小話 彼の秘密2
住宅街の方へは全く来たことがなかったから、何度か角を曲がったら方向感覚が全くなくなってしまった。
今、私はどこを歩いているのだろう・・・。
小さな不安を抱えながら、私は彼の後を追っていた。
木枯らしが吹くたびに、首筋が寒くて敵わない。
いつも王宮と寮の行き来ばかりだから、仕事の日は、ちょっとそこまで、という格好で出かけてしまうことがほとんどだ。
それが間違っていると気づくのには、今日みたいな痛い思いをしないといけないらしい。
明日からは手袋とマフラーもちゃんとしよう、と決めて、私は彼の背を追いかける。
歩幅が広いからなのか、普通に歩いているとどんどん置いていかれてしまう。
私は時折小走りに駆けながら、見失わないように、ただそれだけを頭に置いていた。
ここで彼を見失ったら、帰れなくなる、という最悪の事態に発展してしまうからだ。
冬の入り口に差し掛かった街は、人通りが少ない。
彼とすれ違った人の中には、しばらく歩いてから振り返って首を傾げる人もいた。
蒼鬼だと分かる人は、街の中にはどれくらいいるのだろう。
もしかしたら10年前の戦争の時か、5年前の『蒼の裏切り』と騎士たちの間で囁かれる事件の時に、何か噂でも聞いた人もいるかも知れない。
特に『蒼の裏切り』の時には、当時の団長が夜盗グループと通じていたということよりも、陛下の従兄弟であるシュバリエルガが団長を討った、という事実が世間や王宮を騒がせたらしい。
彼の口から聞いたのは、彼の取った行動と、その結果だけ。
ほとんど何も知らない私だけれど、世間や王宮の認識としては「当時の団長がそんなことをするわけがない」というのが一般的だったそうだ。
当時の団長の人柄を評価する声が多かったのだという。
そして、バードさんの話では、彼も当時の団長にかわいがってもらっていた、らしい。
そうやって、私は外堀ばかりを埋めてきてしまったから、この件に関しては彼の目から見た事実をいつか聞けたらいいな、と思っているけれど・・・。
一体いつになるのやら。
考えながら歩いていると、彼が一軒の店に入るのが見えた。
用事というのはこれのことだったのか、なんて考えが頭をよぎる。
けれどそれは、店から出た彼の姿によって否定された。
「またよろしくお願いしますー」という女性の声が、彼のことを追いかけるように飛んでくる。
彼は手に、小さな花束を持っていた。
彼がそのまま回れ右をして、こちらに歩いて来てくれれば良かったのに。
小さなため息をついて、私は再び背を向けた彼のあとを辿る。
あの花束は、誰に渡すつもりなのだろう・・・。
そう思うと、ちくり、と胸が痛んだ。
秋と冬の間の、野原や、雑木林の匂い。
夢中になって追いかけているうちに、街のはずれまでやって来てしまったようだ。
私を隠してくれる建物も、この先には見当たらない。
一番彼に近い、最後の建物の影に隠れたまま、ちらりと彼を確認した。
やはり、花束を持ってその先に進もうとしている。
一体どこに行くつもりなの・・・?
ため息をついて、ふと思う。
ここは異世界だ。
私が知らないだけで、もしかして雑木林の小道を進んだ先に、魔女でも住んでいるのでは・・・、なんて。
想像が広がってしまう自分を小さく笑って、私はもう一度彼を見ようと顔を出した。
しかし、彼はもう雑木林の中へ入ってしまったようで、姿がない。
どうするべきか。
ここまで来たのだから、と思う自分と、満足な灯りもない所へ今から行くのはどう考えても無謀だ、と主張する自分がいる。
最後に、自分の心の声を聞いたら、取るべき道はひとつだった。
夕暮れの近づいた雑木林は、街中を歩くのよりも視界が悪い。
特に足元は、でこぼこしている上に、少ない街灯は満足に照らし出してはくれなかった。
この小道も、蒼の騎士団の巡回ルートに含まれているはずだ。
街中にもスリや窃盗団の溜まり場が出来やすい場所があるらしいけれど、今歩いているような、人気のない場所ならなおさら。
ここは蒼の騎士団の目の届く場所だと知らせるために、人気のない場所も日に何度か、時間はその日に決めるようにして巡回をしているらしい。
犯罪に巻き込まれそうな匂いがぷんぷんするけれど、私が思い切って足を踏み入れたのには、理由があった。
私が彼の名前を呼んだら、必ず駆けつけてくれると解っているからだ。
特に今は、確実に近くにいると分かっている。
これで彼が駆けつけてくれなかったら、その時は、私の消える時だ。
私の無茶が半分、彼の気持ちを試したい気持ちが半分。
これは、彼と思いが通じる直前に自覚したことだけれど、私は自分で思うよりも打算的だ。
小道を歩いていると、声が聞こえた気がして足を止めた。
「・・・こども・・・?」
女性というには高いように感じて、私は内心首を捻る。
どこだろう。
もう一度、と念じながら耳を澄ませると、今度は「来るな」とはっきりした女の子声が聞こえた。
・・・犯罪の匂いがする。
そう思い至った瞬間、鳥肌が立った。
動悸が激しくなって、息が上手く出来ない。
まさか、本当にこんな場面に遭遇するなんて思わなかった。
ついさっき、蒼の団長がここを通ったはずなのに。
どうしよう、どうしようどうしよう・・・。
まだ、声の女の子が何かに襲われているとは限らないけれど、でも、違うとも思えない。
