小話 彼の秘密3
街よりも早く暗闇の訪れる雑木林の中、日の沈む寸前の薄暗さを振り払うようにして、私は短剣が飛んできた方角に目を凝らす。
「あまり顔を出すな」
短く釘を刺した彼の声には、緊迫したものが漂う。
彼がいるから大丈夫だ、と思い込んでしまっていたけれど、事態はそう甘くないのかも知れない。
実は、私がこの世界で悪意の伴う刃物を見たのは、これが3度目だ。
1度目は、初めて王宮にやって来た日のこと。
陛下や皆からの「試験」で、短剣を持った紅侍女さんに襲われた。
あれは悪意といっても演技で、私がどう対処しても危害を加えられることはなかった。
2度目は、本人曰く「子守風情のせいで騎士のコインを返上させられた」という元白騎士が、私をどうにかして傷つけようと接触してきた時だ。
あれは、どう考えても勤務中に私にちょっかいをかけてきた白騎士が悪い。
白の団長であるディディアさんが頭の悪い男が大嫌いなのを、彼は知っていただろうに。
そして、これが3度目だ。
出来ればこれで終わりにしたい。
祈りに似た気持ちを抱きつつ、私は気配を伺っていた。
やがて、彼が肩から力を抜いて、私を振り返る。
前触れもなくそうされた私は、戸惑うばかりだ。
「気配が遠ざかった」
「・・・襲ってきた人の?」
主語のない言葉に尋ねると、彼が頷く。
もう短剣が飛んでくることはないのに、何故か彼の表情は今ひとつすっきりしない。
なんとなく、訊きたいことを訊きたいだけ口にしていい雰囲気ではない気がした。
薄暗さから闇に近づいた雑木林は、カラスのような鳥の鳴き声が響いている。
私はどうしたものかと考えながら、ひとつ息を吐く。
すると、彼が口を開いた。
「で、お前は一体何をしてたんだ」
彼の瞳の色が分かりづらいくらい暗いのに、眉間のしわはくっきり見える。
これは、下手な嘘をついて誤魔化すよりも、正直に白状してしまった方が良さそうだ。
しかし、どう話しても良く思われないのが分かっているから言いづらい。
どうしても目を見ることが出来なかった。
「・・・シュウ、最近1人で出かけることが多かったから・・・」
自然と声も小さくなる。
彼を追っていた時の気持ちは、どこかに吹き飛んでしまったようだった。
あんなに苛立っていたのに、彼を目の前にしたら問い詰めるどころか、何も言わずにただ抱きしめて欲しくなってしまう。
特に今は、怖い思いをしたせいかも知れない。
彼がいないと駄目だと、決定的なものを突きつけられた気がして、自分の感情も何もかもを持て余して俯いた。
少しの沈黙を破ったのは、彼の大きなため息。
「・・・わかった。それについては、帰ってから話す」
「うん・・・」
「悪かった」
「うん・・・」
「ミナ」
「ん・・・?」
ピリピリした空気を肌で感じる。
なんとなく、顔を上げることが出来なかった。
「怪我は?」
彼の問いかけに、首を横に振る。
ほぅ、と息をつく気配に、目を閉じた。
振り返ってみれば、彼を追いかけ始めた私は、冷静さを欠いていたと気づく。
この雑木林につづく小道には、足を踏み入れてはいけなかった。
人気のない暗がりなんて、完全に犯罪向きの環境だ。
今ならそう思うのに、あの時は頭の中が苛立ちと疑心でいっぱいで、それどころではなかった。
もう少しで、信じられない心が身を滅ぼすところだった・・・。
ふいに、彼の手が私の両肩を掴んだ。
思わず視線を上げると、心配そうに私を見下ろす彼がいて。
・・・泣きたくなってしまう。
「あまり、心配させないでくれ・・・」
言いながら、やんわりと抱きしめられる。
ふんわり私を包むのは、嗅ぎなれた彼の匂いだ。
「ごめんなさい」
安心して目を閉じれば、彼の腕に少しだけ力がこもる。
「服の裾、破れてしまったな」
「え・・・?」
言われて見てみれば、膝の後ろあたりの生地が破れていた。
短剣が飛んできた時の、びり、という音はこれだったのかと思い至る。
もし、少しずれていたら。
「・・・片足が、使い物にならなくなるところだったな」
「う、うん・・・」
脅かすような言い方に、素直な私は間に受けて、かくかくと首を縦に振る。
そんな私を、彼はもう一度抱き寄せた。
「大丈夫だ。同じことがもう一度起きても、絶対に守る」
「・・・ほんとに・・・?」
今なら、その台詞も信じて大丈夫だろうか。
「ああ。
ただし、1人でうろうろしていいのは、明るいうちだけだぞ」
辺りはもう暗くなって、月が高く昇るまで雑木林の中までは僅かな月明かりも望めそうにない。
ところどころに配置されている街灯も、木々があるせいなのか狭い範囲しか照らし出してはくれないようだ。
彼の腕の中で落ち着きを取り戻した私は、しばらく彼の鼓動を聞いていた。
襲撃者の気配はないと言っていたし、ちょっと目を閉じるくらい許されるだろう、と。
でも、何かを忘れている気もして・・・。
なんだろう、と考えをめぐらすうちに、はた、と思い出した。
そうだ。
「シュウ、私、聞いたの」
