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小話 彼の秘密1







夕暮れが近づいて、木枯らしの吹く街。

人通りも少なくなってきた通りで、人の行方を辿っていくのは、それほど難しくなかった。

私は勘付かれないように気を張りながら、彼の後を追っていた。






気づいたのは、少し前だった。



もう冬の気配が漂う夕暮れの中、2人の職場である王宮からの帰り道で、彼が「用事を済ませてくる」と言って。

私は何も気に留めることなく頷いて、部屋で食事を作って待っていることを伝えた。

もちろん彼は、それほどの時間を空けずに帰ってきたけれど・・・なんといえばいいのか、なんだか、違和感を感じてしまったのだ。

そわそわしているというか、注意力が散漫しているというか・・・。


それからというもの、彼は1人で出かける回数を重ねていった。

最初は、仕事に関することなのだろうと思っていた。

けれどその楽観的な思いは、だんだんと疑心暗鬼に変わる。

彼が何をしているのが気になってきた頃には、もう遅かった。

一番近く、手の届くところにいるのに、掴めないものに変わった彼。

もともと言葉の少ない彼と、日常を過ごしてきた私は、相手の気配が自分をすり抜けていると解ったら、どうやって向き合えばいいのか、分からなくなっていた。



そして、もしかしてこれが浮気ってやつなのだろうかと思い至ったのは、昨日のことである。







「ミナ、」

呼ばれて振り返る。

王宮の廊下は、お昼から少し経って緩んだ空気が漂っていた。

彼の声に、ただ通り過ぎるだけだった人の波が、一瞬さざめいたのを感じる。

手を繋いで歩いていたリオン君が、感嘆の声を上げた。

続いて、バードさんも。

「エルー!」

「お疲れさま」

ひょい、とリオン君を抱き上げた彼は、バードさんに「お疲れさまです」と簡単な挨拶をして、私に向き直る。

見返した彼の顔の上に、リオン君の顔があるのが可笑しくて堪らないけれど、勤務中に出遭うことは少ないから、きっと私を探していたのだろう、と目星をつけた。

「お疲れさま」

声をかければ、彼が微笑む。

微笑む時は、全くもって、いつもの彼なのにな。

「ああ」

「もしかして、探してた?」

「ああ、これからレイラの部屋に行こうと思っていたところだった。

 ・・・途中で会えて良かった」

「うん」

リオン君の視線が、私と彼の間を行ったり来たりしている。

「何かあったの?」

仕事中に伝えなくてはいけないことなど、悪い知らせに決まっているけれど。

私は胸の内でひとりごちて、小首を傾げて彼を見つめた。

「ああ、今日はこのあと仕事を切り上げて、用事を済ませることにした。

 夕食には帰れると思うが・・・」

言いにくそうに告げる彼の表情が目に入った瞬間、急に頭の芯が冷えていくのを感じる。

またなの。

湧き上がる感情をひた隠しにするのは、それほど遠くない過去に、時に無意識に、時に自分の気持ちを見て見ぬ振りをするために、こなしてきたことだった。

私は刹那の判断で、口角を上げる。

深い緑の瞳が、揺らいでいた。

「そっか。気をつけてね。

 ・・・何か食べたいもの、ある?」

「いや・・・、そうだな、温かいスープを頼む」

ほっとしたように目を細める彼に、もう一度微笑む。

「・・・わかった。いってらっしゃい」




そんなやり取りをして、私は子守の仕事に戻ったのだ。

これ以上考えても、自分が傷つくだけだと思った。

だから、とにかく仕事に没頭しなくては、とたくさん遊んで。

もうすぐ雪が降るから今の内に、とお庭で走り回った結果、リオン君が意外にも遊びつかれてしまったらしく、お昼寝をしてしまった。

