小話 ご挨拶
久しぶりに、子ども達の遊ぶ声が響く園に帰ってきた。
木枯らしが冷たい季節だけど、ここはいつでも活気に溢れて温かいのだ。
「・・・煩い?」
隣に立つ彼を見上げれば、
「・・・昔はそう思うことも多かった」
完全な無表情で子ども達を目で追いつつ、そう返された。
ずいぶん前のように感じるけど、私達がこの孤児院で出会ったのは、ほんの数ヶ月前だ。
夏のある日に出会って、紆余曲折を経て、ララノ旅行も楽しんで・・・そうして、今は秋から冬に移り変わろうとしている。
この部屋で、コインを受け取ったのが、全ての始まりだったような気がする。
窓の外を眺める彼の背を見つめて思いを馳せながら、なんともいえない気持ちになっていた。
すると、肩越しに彼が振り返る。
浮かべた表情は、とっても優しい。
「そんなに背中が好きか」
「・・・・・・・」
私はベッドに下ろしていた腰を上げて、彼の背中に抱きついた。
「うん」
思い切り抱きついたから、どす、と衝撃が自分の胸に返ってきて。
一瞬息が詰まってしまった。
そんな私を、彼は失笑する。
小春日和を思わせる日差しが傾いて、もうすぐ夕暮れだ。
「どうした」
珍しく彼に突進したからか、苦笑しながら彼が問う。
深い緑の瞳は、柔らかく細められていた。
彼は、本当は知っているのだと思う。
「・・・ちょっと、緊張してるだけ」
背中に向かって囁くと、彼の小さなため息が聞こえた。
「そんなことだろうと思ってはいたが・・・」
くるりと体をこちらに向けて、彼が両腕で私を包み込んだ。
そのまま頭をそっと撫でられれば、あまりの心地良さに目を閉じる。
「食事をして、報告するだけだろ」
彼の手が、髪留めを触っているのが分かった。
この場所でコインを渡してくれた時のことを、彼も思い出していたりするのだろうか。
同じ気持ちになっていて欲しいと思うのは、少し図々しいのかな。
そこまで期待したら、独りよがりなのかな。
そう思っていたら、額に唇がそっと寄せられた。
「ミーナ!待ってたのよ!」
歓喜の声を上げた院長に力の限り抱きしめられて、私は息を詰めた。
「・・・お変わりないみたいで、良かった、で、すぅぅ・・・」
むぎゅう、と力を入れられたら、息も絶え絶えだ。
そこへ彼が、おもむろに院長の腕を引き剥がしにかかった。
彼の強さは、もしかして母親からの遺伝によるところが大きいんじゃないだろうか、なんて、大変失礼なことを思いながら息を整える。
「母上、そのへんで」
「・・・あらら、ごめんなさいね。
楽しみにしていたものだから、つい・・・」
眉を八の字にされて、もう一度、今度はやんわりと抱きしめられる。
ただいま、という言葉が自然と口をついて出るのは、私にとってここが特別な場所だからか。
子ども達がシャワーを浴びて、眠る前の絵本の読み聞かせを待つ騒がしさが心地良い。
今日はいつもより、少し早い就寝なのだそうだ。
・・・私達がこれから食事をするからなのかと思うと、ちくりと罪悪感が胸を刺す。
院長は、新年を迎える時に夜更かしさせてあげるから、問題なしだとのたまったけど。
私は何も知らない子ども達に内心で手を合わせてから、厨房から料理を運ぶ手伝いをする。
彼と院長は、何やら難しい話をしているみたいなので、少しそっとしておこう。
手にした大皿から漂う良い匂いに、気を取られないように気をつけて運ぶ。
照明が少しおとしてあって、キャンドルの光が暖かく食卓を照らしていた。
料理長とユタさんは、今夜は2人で飲んでいるらしい・・・。
全然性格の違う2人が一緒に飲んで、どういう雰囲気なのかがものすごく気になるところではあるけれど・・・。
そんなことを考えつつも、厨房を手伝っていた頃のことを体が覚えてくれていたのか、戸惑うことなく料理を運び終える。
「ありがとう、ミーナ」
食堂の一角に並んだ、豪華な家庭料理を眺めて、ふぅ、と息をついたところで、院長が声をかけてくれた。
いつの間にか2人の話も終わったようで、彼が椅子を引いて私を見ている。
それに素直に甘えて腰掛けると、隣に彼が、向かいに院長が腰掛けた。
そして彼がワインを院長のグラスに注いでいく。
王宮の晩餐会のような贅沢なものではないのだけど、末席に近いとはいえ王族2人と一緒に食卓を囲むこの状況は、圧巻というかなんというか。
そんな彼は、私の婚約者で陛下の従兄弟。
その母親の院長は、元皇女様。
婚約した報告をしよう、と言い出したのは私の方だったけれど・・・。
いざとなると腰が引けて、何を言えばいいのか頭が真っ白だ。
彼が私のグラスにも少しだけワインを注いで、自分のグラスにはなみなみと注いで、そのまま自分の手元にボトルを置いた。
・・・今日は気の済むまで飲むんですね、魔王様。
素知らぬ顔で、ちらりと私を見遣る彼は、飲んでもいないのに少し色っぽかった。
食堂の照明を薄暗くして、キャンドルをつけているからか。
院長が静かにグラスを軽く持ち上げるのを見て、それに倣う。
「母上、」
乾杯するものだと思っていた私は、声を上げた彼に視線を向けた。
その声が、なんだかいつもと違う気がして、私は鼓動が大きくなる。
なんとなく彼の口から出てくるであろう言葉は予想がついているのに。
「なあに?」
院長のおっとりした、ふんわりした声がそれに応える。
