46
結局私達は、曖昧な空気のまま、一緒にシェウル君を探すことになった。
私が駆け回っていた理由を話したところ、彼は「誘拐されたのだとすれば、すでに離宮にはいないかも知れない」と言って、部下に秘密裏に捜索するようにと指示を出した。
聞けば、夜会などの王宮関連の催しがある時は、大人にも子どもにも、こういったことが起こる可能性は十分あるのだそうだ。
・・・だから、シェイナさんがあんなに錯乱していたのか・・・。
腑に落ちた私は、少し強引な彼の申し出をありがたく受けることにしたわけだ。
子どもの頃からここへ来ている彼は、さすがに手際が良かった。
廊下の突き当たり、角の部屋。
彼が「遊び半分で隠れるにしても、浚って来るにしても、この辺りが一番目が届きにくい」と言って、やって来た。
そして離れた所から部屋の明かりが漏れているのを見つけて、私達は息を潜めて、嵐の音に紛れるようにして壁伝いに部屋まで移動する。
「誰か、いますね・・・」
囁くように話しかければ、口元にひとさし指を当てて、ちょっと黙れ、と言われる。
その通りに息を詰めた瞬間、彼がドアの隙間から中を覗いて・・・突然ドアを開けた。
「あぁっ・・・」
その素早さについていけない私は、咄嗟に呻いただけで一歩も動けなかった。
・・・私はどうしたらいいの・・・。
誘拐犯がいたとして、対峙出来るだけの心得がないのだ。誰かに守ってもらわないと、危険な場所には絶対に近寄れない側の人間だと自覚しているから、彼のように飛び込む勇気は・・・。
かといって気になるものは気になるので、私はそっと、息を潜めて部屋の中を窺って、絶句した。
視界に飛び込んできたのが、ナイフを片手にした、マートン先生の姿だったのだ。
「おや、こんなところで油を売っていて大丈夫ですか、蒼鬼殿」
「お前は、自分が何をしているか分かっているのか」
マートン先生の腕の中には、シェウル君がいる。
・・・顔色が悪い。
何かされたのではないかと、悪い想像が頭の中を駆け巡る。
「シェウル君?!」
その瞬間、私は咄嗟に叫びながら部屋の中へ飛び込んでいた。
そのまま駆け寄ろうとすると、目の前に団長の腕が伸びる。
「動くな」
短い言葉が頭上から降ってきて、もどかしくなった私は我慢出来ずに声を飛ばす。
「大丈夫?!・・・シェウル、君・・・?!」
少年の瞳に力がない。
何か、大切な何かが抜け落ちているように見えた。
「・・・ミーナ殿も一緒でしたか」
先生の目が、私を捉えて、その表情がいびつに歪んだ。
「あなたもいるとなれば、そうですねぇ・・・」
口から零れる言葉が、私には理解できなくて隣に立つ団長を見上げる。
「マートン、もうすぐ蒼と紅の連中がお前を捕縛しにやって来る。
・・・時間の問題だ。その子どもをこちらへ渡せ」
団長が剣の柄に手をかけながら、ゆっくりと伝わるように言った。説得しようと、試みているのだろうか。
しかし団長の言葉には反応せず、先生は歪んだ笑顔のまま私を見つめていた。
恐怖とも嫌悪とも違う、気持ちの悪さに腕を擦ると、団長の舌打ちが聞こえる。
状況は、良くない。会話も成り立つ気配がないし、それどころか彼はもう狂っているような気がするのだ。
そして、もう1人、駆け込んできた人物が。
「シェウル!・・・あぁ・・・!!」
入って来るなり、我が子がナイフを持った人間に捕らえられている場面に遭遇してしまったシェイナさんが、小さく悲鳴を上げた。
それきり近づくことも声をかけることも出来ずに、ぶるぶると震える手で、何かの紙を握ったまま立ち尽くす。
かくいう私も、どうしたらいいのか分からず、動くことも出来なかった。
・・・部屋に飛び込む前に、その辺を巡回する騎士を捕まえて応援を呼べば良かったのか。それとも、シェウル君を探すこと自体、バードさんにお願いするべきだったのか。でもそれではリオン君を誰が守るのか・・・。
自分が何も出来ないことが情けなくて、そんなことを思ってしまう。
