後日談3
とりあえずシュウは放っておいて、敵意むき出しのアンと向き直る。
そういえば王都で偶然会った時も、シュウのことをあまり良く思っていないようだったと思い出した私は何と言葉を発していいものか一瞬躊躇してしまう。
その隙に彼女に詰め寄られてしまった。
「ねぇミーナ」
思わず一歩後退して、背中が何かに当たって、穏やかならぬ気配を感じる。
振り返れば、シュウの顔があった。
両肩をアンが掴む。
え、これ何?
きっと今、私のカオは強張っているはずだ。
「なな、なに?」
アンの顔が近い。
アンとシュウも、近すぎやしませんか。
険悪な2人なのに、何故だかヤキモチめいた感情が燻ってしまった。
「あたしと一緒に暮らそうよー!」
そばかすの顔が、ドアップで迫ってくる。
アンとはいえ、他人にここまで顔を近づけられるとさすがに恥ずかしい。
背中にはシュウがいて、これ以上体を反らせない私は、もう顔をそむけることくらいしか出来なかった。
すると、ぺし、という音が耳に響く。
続いて「う」という声も。
恐る恐る視線を元に戻すと、アンのおでこをシュウの手のひらが押さえていた。
「シュウ・・・」
女の子になんてことを、という意味を込めて視線を投げると、彼は肩をすくめて手を離した。
「ミナが怪我をしたら困る」
本当に、仕事以外の興味の対象範囲が狭すぎる・・・・。
私は小さくため息を吐いて、おでこを押さえたアンを抱きしめた。
女の子の甘い香りがする。
これから食堂で働き出したら、家庭の香りに変わるのかな。
「ごめんね、変わりに謝るよ」
「蒼鬼め・・・」
アンの唸り声に静かな怒りを感じて、私は苦笑するしかない。
「ミーナぁ・・・一緒に暮らしてよぅ」
おでこを押さえたまま上目遣いにお願いされて、私はますます苦笑してしまった。
院長が少し後ろの方で、肩をすくめている。
これはあれだ。
好きなようにしなさい、だ。
「私、もう引越しが決まってるからなぁ・・・・」
「どこに?寮にいるんじゃないの?」
アンが拗ねたように口を尖らせた。
可愛いなぁ、もう。
これならすぐ恋人が出来るだろうなぁ。
あれ、食堂なんかに出して大丈夫なの。
ぼんやりと思いながら、絶賛同棲中の彼を見上げた。
「どこって・・・・ねぇ?」
母親も見ている前で、堂々と同棲宣言なんか出来る根性、私にはありません。
彼は院長に夜会で会ったらしいけど・・・その時はまだ、コインがどうのって事情が絡まりまくっていた時期だから、きっと院長は知らないはずだ。
私の視線を受けた彼は、悠然と微笑んだ。
あれ、なんか微笑みが黒い気がする。
背中にひやりとした何かを感じて、私は彼の名を呼ぼうと口を開いた。
その刹那だった。
「新居は決まっている」
「・・・はっ?!」
声を上げたのは他でもない私。
目の前では、何が起こったのか理解出来ない、といったふうなアンが立ち尽くしていた。
新居って言ったよね、言ったよね言ったよね?!
呆気に取られた私に、彼がとてもご機嫌な笑顔を向けてくれた。
いやいや、その笑顔に騙されるわけには・・・・!!
「ミナが言ったんだろう。
一戸建てを用意して、母上の老後の面倒を見ると」
「・・・い、」
笑顔と共にぶつけられた、とっておきの一撃に、私の思考回路がショートした、音が聞こえる。
「言ったけど、言ったけど・・・!!」
・・・・・自分で蒔いた種だった・・・・・!!
耳が、どこかで、ぷぷ、と噴出す院長の声を捕らえた。
そんなことは、この際お構いなしだ。
私はアンに背を向けて、勝ち誇った様子の彼の制服の胸元を両手で、ぐっ、と掴んだ。
いつかもこんな体勢で、詰め寄った記憶が蘇って、一瞬言葉に詰まる。
「・・・っ。
引越しって、私は、シュウの部屋に私の荷物を運ぶことだと思ってたんだけど?!」
非難めいた物言いにも、彼は動じない。
忘れがちだけれど、この人蒼の団長なんだった。
私が揺さぶっても、揺れているのは私だけで彼は冷静そのものだ。
いや、結構楽しそうにも見える。
それはそれで、ものすごく癪なのだけれど。
「全部運ぶと、部屋が狭くなることに気づいた」
それで家を買ったと言うのか!
