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小話 焼き菓子をどうぞ









ある日の退勤後。

一度部屋に戻った私は、休日にまとめ買いしておいた焼き菓子を、皆さんに配っていた。

この前の病院行きの件では、多方面にご迷惑をおかけしましたから・・・。

とりあえず、白の本部の皆さんの人数は把握出来ていないけれど、大人数でそれぞれが摘めるようなものを。

レイラさん達には、ラッピングしてもらった詰め合わせを渡してきたところだ。



「ありがとうございます、あまり気を遣わなくてもいいんですよ」

バードさんが、優しく目尻のしわを深くして言う。

「ほんの気持ちです。

 ・・・あ、もしかして、奥さんがヤキモチやいちゃいます?」

それならかえってご迷惑でしたね、と付け足すと、彼は微笑んだ。

「いいえ、妻もここの焼き菓子が大好きなので。

 ありがたく、食後のお茶の時にでもいただきます」

さりげなく奥さんへの愛を匂わせる発言に、私が曖昧に微笑むしかない。

・・・ごちそうさまでした。




次は、ジェイドさんの執務室。

ノックをしたけれど、返事はない。

「ジェイドさーん」

何も起こらないと思いつつも、なんとなく声をかけてみる。このまま退散するのも、どうかと思ったからだ。

すると、背後から声がかかった。

「補佐官殿は、広間にいらっしゃいます」

「ぅわっ・・・と」

相変わらずな無機質声にびくついた私に、声をかけてきた紅の侍女さんは1ミリたりとも表情を動かさずに教えてくれた。

親切のつもりで声かけてくれたのは分かっているから、なるべく動揺してない振りをする。

・・・きっとそんなことは気づいていると思うけれど。

「ありがとうございます、行ってみますね!

 ・・・あ、そうだこれ!!」

お礼を言ってから、籠に入れておいた予備の焼き菓子を取り出す。

この部屋の前でよく見る侍女さんだから、きっと病院の件の時もここにいたはずだ。

ジェイドさんが突然いなくなって、困ったに違いない。

「今、いろんな人にお詫びとお礼を兼ねて配ってるんです・・・。

 よかったら、どうぞ。ほんの、ちょびっとですけど・・・。

 先日は、ジェイドさんに病院に付き添ってもらって・・・きっと、紅侍女さんの

 お仕事にも影響したと思います。すみませんでした・・・」

小さな袋にリボンを結んだそれを、彼女はゆっくりとした動作で受け取ってくれた。

やはり無表情。

挨拶は笑顔で、相手の目を見て行いましょう・・・なんて、小学校の時の校長先生に朝礼で言われたことをずっと守っている私は、相手が無表情でも笑顔を向ける。

「それじゃ、お疲れさまです!」

そして、ジェイドさんに会いに広間へ急いだ。




初めて王都に来た日、私はジェイドさんに連れられてここに来た。

本当はレイラさんとリオン君に会うためだったのだけれど、どういうわけか陛下と出会ってしまった場所だ。

・・・まさか今回もサボってここに隠れたりしてないよね・・・?

