小話 風邪引きさんの見た夢
「ごほ、ごほっ・・・」
寒い。
痛い。
ああこれ、もしかして・・・。
「ごほっ・・・」
眠気と寒気がせめぎ合っている最中、隣で寝ていた彼が起き上がるのを感じる。
呼び止めたいし、不調を訴えたいのに体が言うことをきいてくれない。
ああダメだ、ちょっと起き上がれそうにない・・・。
「ミナ・・・?」
「・・・しゅ・・・ごほっ・・・」
おでこに大きな手が乗せられるのが分かって、ふにゃりと頬が緩んだ。
気持ちいいな、シュウの手、冷たくて大きくて・・・。
首筋にも手を当てられたら、今度は急に背中が寒くなった。
震えが上がってきて、ブランケットを手繰り寄せる。
まだ寒い。
もっと、暖かくしたいのに・・・。
「しゅう・・・?」
大きな手が離れていくのを感じて、不安が襲ってきた。
手が、宙をかく。
嫌だ。
側にいて。
どこにいるの。
起き上がって彼を探したいのに、体がいうことをきいてくれない。
もどかしいのと寂しいのと、不安なのがない交ぜになって、私はただ彼の名をうわ言のように繰り返して。
「・・・しゅう・・・」
どこにいるの?
「・・・しゅう・・・!」
これじゃ子どもみたい。
体がいうことをきかない上に瞼が重くて、暗闇に1人で取り残されたような、言い知れない不安が拭えないのだ。
そんな自分を、冷静な自分が嘲笑している。
子どものような自分と、妙に冷静な自分に分離している感覚はきっと、高熱が出ているせいだと思う。
お願いだから、手を握ってて欲しい。
側に居て、大丈夫だと言って欲しいのに・・・。
「ミナ」
感情が不安定になってしまった私は、バリトンの声が耳元で聞こえた瞬間、その手を探して自分の手を伸ばした。
「・・・んぅ・・・ごほっ・・・」
彼の名を呼ぼうとして息を吸えば、乾いた空気が喉で暴れる。
苦しくてとてもじゃないけど、まともに会話が出来るとは思えなかった。
咳き込んだ私の背中を、温かい大きな手が何度も往復している。
そうして少し落ち着いた時だ。
ふわりとブランケットが掛けられたのが分かった。
きっと何枚も出してきたのだろう、少し重みを感じる。
「喋らなくていい。
目を開けられるか?」
心地良く響く声に導かれるようにして、ゆっくりを瞼を持ち上げる。
視界がどこか膜がかかったように、ぼわん、としていた。
至近距離で目が合った彼が、ふわりと微笑む。
大きな手がおでこに当てられて、幼子にするように、ゆっくりと囁かれた。
「熱が高い。喉も腫れてる。
体の節々も痛いかも知れないが・・・薬を飲めるか?」
「・・・ん・・・」
「いい子だ」
なんとかそう返すと、彼は微笑んだままそう言った。
その後、薄っすら覚えているのは、断片的な場面。
たぶん、彼が薬を飲ませてくれて。
手を握っていてくれたと思う。
それから、汗をかいて起きた時に着替えさせてくれて・・・。
そうして、意識が浮上した。
「んぅ・・・?」
声が、嘘みたいに枯れている。
ガラガラもいいところだ。
手がすかすかしている。
いつの間にか、彼の手が繋がれていないことに気づいた。
「しゅぅ・・・?」
夜通し側についてくれていたと思うけど、彼は眠れたのだろうか。
おでこに乗ったタオルが温くなっている。
それをそっと剥がして、私は起き上がった。
ベッドサイドに置いてあるボウルの中の水に、小さくなった氷が浮いている。
私はそこへタオルを浸して、部屋を見回した。
静まり返った部屋には、彼の気配も温もりも感じられない。
まだ頭がくらくらするけれど、私はゆっくりとした動作でベッドから降りた。
「しゅう・・・どこ・・・?」
ふらふらと足を運んで、リビングに出る。
そこには人の気配もなくて、しん、と静まりかえっていた。
頭がくらくらして、思考回路がぶつぶつ途切れてしまう。
いない。
