表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/109

53










体の違和感に、目が覚めた。

「・・・んぅ・・・」

夢も見ず、泥のように眠っていたというのに、なんだか気だるい。

首を捻って天体盤を見上げれば、まだ明け方という時間だった。

体はだるいのに、頭は冴えている。

これはもう眠れないと思ってしまったら喉の渇きを感じて、お茶でも淹れようと、ベッドから足を下ろした時だ。

「・・・どこへ」

若干掠れて鼻にかかる、寝起きの声。

隣で寝息を立てていたはずの彼が、私の手首を掴んでいた。

瞳から、唇から、目に入りそうに垂れている前髪から、色気が駄々漏れだ。

こちらが気を抜いてる暇もなく、美形はいつ何時も美形なのか。

起き抜けの彼に見入ってしまった私の脳は、昨夜何があったのかを自動再生し始めた。

大きな手、熱い唇、私の奥の方を見ようと覗き込む瞳、どちらのものかも分からない吐息。

暗がりの中に浮かぶ肌、うわごとを囁くような声。

「・・・あ、と、お茶を・・・」

次々に浮かんだ光景でかき乱された心を悟られないように、言葉少なに返事をすれば、彼はふわりと微笑んだ。

ああもうだめだ。

朝から衝撃的な甘さを感じて、自分の頬が上気しているのを自覚する。

・・・ご、ご機嫌ですね魔王様・・・。


彼がお茶を淹れてくれるというので、お言葉に甘えてソファでそれを待つ。

もう少ししたら朝日がこの部屋を照らす気配に、いつもよりも早い朝を迎えたことを実感した。

それに、いつもと違う朝だ。

それを理解すると同時に、やはり昨夜のことを思い出して動悸がしてきた。

・・・なんだこれ。乙女か。

速まった鼓動を宥めるように胸に手を置けば、腕に違和感が。

体がぎしぎししている。

普段使わない筋肉を久しぶりに使ったせいなのだろう、動けないとか、そういう類の痛みはないのに、体中が違和感だらけだ。

彼の「お願い」とやらを聞き届けた結果がこれだ。

・・・可愛く囁いたクセに、えげつなかった・・・。

基礎体力作りに走りこみとかした方がいいのだろうか。

それから、もう彼の部屋に引っ越すのは決定されたようで、最低限の衣類や化粧品は昨日のうちに持ってきておいた。

残りの細々した物は、引越し隊長の彼が、時間をかけてゆっくり移していくのだそうだ。

もう、いろいろと彼の気の済むようにしてもらうことにした。

これは私の想像だけれど、同じ部屋に・・・というくだりも、匂い云々の話と同じで、自分のテリトリーに居て欲しいということなのだろう。

異世界男子は基本的に獣なのだと認識したら、いろいろ理解しやすくなってしまった。

そういうわけで、夜が深まるのを待った彼が取った行動は、推して知るべし、だ。

熱に浮かされて分けが分からなくなった私は、彼が「欲しい」と囁いたのを聞いて、それまで心の片隅にあった迷いや不安が吹き飛んだ。

彼の気持ちを正面から受け入れたら、欲以上の何かを感じることが出来たからだと思う。

おかげで、とても満たされた朝を迎えることが出来たわけなのだけれど・・・。

体はぎっしぎしだ。

「体は、大丈夫か」

ソファに座ったまま、体の具合を確かめるようにストレッチをしてると、遠慮がちに問われて、私は物思いにふけっていた思考を中断した。

差し出されたカップを受け取って礼を言うと、こくん、と頷く。

「ん、ちょっと、体がぎしぎしするけど・・・」

そういえば、声もいつもより掠れているような気がする・・・。

喉を潤せばいくらかましになるかと、ひと口含んで喉に染み入った甘さが、私の好きなはちみつだと気づいて顔がにやけてしまった。