普段お昼寝をしないのだから、すぐに目が覚めるだろうし、部屋で待機していると申し出たけれど、レイラさんが首を横に振った。

せっかくだから、体を休めて下さい、と。

ありがたい言葉なのに、今の私にはなんだか現実と向き合えと言われているようで心が痛い。

仕方なく、私は着てきた自分の服に着替えた。

綺麗な刺繍の施された制服は、洗濯係の白侍女さんにお礼を述べて預けた私は、まっすぐに帰る気持ちにはなれなくて、食堂に顔を出したのだった。


「あ!ミーナ!」

アンとまともに話すのも、久しぶりかも知れない。

彼女は今、赤い髪の騎士と仲良くなって、休みの日も一緒に過ごしているようだから。

そう思って訪れた、人気の少ない食堂で、そばかすの彼女が迎えてくれた。

ただし、

「やっほー」

赤髪の彼、ノルガも一緒に。


「どうしたの、仕事、早く終わった?」

「ん、リオン君が寝ちゃったから。早く切り上げてもいいよ、って」

アンの挨拶代わりの言葉に、私は答える。

ノルガは、私のお茶を注文しに行ってくれている。

テーブルには2人分のカップから湯気が立ち昇っていて、2人が向かい合って席についてから、それほど経っていないことが見てとれた。

お邪魔してしまったのだと気づいて、肩身の狭い思いを抱く。

「そういえば、蒼鬼は?」

彼女はシュウのことを、蒼鬼と呼ぶ。

まだ私と彼の関係が、噛み合いそうで噛み合わなかった時期に、「蒼鬼に都合よく転がされてるだけなのかも知れない」と憤っていたのだそうだ。

その名残なのか、彼女はいまだに彼と打ち解ける気配がなかった。

彼も彼で、無意識に悪気なく彼女をあしらうから、お互い平行線を辿っている。

それはそれで、バランスが取れているようにも思えるようになるから、不思議なものだ。

「えっと、用事があるって・・・」

問われた内容が、舌を重くする。

いつの間にか視線を落とした私に、彼女はこぶしを握り締めてふるふると震えだした。

「なに、もしかして浮気かも知れないとか思ってるの?!」

オンナの勘が発動したアンが、大きな声を上げる。

核心をつく発言に、さすがの私もはっとした。

ここは食堂で、不特定多数の人が聞き耳を立てている場所なのだ。

慌てて人差し指を口元で立てて、しーっ、とすると、彼女は肩を竦めて「ごめん」と小さく謝った。

陛下の従兄弟で冷血で強くて酒豪で、その上浮気までしてるだなんて噂が流れたら、本当に彼の居場所を奪ってしまいかねない。

そう思うくらいには、彼のことを大事に思う自分がいる。

そうだ、好きだから苛々して、許せない。

・・・もし本当に、あのあやしさが浮気からくるものならば。

「・・・はい、どうぞ。

 って・・・、聞こえてたぞ今の・・・」

ノルガがお茶を持って戻って来て、私は小さくお礼を言う。

彼はにかっと笑って、それに応えてくれた。

「まさか、あの団長が浮気なんかするわけ・・・」

手をぱたぱた振った彼が、ぴた、と固まった。

人の口から聞くと、こうも攻撃力のある言葉なのか。

私は静かに俯いて、ノルガの持ってきてくれたカップを両手で包んでいた。

手から伝わる温かさが、現実から遠ざけてくれている気がする。

「何、思い当たるフシでもあるの?」

アンが固まった彼を問い詰める。

主導権を握っているのは、どう見てもアンだ。

彼は取り繕おうとしたようだけれど、すぐに諦めたのか、肩を落とした。

西日になろうとしている日差しが、私達の斜め上から降り注ぐ。

本格的な冬が来る前に、あと何度こうして陽の下に佇むことが出来るだろう。

なんだか物悲しい気持ちになって、私は傍観者のように、彼らのやり取りを見ていた。

「いや、えっとさ・・・」

歯切れの悪い彼が、ちらりと私に視線を走らせるのを感じて、顔を上げる。

「言ってみて」

「えぇ・・・?