こわい。
どこ。
感情が浮いては消えゆく。
「しゅう・・・?」
いつもは呼べば応えてくれる所にいてくれるのに。
私はふらつく足で、バスルームや玄関を見て回った。
なんとなく気づいてはいたけど、彼は外へ出たらしい。
ひとりぼっちにされた気分でふらふらとリビングへ戻ると、がたっ、とか、ごとっ、とかいう音が聞こえた。
どこから聞こえたのか分からないけれど、一人の状態で物音が聞こえるというのは、結構な衝撃だ。
ここは騎士や侍女の、しかもある程度の肩書きがある人達の寮だから、きっと泥棒だとか、犯罪者が入ってこようと思える場所ではない。
・・・だから、大丈夫・・・。
とは思うものの、私は言い知れない不安を抱えて、音のした方をじっと見つめた。
すると、現れたのはシュウで。
「・・・しゅう・・・」
探していた彼がやっと視界に入った安堵で、私はその場にへたりこんだ。
体調が悪いのに、緊張や不安を繰り返したからだろう。
自覚しているよりも、症状は重かったみたいだ。
「寝ていないと駄目だろう」
彼が真剣な表情をして、近づいてくる。
手には紙袋。
もしかして、買い物に出ていたのかな。
それにしても、どこかで見た顔だな。
ああそうか、私の部屋で病院の薬の袋を見つけた時の表情にそっくりだ。
言いながら、ひょい、と膝を掬われてベッドに連行される。
急な動きだったはずなのに、眩暈も何もしなかったのはきっと、彼の絶妙な力加減なのだろう。
「どうしていなかったの?」
ブランケットを掛けられながら、真上にある彼の顔を見つめる。
すると彼は、困ったように微笑んで言った。
「・・・王宮へ行ってきた。
今日は休ませて欲しいと、騎士団に伝えておいた方がいいだろう」
「あ・・・そっか・・・」
「悪かった。不安にさせてしまったな」
彼はそう言ってから、書き置きでもしておけば良かったな、なんて呟いている。
「ううん・・・」
ガラガラ声に、彼の眉間にしわが寄った。
私はそれを小さく笑って、指でぐりぐりと伸ばすようにして触れる。
彼はそんな私に笑みを返してくれるのだ。
幸せ。
「何度も呼んだだろ」
「聞こえてたの・・・?」
「ああ」
囁きながら頬をひと撫でされて、思わず目を閉じた。
「俺はお前の番だからな・・・当然だ」
「そっか、そうだったね・・・」
それから、彼は甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
食べ物は入らないと言えば、林檎を摩り下ろしてハチミツと一緒に用意してくれて、喉が渇いたと言えば、温めのお茶を用意してくれた。
薬と、繋いでいてくれた手のおかげで、私はすんなり眠りにつくことが出来たのだった。
「おはよー」
子どもの声が耳元で響いて、飛び起きた。
起きてみて、驚いた。
ここは、どこだ。
「あ、あれ・・・?」
声が出た。
ガラガラ声じゃない。
いつも一番近くで聞いていた、自分の声だ。
「まま・・・?」
ま、まま?
視線を少し動かすと、目の前に小さな男の子が。
黒髪に、緑色の瞳をした、とっても可愛い男の子だ。
小首を傾げるその姿は、困ったように笑う時の彼によく似ている。
その姿を見た瞬間に、混乱した頭が一瞬凪いで。
広い寝室の、大きなベッドの上で固まった私は、男の子を見つめてそんな感想を抱いた。
そして気づく。
あれ、この子、私のことままって呼んだ・・・?
「あの・・・」
何をどう聞けばいいのか、混乱中の頭を駆使して考える。
私、夜中に熱を出して、シュウに看病してもらって、それで・・・。
それから、どうなった?
記憶が曖昧なことに、怖さを感じてしまう。
ここは、どこ?
シュウは、どこ?
寒気を感じて自分の腕を抱いた私を見て、男の子が「ぱぱー!」と走り去って行った。
「ぱぱ・・・?!」
誰を呼んだの?
