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ぱち、と目を開けると、肌色が目に入った。

最初はぼんやりと見えていたものが、段々とはっきりしてきて、それが人の肌だということが分かった私は、突然意識が晴れた。

・・・こんな至近距離に、人がいる。

そして咄嗟に息を大きく吸い込んで、激しく咳き込む。息が、上手く出来ない。

「・・・気づいたか」

「ひゃぁっ?!」

落ち着いた頃、唐突に耳元で囁かれて、今度は大きく仰け反ってしまう。

けれどしっかり固定されていたのか、また肌色が目の前に戻ってきた。

「暴れるな。危ない・・・」

そのひと言を聞いた瞬間に、急に覚えのある匂いがして首を捻る。

「・・・あ、あれ?」

そして、ほぼ同時に低く声をもらす振動が、体の半分に伝わってきた。

バリトンの声。穏やかな物言いが、体に染み込んでゆく。

それを皮切りにして、触れた場所から自分以外の体温がゆっくりと溶け込んでくるのを感じる。

・・・誰だ、青い染みがないなんて、そんなことを言ったのは。

もう奥底まで沁み込んでしまって、私にしか分からないだけなのだと、誰だったかに言ってやりたい。



ふわふわと、闇夜を漂う浮遊感が心地良い。

ぐっすり眠った後のように、頭の中が晴れ渡っている。

突然の嵐は、無事に通り過ぎたようで、空には月や星が見えて、どこからか虫の音が聞こえてくる。

雨の匂いの残る、生温かい空気が頬を撫でた。


「どこか、痛むところや違和感のある箇所はあるか」

団長の声が間近から聞こえて、そこで私はやっと、自分の置かれた状況を自覚した。

どういう経緯があったか分からないけれど、彼に横抱きにされて移動しているようなのだ。

分かってしまったら、体が強張った。

頭が働くまでに時間がかかってしまったけれど、今の私には、彼のこうしてもらうだけの理由がないのだ。

急に夢から覚めたような私は、硬い声をやっとの思いで絞り出す。

「大丈夫みたいです・・・」

「そうか・・・よかった」

そう言った彼の横顔が、ほんの少し緩んだように見えた。

そして同時に、あの部屋で起きたことと、自分の身に起きたことを思い出した私は、咄嗟に自分の胸の辺りを押さえる。

鼓動が煩いのだ。

恐怖を感じたはずの心は落ち着いているけれど、体の方はまだ恐怖に晒されているかのような、私を形作るものが噛み合っていないような、おかしな感覚がある。

けれど、これを彼に気取られるわけには・・・甘えるわけにはいかないと思うのだ。

・・・大丈夫。

そう言い聞かせて、私は口を開く。

「あの、リオン君たちは・・・?」

「バードさんに頼んで、先に王宮に戻ってもらった。

 ・・・リオンには何も知らせていないから、そのつもりで」

「・・・はい」

そう言われて、少し前に起きたことが現実だったのだと改めて実感させられた。

胸の奥の痛みをやり過ごすために、目を閉じて規則正しい振動に身を任せて息を吐く。

気づけば、2人の間に重い空気が流れていた。

その重さに、今の私では耐え切れそうにないと思った直後、もともとこうしてもらう理由もないのだと思い出した私は、意を決して申し出る。

「あの私、自分で歩け、」

「少し黙っていろ」

その威圧感に、口元に出かけた言葉の最後を飲み込んだ。

「・・・はい」

怒っているのか、それとも何か考え事でもしているのか。

その横顔からは何も窺えなくて、私は出来るだけ大人しくしていよう、と口を噤む。

言葉を飲み込んだら、彼の腕の感触や規則正しく刻む鼓動の振動がはっきりと伝わってきて、心臓が暴れだしてしまった。