「・・・ありがと・・・」

こっそり囁いて隣に腰を下ろす彼を見上げれば、横顔が微笑んでいる。

穏やかで、何かが繋がっている感覚に、心が跳ねた。

そして、しばらく同じようにお茶を啜っていた彼が、カップを置いて、ふいに鼻先を私の首筋に近づける。

またしても獣を思わせる動きに、両手でカップを持ったまま体が強張って、息を詰めてしまった私に彼が低く声を漏らした。

そして、ゆっくりと体を離す。

「ななななにいきなり・・・」

詰めていた息を吐いて問えば、彼は満足そうに頷いた。

「他の男の匂いが消えた」

「・・・そ、そう、なの・・・?」

思わず自分で自分の匂いを嗅いでみると、シャツからも肌からも、彼の匂いがぷんぷんした。

「確かに、シュウの匂いしかしないけど・・・。

 で、でもこれじゃ、匂いが生々しすぎて、仕事に行けない・・・!」

こんなに匂えば、誰でも分かるし色々想像されるに決まっている。

小さく嘆くと、彼はそれを微笑んで否定した。

「その匂いは、シャワーを浴びれば消えるから大丈夫だ」

「ふぅん・・・?」

・・・シャワーで消えてもいいの・・・?

きっと彼にとっては常識の範囲なのだろうけれど、私にとっては不可思議なことでしかない。

そんなものなのかと首を捻っていると、彼が何気なく私の髪を撫でているのに気づいた。

寝起きで髪を下ろしているから、撫でては髪を指に絡ませて遊んでいる。

・・・人前で、髪を下ろしてはいけないと教えてくれたのも、シュウだったな。

あの時は、この人に、こんな風に髪を撫でられるなんて、思ってもいなかったけれど・・・。

離宮での一件から、こうして何気なく触れてくることが多い気がする。

私は、ぼんやりと考えながら彼が好きなようにしているのを、黙って受け入れていた。

どうやら私は凡人のくせに、環境に適応する能力はレベルが突出しているらしい。

いつの間にか朝日が窓から差し込んで、その光の強さに思わず目が眩む。

隣の彼は、一体どんな気持ちでこの朝を迎えたんだろう。

今までは、生活の中のほんの一時を共に過ごすだけだった私達が、ある時を境に同じ部屋で夜を越えて、一緒に朝を迎えるようになったなんて、不思議な気持ちになる。

同時に、言いようのない、温かな気持ちにも。

そして、ああ今まで同じような気持ちを育てていたのかも知れないな、なんて、幸せな気持ちにも・・・。

あの夜、吹き荒れる嵐を同じ窓から見ていたことを思い出して、人生ってどう転ぶか分からないものなんだな、なんて、変に感慨に浸ってしまった。

丁度良い温かさになったお茶を、一気に飲み干して私は立ち上がる。


シャワーを浴びてリビングに戻ると、彼がソファに座って何かをしていた。

カップにはほとんどお茶が残っている。

よほど熱中しているのか、それとも、私に付き合ってお茶を飲んでくれていたのか。

彼はずっと手元に集中していて、近づいてきた私に目もくれようとしない。

部屋の中は朝の光で満たされていて、とても清清しい。

夕暮れや星空の下が良く似合うと思っていたけれど、朝日に満たされた部屋に溶け込む彼は、今までで一番自然な姿に見えた。

・・・私もいつか、この部屋に溶け込んでゆくのだろうか。

私の視線など気にする様子もなく、器用に指を動かしている彼を見て、そんなことを思う。

「何してるの・・・?」

邪魔をしないように、そっと隣に座る。

一線を越えたことで気持ちに区切りがついたのか、私は敬語で会話することが少なくなっていた。

彼もそんな私を気にかける様子がないので、そのまま好きにさせてもらっている。

「ん?