一生で一番大きなお買い物のはずではないのか?!
いやその前に相談しようとか、そういうことにはならないのか?!
「私の物は処分すれば減ります!」
「・・・私と一緒に選んだ物もたくさんあるのに?」
思い切って提案したものの、悲しげな院長に阻まれた。
「ぅわわ、違うんですそうじゃないんです!」
「じゃあ処分はしないでね」
「・・・・・・ハイ」
両手をシュウから放して、ぶんぶん振れば、院長が微笑んだ。
なんかそれ、シュウとよく似てませんか。
「それに、」
「まだ何か?!」
更に言おうとする彼を振り返る。
あっち見たりこっち見たりで、頭がくらくらしてきた。
「母上の部屋も用意してある」
「・・・まぁ!」
背後で嬉しそうな悲鳴が上がる。
「短期滞在なら許可しますが、同居は数十年先でお願いしたい」
「分かっているわ、もちろん異論はなくてよ。
さすが我が息子。やる時は徹底的にやるわね!」
どうやら院長の心をちゃっかり掴んだようで、彼はまたしても勝ち誇った顔で微笑んだ。
今度のは完全勝利の顔だ。
背後の院長が、嬉しくて小躍りしている様子が伺えて、私は敗北を感じざるをえない。
院長がシュウの味方になったら、もう勝ち目はないのだと分かっていた。
「・・・・・ミナ」
腕が回されて、しっかり体を囲われる。
羊は柵から出られない、なんて、もう1人の自分が囁いた。
「新居の完成は4ヵ月後だ。
それまでに、家具や食器、カーテンや庭に植える木を選ばなくてはならない」
「よ、よんかげつ・・・・・」
短い。
執行猶予を言い渡された衝撃に、頭の芯が痺れる。
「あらあら、やらなくちゃいけないことが山のようにあるわねぇ」
楽しそうな声が聞こえてくるけれど、それに反応出来る余裕もない。
確かに、予想もしなかった展開というわけではないのだ。
ずっとあの部屋に一緒に住んで、その先どうなるのかというところは、正直気になっていた。
望む展開だって、ある。
「・・・一緒に住むの・・・?」
聞いておくべき事を心の中で繰り返しながら、彼に問いかけた。
深い緑の瞳が、ひた、と見つめる中、私は答えを待つ。
「住まないのか?」
尋ねたのは私なのに。
「・・・・・わかった」
納得のいかない様子の私に気づいたのか、頷いた彼は、耳元に口を寄せて囁いた。
「今度、長めの休暇をとって南のララノにでも旅行に行こう。
眺めのいい部屋をとるから、そこでプロポーズさせてほしい」
「・・・っ」
私にしか聞こえないように言ったようだけど、ひそめた声が妙に色気を纏ってしまって、耳から脳天に突き抜ける。
驚きすぎて、息を止めてしまった。
固まってしまった私に苦笑しつつ、彼は声のトーンを戻して問いかける。
「返事は?」
そんなに優しく催促しないで欲しい。
思いがけない告白と甘い声に、すぐにでも頷いてしまいたくなるじゃないか。
私は、彼の胸元を掴んで頭をこつん、とぶつけた。
プロポーズって、本人に予告して、了承をもらってからするものなのか。
新居とプロポーズの順序もおかしいんじゃないか。
つっこむところが多すぎて言葉が出ないのに、頭が勝手にこくん、と上下した。
頭より感情が素直でどうにも困る。
それから、何かから立ち直ったアンは、相変わらず敵意むき出しの視線をシュウに向かって投げかけていたけれど、全く相手にされず。
ご機嫌スイッチの入った魔王様には、もはやいかなる攻撃も効かなかった。
しかも、ご機嫌ついでにアンと手を組んだらしい。