 俺が言ったって、言わないでよ・・・?」

こくりと頷くと、ノルガが重いため息を吐いた。


「いつだったか忘れたけど・・・」

そう切り出した彼は、言葉を選びながら語ってくれた。


ある日、シュウとノルガの退勤時間が一緒になったことがあったのだそうだ。

女子同士のように、仲良く職場を出るなんてことは決してなく、ただ、彼が去っていく後姿を見ただけなのだと、ノルガは言っていた。

早足に立ち去ろうとしていたのを見遣った時に、彼の手の中に、小さな花束があって。

それを見て、何かの記念日なのかと尋ねたら、「そんなんじゃない」と彼は短く答えたらしい。

その時は何も気に留めなかったそうだ。

・・・アンと約束があったから、と彼は言った。

聞いていた私の隣で、急にもじもじしだした彼女は、今まで一番乙女で。

姉代わりとしては、その成長ぶりに大変感慨深いけれど、そのタイミングで暗黙の了解よろしく、目を合わせて微笑み合ったりしないでいただきたいところです。

ともかく、私が彼のことを不審に思っていると知った今では、その時の花束があやしいのではないか、というのが彼の見解だった。

確かに、私はここしばらく、彼から花を貰った記憶はない。

焼き菓子なら、たまに買ってきてくれるけれど。

・・・ただし、それも必ず用事を済ませると言って、1人で出かけた時に。





あやしいと思う時がきても、絶対に携帯や財布、手帳の中身をチェックしたりしないように。

よくある傷つかないための標語だ。

私はそのどれもチェックしていないのに、なんだかもう彼の浮気が確定してしまったかのように、すっかり打ちひしがれていた。

・・・心の片隅で、まだ彼を信じていると自覚しているのに。

ノルガは、王都の巡回から戻った彼が少しの休憩をとるために立ち寄ったらしかった。

少しの休憩なら、なおのこと私が居ては申し訳ない。

心配する2人に曖昧に微笑んだ私は、足早に王宮をあとにした。

こうなっては、帰ってきた彼に尋ねるしかないのかも知れない。

でないと、想像が暴走して、自分を飲み込んでしまいそうだ。

・・・運の悪いことに、私は気持ちをすり減らすようなことを続けると、この世界から光の粒になって消えてしまうらしい。

ああでも、同じ消えるなら、こんな、人魚姫みたいな終わり方も悪くないな。

そんなふうに考えて、自嘲気味に口元を歪めて歩いていた時だ。

少し遠くに、彼の背が見えた。

街へと続く道を、歩いている。


私は彼らのように獣の本能を持ってはいないけれど、どういうわけか、視力の効く範囲であれば、彼のことを見つける能力を身につけていた。

親が、人ごみの中でも自分の子を見つけられるのと同じだろう。

そこに働いている力は、ただ、相手を想う気持ちだけだ。

そして、一度見つけてしまったら、引力が働いているかのように、足が自然と彼の方へと踏み出してしまうのだ。

特に今は、彼のことばかりを考える日が続いているからか、どうしても彼の背を追いたくなってしまっている。

追いかけて、何か核心に迫るものを見てしまえばもう、想像だから、なんて言い訳は成り立たない。

目の前に立ちはだかる何かを見ないふりで通すのか、それとも正面からぶつかっていくのか、私は決断を迫られていた。

そして歩幅が広く、1人で歩くととても速い彼の背が、だんだんと離れていくのを見て、気持ちが踏ん切りをつける前に足が彼の方へを吸い寄せられてしまった。

心は、いつも正直だ。

理性が私を守ろうと頑張っても、結局心には勝てない。



私は意を決して、彼のあとを追うことにした。

相手はあの蒼鬼だ。

途中で気づかれてしまうような気もするけれど、それでも、気持ちを止められなかった。








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