あんなことがあった後だというのに、私の心臓は持ち主の意に反することが多すぎる。

そんなことを思ったら、無意識にため息が出てしまったようだった。

もちろん、それを聞き逃す団長ではない。

足を止めて、前へと向けていた目を、ちら、とこちらへ向けた。

暗がりで向けられた瞳は、ゆらゆらと彷徨っている。

「もし・・・」

団長が、控えめに言葉を紡いだ。さっきとは違い、声に力がない。

「希望があれば、他の騎士と交代するが・・・」

「え・・・?」

言われたことの意味がよく分からずに、私は聞き返す。

「・・・あぁ・・・あの・・・」

そして、やや遅れて彼の言いたいことを理解した私は、なんと言えばいいのか言葉を探した。

けれど何をどう伝えればいいのか分からなくなって、ゆるゆると首を振る。

素直に思ったことを言うしかない、と息を吸った。

「・・・違うんです。

 ほんとに、自分で歩けると思っただけで・・・」

そっと伝えると、彼はしばらく考える素振りを見せる。

「なら、一度降りてみるか」

私はそれに頷いて、彼の肩に手をおいたまま、ゆっくりと下ろされた足を地面につけた。

かがみこんで私の足が地面についたのを確認すると、彼がゆっくりと腕を離す。

「・・・っ」

彼の支えがなくなった途端に足元がぐらついたかと思うと、膝がかくん、と折れた。

あぁ、高そうなドレスが汚れちゃう、なんて庶民らしいことをぼんやり思った時だ

ひょい、とまた横抱きにされた。ひょい、とだ。

団長は何も言わなかったけれど、きっと怒っているのだろう。

再び近くなった目で私を一瞥すると、真っ直ぐ前だけを見つめて歩き出した。

たぶん「言わんこっちゃない」とでも思っているのだろう。

そして、そのまま大した会話もなく、私達は王宮へと戻ったのだった。





団長に抱き上げられたままレイラさんの自室へと戻ってきた私に、白侍女さん達は黄色い悲鳴の入り混じった、よく分からない声をあげた。

団長はもちろん、そんなものは無視だ。

私は何と言っていいものか決めあぐねて、結局曖昧に微笑んでみたけれど。

「ミミーっ」

リオン君が駆け寄ってきて、続けてバードさんが姿を現した。

「ミミ、大丈夫?」

団長が私をソファに座らせてくれて、私はリオン君を抱きしめた。

本当なら膝をついて、目線を同じ高さにして受け止めたいのだけれど、残念ながら未だに足に力が入る気配がない。

飛び込んできた小さな温もりに、心がきゅっと締め付けられる。

「うん、一緒に帰れなくてごめんね。

 ごはん、食べた?」

「うん!

 バードさんと、お姉さん達と一緒に食べたー。

 ミミの分も取ってあるよ」

「そっか、良かった。

 私は今日は、まだごはんがお腹に入りそうにないんだ・・・。

 あとで貰って帰るね」

「ふぅーん・・・ミミ、おなか痛いの?」

「・・・ううん、大丈夫だよ」

痛いのは心だ。

「そっか」

ひとしきり会話を終えると、リオン君が私の目を見て尋ねた。

「お兄ちゃん、見つかった?」

あどけない、悪気のない言葉。

きっとこの子は、私がシェウル君を見つけて帰ってきたと思っているのだ。

私を見上げる目が、期待に輝いている。

そして私は、言葉を探して・・・フラッシュバックした光景に言葉を失った。

鼓動が速く強くなって、喉元が震えそうになるのを必死に力を入れて堪える。


あの時、マートン先生が何かを囁いて・・・シェウル君が自分の出生を母親に尋ねて・・・そして・・・彼の体が淡い光の粒子に変わって・・・さらさらと消えていった・・・・・。