その内容は、「蒼の騎士団に出前を定期的に頼んで、好みの騎士に出会える環境を作ってやる」というもので。
紹介状があるのだから、おそらくアンの就職は食堂に決まるだろう。
それを見越した上での提案だそうだ。
アンは、ちょっと気が強いけれど良い子だから、すぐに若い騎士たちが寄ってくるに違いない。
彼女もその提案は魅力的だったのか、一時停戦協定を結ぶと言っていた。
停戦も何も、あなたは相手にされてなかったでしょうに・・・とは、胸のうちで呟くだけにしておいたのだけれど。
ともかく、彼女も王都で暮らすとなると、私も心強くて助かる。
一度孤児院に戻るということだけど、きっとすぐに会えるだろう。
夜風が涼しくなってきた。
ほんのり感じる秋の気配に、なんだか寂しい気持ちになる。
深夜バスに乗って王宮の近くまで戻ってきた私達は、緩やかに続く坂道を上っていた。
この坂道を上り終えたら、もうすぐ寮だ。
隣の彼は、私を気遣ってくれているのか、ゆっくり歩いてくれている。
お互い確認したわけではないけれど、こうして2人でいるようになってから、どちらからともなく、手を繋いで歩くことが習慣になった。
この関係が恋人同士、彼氏彼女なのだと、確かめたこともない。
だから、新居やらプロポーズのくだりは、本当に驚いた。
つっこみどころが多すぎて、冷静になるまできちんと受け止める余裕がなかったけれど・・・。
改めて考えると、これは女子として一大事が起きたんじゃないかと思うようになっていた。
まさに人生の分岐点だ。
「ねぇ、」
思い切って言葉を紡ぐ。
隣の彼は、さらに歩く速さを落として、話をしやすくしてくれた。
私を見つめて、無言で先を促す。
「・・・本気なの?」
「・・・、」
私の言葉に、彼が考える素振りを見せた。
勢いだ、とか言われそうな気がして、表情が強張るのを自覚する。
彼が足を止めて、私もつられて立ち止まった。
街灯が照らすのは誰もいないところで、私達はその間にある暗がりで向かい合う。
深い緑の瞳が小さく揺れているように見えて、私は息を飲んだ。
「それは、信じられない、と言う意味か」
噛んで含むような言い方に、何の感情も感じられない。
私の言葉の意味を、確認しているだけだろう。
その通りだと頷いた私に、彼も頷いた。
「本気だ」
にべもなく言われて、絶句する。
一瞬でも怯んだのが伝わったのか、彼が眉間にしわを寄せて私の頬に触れた。
「嫌なのか」
「まさか」
間髪入れずに答えた私に、彼が苦笑を漏らす。
「なら何故?」
何故だろう。
彼の問いに、答えを探した。
嫌なわけではないのだ。
嫌なわけがない。
そして考えて、ただ自分が臆病なだけなのだと思い至った。
私がしばらく自分と向き合っている間に、彼は彼で何か思うところがあったのか、ふいに私を抱き寄せた。
そうされたよりも、自然と寄り添う自分に小さな驚きを覚える。
そして、何かがすとん、と落ちてきた感覚に目を閉じた。
彼の手がもう一度私の頬に触れて、至近距離で見詰め合う。
この時間だ、誰も見ていないだろう。
街灯のない暗がりで、私は心地良い闇に身を委ねた。
いつかもこんな闇夜の中、彼と見詰め合った気がする。
「式の日取りを決めてしまえば、信じられるか?」
「しき・・・?」
囁くように問い返す。
すると、彼はひとつ頷いて小さく笑った。
「結婚式だ」
「けっこんしき・・・って」
どこかぼんやりとした頭で理解すると、私は目を見開いて息を飲む。
結婚式?