助けに入ったところで、私も一緒くたにされるに決まっている・・・。
自分で自分の腕を抱いて、上がってくる震えを堪えようと、ぎゅっと目を閉じた。
誰か、助けを呼んでくるとか・・・。
一番確実なのは、シュウだ。
でも、と思いとどまる自分がいる。
呼んで何事もなく済んだとして、その後問い詰められたらと思うと、踏み出せないのだ。
きっと、ものすごく怒られるに決まっている。
迷いが周囲を伺うだけの余裕を奪って、私は立ち尽くしていた。
その瞬間。
ざくっ。
土を裂く音がしたと思って、足元を見遣れば、そこには何かが刺さっていた。
上から見ると、小さな、板のように見えるけれど・・・。
なんだろう、と掴んで、引き抜こうとするけれど、思ったよりも深く突き刺さっているようで、なかなか抜けない。
更に力を入れると、ずるり、と硬い土の中から鈍く光るものが姿を現した。
「・・・っ!!」
息を飲んで、咄嗟に手にしたものを放り出した。
出てきたものは、短剣だったのだ。
ガランガラン、と見た目よりも重い音を立てて転がったそれは、夕暮れを過ぎて薄暗い雑木林の中、僅かな街灯の明かりを反射して、鈍く光を放っている。
突き刺さっていた場所は、私の右足のすぐ横、あと一歩か二歩ずれた所に立っていたとしたら、片足が使い物にならなくなっていたかも知れない。
自分の呼吸の音が、ひゅーっ、と喉から出てくる。
とりあえず無事だけれど、これを投げた人物は、私を今も見ているはずだ。
いつだったか、王宮の一角で白の騎士にされたことがフラッシュバックする。
あの時は、シュウが助けに来てくれたけれど・・・。
がくがく笑う膝が、かくん、と折れそうになる。
「シュウ・・・!」
助けに来て。
あの時は、相手が目の前にいた。
私をどうするつもりなのか、なんとなく読み取ることが出来た。
けれど、今回は見えないところから私を狙っている。
そう思うと、動くことも出来なかった。
なんとなくだけど、おかしな動きをしたら、次は胸めがけて短剣が飛んでくる気がして。
「助けて・・・!」
彼の父親の形見だという琥珀を、汗をかいて震える両手で握り締めた。
「シュウ・・・!」
囁きほどの、悲鳴に似た声だけど、彼に届いているんだろうか。
怖い。
そう自覚したら、吐き気がこみ上げた。
体中がこの状況を拒否している。
どうか、彼にこの声が届きますように・・・。
「お前・・・」
ふいに耳慣れた声がして、咄嗟に辺りを見回した。
薄暗い中、彼の声がした所を辿って、その姿を捉える。
・・・来てくれた。
そう思ったら、彼の方へと駆け出していた。
「来るな」
低い声に、足が縫い付けられる。
どうして、拒絶するような言い方をするのだろう。
私は衝撃と受けたのと、不思議に思うのとで、その場から動くことが出来なかった。
すると、彼の方から近づいてくる。
一歩一歩、ゆっくりと。
「何故、ここにいる」
辺りの気配を伺っているのか、いつも王宮で偶然見かけて近づいてくる時の彼では、ない。
それが解った瞬間、彼の手にしているものに気がついた。
「シュウ・・・?!」
私の足元に突き刺さった短剣と、よく似たそれを握っているのだ。
鈍い銀色の光に、いつかと同じ感情が湧き上がる。
言いようのない違和感と、這いずり寄ってくる恐怖に再び喉の奥が震えた。
彼の目が、怖い。
深い緑色の瞳が、ひた、と私を見据えている。
近づいてきた彼は、私の目の前で足を止めた。
私はその威圧感に、一歩、後ろにさがる。
「いいか、絶対に動くなよ」
そう言って、彼は手にした短剣を私の目の高さまで持ち上げた。
思わず体を強張らせた私に、彼が目で動くなと告げる。
必死に目を逸らさずにいられたのは、きっと、目の前に来た彼の声が、いくらか柔らかくなったのを感じ取ったからだろう。
緊迫した空気の中、私は何も考えずに彼の瞳だけを見つめていた。
もしかしたら、いつもと違って怖さを持つ彼が、手にした短剣を私に向かって振り下ろすかも知れない、とも思いながら。
どれだけの時が経ったのか、分からない。
薄暗い中、必死に彼の瞳を見つめていた私を、彼の腕がぐい、と引き寄せた。
驚いて息を止めた刹那、彼が片手で私を抱えたまま体を捻る。
ビリ、という音と、ざくっ、という音、ひゅっ、と空を切り裂くような音が聞こえた後、足が地面に着いた。
音のした方へ視線を送ると、さきほどと同じようにして、地面に短剣が突き刺さっているのが目に入ってくる。
衝撃を受けつつも、彼が守ってくれたのだと解って、ほっと胸を撫で下ろした。
彼が私を傷つけることなど、きっとないのだ。
見れば、彼の手にあったはずの短剣がなくなっている。
「怪我はないな」
「うん」
確認の言葉に、頷いて答えた。
短剣の飛んできた方向に体を向けて、斜め後ろに私を庇った彼が、低い声で囁く。
「・・・おしおきが必要か」
「え?」
鼻で笑うような声が混じっていることに気づいて、私は呆気にとられた。
「暗くなったら1人で街をふらふらしない、と約束しただろう」
「それは・・・!」
薄暗い中、彼の背を近くに感じた私は、もう彼の浮気などどうでもよくなっていた。
彼と一緒に、温かい部屋で、ごはんを食べたい。
私は彼の背に守られながら、短剣の出所を探そうとして目を凝らした。




