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視線が痛い。




すれ違う人達の視線が本当に突き刺さってるんじゃないかと思うくらいに、痛い。

・・・どう考えても、私の胸元に注がれている。

普段は人をじろじろ見ることをしない騎士や事務官、しかもあの鉄仮面の紅侍女たちですら、一瞬驚いたような表情をしてから私のことをまじまじと見つめるのだ。

そして目が合うと、気まずそうに視線を逸らす。

・・・有名人が変装したくなる心理が、今ならほんの少し分かる気がする。人の視線から逃れたいと思うことなど、私の人生で起こるはずもないと思っていた。

原因は分かっている。

団長のコインを、私が持っていないからだ。

内心でため息をつきつつ、私は王宮内を歩いていた。

これから白の本部へ行かなくてはならないけれど、本部に入ったらどんな目で見られるのか、考えただけで気が滅入る。

コインがないことに王宮中が慣れるのが先か、周囲から何かを含んだ視線を向けられることに、私が慣れるのが先か・・・。

気が遠くなりそうだ。

ため息をつく度に、体中の空気が抜けていくような気がする。




「ミーナ殿」

白の本部の前に、バードさんが佇んでいた。

きっと、私がやって来るのを待っていたのだろう。

・・・バードさんは、彼のことを弟のように大事に思っているようだから。

腕組みをして私を見下ろすその表情から、いつもの穏やかな彼ではないことが分かる。

「おはようございます・・・」

なんとなく声が小さくなってしまうのは、彼の目が怒気を孕んでいるのを感じるからか。

伺うように下から見上げれば、彼はひとつ、息を吐いて言った。

「・・・おはようございます。

 あとで、事情を伺ってもよろしいですか」

有無を言わせない言い方をするくせに、私に伺いを立てる。

仕方なくも頷いて彼の顔を見つめると、私に対して怒りだけを抱いているわけでもなさそうだ、ということに気づいた。


「蒼鬼殿のコインを返上したというのは、本当ですか」

白の本部に入るなり、剛速球で直球な質問をしたのは、白薔薇の君。

さすが薔薇なだけあって、棘だらけ。

いや、彼女に悪気はないのだ、きっと。私が少し、磨り減ってしまっているだけ。

波立ちそうになる感情を飲み込んで、何と返答するのが無難か考えているうちに、それを肯定と受け取ったのか、彼女は一瞬目を光らせた。

私の横では、バードさんが額を押さえて息を吐いている。

そんな彼の反応には目もくれずに、彼女は私の両腕を掴んで言った。

・・・騎士だけあって、力が強い。

「蒼鬼殿のコインがなければこちらのものです。

 出来るだけ早くお兄様と・・・」

「ヴィエッタ」

暴走しようとするヴィエッタさんを止めたのは、団長であるディディアさんだ。

さすがのヴィエッタさんも、百合のようにたおやかな彼女を怒らせると鬼のように怖いことを知っているのだろうか。

声をかけられた途端に副団長の顔に戻っていた。

「はい」

「あなたの興味関心は、仕事中には関係のないことですね」

「・・・はい」

そこまでヴィエッタさんに語りかけたディディアさんは、今度はこちらに目を向けた。

「ごめんなさいね、ミーナさん。

 もともと蒼鬼殿は陛下の従兄弟ですし、団長になった経緯も裏があるのでは、と

 何かと目を引く人なのです」

「はぁ・・・」

「あなたの後見人になって、コインを渡したことも好奇の目を引くことでした。

 きっと、あなたがコインを外したことは、更なる噂の種になると思います」

「そうですね、今朝から視線が痛いです」

沈痛な面持ちで言えば、ディディアさんは相槌を打ってくれる。

「朝議で、陛下が蒼鬼殿に詰め寄っていましたが・・・。

 私達には真実は伺い知ることは出来ません。話してくれとも言いません」

穏やかな表情で言われれば、私もほっと胸を撫で下ろしてそれを聞くことが出来た。

隣ではバードさんが静かに佇んでいる。

「・・・しかし」

ディディアさんの声が硬くなった。

私を見つめる目が、ほんの少し細められる。

「噂がまことしやかに囁かれても、針のむしろに身を置くことになっても・・・。

 あなたが自ら選び取った責任を、最後まで果たして下さることを期待していますよ」

「・・・はい」

居づらくなっても子守の仕事はしっかり続けろよ、ということか。

しっかり釘を刺された私は、ゆっくり頷くしかなかった。







仕事をしなくては、大人は生きていけない。