「それとも、子どもを産み育てれば信じられるか?」
「こ、子ども・・・?!」
目の前に魔王様に変身した彼がいる。
私は慄いて、穴が開くほど彼を見つめた。
しかしその彼は、目を細めて楽しそうにしている。
「冗談だ。子どもは当分いい。授かり物でもあるしな」
「えええ~・・・」
たちの悪い冗談に脱力した私は、彼の腕に摑まって体重を預けた。
ぎゅ、と腕に力を込めて受け止めた彼が、微笑んだ。
「一応その先まで考えてある」
「・・・どのくらい?」
「そうだな・・・50年ほど先か」
「・・・50年も?」
体を起こして彼の目を見つめる。
「信じてもらえないとなると、俺は予定の詰まった50年を、どう生きていけばいい?」
困ったように微笑む表情が、甘くて甘くて。
恥ずかしくて照れくさくて、でも嬉しくて、思わず頬が緩んでしまう。
「50年も一緒に、何するの?」
「まずは、ララノに旅行だな」
「その後は?」
「プロポーズをする」
「・・・まあいいや、それから?」
「新居のいろいろを片付けて、式を挙げる」
「・・・あとは?」
「母から10の瞳を受け継いで、国内を見て回ろうと思う」
「・・・それで?」
「3年くらいあれば、大体わかるだろう。
王都に戻って、陛下の手助けをしようと思う」
「うん」
「それから、王立学校の教授にも会いにいかなくては」
「うん、目が金色になった時のこと、相談するんだよね?」
「ああ。あとは、子どもは随時作ることにして」
「・・・・うん、いいや、それで?」
「お前が懐妊したら休業してもらって、落ち着くまでは母に付き添ってもらう」
「具体的だねぇ」
50年分聞いていたら、このまま朝になりそう。
苦笑してしまった私に、彼がいささかむっとした表情を向けた。
「ふふ、ごめん。
でも、本当に、信じてもいいんだよね?」
上目遣いに見つめれば、彼が珍しくたじろいだ。
照れたように目を逸らす。
ひと言「ああ」とだけ言って。
珍しいものを見たお得感に気をよくした私は、もう一度笑い声を漏らした。
「じゃあ、楽しみにしてるね」
臆病風に吹かれた自分も一緒に笑い飛ばす。
彼がにこにこと私が言ったのを、小首を傾げて見返してきた。
どういうことか解りかねる、といったところか。
「旅行。連れてってくれるんだよね?
私地理に疎いから、計画はシュウに任せきりになっちゃいそうだけど・・・。
・・・あ、私ももうすぐお給料いただけるから、そのへんは心配しないでね」
食費も家賃もほとんどかかっていないし、旅費は出せると思うのだ。
お金に関しては、彼が私に出させまいとしているので、余裕がある。
「いや、お前に払わせるつもりは毛頭ないんだが・・・」
まだ納得のいかない様子の彼。
きっとまだ、「信じる、信じない」という論点で納得がいっていないのだろうな。
とくん、と鼓動が胸に響くのを感じる。
私は自然と緩んでしまう頬を押さえて落ち着かせてから、彼の耳に口を寄せた。
「早く旅行に行きたいの。
プロポーズの返事、早く言わせてほしいから」
プロポーズの予告をされて、返事のタイミングを要求するなんて変だ。
でも、それでも嬉しいものは嬉しい。
この際行き着く先が一緒なら、手順はどうでもいいや。
「ああ、」
まわされた両手が、ぎゅ、と私を抱きしめる。
何度もされたことなのに、いちいち幸せな気持ちでいっぱいになるのは何故なんだろう。
この心は、満足することをまだ知らない。
もっと彼の心が欲しいと、毎日毎日要求するのだ。
「俺も早くプロポーズしたい」
耳元で囁かれて、顔に熱が集まる。
実際に求婚の言葉を聞かされるより、今の台詞の方が効く。
「もう、今でもいいんじゃないの?」
「いや、そこは譲れない」
どうしてもプロポーズはララノのホテルなのか。
・・・・・まあいいか。
彼なりのこだわりがあるようなので、好きなようにしてもらおう。
私は彼の言葉に小さく笑って頷いた。
「とりあえず、仕事の後の時間を使って、新居の内装を考えるぞ」
「うん。そうだね」
彼が抱擁を解いて、私の手を引いて歩き出した。
ゆっくりと、坂道に私が疲れない速さを知っているかのようだ。
「ああ、言い忘れていたが」
「うん?」
「一戸建てに住むことになるが、ペットは禁止だ」
「え?」
街灯と暗がりを交互に渡って歩く。
ちょうど街灯の下を通りかかった時だ。