団長が一緒に来てくれたのが唯一の救いだと見遣ると、彼も険しい顔をしたまま、剣を引き抜くことも出来ずに相手の出方を見ているようだった。
「ああ、来てくれたんですね・・・」
歪んだ笑顔をシェイナさんに向けて、先生が動いた。
何かを少年に囁いて、その体を解放する。
解放されたシェウル君は、焦点の定まらないまま、ふらふらと母親の元へと歩き出した。
団長は、彼が危害を加えられたのではないと判断したのか、視線を先生に向けたままにしている。
シェイナさんは、近づいてくる我が子の様子に何かを感じながらも、受け止めようと両手を伸ばして・・・。
私はそれぞれの動きを目に入れて、もう一度シェウル君へと視線を走らせる。
シェウル君が、シェイナさんの腕の中で抱きしめられている・・・その光景に、私は釈然としないものを感じて眉をひそめた。
本当なら、誘拐された我が子が手元に戻って来て、感動の再会のはずなのだけれど・・・何かが違うのだ。
2人が喜んで安心して息を吐くような様子もないことに、私は咄嗟に先生を振り返った。
・・・まさか、何かしたのか。
「お前・・・一体何が目的なんだ・・・?」
ふいに浮かんだ考えは、団長も抱いていたのだろう。
誘拐したのに解放する。解放されたのに、彼らは絶望を絵に描いたようなカオをしている。
全然、意味が分からない。理解出来ない。
「あの子に、何をしたんですか・・・」
思わず口にした言葉は、またしても先生をすり抜けていったようで、視線が私に投げられることはなかった。
その目が見つめるのは、再会したものの歓喜が感じられない親子だ。
「さあ・・・尋ねてごらんなさい!」
まるで観劇の台詞を謳うかのように、先生が高らかに声をあげた。
突然声を上げるものだから、体が勝手にびくついてしまう。
「自分が何者なのか・・・どこからやってきたのかを!」
狂気に染まった瞳を、爛々と輝かせて少年に語りかける姿に、私は吐き気がした。
彼はもう、とうに常軌を逸している。
そして、一瞬遅れて理解した。理解したら、言葉が口をついて出ていた。
「・・・だめっ!!」
「ミナ・・・?!」
団長が私の名を呼んだ声が、右から左へと抜けていく。今は、私のことはどうでもいい。
「訊いちゃダメ、シェウル君!!」
私は悟った。
先生は、シェウル君が渡り人だということを知っている、と。
この家族を、壊そうとしているのだと・・・。
私の言葉に、先生が声を張り上げた。
「尋ねるのです!・・・知りたいのでしょう、自分が何者なのか!」
「やめて!」
凶器のような台詞を吐く先生に、憎悪に似た感情が押し寄せる。
一体どうしたら、あの口を塞ぐことが出来るのだろう。
「シェウル・・・」
自分の元へ戻ってきた息子に、母親が気遣わしげに声をかけた。
すると、少年の瞳がわずかに揺れて、かすかな、やっと聞き取れる程に儚い声を発する。
「母上・・・」
呟いた彼の瞳がしばらくの間彷徨って、やがて母親の顔に定まった。
「僕、母上の子どもじゃないって、本当なの・・・?」
縋るような、嘆願するような言い方に、第三者の私が胸をぎゅっと締め付けられる。
・・・そんな質問、こんな子どもに言わせていいはずがないのに・・・。
「シェウル・・・?!」
そして、母親の反応で、彼は理解してしまったのだろう。
悲痛な、隠し通してきたものが暴かれた痛みが、その表情に映し出されているのだ。
もちろん母親は必死に否定しているけれど、もう彼の耳には何も入っていないようだった。
「違うのよ、あなたがもう少し大人になったら、話そうと思っていたの・・・」
見ていられなくて、思わず目を伏せる。
・・・あんなに幸せそうな家族だったのに・・・。
シェイナさんの悲痛な声が耳に響く中、私は自分の足元にかすかな光が当たっているのが目に入って、視線を上げた。
「シェウル・・・?!」
シェイナさんの動揺が、私の鼓動を揺さぶる。
そして、先生の歓喜に満ちた声が響いた。
「・・・おお・・・!