私はドキドキしながら、彼の言葉を待っていた。
キャンドルの炎が、小さく揺れて彼の横顔を照らす。
「結婚することにした」
温度の感じられない、淡々とした言い方に、どこか緊張を孕んでいると感じるのは私だけなのだろうか。
それとも、私が緊張しているだけなのか。
院長は目を大きく開けたまま刹那の間固まって、すぐに眉根を寄せた。
険しい表情で彼を見ている。
「・・・することにした、って・・・。
強引に押し切ったんじゃないでしょうね?」
まさか反対されるのかと、一瞬ひやりとしたけれど、悪い予想は外れたようで。
「あなた、彼女にちゃんと説明しなかったそうじゃない。
後見を申し出た時も、コインを預けた時も・・・。
・・・ミーナ、あなたはいいの?ちゃんと考えて承諾したの?」
「え?」
彼が院長に返事をするよりも早く、矛先が私に向いた。
「この子と一緒になって、幸せになれそう?」
もう一度、この場でちゃんと考えなさいと諭されて、私は苦笑してしまう。
だって、私の知っている、彼の母親という生き物のイメージとは全く違うのだ。
その台詞を向ける相手が私では、若干彼に申し訳ない。
私が苦笑いするのを見た彼が、最近は私の前で見せることが少なくなった、眉間にしわを寄せた表情で、グラスを置く。
そのままそっぽを向く姿は、初めて見る彼だった。
「・・・幸せです」
声は小さくなってしまったけれど、院長にはちゃんと聞こえただろうか。
いや、彼に聞こえていれば、それでいいのかも知れない。
「今も十分。
でも、結婚出来たら、いいなって思ってます。
・・・彼と一緒にいるようになってから、あんまり寂しくないんです・・・。
向こうの世界は恋しいけれど、ここにも居場所があるって、思えるようになりました」
言ってみると、思っていたよりもずっと恥ずかしかった。
公開プロポーズのような発言だったと自覚したら、もうダメで。
私はなんとなく院長の顔が直視出来なくて、食卓で湯気を立ち上らせている大皿のふちを眺めて気を逸らす。
彼はどんな顔をしているのだろう。
私はどんな顔をしているのだろう。
・・・顔が熱いけれど、薄暗いからきっと分からないはずだ。
鼓動の速さに戸惑っている姿も、晒さずに済むだろう。
「・・・そう・・・」
院長の小さな声が聞こえて、私は視線を上げた。
ばちっと、視線がかち合って、私は息を飲む。
「それなら、これほど嬉しいことはないわ。
2人とも、おめでとう」
満面の笑みが咲いて、私達は食事に手をつけた。
ものすごく長い時間グラスを持っていた気がしたのに、口に入れた料理はまだ温かいままだった。
食事のあと、彼がお茶を淹れるために席を立っていた時だ。
院長がおもむろに口を開いた。
こうやって2人で話をするのは、初めてじゃないのに。
どうしてこんなに、心が落ち着かないのだろう。
「ねえ、ミーナ」
「・・・はい」
静かな食堂に、かたん、とか、ことり、とか、彼が作業している音が響く。
「私、あなたのことが大好きだわ」
唐突な言葉に、目を見開いた。
今まで、こんな台詞を聞いたことなど沢山あった。
院長は、こういうことを日常会話の中で何度も言うのだ。
それこそ、挨拶代わりに。
小さな子ども達から、料理長やユタさんにまで。
それなのに私が心に衝撃を受けたのは、彼女の表情が、いつもと違っていたから。
どこか彼の真剣な時の顔に、似ている。
「私も、院長のこと、大好きです・・・」
真正面から同じ台詞を返す勇気はなくて、呟くように言う。
恥ずかしさに勝てない自分が申し訳なくて、せめてと院長の目をちらりと見る。
そこには、それを待っていたように微笑む彼女がいて。
「これからも、よろしくね」
秘密の話をするように小声で話す姿に、思わず頬が緩んだ。
夜も更けた頃、「あなたにお手紙を書いたの」と院長がはにかんで渡してくれた封筒を、ゆっくり開いた。
気の済むまで飲んだ彼は、大きなベッドの真ん中で、うたた寝をしている。
もしかして、彼も多少なりとも緊張していたり、したのかな・・・。
かさり、と紙の擦れる音が耳を打って、「ちゃんと見て」と言われた気がした私は、目を閉じて呼吸を整えてから中に書かれた文章を目で追った。
そこに書いてあったのは、思ってもみなかったことで。
私は思わず、起こしてしまうかも知れないことなどお構いなしに、横になった彼の頬をそっと撫でた。
左の薬指には、約束を交わした時に貰った指輪が、月の光を受けて静かに光っている。
いろんな感情が押し寄せて、震える息を吐き出したところで、薄目を開けた彼の手が、やんわりと私の手を絡め取った。
寝ぼけているのか、彼は頬を緩めてもう一度目を閉じる。
絡められた手を解くのがもったいなくて、私も彼の隣に横になった。
すると今度は、彼が何かを呟いて抱きついてくる。
これは、完全に寝ぼけてるな。
そう思って苦笑していると、2人の間に挟まれた手紙が、かさりと音を立てた。
もう一度書かれていたことを思い出して、心が震える。
私は、その震えごと抱きしめてもらおうと、彼の胸に頬をすり寄せた・・・。
******
ミーナへ
生まれてきてくれて、シュバリエルガのところに来てくれて、
本当にありがとう。
2人で幸せな毎日を送って下さい
あなた方の母より
******
もらった手紙は、私の一生の宝物だ。




