後日談2
午後になってレイラさんの部屋に戻った私は、たっぷり寝て元気なリオン君を連れ出して、夜になって眠れるように、体を思い切り動かして一緒に遊んだ。
子どもと一緒に遊ぶ時は、体のぎしぎしを忘れてしまうから不思議だ。
お庭に出て、芝生の上を駆け回って、虫を捕まえて、とにかく我を忘れて遊んで遊んで。
バードさんが呆れるほど遊びに熱中した私達は、おやつの時間も忘れて、夕暮れが近づいた頃になってやっと空腹や疲れを自覚したのだった。
汗で制服が肌に張り付いて気持ち悪くて仕方がなかった私は、レイラさんが苦笑気味に浴室をどうぞ、と言って下さったのに甘えて、シャワーをお借りすることにした。
レイラさんが思わず笑ってしまうくらい、汗臭かったのだろうかと考えて赤面しながら。
やっぱりリオン君には、子どもの遊び相手も必要だな。
そのうち私や周りの大人たちでは、一緒に遊ぶことに満足できなくなる日が来ると思うのだ。
・・・まだ、本人も大人たちも、お友達を探す気分にはなれないのだろうけれど。
かく言う私だって、光になった少年の悲痛な表情が残像のように脳裏に現れることがある。
季節が巡って、少しずつ気持ちが変化するのを待つしかないのかな。
ため息は、雨粒の音に溶けていった。
「ミーナ!」
両手を広げた院長が、歓喜の声を上げる。
心に落ちていた影はそのひと言で吹き飛んで、歓迎ムードに笑顔になった。
「いんちょ、ぶっ!」
言葉の途中でご機嫌な院長のハグを受けた。
力の限り、という言葉がぴったりな抱擁を受けた私は、同じくらいの力で抱擁を返す。
ジェイドさんに院長とアンの滞在先を聞いた私は、仕事終わりで急いでやって来たのだ。
「ああミーナ、帰る前に会えて良かったわ」
体を離して、ほっと息をついた私は院長の言葉に頷いた。
「明日帰るって聞いて・・・・」
「そうなの。孤児院もユタに任せきりだし、早く子ども達にお土産を渡したくて」
ふんわり微笑む院長は、昨日とは違うカオだ。
元皇女様でも、10の瞳でもない、子ども達のお母さん。
立ち話もなんだから、と招き入れてくれた院長に続いて、部屋の中へ一歩を踏み出す。
王都の中でも一流と名高いホテルは、外観もロビーも豪華だったけれど、この部屋の中が一番豪華かも知れない。
「わ・・・・」
豪華な雰囲気に気圧されて漏らした呟きを、院長は苦笑して受け止めた。
私にソファを勧めながら、自分も腰掛ける。
「すごいわよねぇ。
こんな部屋しか用意出来ません、と言われたのだけれど・・・・」
言って、院長は「これじゃ全然落ち着かないわ」と肩をすくめた。
確かに、レイラさんの部屋もシンプルで上品な雰囲気だったな。
この国の王族には、華美な物は似合わないと思う。
私は院長と同じように苦笑を返した。
「あら、そういえば」
彼女が小首を傾げる。
豪華で華美な部屋の中にいても、存在感が損なわれないあたりは、さすが元皇女様だ。
「一緒じゃないのね?
黙って出てきちゃったりしていない?」
主語がなくても、何が言いたいのかは大体分かる。
それにしても、まるで家出してきたかのような言い草だな。
「ちゃんと言ってから出てきましたよ?