 ちょっとな・・・」

目も上げずに彼が答えた。

彼の指が、忙しなく動く様子が意外と興味深くて、思わず見入ってしまう。

手にしているのは、琥珀のような、石と・・・金のチェーン。

その横には、見慣れた青いコインと・・・何か。

「あ・・・」

青いコインが目に入った瞬間、無意識に声が出てしまった。

知らないうちに、あれが自分の物だと、愛着を持っていたのかも知れない。

ここ数日、無意識に胸元に手を伸ばしては寂しい思いをすることも、少なくなかったから。

彼が、横目で私のことを見た。

その横顔に微笑が浮かぶ。なんだか楽しそうだ。

そしてしばらく彼が作業を続けて・・・。

「出来た」

顔を上げた。

ずっと手元に集中していた彼は、首が疲れたのかぐるっと回してから、手にしていた物をそっとテーブルの上に置いた。

ひとつは、ペンダント。

もうひとつは、髪留めだ。

「詳しくは知らないが、古代石というらしい。

 名前の通り、古の時代に誕生した石なんだそうだ。

 虫が中に入っているものも、あると聞いたことがあるが・・・・」

想像していた通り、この石は琥珀のようだ。

古代と聞いて、マートン先生の見せてくれた絵本を思い出して微妙な気持ちになる。

魔法が存在して、ハイテクノロジーな世界。

不可能はない、と言い切れそうな世の中の様子が目に浮かんだ。

もしあの話が本当なら、この趣たっぷりの石が存在していたのかと思うと不思議で仕方ない。

「中に、花が入ってる・・・」

朝日に輝く琥珀。

その中に浮かぶ小さな花を見ていると、この小さな石の中と私のいた世界が繋がっていると思えるような、上手く表現出来ない気持ちになる。

琥珀は、呼び名こそ違うけれど、どちらの世界でも同じように存在していたのだ。

そして、女の勘が告げる。この琥珀は、お高い。

そう思い至った瞬間、触ってみようと伸ばした手を、さっと引っ込めた。

「え、えと、これ・・・?」

「父が、どこかで手に入れたらしい。

 ああ心配するな、父は亡くなっているから、それは今は俺の物だ。

 亡くなってから一度も箱から出していなかったのを思い出した。

 ・・・せっかくだから、お前が、持っていてくれるか」

怖気づきそうな私に、彼はあっさり頷いて暴露した。

「え、えぇ?

 亡くなってるってことは、お父さんの形見なんじゃ?」

「ああ」

恐る恐る聞けば、これまたあっさり肯定された。

何に心配なくて、何がせっかくなのだと言うのか。

そして彼は続ける。

「大丈夫だ、亡者の念など込められてはいない」

私の心配とは真逆の方へフォローを入れられた。

「いやいやいや、そうじゃなくてね・・・」


価値観の違いに、この後しばらく形見についての討論が展開されたことは、言うまでもない。

・・・もちろん私の根負けだ。

結局琥珀のペンダントは私の手に渡ることになって、今、胸元で光を受けて輝いている。


・・・いいのかなぁ・・・。お父さんの形見って言ってたけど、それって、お母さんにとっても形見なんじゃないの・・・?

あれ?そういえば彼が陛下の従兄弟だって事以外、家族構成とか聞いたことないな。

てゆうか、こんな馬の骨に構って、外野からブーイングが飛んでこないけど大丈夫なの?

この国の王家がだいぶフランクなのは知ってるけど・・・だからって、大事な息子が渡り人風情に誑かされてるとか、そういう風に考える親戚が1人くらいはいそうだけど・・・?


向こうの世界で見たドラマのようになったらどうしよう、という不安の入り混じった苦笑を、いろいろ考えた末に浮かべてしまった。

そんな一抹の不安が脳裏をよぎるけれど、隣を鼻歌でも歌いそうなくらいにご機嫌に歩いている彼が「そんなもの一掃してくれる」と、魔王顔で言って、何とかしてくれそうな気もして、とりあえず今は余計なことは考えずにいよう、とその場しのぎに腹を括る。