「え、ちょ・・・?!」
思わず手を伸ばしたら、自分の黒い髪がさらさらと流れていくのが視界の隅に入った。
まずい。
髪を下ろしたまま男性の前に出るわけにいかない。
とはいえ、慌てたところでどうしようもないのだ。
手元には髪を結う紐も何もない。
「どうしよう・・・!」
衝撃的な目覚めから一転して、突然追い詰められた私は、咄嗟にベッドにもぐりこんだ。
「・・・本当か?」
「うん、ちょっとぼーっとしてたけど」
男の人と、男の子の会話が聞こえる。
それはだんだんと近づいて、厚手のブランケットを顔が隠れるくらいに被っている私の方へと、向かってきたのが分かった。
やっぱり、さっきの男の子が誰か呼んできたようだ。
私はどうしてこんな状況になったのか理解できないまま、どこかにいるであろうシュウの名を、小さな声で呼び続けていた。
王都にいれば、きっと聞きつけて駆けつけてくれるはずだから。
「・・・ミナ?」
ほら、来てくれた。
耳元で囁かれた声に、私はほっと息を吐く。
「シュウ・・・?」
そろそろと顔を出す。
すると、目の前に彼の顔があった。
見慣れたその顔が目に入った瞬間、私は絶句した。
目に映る映像はそこで切れて、意識が暗闇に放り込まれる。
そして、再び意識が浮上した時には、私は誰かの腕の中にいた。
「どっちなんだ?」
バリトンの声が、頭上からふわりとかけられる。
その声を聞いて、私はすぐにその腕がシュウのものだと分かった。
嬉しくて胸元に頬を寄せると、回された腕に、やんわりと力を込められる。
どうしてそんなに、遠慮がちに触れるのだろう。
「どっちかな」
自分の意思とは別に、私の口から言葉が出た。
あれ、私、何を・・・?
「教えてくれないと、名前も考えられないんだが」
困ったような、嬉しそうな彼の声が降ってきて、私は微笑む。
「そう言われても・・・それが分かるのはもっと先だもん」
とても幸せな気持ちだ。
心が安らいで、ほっとして、じんわり温かい。
そして最後に、どうしようもなく寂しい気持ちになって何かがこみ上げた。
幸せな気持ちと、切ない気持ちを一緒に感じることなんて、今まであっただろうか。
彼の手が、私のお腹にそっと触れる。
大きな手から伝わる温もりに、私の中でまどろむ小さなものが、ぴくりと跳ねた。
「・・・あ・・・!」
私は初めてそれを感じ取って、思わず声を上げた。
「どうした」
彼の声に緊張が走る。
私はそれをゆっくり首を振って否定すると、微笑んで告げる。
「動いたみたい。
手に、びっくりしたのかな・・・」
視線を下にずらすと、自分のおなかが目に入った。
でもなんだか、私のおなかじゃないみたいだ。
彼が、そうか、となんとも形容しがたい声色で呟くと、触れていた手で私のおなかをゆっくり、繰り返し撫でる。
何を思っているのか、彼の鼓動は時折早くなったり遅くなったりして。
珍しく動揺しているようだと気づいたら、可笑しくて可愛くて、思わず声を漏らしてしまった。
「・・・笑うな」
「ごめん」
小さく非難の声を上げる彼に、私は小さく笑って謝る。
「・・・シュウ・・・?」
声を落として声をかければ、彼はおなかに置いていた手をそっと私の背中に回した。
そのまま、ぎゅっと抱きしめられる。
苦しくないようにしてくれているのが分かって、思わず微笑んだ。
・・・さっきから、感情も言葉も、自分の思うようにならない。
別の自分を、外から見ているかのような感覚に、ものすごく違和感を感じてしまう。
疑問を感じながら、私はこの不思議な状況を静かに見守っていた。
「ごめんね・・・」
自分が喋っているのに、自分で選んだわけではない言葉。
不思議だけど、私はどこか凪いだ気持ちでそれを聞いている。
「ごめんなさい・・・」
彼の背に手を回して、ぎゅっとしがみつくように抱きしめた。
少しお腹が苦しいけれど、どうか今だけ我慢して欲しい。
