59
翌日、ノルガと話をするために王宮へ行こうとした私は、それを引きとめようとするシュウと押し問答をしていた。
玄関の、少しひらけた空間にシュウが立ちはだかって、私の行く手を阻む。
「・・・だからね、ちょっと話をしに行くだけなんだってば・・・」
「何の話だ」
「それは・・・ノルガ本人に聞いて下さい」
話の内容を聞かれても、私だって答えようがないのだ。
困ったことに蒼鬼殿は、一度気を許した相手にはどうしようもなく独占欲が強い。
それは、一緒に眠るようになってすぐに分かった。
まるで縄張りを守ろうとする狼のようで、今朝も私の匂いを嗅いでは満足そうにしていたし。
実は髪も結いたそうにしていたけれど、さすがに毎日されていては自分で何も出来なくなってしまいそうなので、丁重にお断りしておいた。
それもあってか、ノルガと話す約束をしていたことを聞いた途端に、うろうろと部屋の中を歩き回ったかと思えば、出て行こうとした私の前に立ちはだかったのだ。
「あのね、シュウ」
語気を強めて言う。
「ノルガとは、巡回に行く前から約束してたし、昨日もいろいろ・・・」
「奴は、お前に口付けただろう」
・・・やはりそこだったか。
「もうしないよ」
彼の疑惑に満ちた瞳に、即座に否定を返す。
こういうのは、瞬発力がものを言うと思うのだ。
「昨日だって、私達がこうなったこと、喜んでたのに。
そういう人が、またちょっかいかけてくると思う?」
腰に手を当てて彼の瞳を覗き込めば、深い緑がゆらゆらと揺れる。
彼だって、解っているはずなのに。
「万が一を考えて、喫茶室で話すことにしたっていうのに・・・」
匂い云々のことは、もう十分すぎるほど身に染みて理解している。
喫茶室を提案してくれたのだって、ノルガの方からだ。
「2人きりで会っちゃったりしたら、絶対に団長がありもしないこと想像して、本人に確認する前に暴走するに決まってるから!」・・・と丁寧にも具体的な理由をあげてくれた。
・・・そこまで詳しく状況が思い浮かぶとは・・・。
「それに・・・」
主人に叱られている大型犬のように、しょぼん、とした雰囲気を漂わせる彼を見つめて、私はとどめのひと言を用意する。
「私だって1人で、出かけたい時があるんだよ?」
24歳を迎えたはずの私の上目遣いでも功を奏したらしく、シュウは何か言いたそうにしていたけれど、私は無事に寮を出て、王宮に来ることが出来た。
・・・彼は今頃何してるのだろうか。
・・・悪いことしたかな。
最後まで心配していた彼の、揺れる瞳を思い出しては胸がチクリと痛む。
けれど、昨夜の彼のねっとりした様子がすぐに思い出されて、胸を痛めている場合じゃない、と思い直した。
廊下を歩きながら、後ろ髪引かれる思いを振り切る。
今日も今日で体がぎっしぎしなのだ。
この生活がしばらく続けば、もしかしたら体が環境に適応しようとして進化するんじゃないか、と予感するくらいに、私は普段使わない筋肉を酷使した。
いちいち赤面して恥らっているような乙女ではない私は、朝一番で「これじゃいかん」と、どうしても部屋を出てきたかったのだ。
それにノルガは年下だし、気安く接することが出来る数少ない人だ。
気が付いたら、望む環境とは真逆のところに身を置いていた私にとって、貴重な人材。
果たして彼との関係を、友人なのかと聞かれたら、首を捻るしかないけれど・・・。
ウェイトレスに案内されて、端の方のテーブルにつく。
待ち合わせだと告げると、微笑んで水とメニューを持ってきてくれた。
早めのお昼休憩に合わせて待ち合わせたから、まだ喫茶室はそれほど人気がない。
1階には食堂や喫茶室、蒼の本部があるし、一般人の利用できる施設があるから人通りが多い。
廊下に出ると、なんとなく人の雑音がするけれど、喫茶室の中はBGMもかかって心地良い静けさが漂っていた。
ぼんやりと思考の海に沈んでいくのを感じながら、私は昨日のやりとりを思い出していた。
ジェイドさんは私に、精神的に追い詰められたり、何かを我慢したりして、ストレスや苦痛に感じたことがなかったか尋ねた。
思い当たることは、一応ある。
それはたぶん恋、という。
自分で認めてしまうと、穴があったら入りたいくらい途方もなく恥ずかしいけれど、でもこんなこと、誰にだってある極めてシンプルな悩み事だ。
頭痛に倒れた頃の私は、青いコインの持つ意味を確認しないまま預かっていた。
なんとなく恋愛アイテムだと勘付いていたのに、そのままにしていたのは、友達以上恋人未満の関係が壊れてしまうのが怖かったから。
アンには言ってしまったけれど、夢から覚めるのが怖かったからだ。
もし、そういう気持ちがジェイドさんの言うところのストレスにあたるのだとしたら・・・私も桜さんのように、あの頭痛が慢性化して段々と弱っていき、命が尽きていた・・・?
