番外編 赤いりんごと紅の夕日1
番外編、アンのお話です。
「洗い物、追加ねー」
がしゃがしゃがしゃん!
「はーい!」
運ばれてきた食器の量も、相手の顔も確認せずに返事をして、とにかく手を動かす。
皿を洗うのに運んできた相手の顔は必要ないし、食器の量なんか気にしてたら終わるものも終わらなくなる。
お昼時の厨房は、まさに戦場だから。
あたしはそれを、ここに来た初日に思い知った。
思い知ったあとは、どう生き残るかを考えるしかない。
考えた末に出た結論は、正面から切り抜けろ!・・・だった。
我ながら知恵の回らない結論だけど、与えられた仕事だもの、やってやろうじゃない。
そう気合を十分に入れて、あたしは毎日この戦場で戦っている。
食堂での面接から数日後、孤児院に合格通知みたいな手紙が届いた。
院長はにこにこ顔であたしに、「さ、娘の門出の準備をしなくちゃね~」とか言って、次の日早速買い物に連れまわ・・・いや、連れて行ってもらった。
身の回りの物をたくさん用意してくれたんだよね。
さすが、セレブ婦人は違うわ。
そういえば、夏の夜会の招待状が届いた時は、目玉が飛び出るかと思うくらい驚いたな。
だって院長が、元皇女様で10の瞳を担う御人だったなんて、全然知らなかったんだもん。
軽く、悪戯を打ち明けるみたいな言い方で告白されて。
王都に向かう準備が整ったあたしは、寮に住むことが決まった。
ミーナと同じ建物だと期待に胸が躍ったのもつかの間、あたしの仕事は緊急時の呼び出しなんかないから、王宮からだいぶ離れた場所にあると知って、肩を落としたのを覚えてる。
ともかく、あたしが初日で戦場を経験してから、もうすぐひと月経とうとしていた。
食堂に溢れていた人達がだんだんと少なくなってきたことが、お昼ごはん戦争が終結したことの合図になっているらしい。
洗う食器の量が減ったことも手伝って、あたしは今日も無事に切り抜けたことを実感した。
これでひと息つけそう。
この時間になると、交代で休憩をもらえるから、そうしたら自分達も軽く食事を摂れる。
気が緩んだ途端に、おなかの虫が催促の声を上げだした。
今日は何を食べようかな。
そんなことを考えながら、残りの皿を片付ける。
「アン、交代だよ。もういいから休憩とっておいで」
先に休憩を取っていた先輩が、声をかけてくれた。
あたしは抑えきれずに笑顔で礼を言うと、最後の皿を水切りに置いて手を拭く。
毎日洗い物ばかりしてるから、いつの間にか手が荒れ放題だ。
でもそんなの気にしない。
働く手は、白魚のように綺麗なままじゃ使い物にならないのだ。
あたしのお気に入りの席は、窓際、中庭の良く見える場所。
来たばかりの頃は、青々と茂って日差しが強かったけど、今は秋の気配が深まって、日差しもなんだか物悲し気に差し込んでいる。
仕事が終わる頃には、夕日に変わっているだろう。
温かいスープが有り難い季節が近づいている。
すると、とん、と目の前にマグカップが置かれた。
「あんたさ、」
あー、せっかくの休憩が。憩いのひと時が。
嘆きのため息が漏れて、あたしは非難の視線を目の前に向ける。
訊かれてもいないし許可もしてないのに、こいつはいつも、あたしの目の前に座るのだ。
そしていつもあたしは言う。
「座席はたくさん空いてるんで、ゆっくりくつろげる所へどうぞ。
ちなみにあたしは今休憩中で、1人でぼーっとしていたいです」
ここ十数日ほど繰り返してきた台詞を棒読みで噛まずにぶつけて、あたしは相手から目を逸らす。
せっかく今日のおすすめスープが手に入ったのに。
早くどっか行け、冷める。