すると彼は、目にかかりそうな私の前髪をそっとよけて。
そしてそのまま、こぼれた涙をそっと指先で拭ってくれる。
何かから逃げるように目を閉じた私は、彼が頬に触れて、ゆっくりと私の顎を上へと傾けるのを感じていた。
そして、鼻先が触れる感触に、少しの間息を止める。
そのまま降ってきた唇を受け入れて、そして、そっと瞼を持ち上げた。
目に入った彼の顔に、もう1人の私が言葉を失って。
また、意識がブラックアウトした。
「ん・・・ぅ・・・」
ガラガラした声に、目がぱちっと開いた。
喉が痛い。
何か飲み物が欲しい。
ベッドサイドに置いてあった水差しに手を伸ばそうとして、体が動かないことに気づいた。
「・・・?」
体が重くて、振り返るのも億劫だ。
頭がふらふらする・・・。
でもいくらか、体の火照りというか、熱がとれていることを実感出来た。
きっと、薬がよく効いているのだろう。
私はゆっくりと振り返って、シュウが私に巻き付くようにして眠っているのが視界に入って、思わず微笑んでしまった。
夜通し私に付きっきりで、きっと寝不足なんだろうな。
「ありがと、シュウ・・・」
・・・・・なんだろう、言葉が重い。
ただ、風邪の看病に感謝しただけのはずなのに。
自分の口から出た、いろんな感情を含んだひと言に戸惑ってしまう。
そういえば、不思議な夢を見ていた気もする・・・。
彼の手が、私のおなかを撫でていたような。
幸せな、ほんの少しだけ切ない気持ちになる夢。
どんな会話だったのか、どんな場面だったのか覚えていないけれど・・・。
「ミナ・・・?」
ふいに、ぼんやりとした声がかけられて私は我に返った。
「うん・・・?」
「起きたのか・・・」
まだ眠いのだろう、彼が頭を軽く振って目を開ける。
「ありがとね、だいぶいいみたい」
私はくるりと向きを変えて、彼と向かい合った。
「そうか」
目の下にクマを作った彼が、微笑む。
私はそのクマを、そっと指先でなぞって頷いた。
「シュウ・・・?」
囁くように言えば、彼が私を引き寄せる。
その腕の強さに安心してしまう私は、相当彼に依存してしまっている自覚がある。
風邪を引いたくらいで、側にいないと不安になるなんて・・・まるで子どもだ。
・・・あれ、子ども・・・?
思い浮かんだ単語が引っかかって、内心首を捻った。
でもそれが何なのか分からないままでいると、彼は私を抱きしめて首筋に唇を落とす。
「ちょっ・・・シュウ・・・」
「ん?」
休むことなく口付けを落とす彼の胸を押すけれど、いつもに増して力の出ない私の腕では、到底彼を突き放すことなんて、出来そうになかった。
腰に回された手が、遊んでいる。
そのうちに、小さな火が燻り始めるのを感じて。
「だめだってば、私、病人・・・」
「・・・そうだった・・・」
忘れてたのか。
口付けが止まったことに物足りなさを感じつつも、いやいやそうじゃなくて、なんて自分を叱り付けて息を吐く。
「お水飲みたい・・・」
小さな声でお願いすると、彼はひとつ頷いて起き上がった。
彼の動きを目で追っていると、壁にかけられた天体盤が目に入る。
・・・もうお昼も過ぎた頃だ。
彼もそれに気づいたのか、「何か食べるか」と呟く。
私はコップに入った水を飲み干して頷いた。
手を繋いで、2人してベッドに横になる。
薬がよく効いているのか、体調はだいぶ良い気がしている。
外はもう暗くなっていて、あっという間に1日が終わってしまったのだと少し寂しい気持ちにもなった。
でも明日も仕事はお休みなのだ。
念のためと、白の団長ことディディアさんが提案してくれたそうで。
まぁ、リオン君や身重のレイラさんに感染させても困るから、という意味もあるだろうけど。
「今日は良く寝たな」
「うん」
隣の彼に、返事をする。
天井の一点を見つめて、私はなんとなく昼間見た夢を思い出そうとしていた。