いつかの映像が蘇って、首を振る。

そしてゆっくりと、大きな扉を押した。


中に入ると、ピアノの音が綺麗に響いていた。

・・・あれ、ここ、ピアノなんかあったかな・・・。

疑問が脳裏をよぎりながらも、優しい旋律が耳を打って思わず足が止まる。

入り口から見渡せる範囲にジェイドさんは見当たらないけれど・・・とりあえず、ピアノを弾いている人に聞いてみることにして、邪魔をしないようにそっと近づく。

そして、やっと顔が見える位置まで来て驚いた。

「ジェイドさん・・・!」

小さく呟いたはずなのに、彼がこちらに気づいた。

そして、お互いにびっくりしたような表情のまま固まってしまう。

先に息を吹き返したのは私の方だった。

近寄って会釈をする。

「お、驚かせてごめんなさい・・・。

 紅の侍女さんが、ここだって・・・」

「ああ、そうでしたか」

私の言葉に、いつもの姿に戻った彼は、にこやかに頷いてくれる。

「実はね、今日からここにピアノを置くことにしたんですよ。

 リオン君に音楽に触れてもらいたいと、陛下の希望で。

 ・・・あの人も、たいがい親バカで困ったものです・・・」

苦笑しつつも、そこには長年一緒に国を支えて培った何かを感じる。

陛下もジェイドさんだから、こき下ろされても笑っていられるのだろう。

「そうだったんですか。

 ・・・て、ゆうか・・・ジェイドさん弾けたんですね」

「少しかじっただけですよ。

 実家にもありますし・・・たまに楽器に触れると、癒されるんです」

そっと鍵盤を撫でる彼。

その表情が穏やかなのに艶やかで、病院での出来事が頭の中で自動再生されてしまう。

それを一生懸命顔に出さないように、と息を止めていると、ふいに彼が顔を上げた。

そして、さっ、と私の手を掠め取る。

綺麗な青い瞳の中に、いつかのような熱が灯っているのに気づいた私は、体中の熱が顔に集まってきているのを感じて、さらに息を詰めた。

彼が、掠め取った私の手の甲を、親指をゆっくりと動かして撫でる。

ゆっくりだから指の触れる部分から伝わる熱を生々しく感じてしまって、私は鼓動が早鐘のように打ちつけているのを、必死にやり過ごす。

すると、そんな私を面白がっているのか、からかっているのか、彼が喉の奥で笑って囁いた。

「いつか、ミナを奏でられたらいいんですけれど、ね」

・・・心臓が止まりそう・・・。

気障な台詞も、顔が良ければ大概許されるものなのか。それって不公平なんじゃないのか、なんて、完全に沸騰した頭で考えた。現実逃避ともいえる。

・・・どうして、どうしてそんなこと言うの。

・・・一周して悪意を感じますよジェイドさん・・・。

「・・・からかわないで下さいね」

かろうじて呟けば、彼は目を細めた。

一度合ってしまった視線は、そうそう簡単に引き剥がすことが出来ない。

視線を逸らしたら、何かが私を飲み込もうと口を大きく開く気がするから。

これ以上、こちらに来ないで欲しい、という意思表示。

「・・・まさか。本気ですよ」

瞳の中にくすぶる熱を再びぶつけられて、今度こそ眩暈がした。

・・・ああ、息するの忘れてた。

思い至って深呼吸すると、いくらか気持ちが落ち着いた。

気を確かに持とうと、自分を鼓舞していると、彼がさらに言い募る。

「どれだけ本気か、教えて差し上げましょうか」

疑問文なのに、私に伺いを立てているように聞こえないのは何故なのか。

甘い攻撃にやられっぱなしの私は、ついに一言も発せないまま手の甲に、彼の口付けを受けていた。

・・・もう何が何だかわからない。手も顔も、心臓も熱い。

「言いましたよね、私のことを見て欲しいと・・・」

彼が言葉を紡ぐたび、手の甲に電流が流れるかのような痺れが走る。

わずかな電流でも、体中を駆け巡ると反射的に体がびくついてしまった。

「・・・あっ・・・」

その拍子に、持っていた籠を床に落としてしまう。

その様子を見た彼は、なぜか微笑んだ。

しかも、とてつもなく甘くだ。

「・・・それを聞いた上で、ここへ来たのでしょう・・・?」

椅子に腰掛けたまま、上目遣いに私のことを見つめる彼は、ゆっくり、じわじわと、その唇を手の甲から手首へと、移してきた。

また、電流が走る。

もう頭は完全に沸騰していて、もしかしたら血が逆流しているんじゃないかと思うくらい、熱くて仕方ない。

鼓動が速すぎて、意識が追いつかない。考えが纏まらない。

「ねぇ、ミナ・・・?」

そう囁いて、唇は手首からまた少し上の方へ。

