろそろ、という頃合でラッピングをした私達は、蒼の騎士団本部へやって来たのだった。


「おや、こんにちは」

頻繁ではないにしろ、時々蒼の本部を出入りしている私は、このおじさんが良い人だということを知っている。いつもにこやかで、お茶を淹れてくれるのだ。

「お疲れさまです」

挨拶をして中に入ると、彼が立ち上がる。

「皆さん、春の巡回に向けて訓練をしているところなんですよ。

 ・・・そろそろ戻るとは思うんですけどねぇ」

彼の言葉に本部の中を見回すと、確かに人がとても少ないことが分かる。

正面入り口の方では、民間人の応対のために数名が事務仕事をしているようだけど、いつもの業務用入り口の方には全く人の気配がないのだ。

「団長も、久しぶりに体を動かすと仰って同行していますよ」

正確には、彼は団長ではないようなものだけれど、もはや彼のニックネームのように定着している呼び名は、そうそう変えられるものではないらしい。

私はそれに頷いて、しばらく待たせてもらうことにした。

・・・もうすぐ日が暮れるから、1人で帰るとまたお仕置きされるのが目に見えている。

「じゃあ、アンも一緒に待ってればいいよね?」

「う、うん・・・」

もともとの目的は、アンとノルガを引き合わせることなのだ。

彼女が頷く様子を見た私は、微笑んで置いてある簡素な椅子に腰を下ろした。

「それなら、ご一緒にお茶でもいかがですか?」

おじさんが人の良い微笑みを浮かべて、そう提案してくれる。

「あ、じゃあ、あたし手伝います」

落ち着かない様子のアンは、手伝いを申し出ておじさんについて、少し離れた場所にある簡素キッチンに行ってしまった。

きっと、何かしていないといろいろ考えてしまうのだろう。

・・・少しだけ、あの頃の自分に共通している部分があるような気がしてしまう。私よりも彼女の方が純粋で、自分に素直だと思うけれど。

ほぅ、と息を吐いて辺りを見回す。

民間人が何かの相談にやって来たのだろう、向こうの方で事務官と騎士が応対しているのが見える。

彼が騎士団を辞めるという事実と、訓練で普段はごった返すほどの人数の騎士がごっそり居ない、がらんとした本部の様子を眺めて、なんだか卒業式の後のようだな、なんて、どうしようもない感想を抱いてしまう。

・・・この場合、卒業するのは私でなく彼なのだけれど。

いけない、まだマリッジブルーを引き摺っているのだろうか。

そう思って苦笑してしまう頬を両手で押さえていると、ふいに背後に気配を感じて振り返る。


「・・・きぁっ」


むぐ、と大きな手が思い切り私の口元・・・と鼻も塞がれて息が出来ない。

振り返ったつもりが、後頭部が固い壁のようなものに当たって身動きが取れなくなっていた。

苦しい、と感じたら悲鳴など出なくなってしまったのか、私は息を詰めて自分の足が、ふわりと床から離れるのを感じ取る。

そしてほんの少しだけ意識が遠のく中、アンもおじさんも簡易キッチンに佇んで、仲良くお喋りに花が咲いている後ろ姿が目に映った。


・・・蒼の騎士団本部でこんなこと、あり得るのか。








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