その衝撃に耐えられなかった母親は、足元から崩れた。

異世界へ渡るのなら自分を連れてゆけと、そう朗々と謳うようなマートン先生。

次々に蘇る光景に、吐き気がこみ上げる。

止めたいのに、止められないのだ。


「ミミ?」

リオン君の不安げな声で、我に返った。

何か言わなくちゃと思うのに、上手く言葉が出てこない。

子どもを不安にさせるなんて、子守失格だ。

自己嫌悪にも太刀打ち出来ない私を見かねたのだろう、すかさず団長が声をかける。

「彼は今、母親と一緒に自宅に戻ったところだ。

 ただ、体調が良くない。もしかしたら何かの病気かも知れない」

「病気・・・?」

「ああ」

団長の淡々とした言葉に、リオン君が何かを考えているのか沈黙する。

そして、ひとつ頷いた。

「じゃあ、お手紙書かなくちゃ!」

「・・・それはいい考えですね」

バードさんが賛成して、リオン君は絵を描くことにしたらしい。

パタパタと寝室へ走っていったかと思えば、紙や色鉛筆、クレヨンを持ってきた。

そして、私の横に陣取って絵を描き始める。

いじらしいその姿に、ほの暗い罪悪感を感じてしまった私は、彼に気づかれないように、ひっそりとため息をついた。

つん、と鼻の先が痛む。

そんな私の頭に、団長の大きな手が乗せられた。


しばらくリオン君のお絵かきに付き合った後、白侍女さん達に化粧落としや着替えを手伝ってもらって、私はやっとひと息つくことが出来たのだった。



王宮から寮への帰り道、私はやはり団長に横抱きにされていた。

もうそろそろ歩ける気もするけれど、有無を言わせない何かを漂わせているのだ。口を噤んでいるしかなかった。

それにもう、不機嫌な彼は見たくない・・・。

幸運なことに、誰にも会わずに部屋まで戻れそうだ。

これなら明日、王宮で噂になったりもしないだろう。

コインを身につけていない、と注目の的になったばかりなのに、横抱きにされているところなど見られた日には、また針のむしろに放り込まれるに決まっている。

さすがの私も、頭も心も疲弊している状態では、興味本位の視線に晒されて平然としていられる自信はなかった。

そう考えると、この人気のなさにほっと胸を撫で下ろしてしまう。

最初はガチガチに固まっていた私も、こうも続けて触れられると慣れてしまうのか、気づけば彼と会話しようと口を開いていた。

「そういえば、団長は大丈夫ですか?