彼の顔が明かりに照らされて、深い緑の瞳が私を映し出す。
聞き返した私を見る瞳は、至って真面目だ。
蒼鬼の異名で恐れられる彼が、動物を苦手だなんて意外すぎる。
私の視線に気づいたのか、彼が口を開いた。
「お前はペットを可愛がりそうだからな」
説得するように真面目なカオで言うから、思わず噴出してしまう。
「だから子どもも当分いいって言ったの?」
可愛すぎる。
私はまだまだ彼のことを知らない。
毎日が発見の連続だ。
一緒に旅行にいくのも初めてだし、新居のいろいろを決めるにしても、話し合うことがたくさんあるだろう。
ぶつかり合うこともあるかも知れない。
彼が視線を逸らした。
「俺は、自分で思うよりも度量が狭いらしい。
殊にお前のこととなると」
「・・・うん、知ってる」
今までに何度も見てきたからね。
「私は、最近気づいたけど、心配性みたい。
石橋を壊すまで叩いて、結局渡れなくなっちゃうタイプ」
「ああ、それは何となく分かる」
彼の独白に、私も自分のことをさらけ出した。
こうして、ひとつずつお互いの弱いところを出し合っていける気がする。
ぶつかり合っても、コインの時のように黙って受け入れるのは、もうやめよう。
臆病風を吹き飛ばすために、私は繋いだ手をぎゅっと握りしめた。
「50年後も、こうやって歩いてくれる?」
暗がりから街灯の照らす場所へ。
問いかけは、彼の微笑が受け止めて。
「ああ」
少し歩くペースが落ちる。
そして、彼のくちづけが降ってきたのを、私は目を閉じて受け入れる。
一瞬のかすかな触れ合いが、胸の中に小さな明かりを灯す音がして。
彼の口角がやんわり上がるのを見たら、その明かりが大きくなっていくのを感じた。
「ミナ」
バリトンの声が、私の名前を呼ぶ。
私が渡り人になってから、初めてきちんと呼んでくれたのは、シュウだった。
この声が心地良くて、とても嬉しかったのを思い出す。
目だけで「なあに?」と言った私に、彼は微笑を深くした。
「帰ったら、一緒にシャワーでも浴びるか」
「・・・匂い、まだ定着しないの?」
その先のことを予想して、伺うように尋ねれば、彼の眉間にしわが寄る。
そして無言で私の膝の裏を掬う。
「わっ・・・」
ふわっ、という浮遊感に慌てて彼の首に両手を回すと、至近距離で深い緑の瞳が私を捉えた。
「子どもじみていると、笑ってくれてもいいぞ」
「え、いや、別におかしくは・・・」
その様子に気圧される。
気づけば、私を抱き上げて歩くスピードが上がっていて驚いた。
私は急病人ではありませんが。
呆気に取られていると、彼が耳元で囁く。
「ダメなんだ」
壮絶な色気を纏った台詞に、つま先まで力が入ってしまった。
中てられてしまった私は、ごくり、と唾を飲み込む。
その間にも、彼の色気は私を侵食して、そして、告げられた。
「毎晩ミナを感じないと、眠れそうにない」
駄目押しとばかりに、首筋に口付けられる。
「・・・んぅっ」
変な声が出た。
恥ずかしさに、彼にしがみつく。
ああもう駄目だ。降参。
じわじわと熱が広がって、頭の芯が痺れていく感覚に心が音を上げた。
そして気づく。
私だって、毎日彼の心が欲しいのだ。
似たようなものじゃないか。
「もぉ・・・。手加減してね」
「・・・善処する」
彼の腕と、歩調に合わせた揺れが心地良くて、私はこの後眠ってしまったそうだ。
・・・・ぐっすり眠れて、たすか・・・・いや、ゴメンねシュウ!!
それから、私達は今までどおり毎日を過ごして、新居の内装を選んで、ララノへ旅行に行き、約束どおりプロポーズと返事をするイベントを済ませた。
そして、式を挙げて。
振り返ればあっという間だけど、私は人妻というやつになった。
郷里や家族、友人達への切ない気持ちは消えないけれど、それを打ち消すほどの思いを与えてくれる人に出会えたことは、とても幸せなことだ。
そんな不思議な縁に恵まれた私は、これからどんな人生を歩むのだろうか。
私は凡人だから、上手くいかないことの方が多いと思う。
でも彼がいてくれたら、どんな人生になっても最後は微笑んでいられる自信がある。
こういうのを、人は惚気と呼ぶことももちろん知っている。
そんなことは気にしない。
今の私は、凡人なりに無敵なのだ。
ちなみに我が家には、渡り廊下はありません。