・・・結局は、全然覚えていないんだけど・・・。
「体、気持ち悪くないか?」
「・・・うーん・・・汗かいたから、ちょっとべとべとする・・・」
彼が身を起こして、私の顔を覗き込んだ。
「体調は?」
「・・・おかげさまで、だいぶいいよ?」
内心首を傾げながらも、彼の問いかけに素直に答える。
一体何故、そんなことを訊くのか。
不思議に思って彼を見つめていると、そうか、と頷かれた。
「じゃあ、シャワーで汗を流してから寝るか」
目の奥が、きらりと光ったのを、私は見た。
これは、魔王様光臨の前兆だ。
そして背中がじっとりと汗ばんできたのも感じた。
・・・嘘でしょ。
「いやいや、シュウに感染ったら大変・・・」
「俺は今、引継ぎ期間であまり仕事らしい仕事はない」
ああ、笑顔が素晴らしく色っぽい。
完全に、あれこれする気満々なのを感じ取った私は、早々に観念した。
抵抗するだけ無駄なのを、もう嫌というほど味わって知っているからだ。
「・・・いつもみたいには、無理だからね・・・?」
百歩譲る気分で呟けば、彼はとても満足そうに頷いた。
もう絶対、風邪引かないようにしよう。
「ねえシュウ・・・?」
「うん・・・?」
シャワーで流したはずの体がべとべとする。
彼の足と私の足が絡まったまま、私は間近にあった彼の顔を見つめていた。
彼の体の、肩と腕の境目の部分が、一番好きなんだけど。
「どうした?」
具合でも悪くなったかと心配そうな表情を浮かべた彼は、本当に心配そうで。
「ううん・・・あのね・・・」
上がった息を整えつつ、言葉を紡ぐ。
どうしても、あの夢の内容が気になってしまって。
言わないでいると、ずっと不安なまま過ごすような気がしていた。
彼は、静かに私の言葉を待っている。
眼下に広がる光景にちらちらと目が行くのには、気づいてない振りをしておこう。
「・・・ずっと、一緒にいるよね・・・?」
見たのは幸せな夢だった気がするのに、言い知れない不安が消えてくれないのだ。
せめて、彼がずっと一緒にいてくれると、もう一度聞かせて欲しかった。
彼が目を見開いた後に、甘い微笑を浮かべて頷く。
「当然だ」
そして、ゆっくりと覆いかぶさってくる。
待って、まだちゃんと、顔を見ていたいのに。
思うのに声は出なくて、私はゆっくり目を閉じた。
ここまでくれば、これは条件反射だ。
彼の唇が、かすかに耳たぶに触れて、私の体が跳ねる。
そして背中に手を入れられたかと思えば、ぎゅっと引き寄せられた。
一瞬これから自分が宙に浮くのかと錯覚して、薄っすらと目を開ける。
「どこにも行かないし、行かせはしない」
本当に強い人に言われると、その場しのぎの台詞ではないのだと思えるから不思議だ。
彼ならきっと、大丈夫なのだろうと思える。
私は燻っていた不安を丸めて投げ捨てて、彼の首にしがみついた。
そうだ。
両手が塞がっていたら、彼を抱きしめることも出来なくなってしまうじゃないか。
「うん、信じる」
するりと言葉が出て、私は幸せだけで満たされた心をまるごと、彼に向けた。
そして、聞こえるかどうかくらいの小さな声で言った。
「もういいよ、満足したから・・・。
・・・あとのことは、お任せします・・・」
背に手を回したまま微動だにしなかった彼が、小さく喉を鳴らす。
耳元でそれをされて、私の心臓が大げさに騒ぎ出した。
それはまるで獣のようで。
「ああ、任せておけ。
風邪など追い出してやる」
ほんの少し体を離して不敵な笑顔を浮かべた彼は、壮絶に格好良くて。
私はそれに無言で微笑んで、がぶりと噛み付くような口付けを受けたのだった。
彼からもらう熱なら、いつまでも続けばいいのになんて。
・・・やっぱりまだ、熱は下がりきってないのかも知れません。
お読みいただき、ありがとうございます。
ちょっと、「こかげ」の伏線と繋がっている部分があります^-^




