小話 私達の秘密2
ドアベルを鳴らして、甘い匂いに満たされた店内に入る。
緊張で鼓動が速くなったのを感じた私は、アンに気づかれないように深呼吸をした。
「こんにちはー」
店員さんが顔を覗かせて、私達に声をかけてくれる。
「・・・こんにちは」
私はそれに返事をしながらショーケースの前へと進む。斜め後ろに、アンの気配を感じながら。
「あの、」
「あぁ!」
「ぅわっ」
早速本題を、と口を開いた私に店員さんが素っ頓狂な声を上げた。
背後で小さく、アンの驚く声が聞こえる。
それよりも何よりも私が気になってしまったのは、店員さんの人差し指が真っ直ぐ私に向けて、突きつけられていることだ。
彼女は私を指差して、大きく目を見開いたまま固まっている。
私は一体どうしたのかと、そっと言葉をかけた。
「あの・・・私が、何か・・・?」
すると彼女は、我に返ったのか息を吹き返したように呼吸を整えて何度か頷く。髪の毛を落とさないようになのか、格好から入ったのか、小さな頭に乗せられている白い帽子が、ふるふると揺れた。
「人違いだったらごめんなさい。
・・・あなた、蒼鬼さまの婚約者ですね・・・?」
「えぇっ?」
思わぬ台詞に、今度は私が驚いた。
ショーケース越しに、彼女がそっとため息を吐く。
その様子を見て、何か良くないことなのだと感じた私は、声を潜めて窺うように尋ねる。
「そうですけど、何か・・・?」
「この間、蒼鬼さまが探しに来たんです。うちの店に」
「探しに・・・」
彼はたまに、この店で焼き菓子を買って来てくれるのだ。私達が一緒に暮らし始める前、私が買ったのを覚えていてくれたらしい。
だから、探しに、というのは何かおかしいと思うのだけれど・・・。
言われたことを口の中で繰り返していると、隣でアンが呟いた。
「あれじゃない?
ほら、街でミーナのこと見かけたら報告してくれって、蒼鬼が・・・」
「・・・あぁ・・・」
そのひと言で合点のいった私は、よく分からない声を出して、ちらりと店員さんを窺う。
「すみません、お騒がせしてしまったようで・・・」
言ってから軽く頭を下げると、彼女はころころと鈴の音を転がしたような声で笑い飛ばしてくれた。
「いえいえ。蒼鬼さまも、うちのお得意さまですから」
「・・・蒼鬼が?」
彼が焼き菓子店の常連だということが意外だったのだろう、アンが訝しげに言葉を紡ぐ。
私が彼と一緒に暮らし始めた頃は、彼女が口にする「蒼鬼」には棘が含まれていたのだけれど、最近はそれを感じない。私と彼のことを祝福する気持ちの方が大きくなっているのだと、感謝の気持ちと共に都合良く解釈することにしている。
・・・彼女の頭の中が、ノルガとのことで占められようとしていることも理由の1つかも知れない。
「たまに、このお店の焼き菓子を買ってきてくれるの」
私がすかさず言葉を滑り込ませると、店員さんが頷いてくれる。
「昨年の秋、あたりからでしょうか・・・。
ふらっと入っていらしては、焼き菓子を3つ4つと買って行かれるようになって。
・・・最初にいらした時は、うちが犯罪に関わったと疑われているのかと・・・」
彼女が言葉の最後に、くすくすと笑い出した。
蒼の騎士団は、治安を守るための組織だ。その組織の団長がある日突然やって来たら、警察が突然やって来た、くらいの衝撃があるのだろう。それまでにお世話になる機会がなかったなら、尚更だ。
「初めての時、制服のまま来ちゃったんですね・・・?」
思い当たって尋ねれば、彼女がこくんと首を振った。
街中で制服を着ていたら、蒼の騎士だと一目瞭然で分かるだろう。
「それは、びっくりするねぇ・・・」
アンの言葉に思わずため息を吐いた私に、彼女は手をぱたぱた振りながら今度は首を横に振る。
「まあ、あの時は。でも、それから通って下さってて・・・全く会話なんてしないから、
私はてっきり、お1人で食べてるんだとばっかり思ってたんです。
・・・でも、この間婚約者を探しているって、仰っていたものだから」
「そうだったんですか・・・」
王宮関係者だけでなく、街の商店にまで迷惑をかけていたなんて思いもしなかった。
・・・これで、焼き菓子のレシピなんて聞いていいものかどうか・・・。
内心で力なく呟いた私は、どうしようかと考えを巡らせる。
すると、彼女が再び口を開いた。
「その時に、特徴を聞いてたんです。何かあったらお知らせしようと思って」
その表情はにこやかで、言葉の裏には親しみが込められているような気がする。
私は無意識に緩んだ頬をそのままに、彼女の話を聞いていた。
「でもまさか、よく来るお姉さんが蒼鬼さまの婚約者だったなんて。
びっくりして、大きな声が出ちゃいましたよ。
・・・お姉さん、愛されてますねぇ」
「ほんとだよ・・・」
隣から感嘆のため息と一緒に聞こえた台詞が追い討ちになって、消えてしまいたいくらいに恥ずかしくなった私は、思わず体を小さくする。
店員さんの笑い声が、狭い店内によく響く。
「ええっと、」
ひとしきり笑われた私は、本題に入ろうと口を開いた。
不幸中の幸いと言うべきか、いくらか場が和んだおかげで、お願いしやすい雰囲気になったことを感じ取って、背筋を伸ばす。
それでも遠慮と躊躇いが混じったような私に、店員さんが小首を傾げた。
アンが隣で息を飲む気配がする。
「実はお願いがあって。
・・・焼き菓子の作り方を、教えていただきたいんです・・・」
尻すぼみになった台詞は、彼女の耳に届いたのだろうか。
小首を傾げたまま、目をぱちぱちさせている。
「・・・やっぱり、ダメですか?」
アンがショーケースに手をかけて身を乗り出し、囁いた。
すると、何も言わずにいた店員さんが視線を彷徨わせる。
「いやー・・・どうなんだろ・・・そんなこと言われたの初めてで・・・」
明らかに戸惑っているような仕草からは、彼女が断りたいけれど言葉を選んでいる、とも思えずに、私はもう一度尋ねてみることにした。
「もちろん、授業料としていくらかお支払いしますから・・・お願い出来ませんか?」
「お願いします!