そして、一緒に作っていたらしい髪留めは、私の髪に留められていた。

あの青いコインを、何かの石と一緒に土台にくっつけたらしく、とても品があって、私の頭でそれが輝いているのかと思うと、背筋の伸びる思いがする。

今度のコインは、彼と私との間に、特別な繋がりがあることを意味しているからだ。

それにしても、だ。

またしても髪を結ってくれたのだけれど・・・本当に、一体、どこでそんなの覚えてきたのか聞かせていただけないだろうか。


「あぁ、今日は白の本部に行かなくていいぞ」

ぎしぎしする体を叱咤しながら歩いていると、隣から声がかけられて意識が現実に戻った。

仕事の話なのだと瞬時に頭が判断したようで、自然と真面目なカオになる。

髪結いの謎は今度きっちり教えてもらおうと心に決めて。

「・・・えっと・・・あ」

言われたことに少しの間思考を巡らせて、昨日レイラさんに言われたことを思い出した。

「そういえば、今日は白と紅の調査要員に加わるって・・・」

昨日は心情的にそれどころではなくて、全く深く考えなかったけれど・・・その指示は、一体何を意味するのだろうか。

私が調査に役立つとは思えないけれど・・・。

そんなことを考えつつ、内心首を捻っているところへ、彼が言った。

「ああ、ジェイドが言っていただろう」

ジェイド、と声に出した時の不機嫌そうな表情は、眉間のしわなんて、もう小さなことのように思えるくらいだった。

昨日は聞かれなかったし、私も正直に話す前に、あれよあれよと・・・。

けれどきっと、彼のあの態度から察するに、私にはない嗅覚で嗅ぎ分けていたはずなのだ。

「あ、あの、シュウ・・・?」

せっかく彼の側にいられるようになったのに、お互いに遠慮して踏み込めないままにしておいて良いはずがない。

ましてや、私はともかく彼はジェイドさんと仕事上で顔をつき合わせるのだ。

国の要になるような人達が、私情を持ち込んで仕事をするとも思えないけれど・・・。

「なんだ」

いつもは見せないきつい目つきを私に向ける彼。

一瞬このまま口を噤んでいようかとも思うけれど、もうそんなものに怯む私ではないのだ。

「ジェイドさんのこと、怒らないでね。

 ええと、匂い、してたと思うけど、それはなんていうか、私が病院で消えかけたのを

 見ちゃって、なんとかしなくちゃと思ったみたいで・・・。

 ・・・飲まれたって、言ってたし・・・」

なるべく言いたいことが伝わるような言葉を選んで話す。

この際、若干脚色しても許されるだろう。

生々しく1から10まで話して、誰が得するわけでもない。

彼は、私の言葉に静かに耳を傾けてくれていた。

「その、消えちゃうっていうのと、自分の匂いを刷り込みたいっていうのとは・・・

 私にはどんな理屈か分からないんだけど・・・でも、」

「おい」

懸命に言葉を並べていた私を、突然彼の低い声が遮る。

普段そんな風にされたことがなかった私は、驚いたのと少し怖かったのとで硬直した。

彼も足を止めて私の肩を掴む。

「病院で、消えかけたのか」

鬼気迫る、という表現がぴったりなほど、彼の目が真剣だった。

私はただ頷く以外に、どうしたらいいのか分からない。

「で、でも、私も自分で気づかなくて・・・」

消え入りそうな声で一言付け加えて、私の肩を掴んだままため息をつく。

「・・・そうか」

そのため息に何が込められているのか知りたいけれど、何だか聞いていい雰囲気でもない。

そのまましばらく彼の様子を見ていると、彼がいくらか表情を和らげて言った。

「ジェイドのことはいい。大体想像がつく。

 ・・・俺がそうならなかったのが不思議なくらいだ・・・」

「・・・う、うん・・・」

思わぬ告白を聞いてしまって、私は微妙な気持ちで頷いた。

そういえば、衝動がどうとか、聞かされた気がする・・・。

「そろそろ、潮時なのかも知れないな」

「えっ?!」

思いにふけっていた私の耳を、その一言が突き刺した。

言い方は穏やかなのに、それだけ聞いたら完全に終焉の台詞だ。

・・・こんなに清清しい朝に、なんてことを言い出すんですか、修羅場をご希望ですか。

「蒼の騎士団は巡回に出たりと、縛りが多い。

 治安が落ち着くまでは、と断り続けてきたんだが・・・。

 家を継ぐべきなのかも知れないな」

自分と会話しているかのような彼の言葉に、大きく膨らんだ感情が急に萎んだ。

潮時というのは、家の事情のことだったらしい。

・・・こういうのにも慣れないといけないのか。

「家って・・・?」

「ああ、父が亡くなってから、母が10の瞳の役を継いでいる。

 母も若くはないから、そろそろどうだ、と陛下達から言われていてな・・・」

けろっと言い放った彼は、そっと私の背中に手を添えて歩き出した。

王宮がだんだんと近づいてくるのが目に入って、私は改めて、自分がとんでもなくロイヤルな環境に身を置いていることを実感したのだった。

そして同時に、どれだけ不安や恐れが襲ってきても、背を向けることが許されないところまで、駆け抜けてきたのだと知った。

・・・でも、いいんだ・・・。

私は彼の手に背中を預けながら、前を向く。

背中に添えられた、この手の温かさを手放すことなど、もう、考えられない。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