これだ、これを待っていたのです!!」
一体、何が起きているの。
「ミナ!」
珍しい団長の大声が耳元で聞こえたかと思うと、次の瞬間にはがっしりした腕が横から私を抱きしめていた。
いつかのような優しい抱擁ではない。嵐の中をただ耐えるかのような、必死さの垣間見える抱擁だ。
私はシェウル君の所に行きたくて、もがいてそこから抜け出そうとするけれど、彼の逞しい腕が邪魔をしする。
「あ・・・」
そして、団長の腕の中から見た少年は、立ちすくんだまま淡い光に包まれていた。
いつか絵本で見た妖精の粉のように、キラキラと、その輪郭がぼやけてしまうくらいに、淡く輝いているのだ。
その様子に一瞬呆けたものの、すぐに我に返った私は、悲鳴に似た声を発していた。
「シェウル君・・・?!」
この現象にどんな意味があるのかは分からない。
けれど、ただ怖い。
背中を駆け上がってくる恐怖に、時折歯の根が合わなくなる。
それに気づいているのだろうか、団長の腕に力がこもった。
「・・・何なの、これ・・・?!」
彼の体の輪郭が、ゆっくりと虚空に溶けて出しているのが分かる。
「さあ・・・!
異世界へ渡るのなら、私も一緒に・・・!!」
先生が意味の分からないことを叫んでナイフを投げ捨て、彼の体に触れようと近づく。
彼を探して守ろうとしていたはずの母親は、ショックが強すぎたのか、もはや立ち上がることも出来ないようだった。
・・・どうして抱きしめてあげないの・・・?!
そう思っても、言葉にならない。
歯がゆくて、無意識に団長の腕に爪を立てた。
一層、ぎゅっと抱きしめられれば、今度は目から涙が溢れ出す。
・・・この光が、この後どうなるのかが分かってしまったから。
あの子は、リオン君にバッタを捕まえてあげようと一生懸命遊んでくれたのだ。
自分よりも小さな子にあんなに優しく出来るのだから、きっと彼自身が受けてきた愛情が、とても深いのだろうと思えて・・・。
だから、私が彼らが血の繋がらない親子なのだろうと察しても、墓場まで持って行こうと決めたのだ。
「シェウル君!
・・・シェウル君!」
彼は渡り人だ。私と同じ。
別の世界からやって来て、この世界に散らばるたくさんの点の1つになった。
「せっかく、会えたのに・・・!」
彼が渡り人かも知れないと思った瞬間、確かに嬉しかった。
あの聞き覚えのある鼻唄を聴けたことが、嬉しかったのだ。
ぐるぐる渦巻いた感情にまかせて言葉を紡ぐと、先生がシェウル君の纏う光に触れようと手を伸ばして・・・。
そしてその手が届く直前、彼を包んでいた光が、粒子になって一気に虚空へと流れ出した。
さらさらと、音も立てずに。水が流れるように。
・・・まるで、最初からそこには何もなかったかのように。
それはあっという間で、最後の彼の表情すら、私には見えなかった。
言いようのない感情が押し寄せて、団長の胸に顔を埋める。
それが悲しみなのか悔しさなのか、絶望なのか苛立ちなのか、もうよく分からなかった。
目の前で起こったことを受け止め切れない私は、きつく目を閉じた。脳裏に光の粒が流れ出る光景がフラッシュバックしていく。
きっともう、団長は私のことは良く思っていないだろうけれど、それでも寄り添っていてくれることがありがたい。
するとふいに、彼の両腕に力がこもったのを感じて、私は顔を上げる。
「・・・ミーナ殿・・・!」
血走った瞳に、体が強張る。
近づいて来ようとする先生を見て、足元から悪寒が走った瞬間、彼が私を自分の背に庇った。
先生は彼の腕の向こうから、私を見つめて言葉を吐く。
「あなたも異世界へ渡られますかな」
狂気を含んだ声に、さっきまで感じていた憎悪が膨れ上がった。
「誰が・・・!」
・・・一発殴ってやりたい!