「ん?」
彼も彼で、ほっとしたのか少し気を緩めていたらしい。
私はこの彼ばかりを見てきたから、なんだかほっとする。
しかし、今はそんなことに浸っている場合ではなかったのだ。
不思議そうにしている彼を見上げて、私は言った。
「女の子の声で、来るな、って。
どうしよう、もう遅いかも知れない・・・!」
あれからしばらく経っている。
自分の身が安全だと分かったら、すっかり頭の片隅に追いやってしまっていた。
なんて薄情なんだ。
「ああ、あれか」
「え?」
慌てふためいている私に、彼がなんでもないことのように頷いた。
呆気にとられて、口から変な声が漏れる。
「あれは・・・、」
「何か知ってるの?」
食いついた私に対して、彼は視線を彷徨わせた。
手を引いて連れて来られたのは、小道から逸れて入ったところにある、子ども達が遊ぶことが出来るほどの広さがある場所。
木々はなく、走り回れそうな所だった。
足元には小石のひとつもなく、人の手で管理されているのが分かる。
「ここが、なんなの・・・?」
こんな場所があったなんて、と感心していると、彼は彼方を見つめていた。
「墓地だ」
彼の見つめる先に視線を投げると、背の低い、丸みをおびた岩のようなものがいくつも並ぶ場所があることに気づく。
「お墓・・・」
呆然とオウム返しに呟く私を置いて、彼は歩き出した。
お墓と聞いてしまっては、何も考えずに喋っていいとも思えずに、私も彼のあとに続く。
夜のお墓だなんて、と思う反面、厳かな雰囲気の漂うこの場所に、不思議な気持ちになる。
いくつか佇む街灯は、うっすらと彼の行く先を照らしていた。
少し歩けば、すぐに彼の背中に追いつく。
そこには、ひとつのお墓があった。
「・・・世話になった人の、墓だ」
「・・・お父さんじゃなくて・・・?」
お墓には、うっすらと名前らしきものが彫ってあるのが分かる。
それ自体は、古いものとは思えないのに・・・。
「ああ、父のものは、孤児院の近くにある」
そうだったのか。今度ご挨拶に行かなくちゃな、なんて頭の片隅にメモを取る。
「ここは・・・、」
言いかけた彼が、急な動作で振り返った。
私が驚いて声も出せずにいる一瞬のうちに、彼はその背に私を庇う。
すぐ目の前、一歩下がられたら私の鼻にぶつかる、というくらいの近さ。
それは、私に目隠しをしているようにも思えた。
「来るなと、言ったでしょ」
女の子の声が、聞こえた。
その瞬間、はっ、とした。
私が聞いた声と、同じだったから。
一体何が起こっているんだろう。
混乱する頭を静めようと動悸のする胸を押さえて、見えない彼らの会話を聞く。
「1年に1度だけだ」
「あなたの祈りなんか、父さんには届かない」
何の話なんだろうか。
さっぱり分からないけれど、どうやら友好的な関係ではないらしい。
アンが彼につっかかるのと似ている気もしたけれど、彼女は明確な悪意を向けることがないのを、私は知っていた。
そして、彼の向こうにいるはずの女の子には、それがあるのも分かる。
「保護した女の人を連れて、さっさと帰って」
「俺の婚約者だ」
「婚約・・・?」
訝しげな声色に、彼が静かに頷くのが分かる。
「婚約ですって・・・?」
「ああ」
「あなたなんかが、幸せになれると思ってるの・・・?
父さんを殺したのに、幸せになろうと思ってるの・・・?!」
「ああ」
父さんを、殺した・・・?
穏やかではないと思っていたけれど、まさかそこまで物騒な話だったとは・・・。
少し話が見えてきて、私は生唾を飲み込んだ。
女の子が「来るな」と言った相手はシュウで、シュウがこのお墓にお参りをしようとしていたのを、追い返そうとしていたらしい。
でも、女の子のお父さんを殺したのは、どうやらシュウで・・・。
ということは、この女の子のお父さんは、蒼の騎士団に追われるようなことをしたということ?
もちろん私は、彼が理由もなく殺人鬼になるだなんて思っていない。
一体何があったの・・・?
頭をフル回転させていると、彼女の低い声が聞こえてきた。
「・・・そう、わかった・・・」
怒りを含んだ、何かが捻れているような、空恐ろしい声。
そう、例えば、マートン先生が私の首を絞めた時のような恐怖を感じる気配。
私は向き合ったことがないから分からないけれど、これが殺気なのかも知れない、と漠然と思う。
もしくは、狂気。
かちゃ、と金属のぶつかる音が聞こえた。
見えないけれど、その音はとても耳障りで。
目の前に立つ彼が、僅かに身じろぎするのを感じた私は、急に不安を感じてしまった。
飛んできた短剣をかわした時のような、ピリピリした空気に気づいたからかも知れない。
「あなたにも、同じ思いをさせてあげる」
かさり、と草を踏む音。
彼の足が、地面を踏みしめた気配。
絶対に動いてはいけないと分かっているから、どうすることも出来ない。
息も出来ない緊迫感に、私は神経が張り詰めていた。
そして、彼の背が急に前へ出た。