今はまだ仕事してると思います」
シャワーを借りてさっぱりした私は、制服から私服に着替えてレイラさんの部屋を出た。
ちなみに制服は、毎日洗濯係りの侍女さんが洗ってくれるそうだ。
制服はレイラさんの部屋に常備しておくので、毎日出勤したら着替えるように、とのことで。
私服に着替えた私が蒼の本部に立ち寄って、シュウに院長に会いに行くことを伝えると、彼は意外にもあっさり了解した。
「仕事が終わってから、迎えに来るって言ってました」
2日間休んだせいか、確認しなければならないことが多いから、夕食は王宮内の食堂で済ませるつもりだとも言っていた。
ちゃんとしたもの食べてくれるといいんだけど。
思考が脱線したところで、院長が言う。
「わかったわ。
それじゃあ、食事は一緒に摂れそうね」
声が弾んでいるところを見ると、どうやら連絡もせずに訪問してしまったけれど、嬉しいと思ってもらえているようでほっとした。
急いで来たから、手土産も何もないのが残念で申し訳ないところだけど・・・。
「あれ?アンは?」
ルームサービスで運ばれてきた食事が、胃を刺激する香りを漂わせている。
どれもこれも美味しそうで、食い入るように見つめてしまう。
1階にはレストランが入っていたから、今度食事に来てもいいかも知れない。
目に入ってくるものを、いちいち照らし合わせて考えてしまうのは、私が自分で思うよりも彼との関係に酔ってしまっているからか。
ダイニングテーブルに料理を並べた従業員が、伝票を院長の所へ持ってきた。
それを笑顔で受け取ってサインすると、礼と共に従業員へ渡した彼女は席につく。
料理が2人分なのを不思議に思って口にした疑問には、食事を摂りながら答えてくれるつもりなのだろう。
私もそそくさと席についたところで、待っていた院長がフォークを手に取った。
「アンはね、王宮の中にある食堂で面接を受けているわ」
「面接?」
同じようにフォークを持って聞き返した私に、院長が咀嚼しながら頷く。
もぐもぐ咀嚼する姿が兎のようで、なんとも言えず可愛い。
気をとられていた私は、院長の言葉に我に返った。
「あの子、王都で働いて自立したいんですって」
「自立、ですか・・・」
どっかで聞いたような台詞だ。
いつかの私も、同じようなことを考えて、孤児院でわずかに頂いていたお給料を貯めてたっけ。
「王都を歩いてみて、女性が働いている姿をたくさん見たから、と言ってたわ。
あの子が自立したいと思うのは良いことだし、働きたい気持ちも認めてあげたい。
でも1人暮らしをさせるのはまだ不安だから、王宮内の仕事を紹介してもらったの」
さすがは元皇女様といったところか。
人脈は、王宮内に留まらず国中、国外にもあるのだろうな。
改めて私を保護してくれた人の凄さを思い知って言葉を失っていると、院長が悪戯っぽい微笑を私に投げかけた。
「そういえば、必要なかったから誰にも言わなかったけれど・・・・
王宮の厨房の料理長、分かるわよね?
孤児院の料理長が、彼の前任で、お兄さんでもあるの。
食堂にも縁があるみたいだから、思い切ってお手紙を書いてもらったというわけ」
「えええ・・・・」
もたらされたのは、ほんの少しの驚きと、やっぱり、という感慨。
もういろいろと手を回されていたのを知ってしまったら、自分の外堀を王宮関係者で埋め尽くされていたとしても驚かない自信がある。
私は案外、図太く出来ているらしい。
話の弾む、美味しい食事を終えて、私は食後のお茶を入れた。
最近至れり尽くせりだったから、上手に淹れられるか心配しながらも、ソファでくつろいでいる院長のもとへ、トレーを運ぶ。
院長が礼を言ってカップを受け取ったところで、私も少し空間を空けてソファに腰掛けた。
だんだんと夜が深まって、王都の街を行き交う人やバスの雑音がまばらになってきたのを感じる。
そろそろ彼が迎えに来る頃かも知れないな、などと胸のうちで呟いた時だ。
「ねぇ、ミーナ」
「はい」
先にお茶をひとくち含んだ院長が言った。
「あなた、彼といて幸せ?」
唐突な質問に、その意図を探ろうとして、気づく。
私が裏を読もうなんて、100年早い相手だ。
すぐに諦めて、素直に聞かれたままを答えた。
「・・・幸せですよ?」
「そう・・・なら、良かった・・・」
素直に答えると、院長がさらに問うてくる。
「何か、不満に思うことはない?」
「ないですねぇ」
即答すると、院長はやっと大きく息を吐いて、それから微笑んだ。
「私ね、あなたが逃げ出すんじゃないかと思っていたの」
それは、何からなのだろう。
尋ねたいのに、うまく言葉が出てこない。
「エルったら・・・あなたに構いたくて構いたくて仕方ないじゃない」
「う、それは否定出来ません」
「それに強引だし」
「それも否定出来ません」
質問に、素直に言葉が出てくる。
「でも、逃げ出したりはしないと思いますよ?」
私のひと言に院長が目を見開いた。
あ、それシュウと同じ。