そこに考えが至り、なんとなく寒気がして腕をさする。
たかが恋、されど恋。
・・・恋愛に命をかけるだなんて、コテコテの王道少女漫画じゃないんだから・・・。
小さくため息を吐いて、恋、なんて単語を連呼した自分に赤面してしまった。
でも確かに、心が浮き立った後はそれを抑えるのに苦しくて。
期待してはいけないと思いながら、1人きりの部屋で彼の名を呼んだ。
名を口にするたび心が温もるのに、その熱が引いたあとはただ寒かった。
・・・そんなことをしている間に、私の体は弱りつつあったというのか。
恥ずかしいし、いまだに好意を寄せてくれるらしいジェイドさんの前で、そんな話をするのも気が引けて、昨日は言えなかったけれど・・・。
とりあえずは、自己管理すれば大丈夫なことだろう、と気持ちを切り替える。
異世界で生きていく以上、不可思議なルールはたくさんあるものだ。
そう結論付けて、私は水をひと口含むと突然、背後から声をかけられる。
「お待たせー!」
前向きさにあふれる声に、自然と笑みが零れる。
「お疲れさま、ノルガ」
「うん、疲れたー。団長が休みだとさ、俺が内勤になること多くて」
忘れていたけれど、彼は1等騎士なのだ。
任される役割も、自然と重みのあるものになるだろう。
「しかも、団長がもう少ししたら辞めるって言うもんだから、大変でさ」
「え、ほんとに辞めるの・・・?」
ぽつりとこぼしたひと言が、まさか本気だったとは。
向かいの席に腰を下ろした彼が、やってきたウェイトレスにデザートと飲み物を頼む。
私も軽食と飲み物を頼んだ。
なんでデザート?と首を傾げたら「先に食堂で食事してきたから」だそうだ。
「そこまで忙しいんだったら、また今度でいいのに・・・」
そう言えば、彼は笑って首を振った。赤い髪がさらっと揺れる。
初めて会った時は、なんて軽い奴なんだと思ったけれど、今ではこんな弟がいたら毎日世話を焼いて構いたいな、なんて思うようになった。
・・・私には、兄と従姉妹がいるだけだから。別の世界に。
「俺がミイナちゃんと話したかったの。
時間が経てば経つほど、あの人ミイナちゃんの側離れなくなっちゃうでしょ」
あの人、とはやはりシュウのことか。
「ねぇ、ノルガ」
思い切って尋ねてみる。
「あのさ、私が渡り人だって、話したことあった・・・?」
私なりに勇気をもって発したひと言に、彼は小首を傾げた。
「うーん、どうだったっけ?
