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小話 私達の秘密1






がたんっ


「・・・そんな日があるの?!」

夕暮れの食堂で、赤毛の彼女が身を乗り出した。

「う、うん・・・」

私は若干体を引いてそれに頷く。

彼女が身を乗り出した衝撃で、テーブルの上で中身を波立たせたカップを救出するのも忘れない。

「そっか、そうなんだ~」

私の話を聞いた彼女は、何度も頷いて何かを考えているようだ。

彼女の勢いに気圧された私は、せっかく気分が上向いてきたのだからと、控えめに付け足した。

「あ、でも、それがこっちのいつに当たるかはちょっと・・・」

「うん、いいのいいの。

 あたし、そんな細かいことは気にしないから。

 ・・・で、なんだっけ、その、なんとかデー」

「バレンタインデー、ね」

「そう、それそれ」

どうやら彼女、私が話したばかりの「バレンタイン」がいたく気に入ったようだ。

向こうの世界で暮らしていた頃、特に中高生の頃は、友達や好きな人に手作りのチョコレート菓子を渡すイベントとして、それなりに楽しみにしていたものだ。

大人になってからは、その時付き合っている男性がいれば、その人に渡したりもしたけれど、どちらかというとお世話になっている上司や先輩、父や祖父に渡していた。

私にとっては重要感が薄れていたことと、この世界では耳にする機会がなかったことも手伝ってか、思い出すことすらないイベントになりつつあって・・・。

けれど、そういえば今年はシュウがいる、とふいにその存在を思い出したというわけだ。

しかも、この間の衣装選びの件ではひと悶着あって、消してしまった匂い・・・私の認識としては「消えて」しまった匂いだ・・・のためにも、どうにかして彼のことを大切に思っているのだということを伝えなくては、と思っていた矢先だった。

アンの話を聞いていて、それなら彼女も、ノルガに何か手作りのお菓子を作って告白でもしてみればいいのではないかと思いついて・・・話が1ミリ進んだところで、彼女はものの見事に食いついたわけだ。

しかし、この食いつき様・・・なんだか目的が・・・。

「それで、何作る?

 一緒に作ろうよ、せっかくだから!

 ミーナと台所に立つなんて、久しぶりだねぇ~」

・・・やはり。やはりずれていた。

目の前で何かが決定されたのを感じた私は、それを理解した瞬間に脱力してしまった。

仕方ない。恋のキューピッドになるか。このまま放っておくと、作ったものを私のところへ持ってきかねない。

私は目をキラキラさせているアンを見据えて、これだけは伝えようと口を開く。

「・・・言っておくけどね。

 アンはお菓子を作ったら、ノルガに渡すんだからね?

 出来た、美味しいね、楽しかったね・・・っていう展開には、ならないからね?」

久しぶりにこれだけの言葉を一気に並べたら、口の中が乾いてしまって、私は持っていたカップの中身を一気に流し込んだのだった。






夜の帳が下りて、月明かりが大きくとった寝室の天窓から降り注いでいる。

今日は少し強かった風が、月を隠す雲を吹き流してくれたようだ。

「シュウ・・・?」

シャワーを済ませた私は、寝室のドアをそっと開けた。

返事はない。

最近団長候補さん達だけでは仕事がまわらない状況が続いていて、彼はその手助けのためにいろいろと忙しいらしい。

本格的に春を迎える前あたりから、蒼の騎士団が巡回に出ることになっているのだ。それは毎年のことなのだけれど、巡回のための準備が大変なのだ。

いつかの夕食の席で、そう零していたのをしっかり覚えている私は、彼が私を待っている間に眠りに落ちてしまっていることが頭の隅をちらついて、息を潜めて寝室へと滑り込む。

寝室は絨毯が敷いてあるから、歩いても足音が響きにくい。

こういう状況を見越していたわけではないだろうけれど、彼の判断が今はありがたかった。

「ん・・・?