小さな発見に気を取られていると、院長がふんわり微笑んだ。
「そう・・・、そういえば孤児院で、」
微笑みが、悪戯を企む表情に変わる。
晩餐会の時に見たような表情だ。
まだ隠し玉があるのかと、内心ひやりとさせられる。
「一戸建てを買って、私の老後を見るって言ったんですって?」
「・・・うーん・・・それは、思ってますけど、言ったかな・・・・?」
言われて記憶を辿るけれど、なかなか思い当たる節がなかった。
首を捻るばかりの私を、院長が小さく笑う。
「エルが孤児院で静養して、帰る日だったかしら。
私があなたの母代わりだって、老後の面倒を見るって言われたと、驚いてたわ。
あなたの律儀さに、感心もしていたみたいだけどね」
「あああっ!そっか!!」
具体的な時期まで教えられて記憶が蘇った私は、その場で大きな声を出してしまった。
慌てて口を押さえるけれど、案の定目の前の院長は、眉間にしわを寄せた。
それも、シュウと一緒ですね。
「ご、めんなさい」
声のトーンを抑えて謝ると、院長が苦笑する。
「言いました、私。
それ、シュウも支えてくれるって言ってて・・・・。
・・・・だから会話がおかしかったんですね」
またひとつ腑に落ちて、肩の力を抜いてソファに沈み込んだ。
「ふふ。ま、あなたたちは相性がとっても良いみたいだし、心配なさそうね」
それからは、院長が「エルの小さい頃はね・・・」などと、昔話をしてくれた。
初めて立った時の話とか、木から落ちた時の話とか。
陛下とジェイドさんの後をついてまわって、置いていかれて泣いたこととか。
誰にもある子どもの頃のエピソードなんだけど、シュウにも子どもの頃があったのかと思うと、すごく新鮮で。
そして、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうものだ。
いつの間にか、通りからは行き交う人やバスの音がほとんど聞こえなくなっていた。
天体盤を見ると、もうずいぶん遅い時間に差し掛かっていることに気づく。
「アン、遅いですね」
「そうね・・・ちょっと心配だわ」
そんな会話がされていた時だ。
「ただいま帰りましたー」
私達の心配をよそに、明るい声が部屋に響いた。
「ああ良かった、心配してたのよ」
ほっとした様子で駆け寄った院長と、笑顔のアンがハグしているのを見ていると、その後ろにシュウが立っていたことに気づく。
そして、彼は私の姿を目に留めると、抱き合う2人を無視して近寄ってきた。
「・・・ミナ」
まっすぐに歩いてくる様子に、なんだかとても嬉しい気持ちになる。
少し前まで、子どもの頃の話を聞いていたからだろうか。
「お疲れさま、仕事、片付いた?」
目の前に来た彼に、声をかける。
「ああ」
目を細めて頷いたのを見て、私はそういえば、と尋ねた。
「アンのこと、送ってきてくれたの?」
「ああ。王宮を出たところで声をかけられた」
「かけられた?」
思わず問いかければ、彼が頷く。
蒼鬼だと知っていて声をかける者など、騎士以外にあまり見かけないから、意外だ。
「いろいろ誤解があったようだが、道すがら話をして理解してもらえたと思う」
「ええ?」
詳しく聞いたら疲れそうですね。
帰り道で聞かせてもらうことにして、私は腕に触れて、彼を仰ぎ見た。
「まあいいや、歩きながら聞かせてもらうね。
・・・・帰ろっか?」
小首を傾げれば、彼がふわりと微笑んだ。
それ、院長によく似てますね。
にやにやと私達の顔を交互に見る院長に、赤面しつつ挨拶をして、2人で部屋を出ようとドアノブに手をかけた。
その時だ。
唐突に、声がかかった。
「蒼鬼!」
え?
驚きすぎて、二人とも声が出ない。
振り返れば、アンが腕組みをして、どしりと立っていた。
え、アン?
その表情が険悪というか、怒りというか、シュウを敵視しているのが分かって、私は内心で慌てた。
王宮で声をかけたって聞いたけれど、一体何を話したのだろうか。
隣ではシュウが、無表情のままアンと対峙している。
院長も何事かと代わる代わる2人に視線を送っていた。
そんな中、先に口を開いたのはアン。
「ミーナのこと、泣かせたら許しませんから」
言葉の内容よりも、地を這うような低い声に、驚いた。
可愛いそばかす顔の、一体どこからそんな声が出るというのか。
一方で、シュウはそんなアンを鼻で笑った。
ふん、という鼻から抜ける音が響く。
どうしてそういう、相手を煽るようなことするかな。
横目でちらりと盗み見ると、彼は不敵な笑みを浮かべてアンと同じように腕組みをした。
「そうならないよう、努力しよう」
売られた台詞を買わなかったはずの彼は、上から威圧的にアンを見下ろしている。
これのどこらへんをとったら、「道すがら話をして理解してもらった」となるのか。
呆れて2人を見ていると、院長が噴出した。
全然面白くないです。
「あなた、愛されてるわねぇ」
だなんて、面白そうに言われれば、思わずため息をついてしまった。