 陛下の従兄弟なのに・・・ほんとは、会場にいた方が良かったんじゃ・・・?」

控えめに問えば、彼が何事もなかったかのように答えてくれる。

その声は穏やかで、疲弊した私には心地良く響く。

「いや、招待客ではないから問題ない。

 準備期間から俺は巡回で王都を空けていたからな・・・。

 今日の件は計画段階から副団長に任せてあったから、最初から俺は人数に入っていない。

 ・・・顔を出して現場を確認したら、すぐに帰るつもりでいた」

「それなら・・・けど・・・。

 結局巻き込んでしまって・・・ごめんなさい・・・」

きっと彼だって、あんな場面を目撃して気分が良いわけがないのだ。

成り行きで一緒に来てくれたけれど、あんなことになるなんて、その時の彼が思うはずない。

目を伏せて謝れば、彼は大きくため息をついた。

にわかに声が低くなった気がして、体が強張る。

「聞くが・・・」

「・・・はい」

「もし、お前が1人であの場に飛び込んでいたら、どうなっていたと思う」

それは衝撃的な質問だった。

1人で、あの場に。

想像しなくても分かる。

自分の身に起きたことの結末を想像して、小刻みに指先が震え始めた。息が苦しい。

彼が私の顔を一瞥し、ひと言告げる。

「こういう時は、ただ感謝すればいい」

「はい・・・ありがとう、ございました」

震える喉元を叱咤して、私は言葉を返す。

それに頷いた彼は、続けて言った。

もうすぐ、寮の玄関というところまで来て。

「お前に、話したいことがある。

 ・・・こちらの部屋でも構わないか」

「はい・・・。

 私も、離宮でのことがどうなったのか聞きたいです・・・」

私が頷くのを確認して、彼が階段を昇る。

そして彼は部屋の前にたどり着くと、片手で私の体重を支えて器用に鍵を開けた。


お茶から湯気が昇って、いい香りがたちこめる。

勧められるままひとくち含めば、優しい甘さが喉に溶けていった。

「はちみつ・・・?」

覚えのある甘味に小首を傾げていると、隣に腰掛けて同じようにお茶を飲んでいた団長が、何食わぬ顔で静かに聞き返してきた。

「疲れた時は甘いもの・・・なんじゃなかったか?」

「そう・・・でした」

きっと私がいつか呟いたことだったんだろう。

・・・よく覚えてますね、本当に。もう降参してしまいそうです。

「それで・・・」

彼がカップをテーブルに戻して問いかける。

「以前、渡り人に関する書類に目を通したことがあると話したのを、覚えているか?」

「はい」

私もカップをテーブルに戻して頷いた。

もちろん覚えている。

それを聞いて、私は王都にやってくるのを決めたといってもいい。

「・・・では先に、謝っておく」

「えっ?」

本当に申し訳なさそうにしている彼に大きく動揺してしまった私は、慌てて口を噤んだ。

彼が片手で顔を覆う。その大きな手が邪魔をして、その表情が見えなくなる。

そんな彼の姿に、戸惑ってしまった私は言葉を失ってしまった。

そして、一呼吸置いた彼が言った。


「・・・すまない。

 初めて会った時から知っていた・・・。

 渡り人の命は、消えてしまいやすい、と」


思いもしなかった告白に、私は絶句した。

・・・そんな、知っていたなんて。

初めて知った事実に、いろんな感情がごちゃまぜになって、嵐になって吹き荒れる。

喉元まであらゆる罵詈雑言がせり上がってくるものの、それすら上手く言葉に出来なくて、息が苦しくなった。

・・・どうして教えてくれなかったの。

呼吸が上手く出来ない。

酸素が足りなくて、頭がくらくらする。

必死に感情の嵐を抑えようと、両手をぎゅっと握り締めた。

唇をかみ締めて俯いて、握り締めた両手を見つめて嵐になった感情に振り回されそうになる自分を、必死に繋ぎとめようと意識を集中する。

そうしていると、ふいに彼の手が私の頬に触れて、上を向かせた。

渦を巻いた感情がこもった目で彼を見上げると、深い緑色の瞳が、大きく揺れていることに気づく。

「悪かった。どんな謗りも受ける・・・だから・・・」

その瞬間に、今度はどうしようもなく彼を抱きしめてあげたくなってしまった。

怒りが一周して、感情の針がおかしくなってしまったのかも知れない。

言葉の続きに「許して欲しい」という声が聞こえた気がしてしまって、私は手を伸ばす。

・・・出会った時から知っていたのに、隠していた。

どうして教えてくれなかったのかと、責めたい気持ちになるのに、揺れ続ける瞳を見たら一瞬でそんな気持ちが吹き飛んでしまった。

どうかしている。その自覚もあるのに、今すぐ彼に触れたくて仕方がないのだ。

・・・私はこの人を傷つけたいわけじゃない。

そう思った瞬間に、彼の手を頬からを外して、今度は私が彼の頬を両手で包む。

「・・・許します」

そして静かに、ひた、と瞳を見据えて告げれば、彼の瞳が再び揺らいだ。

・・・彼の場合、目が口以上にものを言うようだ。

ああ、こんな小娘相手になんて情けないカオをしてるんですか団長・・・。

でもそんなカオを晒す彼を、今この瞬間、私はこんなにも温かい気持ちで見ている。

「ほんとは、こうなる前に教えて欲しかったけど・・・」

「すまない」

私が息継ぎをする隙間を縫うようにして、彼が言った。

私はそれに首を振る。

「そうしたくて、してたんじゃないって、なんとなく分かりますから・・・」

そう告げて私は両手を降ろした。

「それに・・・」

そこまで言葉にすると、自分でも気持ちの整理が出来たようで、心がすっかり凪いでいた。

そして心のどこかで、この深い緑色の瞳をいつまでも見ていたいと思う。

「団長がそんな顔すること、ないんですよ・・・?」

私の言葉に、彼が眉間にしわを寄せた。

その中心を指でぐりぐりしたいのを、ぐっと堪えて、私は言う。

「もし、他にも私に話してないことがあるなら、今のうちに教えてくれますか・・・?」

彼が静かに頷いた。









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