拳をぎゅっと握りこめば、先生が吹っ飛んだ。彼が蹴り飛ばしたのだ。
ずさささーっ、と音を立てて床を滑った先生は、そのまま動かなくなる。
その刹那の出来事を呆気に取られて見ていた私に、彼がいつも通りのバリトンの声で囁いた。
「・・・お前が触れる必要はない」
そして言葉と一緒に、握り締めたままだった拳をゆるゆると解かれる。
大きな手に腰を引き寄せられて、やんわりと抱きしめられれば息が漏れた。
「大丈夫か」
「・・・はい」
耳元で聞こえた声に、自分の中で荒れて渦を巻いていたものが凪いでいって、代わりにその奥からじわりと、やるせない気持ちが湧いてくる。
顔をずらしてシェイナさんに視線を走らせると、彼女は座り込んだまま虚空を見つめていた。
・・・大丈夫だろうか。
声をかけようかどうしようか、迷っていると背中に回されている腕に、力が込められた。
何だろう、と思って顔を上げて・・・そして、気づく。
「あ、れ・・・?」
団長の顔が光っているのだ。
まるで照明を下から当てているのかと思うような・・・。
そこまで考えて、私は自分の手を見た。
鼓動が一度、大きく跳ねる。
「何・・・?」
喉元に言葉が引っかかって上手く喋れない。手が、震える。息が、上手く吸い込めない。
「ミナ・・・!」
団長の顔が、驚愕と苦痛に歪んだのを見た私は、途端に体が千切らているかのような痛みに襲われた。
「やだ、どうして・・・?!」
痛みに顔を歪めながら手を見れば、いつかのように透けていた。足も、透けていた。
「・・・いや・・・!」
痛い。怖い。嫌だ。怖い。寒い。痛い・・・消えたく、ない。
頭の中で恐怖が爆ぜて、歯の根がカチカチと合わなくない。
シェウル君が光の粒になって消えてしまった時のことが、走馬灯のように脳裏を駆け巡っていく。
そして、自分も同じ道を辿るのだと半ば本能的に悟った。
「やだ、やだ・・・!」
到底そんな結末を受け入れられない私は、思い切り団長に抱きついた。
それなのに腕に力が入らなくなっていく感覚に、恐怖心が煽られる。
呼吸が浅くなって、脳に酸素が回らなくなって頭の中が真っ白になっていく。
そんな中、何かが私の体を宙へと引き上げようとしているのを感じ取って、息を飲んだ。
「・・・シュウ!」
思わず彼の名を呼んでしまうけれど、そんなことになど、まして、彼の反応など窺っている余裕は、ありはしなかった。
これで最後になるのなら、と心のどこかで思っていたのかも知れない。
そうしているうちに、足からも力が抜けていって膝が折れそうになる。
見えない何かが、世界から離れそうになっている私の足元を掬おうとしているのを感じた私は、それに必死に逆らって、団長の首根っこにしがみついた。
彼も、放すまいと力を込めてくれる。体の痛みとは別に、きつく抱きしめられて背中が痛い。
けれどそれが嬉しくて嬉しくて、涙がせり上がってきて。
もう背骨が折れたって構わない。
消えてしまうくらいなら、半身不随になったっていい。
体が少しずつバラバラに千切れていくような痛みと、段々と意識が遠のいていくのを感じながら、私は目を閉じた。
もしかしたら、彼の腕の中で最後を迎えられるのなら幸せなのだと、諦めに似た気持ちを抱いていたのかも知れない。
「・・・行くな!
お前はここにいてくれ・・・ミナ・・・!!」
そして彼が悲痛な声でそう言ってくれたのを遠くに聞きながら、ゆっくりと私の意識は宙へと溶けていった。