「うちの団に出前、やめちゃったの?」
そしてこいつは、こういう勝手なことを繰り返すわけだ。
あたしの答えは決まっている。
ここ十数日間、ずっとこのやり取りは続いてるんだけど。
「やめたの。
あんたたちの本部、いつも男臭いから苦手。
あんなとこで食事したら料理に失礼よ。食堂に来て食べればいいじゃない」
蒼鬼の提案で、蒼の騎士団に出前をし始めて数日間、あたしはそれなりに良い思いをしていた。
かっこいい人も多いし、皆よく食べるし。
食器を取りに行った時には、皆して「ごちそうさま」って言ってくれる。
あたしが作ったんじゃないけど、そう言ってもらえるのは気分が良かった。
・・・だけど、会ってしまったのだ。
孤児院であたしのこと好きだとか抜かしてキスまでしたクセに、しっかり婚約者がいたロクデナシな騎士に。
騎士団を訪ねようとして王宮への道を歩いていたら、偶然オンナとイチャイチャしながら歩いている奴を見てしまった。
もちろん駆け寄って、こぶしを一発お見舞いしてやったけどね。
それから蒼鬼に断って、出前はなしにしてもらった。
おすすめスープの味がぼやけてきた。
ほんと、食事は良い気持ちでいただかないと、全然美味しく感じない。
苛々がため息になって口から溢れ出すと、目の前の蒼騎士がその赤髪を揺らして小さく笑った。
何か可笑しいんだか。
たぶん今のあたし、目が据わってると思う。
でもこの十数日は、ここまでで会話は終わりだった。
蒼騎士が、「ふぅん」とか適当に返事をして、「あっそ」とか捨て台詞を吐いて、立ち去るっていうパターン。
だから今日も、この会話はここで終わって、あたしは美味しいはずのスープを堪能して、仕事に戻るはずだ。
早くどっか行け、と念じつつ、まだ目の前にいて感じの悪い笑みを浮かべている男を見る。
「ミイナちゃんは全然平気そうだけど?」
「・・・・・知り合いなの」
食いついちゃいけないと思うのに、その名前を聞いたら反応してしまう。
最近蒼鬼と婚約した、姉のような妹のような親友。
始まりこそ曖昧だったみたいだけど、今では会うたびに砂を食べさせられてるんじゃないかと思うような惚気を聞かされるから困ってる。
幸せならそれでいいと思うけど、やっぱり癪だ。取られたみたいで。
「まあね。
・・・本当は別にあるんじゃないの、うちに近寄らない理由」
蒼騎士がマグカップを傾けつつ、中庭に目を遣った。
その横顔は、今まで対峙してきた中では見たことのない、真剣な表情で。
あたしは俯く。
「・・・・・嫌いな奴がいるから」
言っちゃった。
まあいいか、どうせこいつには関係ないことだもん。
あたしのことなんか、明日には綺麗に忘れてるに決まってる。
そしてまた、同じような質問をしてくるのだ。
「あーそう。あれか、元カレか」
さらっと出てきた呟きを、あたしは聞き逃さなかった。
「な・・・、そんなんじゃない!」
分かってる。
図星だから声が大きくなったことくらい。
「ふぅん、ま、なんでもいいけど」
鼻で笑ってマグカップを、とん、とテーブルに置くと、立ち上がる。
あたしを見下ろす蒼騎士は、すこし威圧的だった。
なんなの、ほんとに。
負けじと視線を戦わせて、あたしは蒼騎士を見つめた。
後半の仕事に差し支えるから、苛々させないで欲しい。
「これ片付けといて。どうせ洗うのあんたでしょ?」
言い捨てて、あたしが何か言う前に颯爽と食堂から出て行った。
仕方なしに触れたマグカップは、とても熱くて。
あいつ、こんなに熱いの飲んで、口の中火傷したんじゃないの。
ほんと、毎日毎日、ばっかみたい。