・・・でも知ってるよ。何で?」
そしてあっさり頷く彼。
いつの間にかウェイトレスが注文した品をテーブルに置いて去っていった。
気持ちばかりが先走って、周りが見えなくなってしまっている自分に気づいて、飲み物を喉に流し込んで深呼吸をする。
今日は彼が話したいというから、こうして待ち合わせたのだったと思い出した。
私は彼の言葉に曖昧に微笑んで、首を振る。
「ううん、それは後でいいや。
ノルガが話したいって言ってたこと・・・聞かせてくれる?」
「えっと、まあ、まずは謝っとく。ゴメンナサイ」
「え?」
疑問符だけが頭の中に並んで、間抜けな声が出てしまった。
そんな私の表情を見て、頬を緩めた彼が、ふいに真剣なカオをする。
「俺さ、実は最初からミイナちゃんのことが好きで近づいたんじゃないんだ」
「・・・え・・・?」
言われたことが理解出来なくて、かすかな声がついて出る。
そして一瞬遅れて言葉が頭に入ってきた時には、彼への不信感で心がいっぱいになっていた。
それが表情に出ていたのだろう、彼が目を伏せる。
「ほんと、ごめん。
・・・俺、団長のことが本当に大事なんだ。
だから、孤児院で団長が女を手元に置いてるって聞いて、」
「ちょ、ちょっと」
話を遮って、声をかけた。
彼が苦しげな表情のまま、視線を上げる。泣きそうな目と、目が合った。
なんだか幼子を苛めている気分になって、少し目を逸らす。
「ノ、ノルガって、同性も恋愛対象?」
好きでもないくせにキスまでしたのか、なんて不信感を抱いたのは一瞬で、彼がシュウを恋愛対象として大事に思っているのかが気になって仕方ない。
結局私だって、彼が世界の中心なのだ。
「違うって昨日も言ったでしょ!」
身を乗り出した私を軽く睨むと、彼は背もたれに体重を預けて、額を押さえた。
「そうじゃなくてさ~・・・」
そしてため息を大きく吐いて、再び体を起こす。
そのままテーブルに両手を組んで乗せると、彼はまた真剣な眼差しで私を見つめた。
私の方も、今度こそ、彼が私に申し訳ないと感じるほどの何かを、きちんと聞こうと息を詰めて続きを待った。
おもむろに、彼が口を開く。
「・・・俺、団長に拾われたんだ。15の時に」
真剣な表情は、もしかしたら、蒼鬼に向けられたものなのかも知れない。
私は黙って、続きを待った。
「両親は隣国からの移民で、俺と姉さんの4人家族だった。
でも俺が、まだ子どもの頃だったかな・・・母さんが、ある日突然、殺された」
淡々と語られる内容に、上手く言葉が追いつかない。
私が無言で息を飲んだのを見て、彼は寂しげに微笑んで続きを話し出す。
「終わりの塔に幽閉されてる、強姦殺人魔にね・・・。
ああ、大丈夫だよ。もうずっと昔のことだし、俺は小さくて記憶もおぼろげでさ。
・・・・だけど、たぶん・・・、どっかで母親が恋しかったんだろうね。
王都で初めてミイナちゃんと会った時、丘の上で膝枕してくれたの覚えてる?
・・・・あの時分かったんだ。
人の温もりって、こんなに気持ちいいんだなー、って。
ほんとは、団長を誑かす女を、俺に惚れさせてやろう、って意気込んでたんだけど、
見事にミイラ取りがミイラになっちゃったよ」
そこまで言うと、彼は自嘲気味に口元を緩めた。
「本当は、団長に近づけないためにミイナちゃんに近づいたのにね。
あの丘の上で、ミイナちゃんの目を自分にだけ向けさせたいって思っちゃった」
「ノルガ・・・」
とても寂しげに言うから、なんだか私まで切ない気持ちになってしまう。
流されるとか、そういう話ではなく、だ。
「15の時、荒れてた俺を団長が見つけてくれて、騎士団に入るように勧めてくれた。
あのままゴミみたいな人間にならずに済んだのは、団長のおかげなんだ。
頭では理解出来てたつもりだったのに、ミイナちゃんから団長の匂いがすっごいして、
どうしても我慢出来なくなっちゃって・・・キスしちゃった」
言い終わると同時に、泣きそうに顔を顰めた。
なんだろう、子どもが叱られる前に自分から話をするのに似ている。
最後には、お母さんごめんなさい、と言い出しそうだ。
「団長のことも裏切って、好きになった女の子にも誠実じゃないなんて、最低だ」
吐き出した悔恨が、重々しくその場に落ちる。
・・・私は、年下の子を苛める趣味は持ち合わせていない。
「ノルガは、誠実だよ」
私はゆっくりと、呼吸をするようにさりげなく、言葉を紡いだ。
悪びれもなくキスされたのなら、思い切り怒り狂って、横っ面を拳でぶっ飛ばしてやろう、くらいの気持ちになるのかも知れない。
いろんな感情が入り混じって、うまく表現出来ない自分がもどかしいけれど、今はどんな感情よりも何よりも、目の前の彼の頭を撫でてあげたい。
前触れもなく「ひとりぼっち」なのだと感じさせた瞳に、自分の置かれた状況を重ねたのかも知れない。
「誠実だよ。わざわざ私に、その話をしてくれてさ・・・」
虚をつかれて見開いた目が可笑しくて、可愛くて、思わず微笑んでしまった。
・・・ああやっぱり、この子は私の弟にしよう。お姉さんがいるらしいけれど、私が貰ったらダメかな・・・。
こみ上げた、恋や愛とは違う愛おしさに、心が震えてしまう。
「ありがとう、ノルガの気持ちは、ほんとに嬉しかったよ」
微笑んで打ち明ければ、彼は泣き笑いのような表情を浮かべて頷いた。