それは解っているのだけれど、よりによってマートン先生の授業の日だとは思わなかった。

神経が磨り減っている今では、もはやこれは苦行と言える。


目の前で、リオン君がマートン先生のお話を聞いている。


あの後レイラさんの自室へ向かう途中はすれ違う人達から、レイラさんの自室では部屋付きの白侍女達から、さらに護衛の白騎士達からの好奇の視線を向けられた。

決して目を合わせようとも、あまつさえ声をかけてくる人間はいなかった。

なんだか檻の中の猛獣扱いをされているようで、苛々してしまう。

視線に晒され続けると、愛玩動物ですらストレスで体調を崩すというのに・・・このままの状態が続いたら、私は一体どうなってしまうのだろう。

そんなことを思いつつも、実際の私は、晒された視線から逃げるように、足早に歩くことしか出来なかったけれど。

今になって、あのコインの影響力について考えを巡らせる。

よく考えたら、団長は陛下の従兄弟なのだ。

それに気づいたら、これだけ注目されてしまうのも当たり前なのだと納得した。

・・・皆、私を見ているのではなくて、私の向こうにいる団長を見ているのだ。

そう考えたら、視線を向けられても耐えられそうな気がした。


けれど、マートン先生の視線には耐えられそうにないのだ・・・。

部屋に入ってきた時に、あからさまに意味のありそうな視線を投げかけてきて、悪寒が体中を駆け巡った。

誰かにここまで嫌悪感を感じたのは久しぶりだ。

団長の話を思い出す。

マートン先生の母親が、どうやら私と同じ国の出身らしいということ。

そして、その母親の死がきっかけとなって、渡り人や異世界の研究に没頭するようになったらしい、ということ。

考えたくはないけれど、蒼鬼が後見人であることが周知されているとはいえ、コインを失った私を見た人が、蒼鬼がこれまでのように熱心に後見をしているとは受け取らないだろう。

先生も、遠まわしな表現をやめて、直接私について聞いてくるかも知れない。

あの時に団長から何かを言われたわけではないけれど、もう私から彼を頼ることは出来ない。

なるべく先生には近寄らないようにしなくては、と改めて思うのだ。

・・・本当は、手が消えかけたことを話したかったけれど・・・今となっては、もう遅い。

リオン君が、「ありがとうございました」と席を立つ音がして、意識をそちらへ向ける。

そんなことを考えているうちに、今日のお話の時間は終わってしまったようだった。

「ミミー!

 終わったよー!」

椅子を並べて座っていた私とバードさんの元へ、小さな皇子様が駆け寄ってきた。

その姿に思わず微笑んでしまう。

「お疲れさま、今日も頑張ったね」

そっと頭を撫でれば、リオン君が得意げに頷いた。

「おやつ貰いに行こうか?」

秘密の話を囁くように提案した私に、きらきらと目を輝かせたリオン君は、大きな声で、ガッツポーズをとる。

「やったーっ!

 早く行こう、早く!」

苦笑する私の手を取って、ぐいぐいとドアの方へ引っ張ろうとする。

4歳とはいえ、普段から剣術や乗馬をしているだけあって、力があるのだ。

私は彼の腕が抜けないように気をつけながら、私はそっと先生のいる方を振り返った。

バードさんが私の背中を見ている気配を感じて、ほっとしながら言葉を吐き出す。

「ありがとうございました、失礼します」

軽く会釈をしてリオン君と部屋を出ようとした、その一瞬だった。

「ミーナ殿、足が」

思わぬ言葉をかけられて、足が止まる。

リオン君も、私を引っ張るのをやめて立ち止まった。

「え?」

先生をもう一度見た。

にやり、と口角が上がる様子が、何故かスローモーションのように見えて。

「・・・おや、すみません。

 ミーナ殿の足元に違和感を感じたのですが、気のせいだったようです」


背中を冷たいものが落ちてゆく感覚に、頭の芯がすっと冷える。

彼がどういう意図で、そんなことを言ったのか分からないけれど、その表情からは決して善意を窺うことは出来ない。

脳裏をよぎったのは、自分の手が透けた、あの場面だ。

私の手が透けたのを、彼が知っているとは思えない。

けれど、何も知らずにそんな台詞をぶつけてきたとも、到底思えなかった。

・・・どうしよう、足が震えているかも知れない。

まさか、関わるまいと決めたそばから、こんなふうに揺さぶられるとは思いもしなかった。

引き攣らないように、顔の筋肉を総動員して表情を作る。

そして、懸命に素知らぬ振りをしながら、私は必死に言葉を搾り出した。

「・・・先生、お疲れなんじゃないですか?

