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「ああもう、なんで、こう、なるかな・・・」
王族の食事を作る厨房の一角に身を潜めて、私は小さくなっていた。
遡ること数分前。
私は、団長の用意してくれた食事を軽く摂って、白の本部へ打ち合わせに向かった。
朝食はとても美味しかったのだけれど・・・顔がいい上に料理も出来て、彼は一体、何者なのだろうか・・・。
そして、いつものように打ち合わせを終えたところで、ヴィエッタさんが詰め寄ってきたのだ。
なんというか、それはもう能面のような表情で、何かを間違えて唇同士が触れてしまうんじゃないかというくらい顔が近くて、思わず仰け反った程。
そんな私に、彼女は歯軋りしながら言った。
「・・・お兄様が、あなたに思いを寄せているというのは、本当ですか・・・」
・・・気づいたら全力で逃げていた。
突然逃げ出した私に驚いたのか、少し遅れて彼女が追いかけてきた気配を感じ取って、渾身の力を振り絞って廊下を駆け抜けた。
そして、最終的に厨房の隅に身を寄せたというわけだ。
「・・・おいミーナ、こんなとこに隠れて何やってんだ」
必死に息を潜めている私に話しかけてきたのは、料理長さん。
リオン君とおやつを貰いに来ると、必ずといっていいほど、私におまけをくれる良い人だ。
私は彼に向かって、しーっ、と静かにするように合図を送る。
すると彼は、肩を竦めてどこかへと行ってしまった。
とりあえず、私がここに隠れるのを黙認してくれるようだと分かって、息をつく。
・・・心臓が忙しく働いている。
最近忙しく働かせて申し訳ないなと思いつつ、丈夫な体に産んでくれてありがとうお母さん、などと心の中で呟いた。
そして、誰もが憧れる白薔薇の君を思い出す。
・・・怖かった。
美しい造りの顔が歪められると、あんなに恐ろしい表情になるものか。
ジェイドさんが私に思いを寄せている、と言っていたけれど・・・それ、私に訊いて真相が分かると思っているのだろうか・・・。
しかも、だ。私があんなに詰め寄られる理由が分からない。
そう思うと、沸々とやり場のない気持ちがこみ上げてきた。
・・・だからといって、私が彼女に強く言えるかといえば、それもない。
ため息をついて、頭を切り替える。
打ち合わせが終わった以上、私は仕事中なのだ。リオン君が待っているのだから、早くレイラさんの私室に向かわなければ・・・。
そろそろと隠れていた場所から這い出して、左右を確認する。
逃げ出してからしばらく経つ。ヴィエッタさんは、厨房までは探しに来ないようだ。
胸を撫で下ろして深呼吸した私は、近くにいた料理長に視線を投げる。
朝から散々な目に遭ってしまったけれど、気を取り直してリオン君の所に向かおう・・・。
「・・・もうすでに疲れた・・・」
私は廊下を歩きながら、自分にしか聞こえないくらいのかすかな声で呟いた。
なんとも表現の出来ない疲労感が両肩に乗っかっているようだ。体が重い。
すると斜め後ろから声がかけられた。
「子守殿、体調が優れないようですが・・・」
低くも高くもない、これといった特徴のない男性の声だ。
ぱっと振り返ると、手首に赤いコインが光っているのを見つけた。
・・・紅の騎士・・・この辺の警備かな・・・。
じっと顔を見ては失礼だと思うと、なんとなく目を合わせづらい。
病院に担ぎ込まれた日も、戻ったら紅の騎士に声をかけられたのを思い出す。
・・・同じ人かも知れない。
「・・・あ、と・・・大丈夫です。
ちょっと疲れただけで・・・お疲れさまです」
人見知りしない私でも、さすがによく知らない異性と馴れ馴れしく会話するつもりはないので、さらっと返して再び歩き出した。
前を向いた瞬間に、彼の方からも「お疲れさまです」と言葉が投げられたのを聞いたけれど、その声はやはり、あの日に聞いたような気がする。
なんとなく流してしまったけれど、どこか腑に落ちない感覚が残っていて、私は歩きながら内心首を捻ったのだった。
リオン君のところに着くと同時に、歓迎のタックルを受けた。
遅くなってゴメンねリオン君・・・と、心の中で懺悔して、小さな体をぎゅっと抱きしめると、可愛い悲鳴がお腹に響く。
「・・・む~!」
「おはようございます、ミーナさん」
リオン君とじゃれ合っている私に、少し離れたところからレイラさんが声をかけてくれた。
「おはようございます!