そうやって少しずつ、じわじわと体を引き寄せられていく感覚に抗えなくなりそうで、そのたびに危機感が広がっていく。

「ちがっ・・・ジェイドさ・・・っ」

「ん・・・?」

背中から震えが上がってきて、足が竦んだ。

その一瞬の隙に、彼が強く私の手を引く。

もう何が何だか分からなくなっていた私は、突然感じた重力に逆らうだけの瞬発力など、あるはずがなかった。

あ、と声を漏らす間もなく、あっけない程にあっさりと彼の腕に囚われる。

気がついたら、彼の膝の上に座っていた。

・・・どうしてこの世界の男共は、こうも強引なのか。

沸騰した頭でそんなことを考えていると、目を細めた彼が目の前にいることに気がついた。

「捕まってしまいましたねぇ」

「・・・えっ、やっ・・・?!」

慌てて膝から下りようとするけれど、彼の腕がそれを許してはくれない。

それどころか、罠にかかったネズミのように、じたばたするだけ、腕が腰に食い込んでいくような気がした。

「こら、暴れると落ちますよ」

言葉と吐息が一緒に、耳のすぐ後ろにかけられる。

「・・・ぅ、んっ」

・・・今の、私の声なの。

変な声が出た自分に驚いていると、耳の後ろで喉を鳴らす音が聞こえてくる。

「・・・可愛い声出しますねぇ」

その楽しそうな声を聞いた瞬間に、痺れた頭の奥で、何かがカチリと音を立てた。

・・・完全に、遊ばれている。

私はそう思ったのと同時に、半ば反射的に、彼の大きな手を思い切り叩く。

ばちん!・・・と、小気味良い音が響く。

その音の響き方に、ここはホールだった、と今さらながら思い出す。

・・・誰かが突然入って来たり、しなくて良かった・・・。

そんなことを考えていると、大きなため息が聞こえて、手が放された。

「仕方ないですねぇ・・・」

そう言ったのが聞こえて、私は咄嗟に彼の膝から飛び降りて、数歩距離を取る。

改めて向き合って彼の顔を見上げれば、そこにあったのは苦笑とも微笑ともつかない、見たこともない表情だった。

そして、何と言おうかと、自分の気持ちと言葉を照らし合わせていた時だ。

彼は少し身を屈ませたかと思えば、無駄のない動作で、私の頬に口づける。

わざとらしく、ちゅ、と音を立ててだ。

またしても顔に熱が集まりだして、俯いてしまった。

一瞬強気になったものの、私は不意打ちにめっぽう弱いらしい。

・・・本当に、心臓が過労死してしまう。労災認定されますか。

言葉にしては言えないから、せめて心の中で嫌味を放つ。

彼は俯いた私の頬を、両手で包んで上に向かせた。

そして・・・むにゅぅ。

思い切り潰された。

「れいほふぁんのふぁーふぁ」

ここまでされたら、もうやけっぱちだ。

どうせ聞き取れまいと悪口を言ってみれば、案の定更に力を込められた。

・・・ばれてた。

「私は馬鹿ではありませんよ?」

「ふぁひ・・・ほえんひゃひゃい・・・」

「はぁぁぁ・・・」

素直に謝ったら、それはそれで呆れられる。

・・・一体どうしたいんですかあなたは。

大きくため息をついた彼は、小さく呟いた。

「本当に、なんでこんな小娘ごときに欲情してしまうんでしょうねぇ・・・」

・・・欲情って、欲情って・・・。

あまりの生々しさに、またしても顔が赤くなるのが分かった。きっと頭皮まで赤いだろう。

それに、なんだか色気が一周して悪意を感じる。

でもそう呟いた彼は、とても、素晴らしく甘くて優しい顔をして私を見ていたのだった。


「そういえば、これを渡しに来たんでした。

 病院に連れて行ってくださって、ありがとうございました」

はいどうぞ、と焼き菓子を渡す。

すると彼は、一瞬びっくりしたような表情をしたけれど、すぐに微笑む。

「ありがとうございます、大事にしますね」

「大事にするんですか?」

「そうですよ?」

「食べ物ですよ?」

「そうですよ?」

・・・なんだか会話が微妙に成り立ってないけれど、いいのか・・・。


とりあえず、私の「お詫びとお礼配りの旅」はここで目的達成だ。

釈然としないものを、あっさり飲み込んで、私は彼のもとを後にした。




後日、私のあげた焼き菓子が、ラッピングされたまま鳥かごに入れられて大事に飾られているのを、白の事務官が目撃したそうだ。

何と言うか、「食べて下さい」とでも言って渡せば良かったのか。







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