 たまにはのんびり体を休めた方がいいですよ」

失礼します、と付け加えてリオン君を見る。そして、

「おやつ貰いに行こうか」

なるべくいつも通りに微笑んで、私は部屋を出た。







「これを、預かってきました」

バードさんが懐から封筒を取り出す。

今日の業務が終わって、くたくたに疲れた体を引き摺って帰ろうとしたところで、これから白の本部へ向かうというバードさんに呼び止められた。

そしてどういうわけか中庭に連れて行かれた私は、彼から封筒を受け取ろうとしていた。

バードさんに、私宛の手紙を預ける人物・・・そこまで考えを巡らせて、はっ、とする。

・・・もしかして。

「ああ、違います。補佐官殿からです」

一瞬浮き立った心が砕け散った。

・・・確かに、昨日の今日で手紙なんかくれるわけがないし、たぶんくれたとしても良い内容であるはずもない・・・。

自覚している以上に自分が参っていると言われているようで、余計に気が沈んでしまう。

「・・・そうですか、ありがとうございました。

 でもなんで、バードさんが?」

ありがたく手紙を受け取って首を捻る。

すると彼は、そんな私に首を振って教えてくれた。

「直接話をしているところを見られると、あなたに迷惑がかかるから、だそうです。

 1人で歩いていても、この有様だというのに、蒼の巡回中にあなたを抱き上げて

 病院に連れて行った補佐官殿が、このタイミングであなたと2人で・・・」

そこまで言われて、私も頷いた。

「とっても面倒くさいことになりそうですね」

「そういうことです」

・・・そこまで考えてくれたなんて、ジェイドさん、大人だな・・・。

磨り減った私は、そんな小さな心遣いに胸の奥が温かくなる。

息をゆるゆると吐きながら感動していると、バードさんが何か言いたげにため息をついた。

「それで、そんなに目の下にクマを作って、いつもの覇気も失って・・・。

 あなた方は一体何があったというのです」

「あなた方・・・?」

意味が掴めず、言われたままを繰り返した私に、彼は教えてくれる。

「シュバリエルガです。

 彼も今朝会った時に、あなたと同じように相当酷いカオをしていました。

 そして、あなたにはコインがない。

 ・・・彼に聞いても、何も答えないので、あなたから伺っても?」

そこまで私に教えた彼が、尋ねるふりして圧力をかけてくる。

「どうして、バードさんに話さなくちゃいけないんですか・・・」

それは、本心からの言葉だった。

普段は人の問いかけを跳ね除けたりしない私だけれど、今日ばかりは無理だ。

相手の気持ちや、問いかけの理由などを気にかけているだけの余裕はないし、万が一彼から悪意をぶつけられたりしたら、手当たり次第に彼を傷つけたくなってしまう。

それだけ心が荒れている自覚があるのだ。

だから早く帰って、じっと夜が明けるのを静かに待っていたいのに。

そんなふうに反発する気持ちと一緒に、ふいに疑問が湧き上がる。

・・・団長が、私と同じように酷いカオを・・・?

熱があっても平然としている人なのに・・・何かの間違いじゃないのか。

「・・・あなたも、大事な同僚ではありますが・・・」

考えに耽っていた私に、彼がそっと言葉を紡いだ。

「優先順位が、私にとっては、シュバリエルガの方が上なのです。

 ・・・やっと、ここ最近穏やかな顔をするようになったと思っていたのに・・・」

彼の言葉が、重くのしかかる。

そんなことを言われても、私にだってよく分からないのに。

「・・・何があったのか、と聞かれても・・・」

言葉を選びながら、私はバードさんを見上げる。

静かに言葉を待っている彼の目は、一瞬も見逃すまいと、私のことを見据えていた。

いつかもこうして、団長の話をした。

あの時は、最後は微笑んでくれたけど・・・今度は、そうはいかないかも知れない。

「取り繕うのは苦手なので、正直に話しますね・・・」

目の前で無言の肯定。

私は意を決して、大きく息を吸った。

「コインが、まだ必要かって聞かれたんです。

 でも私、それがどういう意味なのかよく分からなくて・・・。

 それで、何も言えずにいたら、団長がコインを外したんです」

団長が何も答えなかったのだから、私にも何も語って欲しくはないだろう。

昨日までに私が団長と過ごした時間や、ノルガとのやり取りなど、紆余曲折を一切省いた言葉に、バードさんは首を捻っていた。

それはそうだ。

事実だけを伝えても、本当のことはきっと分からない。

・・・目の前で起こったことを見ていたはずの私にも、どうしてこうなったのか分からないのだから。







夜、ベッドの上で膝を抱えて月を見上げた。

もうすぐ満月だ。

星が輝く空には、私の知っている星座も浮かんでいるのだろうか。

この世界に来たばかりの頃は、月が同じなら・・・と期待して、一生懸命にもといた世界との繋がりを探したものだ。

そうして、擦り切れそうになる心を繋いでいた。

けれどいつの間にか、そう、王都に来てからはそんなこと、考えもしなかった。


「シュバリ、エルガ・・・」

そっと、その名前を口にする。

ふわっと夜の空に溶けて、あっという間にかき消えてしまったけれど。

ジェイドさんからの手紙は、まだ封を切っていない。

なんだか、中身を読む気になれずにいた。

いつか団長がそっとドア下から滑らせた便箋が、風に揺られて、かさり、と音を立てる。

なんとはなしに視線を移した私は、その中に書かれたことを思い出してしまって、目の奥が軋むような気がした。

「・・・ちゃんと、練習したんだよ・・・」

開いた窓から、夜風が入り込む。

そっと目を閉じた。

「ねぇ・・・シュバリエルガ・・・」


今になって、彼の名を口にするなんて。

本当に、滑稽だ。








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