すみません、お待たせしてしまって」
「ううん、大丈夫です。
さっき、白薔薇の君がいらして、お話伺いましたから」
・・・ここへ探しに来たのか・・・。
白薔薇の君が、一体何をどんな風に説明したのか訊こうかどうしようか、と迷って絶句している私を見て、レイラさんが言った。
「・・・大変ですね、ミーナさん」
言葉とは裏腹に、その表情はキラキラしている。
「一体何を聞いたんですか?」
恐る恐る質問すると、彼女は頬を染めた。
いや、悶えているといってもいい。
そんな母親を、私から体を離したリオン君が静かに見つめていた。
・・・君のお母さんは、まだ乙女なのかな・・・。
リオン君に心の中で話しかけながら、私はレイラさんからの言葉を待った。
「もう、とぼけなくても良いんですよ?
蒼鬼殿と、ジェイドさんと、白薔薇の君の四角関係になっているのでしょう?」
・・・なぜ四角。そもそも三角でも何でもない。
疲労感に脱力感が加わって、言葉が出なかった。
そんな私には目もくれず、彼女は更に言い募る。
「わたくし、ミーナさんと蒼鬼殿が結ばれたらいいな、と思ってたんですけど・・・。
・・・でもそうすると、ジェイドさんと白薔薇の君の禁断の愛が・・・」
詳しく聞くのが怖くなった私は、妄想を広げているらしいレイラさんをしばらく放置することにして、リオン君に目を移す。
彼は彼で、自分の母親を不思議そうに見つめていた。
・・・私が子守として、しっかりしなくては・・・そう思ったのは、今日が初めてだ。
「それじゃ、今日の予定をお伝えしますね」
しばらくして、妄想を楽しんでいたレイラさんが母の顔に戻った。
それを受けて、私も自然と背筋が伸びる。
ここに至るまでが長かったけれど、やっと1日が始まる予感に、私は小さく深呼吸する。
「今日ね、お友達に会うの!」
待ちきれなかったのか、リオン君が飛び上がりそうな勢いで私に向かって言った。
きっと楽しみにしていたのだろう、小さな瞳が、キラキラしている。
「・・・お友達?」
突拍子もないことに首を傾げると、レイラさんが微笑んで教えてくれた。
「ほら、陛下達と一緒に夕食を摂った日に話しましたよね?
子どもの成長には、お友達が必要だって」
「あ・・・そういえば、そんな話してましたね。
もう見つかったんですか」
さすが王宮、準備も決行も早い。
手際の良さに感心していると、話の続きが待っていた。
「そうなんです、ジェイドさんと白の皆さんが探してくれて。
それで、今日の午後にお庭で会うことになっているんですけど・・・」
彼女がウキウキして落ち着かないリオン君を、ちらりと見る。
きっと初めてのことに、彼女も不安があるのだろう。
「・・・分かりました。
少しの間、一緒に遊んで相性を見ることって可能ですか?