蒼鬼とミーナの間を取り持つと思って・・・!」
駄目押しとばかりに言い放ったアンを、私は凝視する。
・・・言うに事欠いて、そんなことを。いや、確かに間違ってはいないけれども。
「ちょ、アン・・・?!」
「わっかりました!」
間髪入れずに大きく頷いた店員さんは、どういうわけか私の顔を、決意に満ちた表情で見つめていた・・・。
決断の決め手が、蒼鬼とミーナのくだりでないことを切に祈ろう。
「へぇぇ!そんな日があるんですかー!」
店員さんが手を叩いて感嘆している。
「そうなんです、楽しそうですよね!」
アンがそれに頷いている。
私はそんな2人を見ながら、こっそりをため息を吐いた。
店員さんが、焼き菓子作りの先生になることを快諾してくれたところまでは、よかったのだけれど・・・その後、どういういきさつでお菓子作りをすることになったのか、という質問を受けて、アンがバレンタインデーについて話を始めたのだ。
そして、大体の説明を終えたところで・・・。
「いいですね!焼き菓子で愛を伝えるなんて、素晴らしいです!
焼き菓子作ってて良かった!」
2人が盛り上がってしまった、というわけだ。
・・・いや、盛り上がるのは構わない。大いに結構だと思う。けれど。
「ぜひ愛を伝えましょう!
蒼鬼さまを、さらにメッロメロにしてやりましょう!」
・・・違う。やっぱり何かが間違っている。
違和感に脱力しながらも否定するだけの気概もない私は、アンを振り返ると、彼女がちろりと舌を出す瞬間を見た。
「・・・アン・・・!」
彼女が、私をダシに話を纏めた自覚があることに気づいて、思わず唸ってしまった。
・・・小悪魔め。
その後、否定したい気持ちやいろいろを飲み込んだ私は、自己犠牲の精神のもとにそのまま話を進めて、どんな焼き菓子を作りたいのか、いつ作るのかなどを調整したのだった。
店員さんは、話が現実味を帯びた内容に及ぶと、それまでの女子のカオから職人のそれになって、店に並ぶもののいくつかを、初心者でも作ることが出来るような手順と材料に改良してみる、と言ってくれた。
その頼もしさに感謝しつつ、私とアンは店を出た。
外は段々と薄暗くなってきて街灯が灯り、家々から温かい灯りが漏れ出している。
少し離れた場所に見える我が家にも灯りがついていることに気づいて、私は足を速めた。
アンと別れたのはついさっきだ。まだ日が高かったこともあって、喫茶店に入ってお茶をしていたのだけれど・・・1人でも大丈夫なのだろうか。彼女の住む寮は、別れた場所からは離れているのだ。
買い物をして帰ると言っていたから、辺りが暗くなる前に家に帰りつけるといいのだけれど。
そうこうしているうちに、私は自宅の玄関の鍵を開けてドアノブを握る。
その瞬間に、意識が彼へと向いていくのを感じて頬が緩んだ。
「ただいまー」
リビングに向かって言いつつブーツを脱ごうとして・・・固まった。靴が2足ある。
基本的に靴は靴箱へ、と思っている私達は、その日に履いている靴以外を玄関に出しておくことは少ない。
たぶん、左側にあるのが彼のもので・・・右の靴は、一体誰だろうか。
家に呼ぶような友人として思いつくのは、陛下・・・は脱走以外では街に下りてくることはないだろうから・・・ジェイドさんやキッシェさん、あとは、バードさん・・・。
その誰もが腑に落ちない私は、内心で首を捻るしかない。
他に考えられる可能性としては、お客様だ。
・・・押し売りか何かだとしたら、彼が問答無用で追い返すだろうし・・・。
ルームシューズに履き替えてブーツを揃えた私は、納得いく答えが見つからないままリビングへと足を踏み入れる。
「・・・あ」
そこで目にしたのは、ソファに腰掛けて本を読んでいるノルガの姿と、何故かキッチンでごそごそと何かを物色しているシュウの姿だった。
「えっと・・・」
「おかえりー」
戸惑いを隠さないまま立ち尽くす私に、ノルガが本から視線を上げて声をかけてくれる。
「あ、えと、ただいまー・・・」
半ば条件反射のようにして返事をすると、物色していた手を止めた彼と目が合った。
「おかえり。
・・・ワインが見当たらないんだが」
「ただいま。
・・・そりゃあ、ワインは私が隠したからね」
帰った瞬間の台詞がそれか。
・・・絶対に焼き菓子で驚かしてやろう。
ため息を零して、私は決意を新たにしたのだった。