 ミナ・・・?」

近づくと、やはり人の気配には敏感なのか彼がうっすらと目を開ける。

「ごめんね、起こしちゃった・・・?」

私は潜めていた息を吐き出して囁いた。

「いや・・・うとうとしていただけだ・・・」

眠そうに言う彼は、どう見ても眠っていたと思うのに、絶対にそう言ってくれるのを私は知っている。

ありがとう、と胸のうちで囁いた私は、彼が毛布を持ち上げて「ほら」と言ってくれるのに「ん」とだけ返事をして、ベッドに入った。

彼が寝ていたから、横たわった場所はとても暖かい。

「そういえば・・・」

私が目を閉じたら、彼が口を開いた。

もしかして、目が冴えてしまったのだろうか。

「うん?」

そっと返事をして、私は横に寝ている彼の方へと体の向きを変える。

すると、彼も体を向けて、肘をついて私を見下ろしていた。

天窓から差し込む月明かりが、静かに深い緑色の瞳を照らしている。

・・・やっぱり、綺麗だな。

何度見ても、同じ呟きを心の中で繰り返す。飽きもせず。

「・・・最近、ノルガの様子がな・・・」

「・・・ノルガが?」

とくん、と鼓動が跳ねた。

まさに今日の夕方、アンと話をしていたからだ。

思わず聞き返してしまった私を彼が見逃すはずもなく、ほんの少しだけ声が低くなるのを、私は息を詰まらせて聞いていた。

「気になるか」

・・・自分で話題にしたくせに・・・。

匂いの件で過敏になっている彼は、私が異性のことを気にかけただけでも、こうして反応する。

今の会話のように、ノルガやキッシェさん、ジェイドさん達のことを口にしただけでも、だ。

こんなふうに日常会話にのぼるような異性でも反応するなんて、私は彼に試されているんだろうか、とも思う。

いっそのこと「うん?」とでも相槌を打っていれば、やり過ごせるんだろうか・・・。

そんな彼の様子は、一緒に暮らすようになる前の彼を彷彿とさせるし、もう一度最初からやり直しているような錯覚に陥って、私の鼓動は否応なしに跳ね上がってしまう。

私は咄嗟に声を上げていた。

「違うのっ。

 あの、アンと何かあった、みた・・・ん、ぅ・・・」

優先順位が明確な今の私では、口外しないというのは到底守れない約束だったらしい。

・・・ごめんねアン・・・。

そう心の中で懺悔しながら、私は彼の口付けを素直に受けた。






次の日、私は図書館で頭を悩ませていた。

夏の間は、ほとんど毎日通い詰めていた場所だ。

カウンターにはもちろん、キッシェさんがいる。

「こんにちは~」

「あ、ミーナ」

手を振りながら近づけば、書類から目を上げたキッシェさんがにっこり手を振ってくれた。

「お疲れさまです」

「うん、お疲れ」

彼は長かった黒髪を少し切ったのだけれど、それでも長髪というくらいには長さがあるので、たいていはポニーテールのようにひと括りにしている。

自分をどう贔屓目に見ても、彼の髪の方が色艶がいい気がしてしまうのは、内緒にしておこうと思う。

「どうしたの、探し物?

 ・・・渡り人の史料?」

図書館職員の彼はシュウから頼まれて、王都に来たばかりの私に親切にいろいろ教えてくれた人だ。

万年貧血気味だけれど、剣の腕は一流らしい。本人は騎士になりたかったらしいけれど、体調のムラがどうしても引っかかってしまって、図書館勤務になったそうだ。

けれど私は、彼が刃物狂だということを知ってしまったので、彼が騎士として働くことにならずに済んで、良かったようにも思える。

私は彼のカウンター越しの質問に、首を振って答えた。

「ううん、今日は違うの。

 料理の本をね・・・」

そう言って見回せば、大きな本棚のところどころに本の分類が表示されている。

すぐに料理の本棚を見つけた私は、キッシェさんと少しだけ会話をした後、本棚いっぱいに並べられたレシピ本から、目当てのものを探そうと目を皿のようにして視線を走らせた。

探すのは、チョコレートのお菓子のレシピが載っている本だ。

向こうの世界だったら、チョコレートに特化した本がたくさんあると思うけれど、こちらではそうもいかないらしい。

見つけ出した数冊の中から手に取って開いてみれば、チョコレートの中に木の実を入れるとか、そういったアレンジのレシピばかりが並んでいた。

「・・・ないか・・・」

あてが外れて思わず息を吐く。

どうしようかと考えて、プレーンな焼き菓子にチョコレートを入れて、自分で作り出してみてもいいかも知れない、と思いついた。

そこで今度は、同じ本棚から焼き菓子のレシピ本を探していく。

そして、目に付いたものを取り出して中身を確認した。

載っているのは、手の込んだ難しいものばかりだ。

「・・・こんなの作れない・・・」

ため息混じりに呟いて、私はたまたま手に取った本を、再び本棚へしまう。

・・・このままでは、レシピを見つけるだけで数日が過ぎてしまうだろう。

どうしよう、と頭を抱えかけた私は、はっと気がついた。



本がなければ、人から教えてもらえばいいのだ。





翌日、私はアンと一緒に、私達が夏のあの日に再会した焼き菓子のお店を訪ねることにした。

チョコレートらしきものが含まれている焼き菓子が、ショーケースの中に収められていたのを思い出したのだ。

商売として焼き菓子を作っている店からレシピを教えてもらおうなど、図々しいにもほどがあるような気もするけれど・・・。

ちなみに、シュウにはアンと一緒に街に下りると伝えてある。

せっかく気持ちを伝えるためにプレゼントするのだから、サプライズにして彼の心を大きく揺さぶってやりたいと思っているのだ。

焼き菓子を手渡した瞬間の彼の顔を見るのが、今から楽しみで仕方ない。

隣を歩く彼女も、帰りにメッセージカードを買って帰ろうなどと、ノルガに渡すことを考えて楽しそうにしている。

私の思いつきというか、ふと思い出したことが発端ではあったけれど、もし今回のことが上手くいったら、これから毎年続けてもいいかも知れない。

・・・そういえば、ホワイトデーの存在も知らせておかないといけないな。

そんなことを考えながら、私は焼き菓子店までの道のりを歩いていた。





こうして、私とアンの秘密は始まったわけだ・・・。









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