・・・いつもみたいに、白の警護がつきますよね?」
私の言葉に、レイラさんがこくんと頷く。
「ええ、白薔薇の君もそんなことを言ってましたから・・・」
それなら、と私は頭の中でどんなことをして遊ぶかを考える。
すると、彼女は思い出したように口を開いた。
「ええと、お友達は男の子だそうです。
それから、母親と一緒に来るそうなので、そちらの相手はわたくしがしますね」
「了解です」
その後、お庭に移動したところで、バードさんが合流した。どうやら、私達が来るのを待っていたらしい。
約束の時間よりもだいぶ早くお庭に出てきた私達は、しばらくの間時間を潰すことになった。
レイラさんは、護衛の白騎士と紅侍女を数人引き連れて、リオン君と手を繋いで芝生を跳ね回るバッタさんや、そこここに咲いている野花を見て回っている。
せっかく親子で連れ立って外に出たのだからと、この機会に2人で楽しく過ごしたいのだそうだ。
お庭を囲む木々の向こうに、白と紅の騎士たちが配置されているのが見える。
審議を重ねた上でのお友達採用だろうけれど、やはり警備は厳重だ。
・・・これなら動き回っても大丈夫かな・・・。
辺りの様子を見回してから、思い切り遊べそうだと判断して、私は息をついた。
そして、そういえば・・・と思い出す。
隣に立っているバードさんは、今日は朝の打ち合わせに来ていなかったのだ。何かあったのかと疑問が浮かんで、私はそっと、遠くを見ている彼に視線を送る。
疑問を口にしようとしたところで、なぜかバードさんの優しいはずの目が、きっ、と音を立てて私を睨み付けた。
全くもって身に覚えのない展開に、思わず半歩後ずさりしてしまう。
そんな私にやはり冷たい視線を投げると、彼は苦々しく言い放つ。
「思い切り、とばっちりを受けましたよ」
言葉が剃刀のような鋭さで、私に向かってきた。
「・・・もしかして・・・」
今の私には、彼を不機嫌にさせたものなど、1つしか思い浮かばない。
「今朝は朝議に呼ばれたので、そちらに先に顔を出して来たのですが・・・。
白の本部に向かったところ、同じように本部に戻った副団長に詰め寄られまして」
それを聞いた私は、「やっぱり」と肩を落とす。
いや、私が負い目を感じる必要は、たぶんない。
ないけれど、なんだろうか、この脱力感・・・。
「・・・まあ、あなたにこの気持ちをぶつけても仕方のないことですが・・・」
大人なバードさんは、ヴィエッタさんの思い込みと兄に対する執着と愛情の向かう先が、通常よりも斜め上をいくことを理解しているらしい。
大きくため息を吐き出すと、目元をいくらか和らげてくれた。
「・・・あの、なんだかすみません」
自分でも何故謝っているのか分からないけれど、とりあえず頭を下げる。
その様子に、彼も頷いてくれた。
「大丈夫です、なんだか釈然としないものは残りますが」
「・・・私もです」
私もため息を吐いて、がっくりと肩を落とす。
そして彼を見上げて目が合うと、どちらからともなく笑みがこぼれた。
苦労を共にすると、何かが噛み合うようになるらしい。
「・・・ミーナ殿」
ほのぼのした雰囲気が、彼の張り詰めた一言で一掃される。
バードさんが、白騎士の顔に戻って前を見つめていた。
その視線の先を追うと、一組の親子が手を繋いで歩いて来る姿が目に入る。
・・・きっと、あれがお友達候補だ。
頭で判断するより早く、私はレイラさん達を探す。
2人はすでに、お友達親子に気づいていて手を振っていた。
「もう少し近くへ行きましょう」
バードさんのひと言に頷いて、私は彼の半歩後ろをついて彼らの元へと向かう。
芝生は綺麗に整備されていて、一歩踏み出すごとに草を踏む音がした。
やがてほどなくして、二組の親子が対面する。
すると、お友達親子の方が礼儀正しく膝を折った。
母親の方が先に挨拶を述べる。
「初めてお目にかかります、シュレイラ様、リオルレイド様。
わたくしは10の瞳の1人、ウェイルズの妻、シェイナでございます。
こちらは、わたくしの子で、シェウルと申します」
「初めまして、シェウルです。
8歳です。皇子様といっぱい遊びたいです」
母に続いて、男の子が挨拶をする。
口調もしっかりしているし、とても賢そうな子だ。
2人の目が、レイラさんとリオン君に向いているのをいいことに、私はつぶさにお友達親子を観察していた。
母親の方は、少しだけ神経質そうな目をしているけど、緊張のせいもあるだろう。
綺麗な重ねておなかに乗せられた手が、小刻みに震えていた。
その手の様子にいつかの自分を重ねて、私はいつの間にか緊張の「き」の字も感じなくなっている自分に気づく。
思わず頬が綻んでしまうのは、子守になって良かったと思えるようになったからだろう。
挨拶を交わした後、母親同士、子ども同士で交流を深めることになった。
私は今朝の話の通り、リオン君とシェウル君と一緒に遊ぼうと、手を繋いで木陰に向かう。
もちろん少し離れた場所から、バードさんがついて来てくれていた。
木々の間には、騎士が大勢配置されているから、安心してはしゃいでもらおう。
・・・ここは定番のかくれんぼをして、そのあとは鬼ごっこかな・・・などと、限られた時間を楽しく過ごそうと考えを練る。
久しぶりに子守の仕事らしく、思い切り体を動かそうと、私は意気込んでいた。




